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私の肩を抱く、アルスター公爵の逞しい腕。
彼の軍服は、見るからに最高級の生地で仕立てられていますが、今は私の作業着から移った黒い泥がべったりと付着しています。
……公爵様、それ、クリーニング代だけで平民の年収が飛びますわよ?
「ア、アルスター公爵!? なぜ貴様がここに……。それに、その女は泥だらけだぞ! 離れろ、不潔が移るではないか!」
セドリック様が、まるで化け物を見たような顔をして叫びました。
対するアルスター様は、眉一つ動かさず、冷徹な視線で王子を射抜きます。
「殿下。不潔とは、一体何を指してのことでしょうか。この泥は、この国の民を養い、あなたの喉を潤す果実を育む『命の源』です。それを汚らわしいと断じるあなたの感性こそ、私には理解しがたい」
「な……っ!? 屁理屈を言うな! 令嬢が自ら土を弄るなど、品格の欠片もないと言っているのだ!」
「品格、ですか。……ならばお聞きしますが、椅子に座って口を開けていれば桃が降ってくるとでもお思いか?」
アルスター様が、一歩前に踏み出しました。
その圧倒的な威圧感に、セドリック様は思わず数歩後ずさり、背後の桃の木にぶつかりました。
「モモカ嬢が泥にまみれているのは、彼女がこの領地の、そしてこの国の経済を支える『生産者』として、誰よりも誠実に汗を流している証です。……着飾り、中身のない言葉を並べるだけの貴族と、自らの手で黄金を生み出す彼女。どちらに品格があるかなど、議論の余地もありませんな」
「ぐ……。だが、俺は王太子だぞ! 俺が不快だと言えば、それは不快なのだ!」
「左様ですか。では、不快な者の育てた桃は、今後一切口にされないということでよろしいな?」
アルスター様の言葉に、セドリック様が「あ……」と口を半開きにしました。
「現在、王都に流通しているピーチベルの桃は、全て私の公爵領が管理しております。あなたが彼女を蔑むのであれば、私は合理的な判断として、王家への供給を『永久に』停止する手続きを取りましょう」
「えっ!? いや、それは……!」
「桃は不要なのでしょう? 品格のない泥から生まれた果実など、高貴な殿下の胃袋には毒でしかありませんからな」
セドリック様の顔が、青から白、そして情けないほどに絶望の色へと染まっていきました。
彼にとって、桃はもはや単なる果物ではありません。
手に入らないからこそ、喉から手が出るほど欲しい、権威と欲望の象徴となっていたのですから。
「あ、アルスター公爵……待て。俺はただ、婚約者だった者として、彼女の将来を案じて……」
「将来ならご心配なく。彼女はすでに、私の大切なビジネスパートナー……。そして、私個人が最も尊敬し、守るべき女性です」
公爵様。そのセリフ、今の私の泥だらけの格好で言われると、なんだかシュールですわね。
でも、少しだけ……ほんの少しだけ、胸の奥が桃のコンポートのように温かくなるのを感じました。
「セドリック様。お帰りはあちらですわ」
私は、アルスター様の腕の中からひょいと顔を出し、出口を指差しました。
「泥がつくのがお嫌いなら、二度とこの農園の土を踏まないことですわね。……あ、そうそう。お帰りの際、王都の市場で桃を見かけても、絶対に買おうとなさらないでください。……だって、品格が落ちますもの」
「……っ! モモカ……! 貴様、覚えていろよ!」
セドリック様は、尻餅をついて汚れたズボンを必死に隠しながら、逃げるように馬車へと乗り込んでいきました。
その無様な後ろ姿を見送りながら、私は大きく息を吐き出しました。
「……助かりましたわ、アルスター様。でも、軍服が大変なことに……」
「気にするな。……それより、モモカ」
アルスター様が、私の頬についた泥を、彼自身の指で優しく拭いました。
「……先ほどの言葉に、嘘はない。私は、泥にまみれて笑う君を、どんなドレス姿の令嬢よりも美しいと思っている」
「……公爵様。それは、桃への愛ゆえのフィルターがかかっているのでは?」
「……かもしれないな。だが、そのフィルターを外すつもりはない」
そう言って不器用に微笑む「氷の公爵」は、もはや氷などどこにも残っていないほど、熱い眼差しをしていました。
私は、少しだけ赤くなった顔を隠すように、新しい桃の木箱を抱え直しました。
「……さあ、作業に戻りますわよ! 次は新作『黄金桃・極(きわみ)』の発表会に向けて、最後の仕上げですわ!」
彼の軍服は、見るからに最高級の生地で仕立てられていますが、今は私の作業着から移った黒い泥がべったりと付着しています。
……公爵様、それ、クリーニング代だけで平民の年収が飛びますわよ?
