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爺さん回想す 近藤勇の手紙
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近藤勇の手紙(処刑前日の文)
文久・慶応の歳月 尽きんとする前夜
板橋宿にて
永倉新八殿
拙者、明日にはこの身、幕吏の手により最期を迎える運びと相成った。
筆を取る手は静かなれど、胸中には数々の思い、風のように巡って止まず。
新八——
おぬしはいつも、強い風に吹かれながらも踏みとどまる男であった。
池田屋の刻、斬り込みの刹那、誰よりも早く駆けるおぬしの背を、拙者は誇らしく見ていた。
あの夜より後、幾つの坂を登り、幾つの別れを越えてきたことか。
土方の剛気、総司の柔らかな剣、そしておぬしの粘り強き胆力。
それらに支えられ、拙者は“局長近藤勇”でいられた。
しかし、もはや剣を取る縁は尽き申した。
拙者が案ずるは、
この先も、おぬしらが己が道を失わぬかどうか、それのみである。
新八。
もしも土方が北の地にて踏ん張っておるなら、どうか伝えてくれ。
「われらの志、いまをもって折れたわけではなし。
それぞれの場所にて守りぬけば、それでよし。」
総司には……
そっと笑ってやってほしい。
あやつは、苦しいほどの優しさを抱えたまま逝ったゆえ、
せめて拙者の旅立ちは、軽く見送ってくれればそれで足る。
新八よ。
そなたには、そなたの剣がある。
拙者の後を追うな。
ただ、己が信じたまま生きよ。
これより先、世がどのように移ろおうとも、
拙者らが掴もうとした「武士の志」は、そなたらが胸に抱く限り、消えることはない。
最後に。
そなたと肩を並べた日々、誠にありがたかった。
死の間際に思い出す顔が、そなたであることを恥じはせぬ。
——さらばだ、新八。
そなたの未来に、風の止むことなからんことを。
近藤勇
(板橋にて)
寺子屋の一隅。
夕陽が障子越しに淡い橙を落とし、畳の目を静かに照らしていた。
永倉新八は、膝の上に文箱を置き、ゆっくりと蓋をあけた。
その動作ひとつとっても、老いというよりは“覚悟”のような静けさがにじむ。
向かいには、木刀を抱いたまま正座する少年——
近藤勇の孫・勇太。
「……先生、ほんとうに祖父の手紙が?」
「うむ。処刑の前日、おぬしの祖父——近藤局長がわしに宛てて書きおくったものじゃ」
勇太が息をのむ。
その小さな手が木刀を握りしめ、わずかに震えた。
新八は、手紙を取り出す。
薄い和紙に触れた指先に、四十余年前の風がそっと吹き返してくる。
「よいか、勇太。これは、わしだけのもんではない。
そなたにも聞く資格がある。……覚悟はええな?」
「……はい」
新八は頷き、手紙をひらりと開いた。
障子を揺らす風のざわめきだけが、時をひたひたと進めていく。
永倉新八は、ゆっくりと読み始めた。
「——“新八、おぬしはいつも、強い風に吹かれながらも踏みとどまる男であった”」
その言葉に、勇太がそっと顔を上げる。
新八は目尻をゆるめた。
「そうじゃ。局長はのう……いつも、こんな調子で人をまっすぐ見とった」
再び手紙へ視線を落とす。
「——“若き日の池田屋、斬り込みの刹那、誰よりも早く駆けるおぬしの背を誇らしく見ていた”」
勇太はごくりと喉を鳴らす。
「池田屋……あのとき、祖父は……?」
「恐ろしく静かじゃったぞ。嵐の前の水面みたいにの」
新八の瞳に、若き刀の光がよみがえる。
そして読み進める。
「——“新八。土方と総司を頼む。”
“わしらの志は折れておらぬ。それぞれの場所で守りぬけば、それでよし。”」
勇太は、拳をぎゅっと結んだ。
「……祖父は、死ぬ間際でも、皆さんのことを……」
「ああ。最後まで仲間のことしか考えとらんかった。
己が死ぬことよりも、わしらがどう生きるかを案じとった」
新八は、読み上げながらも胸の奥がじんわり痛む。
だが声色は、老人の弱りではなく、剣士の張りを帯びていた。
◆読み終えたあと
手紙を読み切ると、部屋はしばし静寂に包まれた。
勇太は顔を上げ、涙で光る瞳のまま言った。
「……祖父は、強かったんですね」
「強い、だけでは表せん。
優しくて、馬鹿みたいに真っすぐで……人に頼ることが下手でな」
新八は笑った。
ほんの少し、鼻の頭をこする仕草まで昔と変わらぬ。
だが次の瞬間、笑みがふっと薄れた。
「勇太。おぬし、この手紙をどう思う」
勇太は迷わず言った。
「受け継ぎたいです。祖父の……その想いを」
新八は深く頷き——
すっと木刀を手に取った。
「ならば立て。勇太」
「え……?」
「今から教えてやる。
近藤勇がわしに託した“道”というやつをな。」
