婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 王宮の食堂には、重苦しい沈黙が流れていました。
 
 かつては芳醇な桃の香りに包まれていたこの場所も、今や漂っているのは、どこか味気ないハーブティーの香りのみ。
 
 王太子セドリックは、目の前の皿に載せられた「リンゴのコンポート」を忌々しげに睨みつけていました。
 
「……おい。これは何だ?」
 
「……何とおっしゃいましても、リンゴでございます、殿下」
 
 給仕長が冷や汗を拭いながら、震える声で答えました。
 
「そんなことは見ればわかる! 私が聞きたいのは、なぜ『ピーチ・メルバ』ではないのかということだ!」
 
 セドリックがガシャンとフォークを叩きつけました。
 
 かつて彼が「桃の話しかしない不気味な女」と罵って捨てた、モモカ・フォン・ピーチベル。
 
 彼女がいた頃は、当たり前のように食卓に並んでいた最高級の桃が、今や王宮から完全に姿を消していたのです。
 
「……申し上げにくいのですが、殿下自ら、ピーチベル領からの農産物の買い入れを停止するよう命じられましたので」
 
「それは、あいつを兵糧攻めにするための策だ! なぜ王宮の私のデザートまで、連動して消える必要がある!」
 
「そうおっしゃいましても、国内の桃の流通の九割はピーチベル領が握っております。残りの一割も、あちらの息がかかった農家ばかりでして……。王宮が買い付けを拒否した途端、全ての在庫がアルスター公爵家の名義で押さえられてしまいました」
 
 セドリックの顔が怒りで赤黒く染まりました。
 
 よりにもよって、あの「氷の公爵」アルスターに、自分たちの特権を奪われたという事実に。
 
「……ならば市場で買ってくればよかろう! 王太子が桃一つ食べられないなど、末代までの恥だぞ!」
 
「それが……現在、王都の市場に出回っている『ピーチベルの桃』は、全てアルスター公爵家が公認したライセンス商品のみ。価格は以前の十倍、しかも王族関係者には『品質管理上の理由』で売らないという、謎の規約が追加されておりまして……」
 
「な……っ!? 品質管理だと!? 私の舌に、文句があるというのか!」
 
 セドリックは、苛立ちに任せてリンゴを口に放り込みました。
 
 しかし、一口噛んだ瞬間に眉を潜めます。
 
「……硬い。そして酸っぱい。あいつの、あの女の桃は、もっとこう……噛まずとも溶けるような、暴力的な甘みがあったはずだ!」
 
 あんな女、と言いながら、彼の脳裏に浮かぶのは、自分を慕っていた頃のモモカの笑顔……ではなく、彼女が大切そうに抱えていた「特級桃」の輝きでした。
 
 自分から捨てたくせに、失ってからその価値に気づく。
 
 典型的な「愚かな男」の構図そのものでしたが、今の彼にはその自覚はありません。
 
「……そうだ、リリアはどうした。あいつを説得しに行かせただろう? もう十日は経つはずだぞ」
 
「リリア様からは、一度だけ伝書鳥が届いております。……『桃の毒にやられたかもしれません。当分戻れません』という、不穏な内容でございましたが……」
 
「桃の毒!? やはりあの女、リリアに何かしたな! 可哀想に、今頃地下牢で、桃の産毛でも植え付けられているに違いない!」
 
 セドリックは立ち上がり、マントを翻しました。
 
「こうしてはいられん。私が自ら、あの不届きな令嬢の正体を暴き、桃の流通を奪還してやる!」
 
「……殿下、視察という名目で行かれるのですか?」
 
「当たり前だ! ……決して、桃の新作パフェが食べたいわけではないぞ! これは、王家の威信をかけた戦いなのだ!」
 
 自分に言い聞かせるように叫ぶセドリック。
 
 しかし、彼の胃袋は正直でした。
 
 王宮を出て視察の準備を命じる彼の足取りは、心なしかピーチベル領の方向へと、前のめりになっていたのです。
 
 一方その頃、王都の貴族たちは。
 
「あら、見て。あそこの馬車、公爵家の『桃便』じゃないかしら!」
 
「まあ! 追いかけなさい! 一つ金貨三枚までなら出すわよ!」
 
 セドリックの命令などどこ吹く風。
 
 王都は今や、モモカが意図的に作り出した「桃の飢餓状態」によって、完全に彼女の手のひらの上で踊らされていたのでした。
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