「ア、アルスター公爵!? なぜ貴様がここに……。それに、その女は泥だらけだぞ! 離れろ、不潔が移るではないか!」
セドリック様が、まるで化け物を見たような顔をして叫びました。
対するアルスター様は、眉一つ動かさず、冷徹な視線で王子を射抜きます。
「殿下。不潔とは、一体何を指してのことでしょうか。この泥は、この国の民を養い、あなたの喉を潤す果実を育む『命の源』です。それを汚らわしいと断じるあなたの感性こそ、私には理解しがたい」
「な……っ!? 屁理屈を言うな! 令嬢が自ら土を弄るなど、品格の欠片もないと言っているのだ!」
「品格、ですか。……ならばお聞きしますが、椅子に座って口を開けていれば桃が降ってくるとでもお思いか?」
アルスター様が、一歩前に踏み出しました。
その圧倒的な威圧感に、セドリック様は思わず数歩後ずさり、背後の桃の木にぶつかりました。
「モモカ嬢が泥にまみれているのは、彼女がこの領地の、そしてこの国の経済を支える『生産者』として、誰よりも誠実に汗を流している証です。……着飾り、中身のない言葉を並べるだけの貴族と、自らの手で黄金を生み出す彼女。どちらに品格があるかなど、議論の余地もありませんな」
「ぐ……。だが、俺は王太子だぞ! 俺が不快だと言えば、それは不快なのだ!」
「左様ですか。では、不快な者の育てた桃は、今後一切口にされないということでよろしいな?」
アルスター様の言葉に、セドリック様が「あ……」と口を半開きにしました。
「現在、王都に流通しているピーチベルの桃は、全て私の公爵領が管理しております。あなたが彼女を蔑むのであれば、私は合理的な判断として、王家への供給を『永久に』停止する手続きを取りましょう」
「えっ!? いや、それは……!」
「桃は不要なのでしょう? 品格のない泥から生まれた果実など、高貴な殿下の胃袋には毒でしかありませんからな」
セドリック様の顔が、青から白、そして情けないほどに絶望の色へと染まっていきました。
彼にとって、桃はもはや単なる果物ではありません。
手に入らないからこそ、喉から手が出るほど欲しい、権威と欲望の象徴となっていたのですから。
「あ、アルスター公爵……待て。俺はただ、婚約者だった者として、彼女の将来を案じて……」
「将来ならご心配なく。彼女はすでに、私の大切なビジネスパートナー……。そして、私個人が最も尊敬し、守るべき女性です」
公爵様。そのセリフ、今の私の泥だらけの格好で言われると、なんだかシュールですわね。
でも、少しだけ……ほんの少しだけ、胸の奥が桃のコンポートのように温かくなるのを感じました。
「セドリック様。お帰りはあちらですわ」
私は、アルスター様の腕の中からひょいと顔を出し、出口を指差しました。
「泥がつくのがお嫌いなら、二度とこの農園の土を踏まないことですわね。……あ、そうそう。お帰りの際、王都の市場で桃を見かけても、絶対に買おうとなさらないでください。……だって、品格が落ちますもの」
「……っ! モモカ……! 貴様、覚えていろよ!」
セドリック様は、尻餅をついて汚れたズボンを必死に隠しながら、逃げるように馬車へと乗り込んでいきました。
その無様な後ろ姿を見送りながら、私は大きく息を吐き出しました。
「……助かりましたわ、アルスター様。でも、軍服が大変なことに……」
「気にするな。……それより、モモカ」
アルスター様が、私の頬についた泥を、彼自身の指で優しく拭いました。
「……先ほどの言葉に、嘘はない。私は、泥にまみれて笑う君を、どんなドレス姿の令嬢よりも美しいと思っている」
「……公爵様。それは、桃への愛ゆえのフィルターがかかっているのでは?」
「……かもしれないな。だが、そのフィルターを外すつもりはない」
そう言って不器用に微笑む「氷の公爵」は、もはや氷などどこにも残っていないほど、熱い眼差しをしていました。
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