婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 ピーチベル領の朝は、小鳥のさえずりと、もう一つ「聞き慣れた音」で始まります。
 
 ゴゴゴ、と地響きを立ててやってくる、重厚な黒塗りの馬車。
 
 王家ですら道を譲るという、アルスター公爵家の紋章が入ったその馬車が、我が家の正門をくぐるのは、これで十日連続のことでした。
 
「……おはようございます、公爵様。今日もまた、北の果てから『視察』ですか?」
 
 私は、朝一番の収穫を終えて、籠一杯の桃を抱えたまま彼を迎えました。
 
 馬車から降りてきたのは、相変わらず非の打ち所がない美貌を誇るアルスター様です。
 
「……ああ。モモカ。この時期の桃の品質管理は、分刻みの変化があると聞く。合理的な判断として、現場を直接確認しに来た」
 
「分刻みの変化、ねぇ……。公爵領からここまでは、馬車を飛ばしても数時間はかかりますわよね? その移動時間の方が、非合理的な気がしますけれど?」
 
 私がジト目で問い詰めると、公爵様はわずかに視線を泳がせました。
 
 そして、私の腕の中にある籠をじっと見つめ、喉を小さく鳴らしたのです。
 
「……移動時間は、書類仕事に充てている。問題ない。それより……その桃は、今朝獲れたばかりのものか?」
 
「ええ。産毛が逆立っているほど新鮮ですわよ。でも、これは王都の商会への出荷分です。公爵様には、あちらに用意した『検品用』のものがございますわ」
 
 私が指差した先には、すでに皮を剥かれ、宝石のようにカットされた桃が皿に並んでいました。
 
「……っ、ふむ。では、品質の均一性を確かめるために、私が試食してやろう」
 
 公爵様は、まるで国家の重大な決断を下すかのような真剣な面持ちでテラス席に座り、フォークを手に取りました。
 
 その隣では、麦わら帽子を深く被り、泥にまみれて草むしりをしていたリリアさんが、呆れたように声を上げました。
 
「ちょっと、モモカ! この人、昨日も来てたじゃない! 公爵領の政務はどうなってるのよ。私のセドリック様(仮)より暇なんじゃないかしら?」
 
「リリア。貴様、公爵に対する不敬が過ぎるぞ。私はあくまで、将来的な投資の保全のために……」
 
「はいはい、投資ね。投資家様なら、この雑草の山もどうにかしてくれない? 桃の根元を綺麗にするのも『投資』の一部でしょう?」
 
 リリアさんが泥だらけの手を振ると、アルスター様は露骨に嫌そうな顔をして、桃の切り身を口に放り込みました。
 
 ……その瞬間、彼の顔から険しさが消え、代わりに蕩けるような悦悦(えつえつ)とした表情が浮かびます。
 
「……くっ、この『ピーチベル三号』の酸味と甘みの黄金比……。毎日食べているはずだが、飽きるどころか、細胞がこれを求めて発狂しそうだ」
 
「発狂、ですか。公爵様、表現がだんだん過激になってきましたわね」
 
 私は彼の向かいに座り、自分用の桃のジュースを啜りました。
 
「アルスター様。正直におっしゃってくださいませ。あなたは桃が食べたいのですか? それとも、私に何か用事でも?」
 
 私がストレートに尋ねると、公爵様はフォークを置き、少しだけ真面目な顔で私を見つめました。
 
「……モモカ。王都での貴様の噂、知っているか?」
 
「あら、不徳な悪役令嬢が桃を武器にクーデターを企てている、とかかしら?」
 
「似たようなものだ。セドリックが、貴様の桃の流通を完全に掌握しようと、近々強硬手段に出るという情報がある。……私は、それを阻止するために、物理的な距離を縮めておきたいのだ」
 
「あら……。それは、警護のために通ってくださっている、という意味ですの?」
 
「……勘違いするな。我が公爵領の重要な供給源が絶たれるのを防ぐための、防衛措置だ」
 
 彼はそう言って、残りの桃を急いで口に詰め込みました。
 
 ツンデレ、という言葉が私の脳裏をよぎりましたが、今は触れないでおきましょう。
 
 たとえ動機が桃であっても、この「氷の公爵」が毎日ここにいるという事実は、王家に対する強力な牽制になります。
 
「助かりますわ、アルスター様。お礼に、明日は新種の『ピーチベル・ハニー』を解禁しようと思っていましたの。……どうなさいます?」
 
「……明日の朝、六時には到着するようにしよう」
 
「お早いですわね! まだ夜が明けていませんわよ!」
 
 こうして、アルスター公爵の「桃の定期検診(という名の朝食会)」は、ますます過熱していくのでした。
 
 しかし、彼が言った通り、王都の影は刻一刻と、この平和な農園に迫っていたのです。
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