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ピーチベル領の特設試食会場は、異様な熱気に包まれていました。
並み居る領内の熟練農家たち、そして「視察」と称して特等席に鎮座するアルスター公爵。
さらには、すっかり農作業着が板についたリリアさんが、よだれを拭いながら私の手元を凝視しています。
「……皆様、お待たせいたしましたわ。これが我がピーチベル家の叡智、そして私の愛の結晶……新作『黄金桃・極(きわみ)』ですわ!」
私が銀の皿の覆いを取った瞬間、会場にまばゆいばかりの輝きが放たれました。
それは単なる視覚効果ではありません。
極限まで高められた糖分と水分が、果皮の表面で光を乱反射させ、まるで自ら発光しているかのような黄金色のオーラを纏っているのです。
「……な、なんですか、あの桃は。神々しすぎて、直視できないわ……!」
リリアさんが目を細めて叫びました。
「香りだけで……脳が痺れる。モモカ、これは本当に食べ物なのか? 錬金術の成果物ではないのか?」
アルスター公爵も、いつになく興奮を隠せない様子で身を乗り出しています。
「ふふ、錬金術よりも手間がかかっていますわ。土壌のミネラル配分をミリ単位で調整し、一房に一果だけを残して、全ての栄養をこの一点に集中させたのです。いわば、桃の濃縮還元体ですわね」
私は厳かに、ナイフを入れました。
……音はしませんでした。
ただ、刃が触れた瞬間に果肉が自ら道を開けるように割れ、中から真珠のように輝く果汁が溢れ出したのです。
「さあ……まずは毒見担当のリリアさんからどうぞ」
「待ってました! これのために昨日の夕飯、抜いてきたんだから!」
リリアさんが、ひったくるように一切れを口に放り込みました。
……次の瞬間。
彼女の動きがピタリと止まりました。
瞳の焦点がどこか遠くへ消え、その場にふらふらと膝をつきました。
「リ、リリア!? 大丈夫か! やはり毒か!?」
慌てて駆け寄ろうとする公爵を、私は手で制しました。
「いいえ。……見てください。彼女のあの表情を」
リリアさんの顔には、この世のものとは思えないほど深い、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいました。
「……ああ。見える。……見えるわ。お花畑の中に、大きな桃の神様が……。私を抱きしめて『もう頑張らなくていいんだよ』って囁いているの……」
「……天国が見えているようですね」
私は満足げに頷きました。
一口食べただけで、現世の悩み、婚約破棄の恨み、日々の重労働……それら全てを光の彼方に消し去る圧倒的な幸福。
「……公爵様。あなたも、あちら側へ行ってみませんか?」
私はアルスター公爵に、最後の一切れを差し出しました。
彼はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた戦士のような顔でそれを口に含みました。
「…………っ!!」
公爵の銀色の瞳が、カッと見開かれました。
彼は椅子から立ち上がり、壁を拳で叩きました。
「……ありえん。ありえんぞ、モモカ。これは……暴力だ。脳の快楽中枢を直接殴りつけるような、あまりにも甘美な暴力……!」
「あら。合理的ではない感想ですわね」
「合理的な判断など、この一粒の前では塵に等しい! ……モモカ、今すぐ契約を更新する。この『極』は、一玉たりとも他国に流すな。これは我が公爵家の、いや、国家最高機密だ!」
氷の公爵が、もはや火の公爵のごとく熱弁を振るっています。
その様子を横で見ていた農家のおじさんたちが、「お嬢、また一人廃人(桃中毒)を作っちまったな……」と遠い目をしていました。
「ふふ、ご安心を。この『極』は、限定一〇〇玉のみの出荷ですわ。……そして、そのお披露目舞台は、王都で開かれる『建国記念大夜会』に設定いたします」
「な……王都だと!? セドリックの前でこれを見せるというのか?」
「ええ。自分がいかに『最高の宝』を手放したか、味覚と精神の両面から分からせて差し上げますわ。……セドリック様がこれを一口食べたいと乞うたとき、私がどのような顔でお断りするか、今から楽しみですこと」
私は扇子で口元を隠し、高らかに笑いました。
天国を見せる桃は、同時に、それを食べられない者にとっては「地獄」の入り口となるのです。
さあ、王都の皆様。
首を洗って、いえ、口をゆすいで待っていらっしゃい!
