婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 セドリック様がテラスで膝をつき、桃の種を呆然と見つめている姿を背後に、私は大広間の中央へと戻ってきました。
 
 会場の貴族たちは、私とアルスター公爵が並んで歩く姿を見て、一斉に道を空けます。
 
 その視線はもはや「悪役令嬢を見る目」ではありません。
 
 まるで、新しい時代の女王とその守護者を見つめるような、畏怖と期待の混じった眼差しです。
 
 ふと、隣を歩くアルスター公爵が足を止めました。
 
「……モモカ。一つ、確認しておきたい」
 
「あら、なんですの? 新作の缶詰の追加発注でしたら、あとでセバスに……」
 
「そうではない」
 
 公爵様は、私の言葉を遮るように私の手を取りました。
 
 その手のひらは、先ほどの袋掛け作業の時と同じように、大きくて温かい。
 
 彼はそのまま、大広間のど真ん中で、あろうことか私に向かって片膝をついたのです。
 
「……えっ、公爵様!?」
 
 会場に、絹を引き裂くような悲鳴と、それ以上の静寂が広がりました。
 
 氷の公爵が、公衆の面前で、泥にまみれたはずの(今は着飾っていますが)私に跪いている。
 
 歴史が動く音が聞こえた気がしました。
 
「モモカ・フォン・ピーチベル。……私は合理的でないことは嫌いだ。そして、この感情をこれ以上放置しておくことも、極めて非合理的だと判断した」
 
「公爵様……。あの、皆が見ておりますわよ?」
 
「見させておけばいい。……私は、君が育てる桃を愛している。その妥協のない情熱と、誰にも媚びない強さを愛している」
 
 アルスター様は、私の目をまっすぐに見据えました。
 
 その瞳は、北国の吹雪さえ溶かしてしまいそうなほど、熱く燃えています。
 
「君が桃を愛するように、私は君という女性を、人生のパートナーとして迎えたい。……これはビジネスの提携ではない。魂の契約だ」
 
「魂の……契約……」
 
「私の領地は寒く、荒れているかもしれない。だが、君がいればそこは桃源郷になる。……モモカ、私の庭に、君の桃を植えてくれないか?」
 
 ……静寂。
 
 あまりにも詩的で、かつ実利的なプロポーズに、会場の令嬢たちが数人、衝撃のあまり気絶するのが見えました。
 
 私の脳内では、瞬時にアルスター公爵領の広大な土地と、そこを桃の木で埋め尽くした際の推定収益額が計算されました。
 
 (……あの方の庭、確か王都の広場の三倍はあるわ。あそこに『極』を植えれば、年間の純利益は金貨三千枚……。いえ、缶詰工場を併設すればその倍は……!)
 
「……モモカ? 返事を聞かせてくれ。君の沈黙は、私の心臓を凍りつかせそうだ」
 
 公爵様の少し不安げな声に、私は現実に戻りました。
 
 いけませんわ、つい経済効果の方に意識が飛んでしまいました。
 
 私は彼の手をそっと握り返し、最高に優雅な笑みを浮かべました。
 
「公爵様。……お断りする理由が、どこにございましょう」
 
「……っ!」
 
「ただし、条件がありますわ。私の桃の木は、とても欲張りなんですの。あなたの庭をすべて桃色に染め上げても、文句はおっしゃらないこと」
 
「望むところだ。……むしろ、私の人生ごと、君の色に染めてほしい」
 
 アルスター様は、私の指先に、誓いのキスを落としました。
 
 その瞬間、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれました。
 
「おめでとう! 果実の女王!」
 
「公爵様、お幸せに!」
 
 リリアさんがどこからか取り出した桃のジュースで「かんぱーい!」と音頭を取っているのが見えます。
 
 かつての悪役令嬢が、今、最強の公爵と結ばれ、桃を国教とする新しい時代の幕が開けようとしていました。
 
 ……ですが、この熱狂に冷や水を浴びせるように、重厚なトランペットの音が響き渡りました。
 
「国王陛下、おなりーーー!!」
 
 一同、静まり返り、深々とお辞儀をしました。
 
 現れたのは、威厳に満ちた、しかしどこか「空腹」そうな顔をした国王陛下でした。
 
 陛下はまっすぐに私たちの元へ歩み寄ると、アルスター公爵のプロポーズよりも切実な声で、こうおっしゃったのです。
 
「……モモカ嬢。結婚の前に、まずはその『極』を余に一口、くれないか?」
 
 ……どうやら今夜は、まだまだ終わりそうにありませんわね。
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