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もうひとりは確かに存在した ドッペルゲンガー物語概略
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もう一人は、確かに存在した概略
作 新雪小太郎
四十年前、私は自分とよく似た人間がこの世にいると知った。 それは推測ではなく、思い込みでもなかった。証拠は何一つないのに、なぜか否定できない確信だけがあった。
最初は小さな違和感だった。行った覚えのない喫茶店で、店主に顔を覚えられていた。「いつものですね」と言われ、砂糖の数まで正確に当てられた。私はその店を出たあと、しばらく自分の記憶を疑った。しかし、どれだけ思い返しても、その店に入った記憶はなかった。
同じようなことが、何度も起きた。大学の掲示板に、私の名前で書かれた走り書きがあった。筆跡は、私自身のものと見分けがつかなかった。初対面のはずの人間から、昔話を持ち出されることもあった。そのたびに私は曖昧に笑い、話を合わせた。強く否定する理由が、自分の中に見つからなかったからだ。
もしかすると、この世界に遅れて来たのは自分の方なのではないか。そんな考えが、次第に現実味を帯びてきた。
私はこれまで、何度も命に関わる事故に遭ってきた。作業中、足場が崩れ、五メートルほど下に転落したことがある。落下の途中で視界が反転し、地面が近づくのを妙に冷静に見ていたのを覚えている。次の瞬間、私は地面に横たわっていたが、身体はどこも壊れていなかった。
車で山道を走っていたときもそうだ。カーブを曲がりきれず、そのまま斜面へ落ちた。衝撃の記憶は途中で途切れている。気づいたとき、私は道路脇に立っていた。車だけが、下の方に転がっていた。
スポーツ中に鉄筋に頭を強く打ったこともある。鈍い音がして視界が暗くなったが、次に意識が戻ったとき、私は自分の足で立っていた。周囲の人間の方が、青ざめていた。
人はそれを「運がいい」と言った。奇跡だとも言われた。だが当の本人である私は、どうしてもそうは思えなかった。毎回、結果だけが帳尻を合わせるように整えられている。途中の過程が抜け落ち、結論だけが書き換えられている。そんな感覚が、いつも胸の奥に残った。
四年前、ついに心臓が止まった。医師たちは慌ただしく動き、私は冷却され、静かになっていった。死亡時刻が告げられたとき、私は確かに死んだはずだった。
だが、意識は消えなかった。
身体の感覚はなく、時間の流れも曖昧だった。ただ、どこか高い場所から、自分の身体を眺めているような感覚があった。そのとき、誰かが呟いた。
「……これで最後か」
低く、落ち着いた声だった。それが自分自身の声だと気づくまで、少し時間がかかった。奇妙なことに、恐怖はなかった。むしろ、長い作業が一区切りついたような、そんな納得があった。
次に目を覚ましたとき、私は生きていた。医師は「奇跡的な回復」だと言った。だが私は、その言葉をどこか他人事のように聞いていた。
母は、亡くなる少し前に、私にある事実を打ち明けた。
「あなたね、六人目なの」
母は五回、流産をしていた。それぞれの子に、名前をつけていたという。シュウジ、シュウゾウ、ミナ、ミネ、ミエ。母は一つずつ、間違えずにその名を口にした。弟が一人生まれたが、その前にも後ろにも、生まれることのなかった兄弟がいた。
私はその話を聞いても、驚かなかった。むしろ、胸の奥に溜まっていた違和感が、静かに形を持った気がした。事故のたび、何かが私の前に立ち、代わりに消えていった感覚。その正体が、ようやく言葉になっただけだった。
心停止の夜、私は夢を見た。そこには五人がいた。顔は私と同じだったが、目の奥の光が違っていた。彼らは、それぞれ違う沈黙をまとっていた。
最後に前へ出たのが、ミエだった。
彼は言った。自分は犠牲ではない、と。重なり合った可能性そのものだ、と。その言葉を聞いたとき、私は悟った。私は守られていたのではない。世界が、何度も選び直されていただけなのだ。
それから、名前は一つずつ消えていった。夢に現れなくなり、声が聞こえなくなり、やがて思い出せなくなった。存在が薄れ、世界に溶けていくようだった。
名前を失った世界は、驚くほど静かだった。事故は起きず、奇跡も起きない。身体は年相応に衰え、痛みは正確な順序で訪れる。医師は「ようやく平均的なデータになりましたね」と言った。
鏡の前に立つと、そこには遅れずに動く自分がいる。胸に手を当てると、鼓動は一つしかない。多すぎもせず、少なすぎもしない。
私は今、一人分の人生を生きている。
四十年前、確かに存在したもう一人の私は、消えたのではない。選び続けた末に、すべて私になったのだ。
あとがき
