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「……完璧だわ。職人のおじいさん、いい仕事をするじゃない」
翌朝、届いたばかりの「狐の仮面」を装着し、私は鏡の前で独りごちました。
白磁のような滑らかな質感に、金色の縁取り。
口元だけが見えるそのデザインは、見る者に「この女、何を考えているのかわからない」という恐怖と好奇心を抱かせるのに十分な出来栄えです。
「お、お嬢様……いえ、ミス・クリスタル。その格好で街を歩くのですか? 完全に不審者……ではなく、浮世離れした美しさですけれど」
「いいのよ、アリス。商業国ノートンにおいて、目立つことは広告費ゼロの宣伝活動と同じ。さあ、行くわよ。獲物が逃げないうちにね」
私が向かったのは、街の端にある『クリスタル商会』の本店です。
かつては王国へも宝石を輸出していた名門ですが、今は看板が傾き、入り口には「本日休業」の札が力なくぶら下がっています。
「ごめんください。……あ、いえ、商談に来ましたの」
扉を押し開けると、カビと埃の匂いが鼻を突きました。
奥のカウンターで酒瓶を抱えて突っ伏していたのは、この商会の現主、ゴードン氏です。
彼は濁った瞳で私を見上げ、鼻で笑いました。
「……なんだ、仮面舞踏会の帰りか? うちはもう売り物なんてねえよ。宝石は全部、借金のカタに持っていかれた」
「知っていますわ。だから来たのです。ゴードンさん、あなたの持っている『商標権』と、このボロ……失礼、趣のある店舗、そして僅かに残った販路を、金貨五十枚で買い取りに来ました」
「なっ……! 五十枚だと!? 馬鹿にするな、この店は先祖代々……!」
「先祖代々の栄光で、明日のお腹が膨らみますの?」
私は迷わず、ゴードン氏の目の前に現在の負債一覧表を叩きつけました。
昨晩、宿の店主から「適正な情報提供料」を払って仕入れた極秘資料です。
「来週には、あなたは不渡りを出して監獄行き。残されたご家族は路頭に迷う。……でも、今この契約書にサインすれば、借金は私がすべて引き受け、五十枚の金貨があなたの手元に残る。家族と田舎で静かに暮らすには十分な額でしょう?」
ゴードン氏は震える手で資料を手に取りました。
彼の目は、私の仮面の奥にある「意志」に射すくめられたように泳いでいます。
「なぜ……なぜこんな死に体の商会を欲しがる……」
「名前がいいからですわ。クリスタル……透明で、硬くて、磨けば何よりも輝く。私の新しい名前にぴったり。……あと、あなたが無能すぎて、買収コストが想定より三割も安く済んだからですわね」
「……っ、この、悪魔のような女が!」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ。さあ、サインを。それとも、監獄の硬いベッドがお好みかしら?」
ゴードン氏は、まるで魂を吸い取られたような顔でペンを走らせました。
契約成立。
これで私は、この国での「足場」と「肩書き」を手に入れたことになります。
「アリス、すぐに清掃業者を手配して。三日以内にここを鏡のようにピカピカにするの。あと、看板を掛け替えるわよ。新しい名前は『ミス・クリスタルの宝石箱』」
「は、はい! でもお嬢様、肝心の商品はどうされるのですか? ここはもう、石ころ一つ残っていませんよ」
「ふふ、いい質問ね。……宝石がないなら、作ればいいのよ。正確には、『宝石に見える価値』をね」
私はバッグから、昨日までの移動中に道端で拾い集めていた、なんてことのない「川原の石」を取り出しました。
ただし、それらは私の手によって、ある特殊な加工が施されています。
「これ、ただの石ですよね……?」
「いいえ。これは『隣国で発見された、幸福を呼ぶ伝説の聖石(の、サンプル)』よ。希少価値というものは、物語によって作られるの。……さあ、アリス。まずはこの街の噂好きの奥様方に、無料の招待状を配りに行きましょう」
私は仮面の奥で、獲物を狙う猟師のような笑みを浮かべました。
王宮で無駄に洗練された「社交界の力」を、今度は自分の利益のために使う。
こんなに効率的なリサイクル、他にあるでしょうか。
「おバカなカイル殿下なら、きっとこの石を金貨百枚で買ってくださるでしょうね。……まあ、あの方にはもう、売ってあげる義理もありませんけれど」
私は、倒れかけていた椅子を蹴り飛ばし、広々とした空間になった店の中央に立ちました。