勇太の目が、大人になる瞬間の強さで輝いた。
文久・慶応の歳月 尽きんとする前夜
板橋宿にて
永倉新八殿
拙者、明日にはこの身、幕吏の手により最期を迎える運びと相成った。
筆を取る手は静かなれど、胸中には数々の思い、風のように巡って止まず。
新八——
おぬしはいつも、強い風に吹かれながらも踏みとどまる男であった。
池田屋の刻、斬り込みの刹那、誰よりも早く駆けるおぬしの背を、拙者は誇らしく見ていた。
あの夜より後、幾つの坂を登り、幾つの別れを越えてきたことか。
土方の剛気、総司の柔らかな剣、そしておぬしの粘り強き胆力。
それらに支えられ、拙者は“局長近藤勇”でいられた。
しかし、もはや剣を取る縁は尽き申した。
拙者が案ずるは、
この先も、おぬしらが己が道を失わぬかどうか、それのみである。
新八。
もしも土方が北の地にて踏ん張っておるなら、どうか伝えてくれ。
「われらの志、いまをもって折れたわけではなし。
それぞれの場所にて守りぬけば、それでよし。」
総司には……
そっと笑ってやってほしい。
あやつは、苦しいほどの優しさを抱えたまま逝ったゆえ、
せめて拙者の旅立ちは、軽く見送ってくれればそれで足る。
新八よ。
そなたには、そなたの剣がある。
拙者の後を追うな。
ただ、己が信じたまま生きよ。
これより先、世がどのように移ろおうとも、
拙者らが掴もうとした「武士の志」は、そなたらが胸に抱く限り、消えることはない。
最後に。
そなたと肩を並べた日々、誠にありがたかった。
死の間際に思い出す顔が、そなたであることを恥じはせぬ。
——さらばだ、新八。
そなたの未来に、風の止むことなからんことを。
近藤勇
(板橋にて)
寺子屋の一隅。
夕陽が障子越しに淡い橙を落とし、畳の目を静かに照らしていた。
永倉新八は、膝の上に文箱を置き、ゆっくりと蓋をあけた。
その動作ひとつとっても、老いというよりは“覚悟”のような静けさがにじむ。
向かいには、木刀を抱いたまま正座する少年——
近藤勇の孫・勇太。
「……先生、ほんとうに祖父の手紙が?」
「うむ。処刑の前日、おぬしの祖父——近藤局長がわしに宛てて書きおくったものじゃ」
勇太が息をのむ。
その小さな手が木刀を握りしめ、わずかに震えた。
新八は、手紙を取り出す。
薄い和紙に触れた指先に、四十余年前の風がそっと吹き返してくる。
「よいか、勇太。これは、わしだけのもんではない。
そなたにも聞く資格がある。……覚悟はええな?」
「……はい」
新八は頷き、手紙をひらりと開いた。
障子を揺らす風のざわめきだけが、時をひたひたと進めていく。
永倉新八は、ゆっくりと読み始めた。
「——“新八、おぬしはいつも、強い風に吹かれながらも踏みとどまる男であった”」
その言葉に、勇太がそっと顔を上げる。
新八は目尻をゆるめた。
「そうじゃ。局長はのう……いつも、こんな調子で人をまっすぐ見とった」
再び手紙へ視線を落とす。
「——“若き日の池田屋、斬り込みの刹那、誰よりも早く駆けるおぬしの背を誇らしく見ていた”」
勇太はごくりと喉を鳴らす。
「池田屋……あのとき、祖父は……?」
「恐ろしく静かじゃったぞ。嵐の前の水面みたいにの」
新八の瞳に、若き刀の光がよみがえる。
そして読み進める。
「——“新八。土方と総司を頼む。”
“わしらの志は折れておらぬ。それぞれの場所で守りぬけば、それでよし。”」
勇太は、拳をぎゅっと結んだ。
「……祖父は、死ぬ間際でも、皆さんのことを……」
「ああ。最後まで仲間のことしか考えとらんかった。
己が死ぬことよりも、わしらがどう生きるかを案じとった」
新八は、読み上げながらも胸の奥がじんわり痛む。
だが声色は、老人の弱りではなく、剣士の張りを帯びていた。
◆読み終えたあと
手紙を読み切ると、部屋はしばし静寂に包まれた。
勇太は顔を上げ、涙で光る瞳のまま言った。
「……祖父は、強かったんですね」
「強い、だけでは表せん。
優しくて、馬鹿みたいに真っすぐで……人に頼ることが下手でな」
新八は笑った。
ほんの少し、鼻の頭をこする仕草まで昔と変わらぬ。
だが次の瞬間、笑みがふっと薄れた。
「勇太。おぬし、この手紙をどう思う」
勇太は迷わず言った。
「受け継ぎたいです。祖父の……その想いを」
新八は深く頷き——
すっと木刀を手に取った。
「ならば立て。勇太」
「え……?」
「今から教えてやる。
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勇太の目が、大人になる瞬間の強さで輝いた。
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