本作は、私自身の体験と家族から聞いた事実をもとに書いたフィクションである。生き残った理由を合理的に説明することはできない。ただ、生きているという結果だけが残った。その違和感を物語として形にした。奇跡ではなく、選ばれ続けた末の現在として、この一篇を置きたい。
作品名:もう一人は、確かに存在した
自分と瓜二つの人物の存在を確信した男は、幾度もの事故と死を乗り越えてきた。母の告白により、彼が六人目の子であることが明かされる。生き残り続けた理由を探る中で、男はついに「一人分の人生」に辿り着く。
作 新雪小太郎
四十年前、私は自分とよく似た人間がこの世にいると知った。 それは推測ではなく、思い込みでもなかった。証拠は何一つないのに、なぜか否定できない確信だけがあった。
最初は小さな違和感だった。行った覚えのない喫茶店で、店主に顔を覚えられていた。「いつものですね」と言われ、砂糖の数まで正確に当てられた。私はその店を出たあと、しばらく自分の記憶を疑った。しかし、どれだけ思い返しても、その店に入った記憶はなかった。
同じようなことが、何度も起きた。大学の掲示板に、私の名前で書かれた走り書きがあった。筆跡は、私自身のものと見分けがつかなかった。初対面のはずの人間から、昔話を持ち出されることもあった。そのたびに私は曖昧に笑い、話を合わせた。強く否定する理由が、自分の中に見つからなかったからだ。
もしかすると、この世界に遅れて来たのは自分の方なのではないか。そんな考えが、次第に現実味を帯びてきた。
私はこれまで、何度も命に関わる事故に遭ってきた。作業中、足場が崩れ、五メートルほど下に転落したことがある。落下の途中で視界が反転し、地面が近づくのを妙に冷静に見ていたのを覚えている。次の瞬間、私は地面に横たわっていたが、身体はどこも壊れていなかった。
車で山道を走っていたときもそうだ。カーブを曲がりきれず、そのまま斜面へ落ちた。衝撃の記憶は途中で途切れている。気づいたとき、私は道路脇に立っていた。車だけが、下の方に転がっていた。
スポーツ中に鉄筋に頭を強く打ったこともある。鈍い音がして視界が暗くなったが、次に意識が戻ったとき、私は自分の足で立っていた。周囲の人間の方が、青ざめていた。
人はそれを「運がいい」と言った。奇跡だとも言われた。だが当の本人である私は、どうしてもそうは思えなかった。毎回、結果だけが帳尻を合わせるように整えられている。途中の過程が抜け落ち、結論だけが書き換えられている。そんな感覚が、いつも胸の奥に残った。
四年前、ついに心臓が止まった。医師たちは慌ただしく動き、私は冷却され、静かになっていった。死亡時刻が告げられたとき、私は確かに死んだはずだった。
だが、意識は消えなかった。
身体の感覚はなく、時間の流れも曖昧だった。ただ、どこか高い場所から、自分の身体を眺めているような感覚があった。そのとき、誰かが呟いた。
「……これで最後か」
低く、落ち着いた声だった。それが自分自身の声だと気づくまで、少し時間がかかった。奇妙なことに、恐怖はなかった。むしろ、長い作業が一区切りついたような、そんな納得があった。
次に目を覚ましたとき、私は生きていた。医師は「奇跡的な回復」だと言った。だが私は、その言葉をどこか他人事のように聞いていた。
母は、亡くなる少し前に、私にある事実を打ち明けた。
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母は五回、流産をしていた。それぞれの子に、名前をつけていたという。シュウジ、シュウゾウ、ミナ、ミネ、ミエ。母は一つずつ、間違えずにその名を口にした。弟が一人生まれたが、その前にも後ろにも、生まれることのなかった兄弟がいた。
私はその話を聞いても、驚かなかった。むしろ、胸の奥に溜まっていた違和感が、静かに形を持った気がした。事故のたび、何かが私の前に立ち、代わりに消えていった感覚。その正体が、ようやく言葉になっただけだった。
心停止の夜、私は夢を見た。そこには五人がいた。顔は私と同じだったが、目の奥の光が違っていた。彼らは、それぞれ違う沈黙をまとっていた。
最後に前へ出たのが、ミエだった。
彼は言った。自分は犠牲ではない、と。重なり合った可能性そのものだ、と。その言葉を聞いたとき、私は悟った。私は守られていたのではない。世界が、何度も選び直されていただけなのだ。
それから、名前は一つずつ消えていった。夢に現れなくなり、声が聞こえなくなり、やがて思い出せなくなった。存在が薄れ、世界に溶けていくようだった。
名前を失った世界は、驚くほど静かだった。事故は起きず、奇跡も起きない。身体は年相応に衰え、痛みは正確な順序で訪れる。医師は「ようやく平均的なデータになりましたね」と言った。
鏡の前に立つと、そこには遅れずに動く自分がいる。胸に手を当てると、鼓動は一つしかない。多すぎもせず、少なすぎもしない。
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