空想時代小説 晩年 永倉新八物語

新雪小太郎

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剣の心得とは

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剣の心
勇太が立ち上がると、永倉新八は木刀を握り、ゆっくりと正面に構えた。
老いたとは言え、その姿には
剣士としての“芯”がまだ真っ直ぐに通っている。
「勇太。
剣の“形”は、見りゃ覚えられる。
じゃが——“心”は、そうはいかん」
新八は畳を一歩踏みしめた。
足音が、静かな寺子屋の空気に深く響く。
「まず教えたいのは、力の入れ方じゃない。
……力の抜き方じゃ」
勇太は目を瞬いた。
「抜く……んですか?」
「うむ。
わしらは若い頃、力むばかりでな。
土方などは剣を持つたび、薪割りでもするんかというほど力んどった」
思わず勇太が笑い、新八も口元を緩める。
「じゃが局長は言うとった。
『力むな。力を入れるのは“決める一瞬だけ”でよい』とな」
新八は木刀を肩に乗せるように軽く構えた。
「ほれ、こうじゃ。
風が吹けば自然と揺れるほどがちょうどええ。
剣を“運ぶ”んじゃなく、剣に“運ばせる”。
その境地に至ってこそ、初めて武士の剣になる」
勇太は真剣に耳を澄ませる。
◆近藤勇が語った“剣の核心”
新八はふと目を閉じた。
昔の声が、耳の奥でそっと蘇る。
——“剣は相手を斬るためだけのものではない”
——“迷いを断ち、己を支えるための柱だ”
——“柱が折れれば人はぐらつく。
 だから剣を学ぶ者は、まず己の心を立てよ”
新八は目を開け、静かに勇太へ向き直る。
「……局長はのう、こうも言うとった」
「え?」
「『剣は“恐れ”を抱えたまま握れ。
 恐れを知らぬ剣は、驕りとなって人を誤らせる』とな」
勇太の胸に、何かがすとんと落ちる。
「祖父は、恐れがあったんですか……?」
「当然じゃ。
あの池田屋の夜も、局長は“怖い”と言うとった」
勇太の目が大きくなる。
「でも——
“怖いからこそ、一歩前へ出る。その一歩こそ剣の心だ”
とも言うとった」
新八の声には、積み重ねた年月の重みがあった。
◆永倉、新たな“伝授”へ
新八は木刀を持ち直し、軽く勇太へ向けた。
「勇太。
局長からわしへ受け継ぎ、
わしがこの歳まで守ってきた剣の心——
今度は、おぬしが受け取る番じゃ」
勇太はきゅっと唇を結び、木刀を構える。
「はい……!
お願いします、先生!」
「うむ。
ではまず、踏み込みの心からじゃ」
新八は足を半歩滑らせた。
しかし——
ズルッ
畳につまづきかける。
が、永倉新八は踏みとどまった。
腰が沈み、木刀はぶれず、見事に姿勢を保つ。
勇太が驚く。
「す、すごい……!」
新八は涼しい顔で言った。
「これが“踏みとどまる心”じゃ。
池田屋の前も、こんな感じじゃった」
「そんなわけないでしょう!」
二人の笑い声が、寺子屋にやわらかく広がった。
しかしその奥底には、
静かで揺るぎない“剣の灯”が息づいていた。


◆剣の教え
永倉新八は、勇太の構えをひと目見て、静かに頷いた。
「よし、勇太。
踏み込みの心は悪くない。
次は……“剣の教え”そのものを伝えるときじゃ」
勇太は息をのみ、背筋を伸ばす。
新八は畳に木刀の切っ先を軽く落とし、まるで古い記憶を呼び出すように目を閉じた。
◆教えその一:己を斬る心
「剣とはな、まず——
己を斬る道具じゃ。」
「えっ……?」
勇太が思わず声を出す。
「もちろん肉を斬るんやないぞ。
己の“迷い”と“慢心”を断つんじゃ。
これを怠る者は、剣を握る資格がない」
新八は木刀を自らの胸元へ添えた。
「局長はよう言っとった。
“敵よりまず、己の弱さと勝負せよ”とな」
勇太は深く頷き、木刀を胸に当て、同じようにしてみた。
◆教えその二:助ける剣
新八は静かに続けた。
「次に覚えよ。
剣は人を助けるために握るものじゃ。」
「助ける……ため?」
「そうじゃ。
池田屋でわしらが馳せ向かったのも、
京都を混乱させる企みを止めるため。
ただ斬りたいから行ったのではない」
勇太が目を伏せ、そっと言う。
「祖父は……人を守るために剣を抜いたんですね」
「そうじゃ。
局長ほど、人のために剣を抜く者はおらんかった」
新八の声は静かだが、胸奥に深い熱を秘めていた。
◆教えその三:斬らぬための剣
新八は木刀を鞘に納める動作を真似た。
「そして三つ目……もっとも大事な教えじゃ。
“斬らぬための剣”を持て。」
勇太が息を呑む。
「斬るのは、最後の最後。
話せるなら話せ。
避けられるなら避けよ。
……それを貫くのが、本当に強い者よ」
新八は遠くを見るように目を細めた。
「局長は最期まで、無用な斬り合いを嫌うお人じゃった。
わしらは荒くれに見えるかもしれんがな……
心はいつも、誰より静かじゃったよ」
◆勇太の心に灯るもの
勇太は木刀を握り直した。
子どもの手つきではない。
責任の重さを感じ始めた武者の顔つきだった。
「……先生。
ぼく、祖父の教え……ぜんぶ覚えます。
そしていつか——ぼくの剣で、人を守れるようになりたい!」
永倉新八はふっと笑う。
「よし。
ならば最後に、剣の教えをもうひとつだけ授けよう」
「まだあるんですか!?」
「あるとも。
これは局長も土方も沖田も、皆が守った教えじゃ」
新八は木刀を軽く掲げ、勇太を見つめた。
「それはな……
“どんな時でも、足を滑らせても、決してあきらめぬこと”じゃ」
その言葉と同時に——
ズルッ
また足を滑らせかける永倉新八。
しかし、踏みとどまる。
腰を沈め、ぴたりと姿勢を戻す。
勇太が叫ぶ。
「先生、絶対わざとですよね!?」
新八は涼しい顔で言う。
「これが武士の業(わざ)じゃ」
二人の笑い声が道場に響いた。
その笑いの奥で、
近藤勇の“剣の心”は確かに次の世へ灯っていた
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