婚約破棄ですか?追放された令嬢は実家に帰ります。

桃瀬ももな

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 華やかな夜会が終わろうとしている中、私はテラスの隅で冷え始めた夜風を浴びていました。
 
 今夜の勝利の余韻は、まさに最高級の桃を一口食べた後のような、爽快な甘みが残っています。
 
「モモカ! 待ってくれ、モモカ!」
 
 背後から聞こえてきたのは、かつての私の「世界」だったはずの、聞き飽きた声でした。
 
 振り返ると、そこには豪華な礼装の襟元を乱し、必死な形相で私を追いかけてきたセドリック様の姿がありました。
 
「あら、セドリック様。まだ林檎コーナーで泣いていらしたのかと思っていましたわ」
 
「……っ。ひどいことを言わないでくれ。俺は……俺は今、猛烈に反省しているんだ!」
 
 セドリック様は、ドラマの主役にでもなったつもりか、その場に跪かんばかりの勢いで私の手を取ろうとしました。
 
 私は、熟練の農夫が害虫を避けるような素早さで、その手を回避しました。
 
「反省? なんのことでございましょう。桃の木の伐採を企てたことかしら? それとも、私のドレスを泥で汚したこと?」
 
「……違う! 君との婚約を破棄したことだ!」
 
 セドリック様の叫びが、静まり返ったテラスに響きます。
 
「俺はリリアに唆されていたんだ! 君の桃への情熱を『不気味』だなんて思っていた俺がバカだった。今夜、あのシャンパンタワーを、そして君の凛とした姿を見て気づいたんだ……。俺の隣には、やはり君が必要なんだよ!」
 
「……へぇ」
 
 私は、わざとらしく、心底どうでもいいという顔をしてみました。
 
「つまり……あなたは私を愛している、とおっしゃるのですか?」
 
「そうだ! 復縁しよう、モモカ! 君を再び王太子妃として迎え入れよう。あのリリアなんて、もうどうでもいい。明日には君の実家に、正式な謝罪と婚約再締結の使者を送るから!」
 
 セドリック様の瞳が、期待に輝いています。
 
 しかし、その瞳の奥にある「欲望」を、私は見逃しませんでした。
 
「セドリック様。……あなたは私を愛しているのではなく、私の『桃の独占権』が欲しいだけではありませんか?」
 
「な……っ!? そ、そんなことはない! 俺は……俺はただ……」
 
「もし私が明日、桃の栽培をやめて、ただの『泥だらけの無一文の令嬢』になったとしたら、あなたは私を迎えに来てくださいますの?」
 
 セドリック様は、一瞬だけ言葉に詰まりました。
 
 その一瞬の沈黙こそが、彼の「真実の愛」の糖度を表していました。
 
「……それは……王家としては、国益という観点から……」
 
「結局、桃の話ではありませんか。……お生憎様ですが、私、もうあなたに差し上げる桃は一玉もございませんの」
 
 私は冷たく言い放ちました。
 
「桃は、愛されなければ甘くなりません。あなたは桃を権力の道具としてしか見ていない。……そんな方に育てられた桃は、きっと渋くて食べられたものではありませんわ」
 
「モモカ……! 君は俺を捨てるというのか!? 王太子であるこの俺を!」
 
「捨てたのは、あなたの方ですわよ? 私はただ、ゴミ箱に放り込まれたものを、素敵な肥料に変えて新しい芽を出しただけですわ」
 
 私は、近くのテーブルに置かれていた、食べかけの桃の皿を指差しました。
 
 そこには、一粒だけ残った「桃の種」がありました。
 
「……セドリック様。そんなに桃が、そして私が惜しいのであれば……その種を拾って、自分の手で育ててみたらいかがかしら?」
 
「種を……育てるだと?」
 
「ええ。土を弄り、腰を痛め、虫と戦い、数年かけて桃を実らせてみてくださいな。その時、もしあなたが桃の真の価値を知ることができたなら……その種くらいは、差し上げてもよくてよ」
 
 私は優雅に、扇子で種を彼の方へスッと差し出しました。
 
「復縁なんて、悪い冗談は桃の皮と一緒に捨ててきてくださいませ。……それでは、ごきげんよう」
 
「……モ、モモカ……!!」
 
 背後で崩れ落ちる王太子の声を無視して、私は大広間へと戻りました。
 
 扉のすぐそばでは、アルスター公爵が、すべてを見ていたかのような涼しい顔で待っていました。
 
「……話は終わったか。モモカ」
 
「ええ。害虫駆除の最終確認が終わりましたわ。……公爵様、お待たせいたしました」
 
「ふっ。種を撒け、か。……貴様らしい、最も合理的で残忍な断り文句だな」
 
 公爵様は、私の肩にそっと手を置き、守るように歩き出しました。
 
 こうして、私と王太子との関係は、文字通り「種」だけを残して完全に枯れ果てたのでした。
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