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「ミス・クリスタル。お引越しのお祝いに、これを」
「……あら、大きなカブですこと。食費の節約になりますわね。ありがとう、アリス」
「違いますわよボス! これ、隣の領地で採れた最高級の『マンドラゴラ風・大根』ですよ! ……って、そんなことより、またあの方が来ていますわ」
アリスが怯えたように指差した先。
店の入り口に、不自然なほどの光彩を放つ一人の男が立っていました。
仕立ての良い漆黒の燕尾服に、銀の刺繍。
整いすぎた容姿は、まるで神様が暇つぶしに最高傑作を作ってみたかのようです。
ですが、その黄金色の瞳に宿る光は、明らかに「普通の人」のそれではありませんでした。
「麗しき仮面の君。今日もその『嘘八百な商品』を、さも尊い宝物のように売る姿……。実に、実にゾクゾクするほど美しいですよ」
「……ジェイド・ノートン公爵。開店早々、営業妨害でしたらお引き取りを。私の時間は金貨よりも高いのですから」
この男こそ、ノートン商業国の若き公爵にして、国内の物流を牛耳る経済の怪物。
そして、私の「狐の仮面」という設定を秒速で見抜き、あろうことかその「計算高い本性」に惚れ込んだという変人です。
「営業妨害だなんて心外だ。私はただ、君のその冷徹なまでの効率主義に跪きたいだけなんだよ。……さあ、今日はどんなデタラメを売るのかな?」
「デタラメとは失礼な。私は顧客のニーズに対して、最適な付加価値を提供しているだけです。……ジェイド様、そこに並んでいる『運命を切り拓く水晶(ただのガラス玉)』、お一ついかが? 公爵様なら、金貨百枚でいいですよ」
「ふふ、ガラス玉に金貨百枚か! 素晴らしい、その法外な価格設定! 君に搾取されることを想像するだけで、心拍数が上がってしまう」
ジェイド様は、頬を微かに上気させながら私の手を取り、その甲に口づけを落とそうとしました。
私は無表情(仮面ですが)のまま、スッと手を引いて代わりに納品書の束を押し付けました。
「脈拍が上がっているなら、そのまま倉庫まで走って荷下ろしでも手伝ってはいかがかしら。その溢れるエネルギーを労働生産性に転換すれば、我が国のGDPも〇・五パーセントは上がるはずよ」
「……ああっ、最高だ。君のその、愛や恋を完全に『資源』としてしか見ていない瞳。もっと私をゴミを見るような目で見つめてくれないか?」
「アリス、塩を。……いえ、この男の体温で店内の温度が上がってエアコン(魔石冷房)代が無駄になるわ。追い出して」
「無茶言わないでくださいよボス! この方、この街の領主様ですよ!?」
アリスが半泣きで叫ぶ中、ジェイド様は至福の表情で私のデスクに身を乗り出しました。
その端正な顔立ちが、仮面のすぐ近くまで迫ります。
「ミス・クリスタル。……いや、ダイヤ。君が王国から何を抱えて逃げてきたのか、私は興味がない。だが、君のような『本物の捕食者』がこの国に来てくれたことを、私は心から祝福しているんだ」
「……私の本名、どこで調べたのかしら」
「金と権力があれば、戸籍の偽造を見破るくらい容易いことだよ。だが安心するといい。君を王国へ突き返すような非効率な真似はしない。君はこのノートンの街を、より面白く、より残酷に潤してくれる。……そうだね?」
ジェイド様の瞳に、一瞬だけ鋭い「商人の光」が宿りました。
この男、ただの変態ではありません。
私のやり方がこの国にどのような利益をもたらすか、既に計算し尽くしているのです。
「ふふ。……なら、公爵様。私に一つ、大きな仕事を回してくださるかしら?」
「何かな? 私の全財産を君の個人口座に振り込む手続きかい?」
「そんな端金(はしたがね)はいりません。……来月、この国で開催される『建国記念大バザール』。その運営権の半分を、私に売ってちょうだい。代わりに、あなたの持っている停滞した港湾事業、半年以内に黒字化して見せますわ」
ジェイド様は一瞬、きょとんとした顔をした後、腹を抱えて笑い出しました。
