空想時代小説 晩年 永倉新八物語

新雪小太郎

文字の大きさ
12 / 37

稽古のあとの帰り道

しおりを挟む
夕暮れの空は茜色に染まり、永倉新八と近藤家の若者・勇吾は、道場からの坂道を並んで歩いていた。
遠くからは豆腐屋のラッパが聞こえ、風が暖簾を揺らして通りすぎる。
新八は腰を伸ばし、肩をぐるりと回した。
新八「……むぅ。歳を取ると、肩はすぐ機嫌を損ねよる。さっき踏ん張ったときも“プチッ”と鳴いたわ。わしの骨も戦の合図を出すようになったか。」
勇吾「永倉先生、稽古のときあんなに跳んだり滑ったりして大丈夫なのですか?
最後の“滑り受け流し”なんか、もう身体が宙に……」
新八「あれはわざとじゃ。……わざと、じゃ。たぶん、わざとじゃ。」
勇吾が笑うと、新八もつられて口元をゆるめた。
夕焼けの光に照らされた新八の横顔には、深い皺が刻まれている。
しかし、その眼だけは若い頃と変わらぬ鋭さを宿していた。
■道すがらの哀愁
ふと、新八が足を止める。
道脇に古い石橋、その下を小川が流れていた。
新八「……勇吾。さきほど読ませた手紙のこと、どう思うた?」
勇吾「胸に突き刺さりました。
あれが……近藤総司令が最後の夜に記したものなのですね。」
新八「ああ。あの夜の空は、今日みたいに赤かった。
まるで、空が“覚悟”を染めちょったようじゃった。」
新八の足はしばらく動かない。
勇吾はそっと隣に立った。
勇吾「永倉先生……」
新八「わしはな、勇吾。
剣の道が人を斬るためだけのものやとは、とうに思うとらん。
総司(そうじ)も藤堂も、沖田も……
あやつらはいつも、誰かの“明日”のために刃を抜いたんじゃ。」
風が吹き、川面がさざめいた。
新八「だから、おぬしに伝えたいのは“構え”や“型”やない。
剣を抜く前に、
『なぜ抜くのか』
『抜かぬためには何ができるか』
それを知っとる武士が一番つよい。」
■少し笑いを添えて
勇吾はうなずきつつも、ふいに首を傾げた。
勇吾「でも……今日の稽古、先生、かなり抜いてませんでしたか?」
新八はムッとして腕を組む。
新八「わしは抜いとらん。
ただ、たまに膝が勝手に“帰宅”するだけじゃ。
ほれ、年寄りの膝は自由人での。」
勇吾「……その“自由人”の膝、さっき僕の木刀かわしていきましたよ。」
新八「おお、それは反射じゃ!
武士の本能がまだ生きとる証よ。
……どっちが本能でどっちが膝の勝手かわからんが。」
ふたりの笑い声が、夕暮れの坂道に響いた。




やがて家々の灯がともりはじめる。
新八「勇吾、また来い。
近藤の血が、おぬしの胸にしっかり流れちょる。
わしが教えるのは剣やなく……“生き方”のほうじゃがな。」
勇吾「はい、先生。
僕も必ず……強くなります。誰かを守れる剣士に。」
新八は「うむ」と短く返し、夕暮れの道を再び歩きだした。
その背中は、老いてなおまっすぐで、
どこか哀しく、どこか温かかった。


爺様の独り言

その夜。
稽古を終え、勇吾と別れ、我が家の障子を閉めると——
急に静けさが押し寄せた。
灯明の揺れだけが、齢八十近い身の影を畳に落とす。
新八は床几に腰をおろし、そっと膝をさすった。
「……むう、今日はよう動いたわ」
膝がゴキリ、と応えた。
どうやら反省しているらしい。
「わしの膝も、昔はもう少し義理堅かったもんじゃがのう。
いまじゃ、主より先に帰宅を考えよる」
小さく笑う。
笑えば、胸の奥の寂しさが少しだけ和らぐ。
灯明に照らされた壁に、ふと昔日の影がよぎった。
若き近藤勇の立ち姿——
池田屋の縁側で汗を拭う沖田の横顔——
藤堂の、悪戯な笑み。
「……皆、早く逝きおって」
声に出すと、胸が重くなった。
「わしだけが、こんな長生きをしてしもうてな」
そう言いながらも、後悔ではない。
老いてなお生き延びたことには、きっと意味がある。
それを今日、勇吾の目の奥に見た気がした。
新八は、机の引き出しから一通の包みを取り出した。
近藤が処刑前夜に記した、あの手紙。
震える指で封をなぞる。
「勇……。
おぬしは立派な主将じゃった。
わしらを導き、背を預けられる漢じゃった……」
言葉はそこで途切れた。
灯明が揺れ、影がまた大きくなった。
しばらく沈黙ののち、彼はぽつりとつぶやいた。
「勇吾は……おぬしに似とる。
まっすぐで、うそがない。
剣を抜く時よりも、抜かぬよう踏ん張る心がある」
新八の頬に、ふいに温かいものが伝った。
涙か、ただの老いの湿気か、もはや判別もつかない。
やがて、新八は手紙をそっと包みに戻した。
そして、膝をさすりながら立ち上がる。
「……明日も稽古じゃのう。
あやつの前では、なるべく転ばんよう……せめて“転びそうで踏みとどまる”ぐらいは見せんと」
最後に、灯をふっと吹き消した。
闇の中、新八は小さく笑った。
「長生きも……悪いもんじゃない」
そう呟く声だけが、静かな座敷に残った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

処理中です...