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ピーチベル領の境界線に、ひときわ豪華で、しかしどこか「焦燥感」の漂う王家の馬車が姿を現しました。
護衛の騎士たちは、連日の強行軍で疲れ果てた顔をしています。
その馬車の中から、窓を乱暴に開けて身を乗り出したのは、我らが王太子セドリック様でした。
「……クンクン。……おい。この風に乗って漂ってくる香りは、何だ」
「……報告します。ピーチベル領特有の、完熟桃の芳香でございます。殿下」
御者がげっそりとした顔で答えます。
セドリック様は、その香りを肺いっぱいに吸い込み、一瞬だけ恍惚とした表情を浮かべましたが、すぐに我に返って顔を真っ赤にしました。
「ふん、鼻につく香りだ! あのような不徳な女の領地が、これほどまでに活気づいているとは……。これは王太子として、厳格な調査を行わねばならん!」
調査、という言葉を口にしながら、彼の喉は「ゴクリ」と大きく動いていました。
そう、彼はもう限界だったのです。
王宮から桃が消えて半月。
朝食のパンについても、午後のティータイムのスコーンについても、夜会のデザートについても……桃がない。
あんなに嫌っていたはずの「モモカの桃語り」さえ、今の彼には甘美な子守唄のように思い出される始末。
ついに彼は「不穏な動きを見せる辺境領の視察」という大義名分を掲げ、自ら乗り込んできたのでした。
馬車が我が家の農園の入り口に到着したとき、私はちょうど、収穫したばかりの『ピーチベル・サンライズ』の糖度測定を行っていました。
「お嬢様! また来ましたよ! 今度は王太子の直衛隊です!」
トマスの叫び声に、私はため息をついて作業着の袖をまくりました。
「あらあら……。今日は公爵様だけでなく、王太子様まで? うちの農園はいつから王宮の出張所になったのかしら」
馬車の扉が開くと同時に、セドリック様が大地に降り立ちました。
彼は周囲に積み上げられた、溢れんばかりの桃の木箱を見て、一瞬だけ瞳を輝かせました。
「モモカ! 貴様、王家を無視してこのような大規模な取引を行っているとは何事だ!」
「ごきげんよう、セドリック様。わざわざ王都から砂埃を立てにいらしたのですか? 見てください、せっかくの桃に埃が被ってしまうではありませんか」
私は、彼に挨拶をするよりも先に、手近な桃を柔らかい布で丁寧に拭きました。
「き、貴様……! 未来の国王である俺よりも、その果実の方が大事だというのか!」
「当然ですわ。この子は秋には皆を幸せにしますが、あなたは秋になっても、また誰かに婚約破棄を宣言して周囲を困惑させるだけではありませんか」
「なっ……!?」
セドリック様が絶句していると、茂みの奥から「ヨイショ、ヨイショ」という掛け声と共に、泥だらけの人物が現れました。
「ちょっと、モモカ! この『完熟一号』の木、肥料が足りないんじゃない? 葉の色が少し薄いわよ!」
頭に手ぬぐいを巻き、顔に泥を塗りたくったその人物を見て、セドリック様は目玉が飛び出しそうになりました。
「……リ、リリア!? お前、その姿は一体……!」
「あら。セドリック様? 来てたんですか。今、忙しいので後にしてくださる?」
リリアさんは、かつての可憐な令嬢の面影を微塵も感じさせない逞しさで、堆肥の入ったバケツをドサリと置きました。
「お前……桃の毒にやられたと聞いたが、監禁されているのではないのか!? ひどい顔だぞ!」
「失礼ね! これは『大地の恵み』よ! セドリック様、そんなところで突っ立っていないで、あっちの桃の運搬を手伝ったらどうかしら? そうすれば、おこぼれの桃が食べられるわよ」
「俺に荷運びをしろだと!? このリリアまで……あいつに洗脳されているのか……!」
セドリック様は、裏切られたショックと、目の前に広がる「あまりにも美味そうな桃」の光景に、フラフラと足元をよろめかせました。
彼の鼻をくすぐるのは、市場では決して手に入らない、木の上で極限まで熟した桃の香り。
「……あ、いや。今日のところは視察だ。……モモカ、その、手に持っている桃は……毒見が必要ではないか?」
「あら、毒なんて入っていませんわ。ですが、これはアルスター公爵家への予約済み商品ですの。セドリック様に差し上げる一玉は、どこにもございませんわ」
「な……に……っ!?」
セドリック様の胃袋が、情けなくもギュルルル……と大きな音を立てました。