その笑い声は、王宮の連中が立てる上品で退屈なものとは違い、野生の獣のような力強さがありました。
「あははは! いい、最高だ! 私を口説くのではなく、事業提携を持ちかけるとはね! ああ、たまらない……君に首輪をつけられるのは、私の方だったようだ」
「首輪ではなく、契約書です。……さて、アリス。公爵様が快諾してくださったわ。すぐに契約書の雛形を持ってきて。一言一句、逃げ道がないように作ってあるやつを」
「は、はいぃっ!」
私は、満足げに微笑むジェイド様を見つめました。
王宮にいた頃は、カイル王子の機嫌を取ることばかりに費やしていた脳細胞が、今は「国を動かすビジネス」のためにフル稼働しています。
「ジェイド様。効率を考えれば、私と敵対するより協力する方が、あなたにとってもメリットが大きいはずよ。……ただし、私を失望させたら、その時はあなたの財産を合法的にすべて毟り取りますから」
「ああ、楽しみだ。……いつか、君が仮面を脱ぐその日まで、私は君の忠実な『投資家』でいよう」
ジェイド様は最後に、私のデスクに重厚な金貨の袋を置いていきました。
「とりあえずのチップだ」と言い残して去っていく彼の後ろ姿を見送りながら、私は大きく息を吐きました。
「……ボス、本当にあの変態……公爵様と手を組むんですか?」
「ええ。変態なのは困りものだけれど、資金力と判断力は一級品だわ。……それにアリス。彼、私の『ダイヤ』という名前を呼んだ時、ほんの少しだけ面白そうな顔をしていたでしょう?」
私は金貨の袋を開け、中身を確認しました。
期待以上の額。
これだけの軍資金があれば、私の「逆襲」のスピードはさらに加速します。
「さあ、カイル殿下。あなたがメルさんと甘いお菓子を食べている間に、私はあなたの国の経済を、この隣国から『買い取る』準備を始めるわよ」
仮面の奥で、私は不敵な笑みを浮かべました。
恋だの愛だのは、二の次三の次。
まずはこの手に、世界のすべてを動かす「数字」を手に入れてみせましょう。
「……あら、大きなカブですこと。食費の節約になりますわね。ありがとう、アリス」
「違いますわよボス! これ、隣の領地で採れた最高級の『マンドラゴラ風・大根』ですよ! ……って、そんなことより、またあの方が来ていますわ」
アリスが怯えたように指差した先。
店の入り口に、不自然なほどの光彩を放つ一人の男が立っていました。
仕立ての良い漆黒の燕尾服に、銀の刺繍。
整いすぎた容姿は、まるで神様が暇つぶしに最高傑作を作ってみたかのようです。
ですが、その黄金色の瞳に宿る光は、明らかに「普通の人」のそれではありませんでした。
「麗しき仮面の君。今日もその『嘘八百な商品』を、さも尊い宝物のように売る姿……。実に、実にゾクゾクするほど美しいですよ」
「……ジェイド・ノートン公爵。開店早々、営業妨害でしたらお引き取りを。私の時間は金貨よりも高いのですから」
この男こそ、ノートン商業国の若き公爵にして、国内の物流を牛耳る経済の怪物。
そして、私の「狐の仮面」という設定を秒速で見抜き、あろうことかその「計算高い本性」に惚れ込んだという変人です。
「営業妨害だなんて心外だ。私はただ、君のその冷徹なまでの効率主義に跪きたいだけなんだよ。……さあ、今日はどんなデタラメを売るのかな?」
「デタラメとは失礼な。私は顧客のニーズに対して、最適な付加価値を提供しているだけです。……ジェイド様、そこに並んでいる『運命を切り拓く水晶(ただのガラス玉)』、お一ついかが? 公爵様なら、金貨百枚でいいですよ」
「ふふ、ガラス玉に金貨百枚か! 素晴らしい、その法外な価格設定! 君に搾取されることを想像するだけで、心拍数が上がってしまう」
ジェイド様は、頬を微かに上気させながら私の手を取り、その甲に口づけを落とそうとしました。
私は無表情(仮面ですが)のまま、スッと手を引いて代わりに納品書の束を押し付けました。
「脈拍が上がっているなら、そのまま倉庫まで走って荷下ろしでも手伝ってはいかがかしら。その溢れるエネルギーを労働生産性に転換すれば、我が国のGDPも〇・五パーセントは上がるはずよ」
