婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

文字の大きさ
15 / 29

15

 ピーチベル領の境界線に、ひときわ豪華で、しかしどこか「焦燥感」の漂う王家の馬車が姿を現しました。
 
 護衛の騎士たちは、連日の強行軍で疲れ果てた顔をしています。
 
 その馬車の中から、窓を乱暴に開けて身を乗り出したのは、我らが王太子セドリック様でした。
 
「……クンクン。……おい。この風に乗って漂ってくる香りは、何だ」
 
「……報告します。ピーチベル領特有の、完熟桃の芳香でございます。殿下」
 
 御者がげっそりとした顔で答えます。
 
 セドリック様は、その香りを肺いっぱいに吸い込み、一瞬だけ恍惚とした表情を浮かべましたが、すぐに我に返って顔を真っ赤にしました。
 
「ふん、鼻につく香りだ! あのような不徳な女の領地が、これほどまでに活気づいているとは……。これは王太子として、厳格な調査を行わねばならん!」
 
 調査、という言葉を口にしながら、彼の喉は「ゴクリ」と大きく動いていました。
 
 そう、彼はもう限界だったのです。
 
 王宮から桃が消えて半月。
 
 朝食のパンについても、午後のティータイムのスコーンについても、夜会のデザートについても……桃がない。
 
 あんなに嫌っていたはずの「モモカの桃語り」さえ、今の彼には甘美な子守唄のように思い出される始末。
 
 ついに彼は「不穏な動きを見せる辺境領の視察」という大義名分を掲げ、自ら乗り込んできたのでした。
 
 馬車が我が家の農園の入り口に到着したとき、私はちょうど、収穫したばかりの『ピーチベル・サンライズ』の糖度測定を行っていました。
 
「お嬢様! また来ましたよ! 今度は王太子の直衛隊です!」
 
 トマスの叫び声に、私はため息をついて作業着の袖をまくりました。
 
「あらあら……。今日は公爵様だけでなく、王太子様まで? うちの農園はいつから王宮の出張所になったのかしら」
 
 馬車の扉が開くと同時に、セドリック様が大地に降り立ちました。
 
 彼は周囲に積み上げられた、溢れんばかりの桃の木箱を見て、一瞬だけ瞳を輝かせました。
 
「モモカ! 貴様、王家を無視してこのような大規模な取引を行っているとは何事だ!」
 
「ごきげんよう、セドリック様。わざわざ王都から砂埃を立てにいらしたのですか? 見てください、せっかくの桃に埃が被ってしまうではありませんか」
 
 私は、彼に挨拶をするよりも先に、手近な桃を柔らかい布で丁寧に拭きました。
 
「き、貴様……! 未来の国王である俺よりも、その果実の方が大事だというのか!」
 
「当然ですわ。この子は秋には皆を幸せにしますが、あなたは秋になっても、また誰かに婚約破棄を宣言して周囲を困惑させるだけではありませんか」
 
「なっ……!?」
 
 セドリック様が絶句していると、茂みの奥から「ヨイショ、ヨイショ」という掛け声と共に、泥だらけの人物が現れました。
 
「ちょっと、モモカ! この『完熟一号』の木、肥料が足りないんじゃない? 葉の色が少し薄いわよ!」
 
 頭に手ぬぐいを巻き、顔に泥を塗りたくったその人物を見て、セドリック様は目玉が飛び出しそうになりました。
 
「……リ、リリア!? お前、その姿は一体……!」
 
「あら。セドリック様? 来てたんですか。今、忙しいので後にしてくださる?」
 
 リリアさんは、かつての可憐な令嬢の面影を微塵も感じさせない逞しさで、堆肥の入ったバケツをドサリと置きました。
 
「お前……桃の毒にやられたと聞いたが、監禁されているのではないのか!? ひどい顔だぞ!」
 
「失礼ね! これは『大地の恵み』よ! セドリック様、そんなところで突っ立っていないで、あっちの桃の運搬を手伝ったらどうかしら? そうすれば、おこぼれの桃が食べられるわよ」
 