こうして、プライドをかけた「桃の偵察」は、初っ端から胃袋の敗北宣言によって幕を開けたのでした。
護衛の騎士たちは、連日の強行軍で疲れ果てた顔をしています。
その馬車の中から、窓を乱暴に開けて身を乗り出したのは、我らが王太子セドリック様でした。
「……クンクン。……おい。この風に乗って漂ってくる香りは、何だ」
「……報告します。ピーチベル領特有の、完熟桃の芳香でございます。殿下」
御者がげっそりとした顔で答えます。
セドリック様は、その香りを肺いっぱいに吸い込み、一瞬だけ恍惚とした表情を浮かべましたが、すぐに我に返って顔を真っ赤にしました。
「ふん、鼻につく香りだ! あのような不徳な女の領地が、これほどまでに活気づいているとは……。これは王太子として、厳格な調査を行わねばならん!」
調査、という言葉を口にしながら、彼の喉は「ゴクリ」と大きく動いていました。
そう、彼はもう限界だったのです。
王宮から桃が消えて半月。
朝食のパンについても、午後のティータイムのスコーンについても、夜会のデザートについても……桃がない。
あんなに嫌っていたはずの「モモカの桃語り」さえ、今の彼には甘美な子守唄のように思い出される始末。
ついに彼は「不穏な動きを見せる辺境領の視察」という大義名分を掲げ、自ら乗り込んできたのでした。
馬車が我が家の農園の入り口に到着したとき、私はちょうど、収穫したばかりの『ピーチベル・サンライズ』の糖度測定を行っていました。
「お嬢様! また来ましたよ! 今度は王太子の直衛隊です!」
トマスの叫び声に、私はため息をついて作業着の袖をまくりました。
「あらあら……。今日は公爵様だけでなく、王太子様まで? うちの農園はいつから王宮の出張所になったのかしら」
馬車の扉が開くと同時に、セドリック様が大地に降り立ちました。
彼は周囲に積み上げられた、溢れんばかりの桃の木箱を見て、一瞬だけ瞳を輝かせました。
「モモカ! 貴様、王家を無視してこのような大規模な取引を行っているとは何事だ!」
「ごきげんよう、セドリック様。わざわざ王都から砂埃を立てにいらしたのですか? 見てください、せっかくの桃に埃が被ってしまうではありませんか」
私は、彼に挨拶をするよりも先に、手近な桃を柔らかい布で丁寧に拭きました。
「き、貴様……! 未来の国王である俺よりも、その果実の方が大事だというのか!」
「当然ですわ。この子は秋には皆を幸せにしますが、あなたは秋になっても、また誰かに婚約破棄を宣言して周囲を困惑させるだけではありませんか」
「なっ……!?」
セドリック様が絶句していると、茂みの奥から「ヨイショ、ヨイショ」という掛け声と共に、泥だらけの人物が現れました。
「ちょっと、モモカ! この『完熟一号』の木、肥料が足りないんじゃない? 葉の色が少し薄いわよ!」
頭に手ぬぐいを巻き、顔に泥を塗りたくったその人物を見て、セドリック様は目玉が飛び出しそうになりました。
「……リ、リリア!? お前、その姿は一体……!」
「あら。セドリック様? 来てたんですか。今、忙しいので後にしてくださる?」
リリアさんは、かつての可憐な令嬢の面影を微塵も感じさせない逞しさで、堆肥の入ったバケツをドサリと置きました。
「お前……桃の毒にやられたと聞いたが、監禁されているのではないのか!? ひどい顔だぞ!」
「失礼ね! これは『大地の恵み』よ! セドリック様、そんなところで突っ立っていないで、あっちの桃の運搬を手伝ったらどうかしら? そうすれば、おこぼれの桃が食べられるわよ」
「俺に荷運びをしろだと!? このリリアまで……あいつに洗脳されているのか……!」
セドリック様は、裏切られたショックと、目の前に広がる「あまりにも美味そうな桃」の光景に、フラフラと足元をよろめかせました。
彼の鼻をくすぐるのは、市場では決して手に入らない、木の上で極限まで熟した桃の香り。
「……あ、いや。今日のところは視察だ。……モモカ、その、手に持っている桃は……毒見が必要ではないか?」
「あら、毒なんて入っていませんわ。ですが、これはアルスター公爵家への予約済み商品ですの。セドリック様に差し上げる一玉は、どこにもございませんわ」
「な……に……っ!?」
セドリック様の胃袋が、情けなくもギュルルル……と大きな音を立てました。
こうして、プライドをかけた「桃の偵察」は、初っ端から胃袋の敗北宣言によって幕を開けたのでした。
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