並み居る領内の熟練農家たち、そして「視察」と称して特等席に鎮座するアルスター公爵。
さらには、すっかり農作業着が板についたリリアさんが、よだれを拭いながら私の手元を凝視しています。
「……皆様、お待たせいたしましたわ。これが我がピーチベル家の叡智、そして私の愛の結晶……新作『黄金桃・極(きわみ)』ですわ!」
私が銀の皿の覆いを取った瞬間、会場にまばゆいばかりの輝きが放たれました。
それは単なる視覚効果ではありません。
極限まで高められた糖分と水分が、果皮の表面で光を乱反射させ、まるで自ら発光しているかのような黄金色のオーラを纏っているのです。
「……な、なんですか、あの桃は。神々しすぎて、直視できないわ……!」
リリアさんが目を細めて叫びました。
「香りだけで……脳が痺れる。モモカ、これは本当に食べ物なのか? 錬金術の成果物ではないのか?」
アルスター公爵も、いつになく興奮を隠せない様子で身を乗り出しています。
「ふふ、錬金術よりも手間がかかっていますわ。土壌のミネラル配分をミリ単位で調整し、一房に一果だけを残して、全ての栄養をこの一点に集中させたのです。いわば、桃の濃縮還元体ですわね」
私は厳かに、ナイフを入れました。
……音はしませんでした。
ただ、刃が触れた瞬間に果肉が自ら道を開けるように割れ、中から真珠のように輝く果汁が溢れ出したのです。
「さあ……まずは毒見担当のリリアさんからどうぞ」
「待ってました! これのために昨日の夕飯、抜いてきたんだから!」
リリアさんが、ひったくるように一切れを口に放り込みました。
……次の瞬間。
彼女の動きがピタリと止まりました。
瞳の焦点がどこか遠くへ消え、その場にふらふらと膝をつきました。
「リ、リリア!? 大丈夫か! やはり毒か!?」
慌てて駆け寄ろうとする公爵を、私は手で制しました。
「いいえ。……見てください。彼女のあの表情を」
リリアさんの顔には、この世のものとは思えないほど深い、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいました。
「……ああ。見える。……見えるわ。お花畑の中に、大きな桃の神様が……。私を抱きしめて『もう頑張らなくていいんだよ』って囁いているの……」
「……天国が見えているようですね」
私は満足げに頷きました。
一口食べただけで、現世の悩み、婚約破棄の恨み、日々の重労働……それら全てを光の彼方に消し去る圧倒的な幸福。
「……公爵様。あなたも、あちら側へ行ってみませんか?」
私はアルスター公爵に、最後の一切れを差し出しました。
彼はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めた戦士のような顔でそれを口に含みました。
「…………っ!!」
公爵の銀色の瞳が、カッと見開かれました。
彼は椅子から立ち上がり、壁を拳で叩きました。
「……ありえん。ありえんぞ、モモカ。これは……暴力だ。脳の快楽中枢を直接殴りつけるような、あまりにも甘美な暴力……!」
「あら。合理的ではない感想ですわね」
「合理的な判断など、この一粒の前では塵に等しい! ……モモカ、今すぐ契約を更新する。この『極』は、一玉たりとも他国に流すな。これは我が公爵家の、いや、国家最高機密だ!」
氷の公爵が、もはや火の公爵のごとく熱弁を振るっています。
その様子を横で見ていた農家のおじさんたちが、「お嬢、また一人廃人(桃中毒)を作っちまったな……」と遠い目をしていました。
「ふふ、ご安心を。この『極』は、限定一〇〇玉のみの出荷ですわ。……そして、そのお披露目舞台は、王都で開かれる『建国記念大夜会』に設定いたします」
「な……王都だと!? セドリックの前でこれを見せるというのか?」
「ええ。自分がいかに『最高の宝』を手放したか、味覚と精神の両面から分からせて差し上げますわ。……セドリック様がこれを一口食べたいと乞うたとき、私がどのような顔でお断りするか、今から楽しみですこと」
私は扇子で口元を隠し、高らかに笑いました。
天国を見せる桃は、同時に、それを食べられない者にとっては「地獄」の入り口となるのです。
さあ、王都の皆様。
首を洗って、いえ、口をゆすいで待っていらっしゃい!
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