「……ああっ、最高だ。君のその、愛や恋を完全に『資源』としてしか見ていない瞳。もっと私をゴミを見るような目で見つめてくれないか?」
「アリス、塩を。……いえ、この男の体温で店内の温度が上がってエアコン(魔石冷房)代が無駄になるわ。追い出して」
「無茶言わないでくださいよボス! この方、この街の領主様ですよ!?」
アリスが半泣きで叫ぶ中、ジェイド様は至福の表情で私のデスクに身を乗り出しました。
その端正な顔立ちが、仮面のすぐ近くまで迫ります。
「ミス・クリスタル。……いや、ダイヤ。君が王国から何を抱えて逃げてきたのか、私は興味がない。だが、君のような『本物の捕食者』がこの国に来てくれたことを、私は心から祝福しているんだ」
「……私の本名、どこで調べたのかしら」
「金と権力があれば、戸籍の偽造を見破るくらい容易いことだよ。だが安心するといい。君を王国へ突き返すような非効率な真似はしない。君はこのノートンの街を、より面白く、より残酷に潤してくれる。……そうだね?」
ジェイド様の瞳に、一瞬だけ鋭い「商人の光」が宿りました。
この男、ただの変態ではありません。
私のやり方がこの国にどのような利益をもたらすか、既に計算し尽くしているのです。
「ふふ。……なら、公爵様。私に一つ、大きな仕事を回してくださるかしら?」
「何かな? 私の全財産を君の個人口座に振り込む手続きかい?」
「そんな端金(はしたがね)はいりません。……来月、この国で開催される『建国記念大バザール』。その運営権の半分を、私に売ってちょうだい。代わりに、あなたの持っている停滞した港湾事業、半年以内に黒字化して見せますわ」
ジェイド様は一瞬、きょとんとした顔をした後、腹を抱えて笑い出しました。
その笑い声は、王宮の連中が立てる上品で退屈なものとは違い、野生の獣のような力強さがありました。
「あははは! いい、最高だ! 私を口説くのではなく、事業提携を持ちかけるとはね! ああ、たまらない……君に首輪をつけられるのは、私の方だったようだ」
「首輪ではなく、契約書です。……さて、アリス。公爵様が快諾してくださったわ。すぐに契約書の雛形を持ってきて。一言一句、逃げ道がないように作ってあるやつを」
「は、はいぃっ!」
私は、満足げに微笑むジェイド様を見つめました。
王宮にいた頃は、カイル王子の機嫌を取ることばかりに費やしていた脳細胞が、今は「国を動かすビジネス」のためにフル稼働しています。
「ジェイド様。効率を考えれば、私と敵対するより協力する方が、あなたにとってもメリットが大きいはずよ。……ただし、私を失望させたら、その時はあなたの財産を合法的にすべて毟り取りますから」
「ああ、楽しみだ。……いつか、君が仮面を脱ぐその日まで、私は君の忠実な『投資家』でいよう」
ジェイド様は最後に、私のデスクに重厚な金貨の袋を置いていきました。
「とりあえずのチップだ」と言い残して去っていく彼の後ろ姿を見送りながら、私は大きく息を吐きました。
「……ボス、本当にあの変態……公爵様と手を組むんですか?」
「ええ。変態なのは困りものだけれど、資金力と判断力は一級品だわ。……それにアリス。彼、私の『ダイヤ』という名前を呼んだ時、ほんの少しだけ面白そうな顔をしていたでしょう?」
私は金貨の袋を開け、中身を確認しました。
期待以上の額。
これだけの軍資金があれば、私の「逆襲」のスピードはさらに加速します。
「さあ、カイル殿下。あなたがメルさんと甘いお菓子を食べている間に、私はあなたの国の経済を、この隣国から『買い取る』準備を始めるわよ」
仮面の奥で、私は不敵な笑みを浮かべました。
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まずはこの手に、世界のすべてを動かす「数字」を手に入れてみせましょう。
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