ここが私の、新しい帝国の中心地。
悪役令嬢としてのスキルをフル活用した、愉快な略奪……もとい、商業活動の幕開けです。
翌朝、届いたばかりの「狐の仮面」を装着し、私は鏡の前で独りごちました。
白磁のような滑らかな質感に、金色の縁取り。
口元だけが見えるそのデザインは、見る者に「この女、何を考えているのかわからない」という恐怖と好奇心を抱かせるのに十分な出来栄えです。
「お、お嬢様……いえ、ミス・クリスタル。その格好で街を歩くのですか? 完全に不審者……ではなく、浮世離れした美しさですけれど」
「いいのよ、アリス。商業国ノートンにおいて、目立つことは広告費ゼロの宣伝活動と同じ。さあ、行くわよ。獲物が逃げないうちにね」
私が向かったのは、街の端にある『クリスタル商会』の本店です。
かつては王国へも宝石を輸出していた名門ですが、今は看板が傾き、入り口には「本日休業」の札が力なくぶら下がっています。
「ごめんください。……あ、いえ、商談に来ましたの」
扉を押し開けると、カビと埃の匂いが鼻を突きました。
奥のカウンターで酒瓶を抱えて突っ伏していたのは、この商会の現主、ゴードン氏です。
彼は濁った瞳で私を見上げ、鼻で笑いました。
「……なんだ、仮面舞踏会の帰りか? うちはもう売り物なんてねえよ。宝石は全部、借金のカタに持っていかれた」
「知っていますわ。だから来たのです。ゴードンさん、あなたの持っている『商標権』と、このボロ……失礼、趣のある店舗、そして僅かに残った販路を、金貨五十枚で買い取りに来ました」
「なっ……! 五十枚だと!? 馬鹿にするな、この店は先祖代々……!」
「先祖代々の栄光で、明日のお腹が膨らみますの?」
私は迷わず、ゴードン氏の目の前に現在の負債一覧表を叩きつけました。
昨晩、宿の店主から「適正な情報提供料」を払って仕入れた極秘資料です。
「来週には、あなたは不渡りを出して監獄行き。残されたご家族は路頭に迷う。……でも、今この契約書にサインすれば、借金は私がすべて引き受け、五十枚の金貨があなたの手元に残る。家族と田舎で静かに暮らすには十分な額でしょう?」
ゴードン氏は震える手で資料を手に取りました。
彼の目は、私の仮面の奥にある「意志」に射すくめられたように泳いでいます。
「なぜ……なぜこんな死に体の商会を欲しがる……」
「名前がいいからですわ。クリスタル……透明で、硬くて、磨けば何よりも輝く。私の新しい名前にぴったり。……あと、あなたが無能すぎて、買収コストが想定より三割も安く済んだからですわね」
「……っ、この、悪魔のような女が!」
「最高の褒め言葉として受け取っておきますわ。さあ、サインを。それとも、監獄の硬いベッドがお好みかしら?」
ゴードン氏は、まるで魂を吸い取られたような顔でペンを走らせました。
契約成立。
これで私は、この国での「足場」と「肩書き」を手に入れたことになります。
「アリス、すぐに清掃業者を手配して。三日以内にここを鏡のようにピカピカにするの。あと、看板を掛け替えるわよ。新しい名前は『ミス・クリスタルの宝石箱』」
「は、はい! でもお嬢様、肝心の商品はどうされるのですか? ここはもう、石ころ一つ残っていませんよ」
「ふふ、いい質問ね。……宝石がないなら、作ればいいのよ。正確には、『宝石に見える価値』をね」
私はバッグから、昨日までの移動中に道端で拾い集めていた、なんてことのない「川原の石」を取り出しました。
ただし、それらは私の手によって、ある特殊な加工が施されています。
「これ、ただの石ですよね……?」
「いいえ。これは『隣国で発見された、幸福を呼ぶ伝説の聖石(の、サンプル)』よ。希少価値というものは、物語によって作られるの。……さあ、アリス。まずはこの街の噂好きの奥様方に、無料の招待状を配りに行きましょう」
私は仮面の奥で、獲物を狙う猟師のような笑みを浮かべました。
王宮で無駄に洗練された「社交界の力」を、今度は自分の利益のために使う。
こんなに効率的なリサイクル、他にあるでしょうか。
「おバカなカイル殿下なら、きっとこの石を金貨百枚で買ってくださるでしょうね。……まあ、あの方にはもう、売ってあげる義理もありませんけれど」
私は、倒れかけていた椅子を蹴り飛ばし、広々とした空間になった店の中央に立ちました。
ここが私の、新しい帝国の中心地。
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