婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

文字の大きさ
8 / 29

8

しおりを挟む
 アルスター公爵が「乗った」と言った瞬間、私は懐から一通の書状を取り出しました。
 
「……モモカ。それは何だ?」
 
「何って、契約書ですわ。公爵様が『食べたい』とおっしゃるタイミングを予測して、昨晩のうちに書き上げておきましたの」
 
 私はテーブルの上に、サラサラと流麗な文字で書かれた羊皮紙を広げました。
 
 公爵は、あまりの準備の良さに少しだけ引きつった笑みを浮かべています。
 
「……貴様、私が断るという選択肢を最初から排除していたな?」
 
「あら、合理的でない選択をする方を、私はビジネスパートナーに選びませんわ。さあ、こちらにサインを。内容は『ピーチベル領産果実の優先買い付け』および『公爵家による公的流通路の提供』です」
 
 公爵は契約書に目を通すと、一箇所で指を止めました。
 
「『公爵領の寒冷気候を利用した、桃の長期保存施設の建設および管理を無償で請け負うこと』……? これはどういう意味だ」
 
「言葉通りですわ。この北方の冷気は、桃の鮮度を保つための最高のギフト。ここに巨大な『氷の貯蔵庫』を作れば、収穫期を過ぎても世界中に桃を供給できる……。つまり、一年中、私が儲かるということです!」
 
「私が儲かる、と断言したな。公爵家への利益はどうした」
 
「公爵様には、その貯蔵庫の管理費として、市場価格の二割を上乗せしてキックバックいたします。それに……」
 
 私は少しだけ声を低くして、彼に歩み寄りました。
 
「王家が止めた流通ルートを、公爵家の紋章を掲げた馬車が堂々と突き進む。これは、王太子殿下に対する最大の『無言の抗議』になりますわ。権威を示すには絶好の機会ではありませんか?」
 
 アルスター公爵は、しばし沈黙した後、羽ペンを手に取りました。
 
 迷いのない動きで、彼は自らの署名を書き込みます。
 
「……いいだろう。貴様のその、悪魔的な商才に投資してやる。だが、一つだけ条件がある」
 
「なんですの? 桃の増産なら、すでに取り掛かっておりますが」
 
「いや。……次に収穫される『黄金桃』の最上級品は、必ず私の元へ直接届けろ。市場に出すな。これは『国家機密』だ」
 
「おや、公爵様。さては、すっかり桃の虜になられましたわね?」
 
 私がクスクスと笑うと、公爵は不機嫌そうに顔を背けました。
 
 ですが、その耳の端が少しだけ赤くなっているのを、私は見逃しませんでしたわ。
 
 契約締結から三日後。
 
 ピーチベル領の街道には、見たこともないような豪華な荷馬車の列が並びました。
 
 車体には、王家すら一目置く「アルスター公爵家」の双頭の鷲の紋章。
 
「お、お嬢様! 本当に行っちまいましたよ! 王家の検問所を、公爵家の馬車が挨拶もせずに素通りして行きました!」
 
 報告に来たピートさんが、興奮のあまり鼻息を荒くしています。
 
「当然ですわ。公爵家の荷を止めるということは、北方の守護者に宣戦布告するのと同じ。セドリック様といえど、そこまでの度胸はないでしょう」
 
 私は屋敷のベランダから、次々と積み込まれていく桃の箱を眺めました。
 
 王家が閉ざした扉は、今やもっと巨大な黄金の門となって開かれたのです。
 
「さあ、お父様、モモタロウ! のんびりしている暇はありませんわよ! 公爵領を経由して、王都の闇市場……いえ、『高級会員制サロン』へ桃を流しますわ!」
 
「お姉様、それって実質的な密輸じゃないの……?」
 
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。これは『公爵家公認の正規流通』ですわ。法を作るのは権力者……そして今、その権利の一部は私の桃が握っているんですもの」
 
 私は空高く、熟れた桃を掲げました。
 
 王都の市場で、私の桃を待ちわびている貴族たちが、飢えた狼のように喉を鳴らしている姿が目に浮かびます。
 
 供給を絞り、価値を高め、最も高い値をつけた者にだけ、一口の奇跡を与える。
 
「まずは王都を『桃中毒』にして差し上げますわ。……ふふ、セドリック様。リリアさん。あなたたちが食べる桃だけは、特別に渋柿のように苦い工夫をして差し上げたいところですけれど……」
 
 そんな手間をかけるまでもなく、彼らは自らの愚かさを、桃の香りが消えた王宮で噛み締めることになるでしょう。
 
 逆襲の歯車は、公爵家の馬車の車輪と共に、力強く回り始めました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】探さないでください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。 貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。 あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。 冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。 複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。 無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。 風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。 だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。 今、私は幸せを感じている。 貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。 だから、、、 もう、、、 私を、、、 探さないでください。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目の人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

処理中です...