「俺に荷運びをしろだと!? このリリアまで……あいつに洗脳されているのか……!」
 
 セドリック様は、裏切られたショックと、目の前に広がる「あまりにも美味そうな桃」の光景に、フラフラと足元をよろめかせました。
 
 彼の鼻をくすぐるのは、市場では決して手に入らない、木の上で極限まで熟した桃の香り。
 
「……あ、いや。今日のところは視察だ。……モモカ、その、手に持っている桃は……毒見が必要ではないか?」
 
「あら、毒なんて入っていませんわ。ですが、これはアルスター公爵家への予約済み商品ですの。セドリック様に差し上げる一玉は、どこにもございませんわ」
 
「な……に……っ!?」
 
 セドリック様の胃袋が、情けなくもギュルルル……と大きな音を立てました。
 
 こうして、プライドをかけた「桃の偵察」は、初っ端から胃袋の敗北宣言によって幕を開けたのでした。
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

誘拐された公爵令嬢ですが、なぜか皇帝に溺愛されています』

富士山麓
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。

追放された宮廷花師が辺境の荒野に花を咲かせたら、王都の庭園だけが枯れ続けているようです

歩人
ファンタジー
「花を飾るだけの令嬢は不要だ」——王城の庭園を十年守った伯爵令嬢フローラは追放された。 翌月、王城の庭園が一夜にして枯れ果てる。さらに隣国への外交花束を用意できず国際問題に—— フローラの花束に込められた花言葉が、実は外交メッセージそのものだったのだ。 一方、辺境の荒野に降り立ったフローラが地面に触れると花が芽吹き始める。 荒野を花畑に変えていくスローライフの中で、花の感情が色で見える加護が目覚めて——。

「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった

歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。 だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」 追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。 一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。 誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。 「その言葉は、もう翻訳できません」

継母の嫌がらせで冷酷な辺境伯の元に嫁がされましたが、噂と違って優しい彼から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアーティアは、継母に冷酷無慈悲と噂されるフレイグ・メーカム辺境伯の元に嫁ぐように言い渡された。 継母は、アーティアが苦しい生活を送ると思い、そんな辺境伯の元に嫁がせることに決めたようだ。 しかし、そんな彼女の意図とは裏腹にアーティアは楽しい毎日を送っていた。辺境伯のフレイグは、噂のような人物ではなかったのである。 彼は、多少無口で不愛想な所はあるが優しい人物だった。そんな彼とアーティアは不思議と気が合い、やがてお互いに惹かれるようになっていく。 2022/03/04 改題しました。(旧題:不器用な辺境伯の不器用な愛し方 ~継母の嫌がらせで冷酷無慈悲な辺境伯の元に嫁がされましたが、溺愛されています~)

刺繍妻

拓海のり
恋愛
男爵令嬢メアリーは魔力も無くて、十五歳で寄り親の侯爵家に侍女見習いとして奉公に上がった。二十歳まで務めた後、同じ寄り子の子爵家に嫁に行ったが。九千字ぐらいのお話です。

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。

木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。 その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。 ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。 彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。 その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。 流石に、エルーナもその態度は頭にきた。 今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。 ※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。

聖女様と間違って召喚された腐女子ですが、申し訳ないので仕事します!

碧桜
恋愛
私は花園美月。20歳。派遣期間が終わり無職となった日、馴染の古書店で顔面偏差値高スペックなイケメンに出会う。さらに、そこで美少女が穴に吸い込まれそうになっていたのを助けようとして、私は古書店のイケメンと共に穴に落ちてしまい、異世界へ―。実は、聖女様として召喚されようとしてた美少女の代わりに、地味でオタクな私が間違って来てしまった! 落ちたその先の世界で出会ったのは、私の推しキャラと見た目だけそっくりな王(仮)や美貌の側近、そして古書店から一緒に穴に落ちたイケメンの彼は、騎士様だった。3人ともすごい美形なのに、みな癖強すぎ難ありなイケメンばかり。 オタクで人見知りしてしまう私だけど、元の世界へ戻れるまで2週間、タダでお世話になるのは申し訳ないから、お城でメイドさんをすることにした。平和にお給料分の仕事をして、異世界観光して、2週間後自分の家へ帰るつもりだったのに、ドラゴンや悪い魔法使いとか出てきて、異能を使うイケメンの彼らとともに戦うはめに。聖女様の召喚の邪魔をしてしまったので、美少女ではありませんが、地味で腐女子ですが出来る限り、精一杯頑張ります。 ついでに無愛想で苦手と思っていた彼は、なかなかいい奴だったみたい。これは、恋など始まってしまう予感でしょうか!? *カクヨムにて先に連載しているものを加筆・修正をおこなって掲載しております