婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 新作『黄金桃・極』の衝撃から一夜明け、ピーチベル領の空気はますます桃色に染まっていました。
 
 私は、朝一番の糖度チェックを終えて一息ついていたのですが、そこに一人の女性が血相を変えて飛び込んできました。
 
 かつての「真実の愛」のヒロイン、リリアさんです。
 
「モモカ! 大変よ! 王都から、またあの暑苦しい王太子の使いが来ているわ!」
 
 彼女は、作業着の袖で額の汗を拭いながら叫びました。
 
 手に持っているのは、王家の紋章が入った仰々しい封書です。
 
「あらあら、リリアさん。言葉遣いがだんだん私に似てきましたわね。それで、セドリック様は何とおっしゃっているの?」
 
「『リリア、いつまで泥遊びをしているのだ。早く王宮に戻って、俺に癒やしを与えてくれ。ついでに、あの女から桃の苗木を盗み出してこい』……ですって。最低だわ!」
 
 リリアさんは、手紙をこれ見よがしに地面に叩きつけました。
 
 苗木を盗み出せ、ですか。
 
 愛を語る裏で産業スパイを命じるとは、セドリック様もいよいよ余裕がなくなってきましたわね。
 
「それで、リリアさんはどうするおつもり? 王宮に戻れば、あなたは次期王太子妃として、きらびやかな生活が待っていますわよ?」
 
 私が意地悪く尋ねると、リリアさんは鼻で笑いました。
 
「王宮の生活? あんな、パサパサのパンと酸っぱい林檎しかない牢獄に、誰が戻るっていうのよ!」
 
 彼女は、腰に下げていた「マイ・ピーチ専用ナイフ」をキラリと光らせました。
 
「私、気づいてしまったの。セドリック様の愛の言葉を百回聞くより、モモカの育てた桃を一口食べるほうが、五億倍幸せになれるってことに!」
 
「五億倍。また具体的な数字が出ましたわね」
 
「だって、セドリック様の愛なんて、せいぜい糖度五度くらいだわ。でも、この『極』は三十度を超えているのよ? 勝負にならないじゃない!」
 
 そこへ、ちょうど通りかかったアルスター公爵が、冷ややかな、しかしどこか同意するような眼差しで口を開きました。
 
「……合理的だな。リリア嬢。人間、生存に不必要な情緒よりも、細胞を活性化させる糖分を優先するのは生物として正しい判断だ」
 
「公爵様まで……。まあ、確かに理にかなっていますわね」
 
 リリアさんは、王家からの使いの騎士が待つ門のほうを向き、お腹の底から声を張り上げました。
 
「使いの方! セドリック様に伝えてちょうだい! 『セドリック様の愛より、モモカ様の桃の方が断然甘いですわ! 私はもう、本物の甘さを知ってしまったの!』ってね!」
 
 門の外で待機していた騎士が、あまりの衝撃に落馬した音が聞こえてきました。
 
「あー、すっきりしたわ。さあ、モモカ! 次の肥料の配合、手伝うわよ。私、来年までには自分の名前がついた桃『リリア・ピーチ』を開発するんだから!」
 
「あら、意気込みは良くてよ。でも、その前にあちらの区画の雑草取りが残っていますわよ、リリア『見習い』さん?」
 
「わかってるわよ! 桃のためなら、爪が黒くなっても本望よ!」
 
 かつての恋敵は、今や誰よりも逞しい「桃の戦士」へと変貌を遂げていました。
 
 私は、彼女の背中を見送りながら、アルスター公爵に向き直りました。
 
「公爵様。これで、セドリック様の手駒は完全に失われましたわ。……残るは、建国記念大夜会でのトドメだけですわね」
 
「ああ。……だがモモカ。一つ、気になることがある」
 
「なんですの?」
 
「……私の愛の糖度は、何度だと思われているのか、後で計ってほしい」
 
「………………。公爵様、愛に糖度計は使えませんわよ?」
 
 氷の公爵が、少しだけ寂しそうに顔を背けましたが、私は気づかないふりをして、次の出荷伝票にペンを走らせました。
 
 リリアさんの寝返りにより、ピーチベル領の団結力は鉄壁となりました。
 
 一方その頃。
 
 王宮でリリアからの返事を待っていたセドリック様は、届いた伝言を聞いて「俺の愛が、果物に負けただと……!?」と、膝から崩れ落ちていたのでした。
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