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「……あー、お腹が空きましたわ、カイル様ぁ。昨日から食べているのが、道端で配られていた試供品のクッキー一枚だけだなんて、聖女の胃袋が泣いていますわ」
「我慢しろ、メル。……くそっ、あの仮面の女め、なんて情け容赦ないんだ。私の……私の全財産だけでなく、国の利権まで毟り取るとは」
店の外から、何やら薄汚れた格好の男女が言い争う声が聞こえてきます。
私は優雅に、最高級の茶葉で淹れた紅茶を啜りながら、窓の隙間からその惨めな光景を眺めていました。
「ボス、あの人たち、ついに宿を追い出されて、あそこの街路樹の下で寝泊まりするつもりですわよ。……正直、見ていて不愉快というか、商売の邪魔というか、単に汚いですわ」
アリスが鼻をつまみながら、一通の手紙を持ってきました。
「それで、その……王子様がこれを。店員に銀貨一枚を握らせようとして(当然、拒否されましたが)、『ミス・クリスタルの影に隠れているはずのダイヤに渡してくれ』と言い残していったそうです」
「あら、私への手紙? ……わざわざ『ダイヤ』宛てに持ってきたということは、あのおバカさん、ようやく私の正体に薄々勘付き始めたのかしら」
私は手袋をはめたまま、嫌々その手紙を受け取りました。
封筒は手垢で汚れ、安っぽいインクの匂いがします。
中身を開いてみると、そこには驚くほど身勝手で、かつ噴飯ものの内容が書き連ねられていました。
『親愛なるダイヤへ。
突然の婚約破棄については、私も少しばかり急ぎすぎたかもしれないと反省している。
メルも「ダイヤ様がいないと、王宮の掃除も予算管理も全然進まなくて困る」と、君の不在を嘆いているのだ。
今なら、あの婚約破棄を「一時的な冷却期間」として撤回してやってもいい。
だから、今すぐその仮面の女の店を辞めて、王国に戻ってこい。
もちろん、君がこの国で稼いだ金や、ミス・クリスタルから取り返した権利もすべて持参するように。
そうすれば、私は君を再び「婚約者」として迎えてやろう。
追伸:今すぐ金貨五百枚ほど、立て替えで送れ。空腹で死にそうだ』
「………………」
読み終えた瞬間、私の周囲の空気が凍りつきました。
怒りを通り越して、宇宙の深淵を覗き込んだような、そんな虚無感に襲われます。
「……ボス? 大丈夫ですか? 顔が般若のようになってますわよ」
「アリス。この世には、脳の代わりにマシュマロでも詰まっている人間が存在するのね。……見てちょうだい、この『上から目線』の極致。自分が被害者で、私が戻るのが義務だと言わんばかりだわ」
私は手紙を無造作にデスクに叩きつけました。
婚約破棄を撤回してやる? 戻ってきて仕事をしろ? 金を送れ?
どれか一つをとっても、商談なら即座にガードマンを呼ぶレベルの暴論です。
「要約すると、『無償で働いてくれる財布兼、事務員が恋しくなったから戻ってこい。あ、稼いだ金は全部寄越せよ』ということですわね。……ふふ、あはははは!」
「ひえっ、ボスが壊れた!?」
私が乾いた笑い声を上げていると、背後の窓から黒い影が飛び込んできました。
……いえ、飛び込んできたのではなく、あまりに洗練された身のこなしで入室してきたジェイド様です。
「おやおや、私の婚約者が、こんなゴミを読んで気分を害している。……ダイヤ、その手紙、私が代わりに『処理』してあげようか?」
「ジェイド様。あなたは扉という概念をどこに置いてきたのかしら。……でも、ちょうどいいわ。これ、読んでみて」
ジェイド様は手紙を指先でつまみ上げると、一読して、美しすぎる顔を歪ませました。
その瞳には、かつてないほどの、冷たくて鋭い殺意が宿ります。
「……素晴らしいね。これほどの無礼、私の家系が始まって以来の最高記録だ。ダイヤ、今すぐ騎士団を動かして、あの王子の首を庭の飾りにしてもいいかな? もちろん、その方が効率的ならば、だけれど」
「いいえ、それは勿体ないわ。死体は一銭の利益も生み出しませんもの。……ジェイド様、この手紙、私の返事として使ってもいいかしら?」
私はデスクの引き出しから、万年筆ではなく、ある「道具」を取り出しました。
そして、カイル殿下が綴った「親愛なるダイヤへ」という文字の上に、これ以上ないほど無慈悲な処置を施します。
「(……さて、カイル殿下。あなたが差し出したその『救いの手』が、どれほど価値のないものか、今すぐ理解させてあげますわ)」
私は手紙を再び封筒に入れ、アリスに手渡しました。
