婚約破棄されました悪役令嬢、可愛がりルートを爆走中

桃瀬ももな

文字の大きさ
13 / 28

13

しおりを挟む
「……ああ、つまらん。実につまらんぞ、リリィ」

王国の華やかな王宮、その一室で。
王太子アトラス殿下は、高級なソファに深々と身を沈め、天井を見上げて力なく呟きました。
目の前には、宝石を散りばめたような豪華な茶菓子が並んでいますが、その手は一度も伸びようとはしません。

「殿下ぁ、またそのお話ですの? せっかく私が、新しい刺繍の腕前を披露しようとしているのに」

隣に座るリリィ様が、わざとらしく唇を尖らせました。
ですが、その視線は殿下ではなく、壁に飾られた一枚の肖像画——かつてモルニャが描かせた、ふてぶてしくも美しい立ち姿——に釘付けになっています。

「リリィ、お前には分からんのか。あのモルニャがいなくなってからというもの、この宮廷には『毒』が足りん。誰を叱責しても、皆が平伏するばかり。あの『はい、モルニャですが何か?』という、人を食ったような返答が恋しくてたまらんのだ!」

「殿下……。それ、完全に依存症というやつですわよ?」

「依存症だと!? 失礼なことを言うな。私はただ、教育者として、あのような出来の悪い生徒を放置しておくのが忍びないと言っているだけだ。……ああ、今頃あいつはどこで野垂れ死んでいるのか……」

アトラス殿下は、ふと遠い目をしました。
彼の中のモルニャ像は、今や「憎き悪役令嬢」から「自分を唯一刺激してくれる希少動物」へと、自分勝手な変換を遂げていたのです。

「だいたいだ! あいつは勘当された際、あんなボロボロの格好で飛び出していったのだぞ。今頃、泥水でもすすって、私の名を呼んで泣き伏しているに違いない」

「……殿下。報告によれば、モルニャ様は隣国で、ルードルフ公爵と豪華な定食屋でデートしていたそうですが?」

リリィ様が、さらりと残酷な真実を告げました。
アトラス殿下の体が、バネでも仕込まれていたかのように跳ね上がります。

「な、なんだと!? あの氷の公爵と!? ありえん、あのカイルという男は、女に興味がないことで有名だ。そんな男が、あの『モルニャ』などという、ふざけた名前の女を相手にするはずがないだろう!」

「それが、どうやら閣下はモルニャ様の『名前』を大変気に入っていらっしゃるとか。……分かりますわ。モル、ニャ。モルニャ。ああ、なんて艶美な響き……」

リリィ様が、頬を赤らめてうっとりと自分の世界に入り始めました。
殿下はそれを無視して、執務室の中を激しく往復し始めます。

「許せん……。私の婚約者だった女を、他国の公爵が横から奪うなど、国際問題だ! しかも、あんな可愛い……いや、あんな小生意気な女を!」

「……今、可愛いっておっしゃいました?」

「言っていない! 私の聞き間違いだ! ……リリィ、すぐさま近衛騎士団を招集しろ。私は決めたぞ。自ら隣国へ乗り込み、あのモルニャを連れ戻す!」

アトラス殿下の瞳に、久しぶりに生気が宿りました。
ですが、それは正義感でも愛情でもなく、ただの「面白い玩具を取り返したい」という幼児的な独占欲に過ぎません。

「連れ戻して、どうなさるおつもりですの? もう勘当も婚約破棄も成立しておりますわよ?」

「決まっているだろう。私の目の前で、毎日三回、あのふざけた名前で返事をさせるのだ。そして、たまに語尾が『にゃ』になるのを、この私が直々に矯正してやる!」

「……殿下、それってただの個人的な趣味ではありませんこと?」

リリィ様は呆れたように肩をすくめましたが、その瞳には別の計算が働いていました。
(……殿下についていけば、また生の『モルニャ』様にお会いできる。あの方の、あの冷めた目で見下されながら名前を呼ばれたい……!)

