婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

文字の大きさ
12 / 29

12

しおりを挟む
 アルスター公爵領にある、広大で冷涼な地下貯蔵庫。
 
 そこは今、私、モモカ・フォン・ピーチベルの「秘密の実験場」と化していました。
 
 周囲には、山のように積み上げられた銀色に輝く金属の筒。
 
 そしてその前で、公爵様が眉間に深い皺を刻んで立っています。
 
「……モモカ。貴様はついに、桃を兵器に改造し始めたのか?」
 
「失礼なことをおっしゃらないでくださいませ、アルスター様。これは兵器ではなく、人類の歴史を塗り替える『時のカプセル』ですわ」
 
 私は、まだ熱を帯びた金属の筒――「缶詰」を一つ手に取り、誇らしげに掲げました。
 
 桃の最大の弱点。それは、あまりにも短すぎる「旬」の時期と、その繊細すぎる肉体です。
 
 収穫から数日も経てば傷み始め、冬にはその姿を消してしまう。
 
 しかし、この魔法の筒があれば、雪降る極寒の夜でも、もぎたての甘美さを味わうことができるのです。
 
「……この金属の塊の中に、あの桃が入っているというのか? 腐りもせず、形を保ったままで?」
 
「ええ。濃いめの砂糖水と一緒に密閉し、高温で煮沸殺菌を施しましたの。これにより、桃は時を止め、数年先までその瑞々しさを維持します。いわば、桃の不老不死化ですわ!」
 
「……不老不死、か。貴様の発想は、相変わらず合理的というよりは狂気じみているな」
 
 公爵様は呆れたように溜息をつきましたが、その視線は私の手の中にある缶詰に釘付けです。
 
 彼もまた、冬の間にはあの味が失われるという事実に、密かに絶望していた一人ですからね。
 
「さあ、試作品の第一号ですわ。公爵様、開けてみてくださいませ」
 
「どうやって開けるのだ。このまま噛み砕けと?」
 
「そんな野蛮なことはさせませんわ。専用の『缶切り』も開発済みです。こうして、テコの原理で……」
 
 シュッ、ガガガッ、という小気味良い音と共に、金属の蓋が切り開かれていきます。
 
 その瞬間。
 
 密閉されていた濃密な桃の香りが、地下室の冷たい空気の中に一気に解放されました。
 
「……っ! これは……」
 
「どうかしら。数週間前に閉じ込めた『黄金桃』の魂が、今ここで蘇りましたわ」
 
 缶の中から現れたのは、黄金色のシロップに浸かった、艶やかな桃の切り身。
 
 公爵様は、促されるままに銀のスプーンでそれを一口、口に運びました。
 
 ……沈黙。
 
 地下室を支配していた氷のような緊張が、彼の表情が緩むと共に、音を立てて溶けていきました。
 
「……信じられん。生の桃よりも味が凝縮されている。シロップの甘みが肉質に染み込み、食感はより滑らかに……。これが、冬の間も食べられるというのか?」
 
「ええ。これさえあれば、行軍中の兵士の栄養補給はもちろん、遭難した時の非常食にもなりますわ。……何より、冬の鬱々とした気分を吹き飛ばす最高の嗜好品になるはずです」
 
 公爵様は、二口、三口とスプーンを動かし続け、ついにはシロップまで飲み干さんとする勢いでした。
 
 私はその様子を満足げに眺め、メモ帳に「公爵:缶詰への適応性・極大」と書き加えました。
 
「モモカ……。これは革命だ。王家が独占していた『旬』という概念を、貴様は文字通り破壊した」
 
「破壊ではありません、民主化ですわ。これからは王族でなくとも、一年中桃を楽しめる。……あ、でも、セドリック様には売りませんけれど」
 
「ふっ、徹底しているな。……だが、この製法を他国に知られたら、この筒は金塊と同じ価値を持つ。厳重な警備が必要だぞ」
 
「あら、心配ご無用ですわ。この缶詰工場は、公爵領の最深部、あなたの城の真下に作らせていただきますもの。最強の番犬……いえ、最強の守護者がすぐそばにいますから」
 
 私が茶目っ気たっぷりにウインクすると、公爵様は少しだけ居心地悪そうに顔を背けました。
 
 ですが、彼はすでに、この銀色の筒がもたらす「桃色の大帝国」の姿を、その理知的な脳内で描いているに違いありません。
 
「……おい、モモカ。予備の分も開けておけ。品質の……ばらつきがないか、私が夜通しで検品してやる」
 
「あら、公爵様。それは単に、もっと食べたいだけではありませんか?」
 
「……検品だと言っている。公爵の言葉を疑うな」
 
 こうして、世界を変える発明「桃の缶詰」は、アルスター公爵の胃袋という名のブラックホールによって、厳格な品質テストをパスしたのでした。
 
 一方その頃、王宮では。
 
 保存の利かないリンゴがどんどん傷んでいくのを、セドリック様が半泣きで眺めているとは露知らず……。
 
 私は、次なる野望――「桃の長期軍事用レーション」の構想へと、ペンを走らせるのです!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

【完結】好きでもない私とは婚約解消してください

里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。 そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。 婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

【完結】裏切られたあなたにもう二度と恋はしない

たろ
恋愛
優しい王子様。あなたに恋をした。 あなたに相応しくあろうと努力をした。 あなたの婚約者に選ばれてわたしは幸せでした。 なのにあなたは美しい聖女様に恋をした。 そして聖女様はわたしを嵌めた。 わたしは地下牢に入れられて殿下の命令で騎士達に犯されて死んでしまう。 大好きだったお父様にも見捨てられ、愛する殿下にも嫌われ酷い仕打ちを受けて身と心もボロボロになり死んでいった。 その時の記憶を忘れてわたしは生まれ変わった。 知らずにわたしはまた王子様に恋をする。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

処理中です...