仮面の奥の瞳は、もはや獲物を見るそれですらなく、ただの「廃棄物」を眺めるような冷徹さに満ちていました。
「我慢しろ、メル。……くそっ、あの仮面の女め、なんて情け容赦ないんだ。私の……私の全財産だけでなく、国の利権まで毟り取るとは」
店の外から、何やら薄汚れた格好の男女が言い争う声が聞こえてきます。
私は優雅に、最高級の茶葉で淹れた紅茶を啜りながら、窓の隙間からその惨めな光景を眺めていました。
「ボス、あの人たち、ついに宿を追い出されて、あそこの街路樹の下で寝泊まりするつもりですわよ。……正直、見ていて不愉快というか、商売の邪魔というか、単に汚いですわ」
アリスが鼻をつまみながら、一通の手紙を持ってきました。
「それで、その……王子様がこれを。店員に銀貨一枚を握らせようとして(当然、拒否されましたが)、『ミス・クリスタルの影に隠れているはずのダイヤに渡してくれ』と言い残していったそうです」
「あら、私への手紙? ……わざわざ『ダイヤ』宛てに持ってきたということは、あのおバカさん、ようやく私の正体に薄々勘付き始めたのかしら」
私は手袋をはめたまま、嫌々その手紙を受け取りました。
封筒は手垢で汚れ、安っぽいインクの匂いがします。
中身を開いてみると、そこには驚くほど身勝手で、かつ噴飯ものの内容が書き連ねられていました。
『親愛なるダイヤへ。
突然の婚約破棄については、私も少しばかり急ぎすぎたかもしれないと反省している。
メルも「ダイヤ様がいないと、王宮の掃除も予算管理も全然進まなくて困る」と、君の不在を嘆いているのだ。
今なら、あの婚約破棄を「一時的な冷却期間」として撤回してやってもいい。
だから、今すぐその仮面の女の店を辞めて、王国に戻ってこい。
もちろん、君がこの国で稼いだ金や、ミス・クリスタルから取り返した権利もすべて持参するように。
そうすれば、私は君を再び「婚約者」として迎えてやろう。
追伸:今すぐ金貨五百枚ほど、立て替えで送れ。空腹で死にそうだ』
「………………」
読み終えた瞬間、私の周囲の空気が凍りつきました。
怒りを通り越して、宇宙の深淵を覗き込んだような、そんな虚無感に襲われます。
「……ボス? 大丈夫ですか? 顔が般若のようになってますわよ」
「アリス。この世には、脳の代わりにマシュマロでも詰まっている人間が存在するのね。……見てちょうだい、この『上から目線』の極致。自分が被害者で、私が戻るのが義務だと言わんばかりだわ」
私は手紙を無造作にデスクに叩きつけました。
婚約破棄を撤回してやる? 戻ってきて仕事をしろ? 金を送れ?
どれか一つをとっても、商談なら即座にガードマンを呼ぶレベルの暴論です。
「要約すると、『無償で働いてくれる財布兼、事務員が恋しくなったから戻ってこい。あ、稼いだ金は全部寄越せよ』ということですわね。……ふふ、あはははは!」
「ひえっ、ボスが壊れた!?」
私が乾いた笑い声を上げていると、背後の窓から黒い影が飛び込んできました。
……いえ、飛び込んできたのではなく、あまりに洗練された身のこなしで入室してきたジェイド様です。
「おやおや、私の婚約者が、こんなゴミを読んで気分を害している。……ダイヤ、その手紙、私が代わりに『処理』してあげようか?」
「ジェイド様。あなたは扉という概念をどこに置いてきたのかしら。……でも、ちょうどいいわ。これ、読んでみて」
ジェイド様は手紙を指先でつまみ上げると、一読して、美しすぎる顔を歪ませました。
その瞳には、かつてないほどの、冷たくて鋭い殺意が宿ります。
「……素晴らしいね。これほどの無礼、私の家系が始まって以来の最高記録だ。ダイヤ、今すぐ騎士団を動かして、あの王子の首を庭の飾りにしてもいいかな? もちろん、その方が効率的ならば、だけれど」
「いいえ、それは勿体ないわ。死体は一銭の利益も生み出しませんもの。……ジェイド様、この手紙、私の返事として使ってもいいかしら?」
私はデスクの引き出しから、万年筆ではなく、ある「道具」を取り出しました。
そして、カイル殿下が綴った「親愛なるダイヤへ」という文字の上に、これ以上ないほど無慈悲な処置を施します。
「(……さて、カイル殿下。あなたが差し出したその『救いの手』が、どれほど価値のないものか、今すぐ理解させてあげますわ)」
私は手紙を再び封筒に入れ、アリスに手渡しました。
仮面の奥の瞳は、もはや獲物を見るそれですらなく、ただの「廃棄物」を眺めるような冷徹さに満ちていました。
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