「よし、決まりだ! 隣国の皇帝には、友好親善の使節団として通告しておけ。……待っていろよ、モルニャ。この私から逃げ切れると思ったら大間違いだ!」

殿下の高笑いが、王宮の廊下に虚しく響き渡りました。
その頃、当のモルニャが、公爵邸の庭でカイル様に「顎の下の撫で方」を指導していることなど、殿下は知る由もありません。

「殿下ぁ、私もついていきますわ。モルニャ様の……いえ、調査のために!」

「おお、リリィ。お前もそう思うか。よし、二人で奪還作戦の開始だ!」

こうして、勘違いの塊のような王子と、別の意味で道を踏み外した男爵令嬢という、世にも奇妙な追跡行が幕を開けたのでした。

「(ふふ……モルニャ様。今度はどんなドレスをお召しなのかしら。名前入りの刺繍、こっそり贈っちゃおうかしら……)」

リリィ様が小刻みに震えながら妄想に耽っている横で、殿下は拳を握り締め、まだ見ぬ再会のシーンを思い描いていました。
もちろん、そのシーンの中でモルニャは涙を流して懺悔している設定ですが、現実がそれを裏切るまで、あと数日もかからないのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「平民なんて無理」と捨てたくせに、私が国の英雄になった途端、態度変わりすぎじゃない?

ほーみ
恋愛
「婚約は破棄させてもらうよ、アリア」  冷ややかな声が玉座の間に響く。  騎士として従軍していた私は、戦地から帰還してすぐにこの場に呼び出された。泥に汚れた鎧を着たまま、目の前には王族や貴族たちがずらりと並び、中央に立つのは私の婚約者だった第二王子・レオナルド。  彼の瞳には、かつての優しさのかけらもない。 「君のような平民出身者とは、これ以上関わるべきではないと判断した」  周囲の貴族たちがくすくすと笑い声を漏らす。

聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!? 元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。

【完結】記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

凛蓮月@騎士の夫〜発売中です
恋愛
【完全完結しました。ご愛読頂きありがとうございます!】  公爵令嬢カトリーナ・オールディスは、王太子デーヴィドの婚約者であった。  だが、カトリーナを良く思っていなかったデーヴィドは真実の愛を見つけたと言って婚約破棄した上、カトリーナが最も嫌う醜悪伯爵──ディートリヒ・ランゲの元へ嫁げと命令した。  ディートリヒは『救国の英雄』として知られる王国騎士団副団長。だが、顔には数年前の戦で負った大きな傷があった為社交界では『醜悪伯爵』と侮蔑されていた。  嫌がったカトリーナは逃げる途中階段で足を踏み外し転げ落ちる。  ──目覚めたカトリーナは、一切の記憶を失っていた。  王太子命令による望まぬ婚姻ではあったが仲良くするカトリーナとディートリヒ。  カトリーナに想いを寄せていた彼にとってこの婚姻は一生に一度の奇跡だったのだ。 (記憶を取り戻したい) (どうかこのままで……)  だが、それも長くは続かず──。 【HOTランキング1位頂きました。ありがとうございます!】 ※このお話は、以前投稿したものを大幅に加筆修正したものです。 ※中編版、短編版はpixivに移動させています。 ※小説家になろう、ベリーズカフェでも掲載しています。 ※ 魔法等は出てきませんが、作者独自の異世界のお話です。現実世界とは異なります。(異世界語を翻訳しているような感覚です)

婚約破棄されたけど、どうして王子が泣きながら戻ってくるんですか?

ほーみ
恋愛
「――よって、リリアーヌ・アルフェン嬢との婚約は、ここに破棄とする!」  華やかな夜会の真っ最中。  王子の口から堂々と告げられたその言葉に、場は静まり返った。 「……あ、そうなんですね」  私はにこやかにワイングラスを口元に運ぶ。周囲の貴族たちがどよめく中、口をぽかんと開けたままの王子に、私は笑顔でさらに一言添えた。 「で? 次のご予定は?」 「……は?」

たいした苦悩じゃないのよね?

ぽんぽこ狸
恋愛
 シェリルは、朝の日課である魔力の奉納をおこなった。    潤沢に満ちていた魔力はあっという間に吸い出され、すっからかんになって体が酷く重たくなり、足元はふらつき気分も悪い。  それでもこれはとても重要な役目であり、体にどれだけ負担がかかろうとも唯一無二の人々を守ることができる仕事だった。  けれども婚約者であるアルバートは、体が自由に動かない苦痛もシェリルの気持ちも理解せずに、幼いころからやっているという事実を盾にして「たいしたことない癖に、大袈裟だ」と罵る。  彼の友人は、シェリルの仕事に理解を示してアルバートを窘めようとするが怒鳴り散らして聞く耳を持たない。その様子を見てやっとシェリルは彼の真意に気がついたのだった。

処理中です...