小太郎シェリーのものがたり 100億円の宝くじと立ち食いそば

新雪小太郎

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何も起こらへん一日 編 ―

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朝。
目覚ましは鳴らへんかった。
小太郎は自然に目ぇ覚ました。
カーテンの隙間から、普通の光。
空は晴れでも嵐でもない。
「……今日、なんも起きへんな」
それが、最初の異変やった。
シェリーはキッチンでコーヒーを淹れている。
少し焦がしたトーストの匂い。
「おはよ」
「おはよ」
それ以上も、それ以下もない会話。
ニュースでは、
事故も、事件も、奇跡も流れてへん。
アナウンサーが逆に戸惑ってる。
「本日は…特にお伝えする出来事がありません」
外へ出る。
電車は時間どおり。
誰も走らへん。
怒鳴る人も、泣く人もおらん。
「なあ小太郎」
シェリーが小声で言う。
「これ……怖ない?」
「ちょっとな」
会社でも同じや。
コピー機は詰まらへん。
上司は怒らへん。
ミスも起きへん。
昼飯のそばは、
うまいけど、感動するほどやない。
午後三時。
急に、時間が重くなる。
秒針の音が、やけに響く。
人の動きが、少しずつ遅い。
その時――
廊下の向こうに、見覚えのある背中。
小柄な、お婆さん。
「……摩訶不思議堂」
追いかけると、非常階段の踊り場にいた。
「ここはな」
お婆さんは静かに言う。
「奇跡も不幸も、全部止めた世界や」
「なんでそんなことを?」
小太郎が聞く。
「人はな」
「“何も起こらへん”ことに、一番耐えられへん」
お婆さんは、床に小さな種を落とした。
「これは“変わらん日”の種や」
「水も光もやらんかったら、芽は出ぇへん」
「でもな、踏みつけへんかったら、ちゃんと生きとる」
その瞬間、
小太郎は気づいた。
朝、自然に起きたこと。
トーストの焦げ。
遅れへん電車。
押されへん背中。
全部、誰かが“当たり前”を守ってる結果や。
「俺ら、何すればええ?」
小太郎が聞く。
お婆さんは笑った。
「今日はな、
誰かに席を譲るだけでええ」
帰り道。
駅で、立ったままの老人がいた。
小太郎は何も考えず、立ち上がる。
「どうぞ」
その瞬間――
世界が、わずかに色づいた。
音が戻る。
人が笑う。
遠くで、赤ちゃんが泣く。
シェリーが小太郎を見る。
「……なんか、今日が一番冒険やったな」
小太郎は頷いた。
「せやな」
「平凡って、
奇跡を続ける作業なんや」
摩訶不思議堂の看板は、
その夜もどこにも出えへんかった。
でもきっと、
明日もどこかで、開いとる。
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