婚約破棄された悪役令嬢、元婚約者様への復讐を。

桃瀬ももな

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ガタゴトと揺れる馬車の振動が、ようやく止まりました。
窓の外には、これまでの王国では見られなかった活気あふれる街並みが広がっています。
ここが隣国、ノートン商業国の首都。
「金こそが正義、利益こそが法」と言い切る、私にとっての理想郷です。

「お嬢様、着きましたわ! 見てください、あの露店の数! あ、あっちには見たこともない大きな商館がありますわよ!」

「はしたないわよ、アリス。鼻息で窓が曇るじゃない。……でも、確かにいい活気ね。お金の匂いがするわ」

私は馬車を降り、深く深呼吸をしました。
鼻をくすぐるのは、香辛料と、焼きたてのパンと、そして欲望が混ざり合った独特の空気。
王国の、あのカビ臭い伝統と形式に縛られた空気とは大違いです。

「さて、まずは拠点の確保ね。アリス、私が指定した宿へ向かうわよ」

私たちが向かったのは、大通りから少し外れた場所にある「銀の狐亭」。
高級すぎず、かといって安っぽすぎない、商人たちが情報交換に使うという「実利的な」宿です。

「いらっしゃい。……ほう、見慣れないお嬢さんだ。駆け落ちか、あるいは家出かな?」

カウンターで帳簿をつけていた初老の店主が、眼鏡の奥から鋭い視線を向けてきました。
私は迷わず、カウンターに金貨を一枚、指で弾いて滑らせました。

「家出ではなく、新規事業の立ち上げです。一番静かで、かつ裏口に近い部屋を貸してちょうだい。一ヶ月分、前払いでいいわ」

「……話が早くて助かる。だが、その格好じゃ目立ちすぎるぜ。あんた、王国の貴族だろう?」

「ええ。だからこそ、ここからは『私』ではない別の誰かになる必要があるの。この街で一番腕の良い細工物屋はどこかしら?」

店主から場所を聞き出し、私はすぐに街へと繰り出しました。
向かった先は、薄暗い路地裏にある、偏屈そうな老人が営む工房です。

「おじいさん。世界で一番美しくて、それでいて感情を一切読み取らせない『顔』を作ってほしいの。予算は厭わないわ」

「ほう……。令嬢が、何の冗談だ?」

「冗談でこんな場所まで来るとお思い? 私の素顔は、今のところ特定の人間に見られると『外交問題(面倒事)』になる可能性があるの。だから、物理的なフィルターが必要なのよ」

私は数枚のデザイン画を差し出しました。
それは、昨夜馬車の中で書き上げた、洗練された「狐の仮面」の図案です。

「……なるほど。ただの仮面じゃねえな。この曲線、見る角度によって表情が変わるように設計されてやがる。あんた、絵描きの才能があるのか?」

「いいえ。ターゲットの心理を操るための、視覚的マーケティングに基づいた設計よ。神秘性は付加価値を生むわ。誰だかわからないからこそ、人はそこに勝手な理想を抱き、財布の紐を緩めるの」

「くかか! 気に入った。最高の一品を仕上げてやるよ。……三日待ちな」

「三日は長すぎるわ。特急料金を払うから、明日の朝までに。……それと、この仮面に合わせた真っ赤なドレスも手配しておいてちょうだい。最高級のシルクで、でも動きやすいものを」

工房を出る頃には、私の財布は少し軽くなっていましたが、心は軽やかでした。
投資は、リターンが確約されているならば惜しむべきではありません。

宿に戻ると、アリスが部屋の片付けを終えて待っていました。

「お嬢様、これからどうされるのですか? 本当に商売を始めるおつもりで?」

「ええ。まずは没落寸前の商会を一つ、安値で買い叩くところから始めるわ。……ふふ、あのおバカ王子に教えてあげたいわね。資産は『守る』ものではなく、『転がして増やす』ものだってことを」

私は窓から見える夜景を眺めながら、手帳に最初の「標的」を書き込みました。
名前は『クリスタル商会』。
かつては栄華を極めたものの、今は放漫経営で倒産寸前の宝石商です。

「さあ、明日の朝には仮面が届くわ。そこからが、私の逆襲劇の第一幕よ」

「……お嬢様、今の顔、悪役令嬢って言われてた頃よりずっと楽しそうですわ」

「そうかしら? 効率を追い求めるのは、いつだって最高に楽しいことですもの」

私は鏡に映る自分の顔を、一度だけ確認しました。
明日からは、この「ダイヤ」という名も、公爵令嬢という肩書きも封印します。
現れるのは、正体不明の辣腕経営者、「ミス・クリスタル」。

私は贅沢にワインを煽り、新しい人生の門出を祝いました。
カイル様、メルさん。
あなたたちが今ごろ帳簿の山に埋もれていることを祈って。
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