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『翼とヒナゲシと赤き心臓』9
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9
「仁!」
レベッカはカードキーを投げた。
「扉をロックして、今すぐに!」
少年が走る。足音はもうすぐそこまで近付いている。
カードキーをスライドさせ、赤いボタンを押す。部屋の扉が閉ざされていく。その隙間に組織の黒服の姿を見た時、扉は完全に閉まり切り、ロックされた。
「どうするの!?」
「ここの保管庫はマスターキーと同じレベルの鍵がないと開けられない。奴等が鍵を持って来る前に逃げないと」
「どうやって」
「仁、薬品棚の中身を全部出して。人一人、入れられるくらいに」
「……わかった」
仁は何かを察したようだった。棚の扉を開け、中身を次々と外へ出していく。
「……ぶ。……とぶ」
「え?」
不意にトビの右手がレベッカの腕を掴んだ。鳶のアシユビ。力は入っていないが、精一杯握り締めている。
「……俺は、死ぬのか」
切れ切れに、トビが言った。
「貴方は死なない。体内のモンストロが動けば、こんな傷すぐに」
「死にたくねえ」
聞こえているのかいないのか、トビは声を出す。
「さっきまで、死にたかった。でも、今は怖え。死ぬのが、すげえ怖い。ろくでもねえ。冗談じゃねえ」
「……すぐにストーンを動かすから」
小火竜を取り出す。グリップのレバーを操作し、出力を最低に。服のボタンを外してストーンを埋め込んだ胸元に宛がう。
「俺は、飛ぶんだ」
トビが言った。確かな意思を込めて。
「このろくでもねえ状況から、飛ぶんだ」
「勿論。絶対に、そう出来る」
引き金を引いた。トビの呻き声が上がる。電流が皮膚の下のストーンへと流れ込む。
ばちり、と緑の電流が、傷の辺りで弾けた。
「終わったよ!」
仁が叫ぶ。棚の中は綺麗に空になっていた。余計なパーツも取られ、人一人余裕を持って入れられる空間が空いている。レベッカは頷き、棚の横にある電子パネルを操作した。緊急搬出。コンテナ装填。
棚の裏側で機械が作動し始めた。いざという時、薬品を運び出せるように用意された空のコンテナが、コンベヤーの上にセットされた。
「仁。彼を運び込んで」
「入るの?」
「ええ。急いで」
二人でトビを抱え、奥のコンテナに体を折り曲げて入れる。少し窮屈かもしれないが我慢してもらうしかない。
「仁、貴方も入って」
「え?」
「貴方とトビならちょうど入れる。行き先を一階の運搬口に設定しておくから、そこから逃げて」
「お姉さんはどうするんだよ!」
「私は探偵を脱出させる。さあ急いで!」
強引に仁を棚の奥へと押し込む。コンテナの中に入ったのを確認して、搬出を開始させる。コンテナの蓋が閉まり、コンベヤーが動き出す。
大砲のような衝撃が、保管庫の扉を襲ったのはその時だ。
瘤のように扉の中心部分が盛り上がっていた。鍵を待たず強引に破りに来たか。レベッカは気絶している痩身の男に近付き、その手からショットガンを取り上げた。撃った事はないが、撃ち方の知識はある。
二度目の衝撃。保管庫全体が震えている。扉に大きな亀裂が入った。おそらく、次の一撃には耐えられないだろう。ジェラルミンケースを資料棚のほうへ滑らせ、手近にあった道具を掴み、資料棚へと走る――アンプルを折る。間に合うかどうか。
次の瞬間、三度目の衝撃が、鉄壁の扉を突き破った。
「ふー」
のそり、と影が入ってきた。大きな頭部、筋肉が膨れ上がった腕。全身を取り巻く緑色電光。鰐だ。鰐のフュージョナー。その姿が目に入った瞬間、レベッカはショットガンの引き金を引いた。
到底、耐えられる衝撃ではない。だが、背を張り付けた資料棚が安定を保った。散らばった散弾が鰐へと着弾する。衝撃に震える体に鞭打って、レベッカは素早く右手を動かし、小火竜の銃把を握り流れるままに引き金を引いた。空間を走った電撃が標的を捉えた瞬間、畳みかけられた敵が血を吐くような声を上げた。
ショットガンを捨て、ジェラルミンケースを掴み駆けた。駆けて逃げるしかない。無残に開いた扉を通り、まだ状況を掴めていない黒服どもの脇をすり抜け、一拍置いてレベッカに気付いた彼らの声に後ろ手に電撃を放つ。エレベーターだ。そこまで行けば、地下二階まで一気に行ける。
「待てよ、センセイ」
むずりと、有無を言わさぬ強い力が、レベッカの衣服の背を掴み上げた。
「っ!?」
足元が浮遊感に襲われる。反射的に小火竜の銃口を向けた瞬間、固い鱗のような感触が乱暴にレベッカの手を弾いた。ジェラルミンケースの取っ手を握る指がすべり、ケースが足元へと落ちる。
「効かねえよ。俺はモンストロを完璧に使いこなした。あんたのお得意の電撃はシャワーみたいなもんだ。ショットガンの弾もな」
襟を掴まれたまま、レベッカは強く壁に押し付けられた。
鰐男の得意気な顔が、目の前にあった。
「スガロ……」
「その節は世話になったな、センセイ。おかげさまでどうだ。今や俺はそこらのフュージョナーを完全に〝超越〟した」
ばちり、と緑電がスガロの体から迸る。なるほど、確かにモンストロストーンのコントロールには成功したらしい。だが、それだけだ。
「超越ですって?」
ライムントの片腕の頃の経験が、男の見当違いな言葉に反応して、レベッカの中から冷笑を引き出した。
「馬鹿言わないで。貴方はまだ獣人態を操り始めたばかり。ライムントや白王が望むレベルには到底達していないわ」
「その白王だって、今に俺が身の程を教えてやる。たかがネコのガキに、化けモンになった俺が負けるわけがねえ」
鋭い歯が並んだ口が、そっと耳元に近付く。
「綺麗な顔だな、センセイ。手術してもらった時からずうっと綺麗だと思ってた。白王は逃げるなら殺せって言ってたが、なあ……」
尖った爪の先が、レベッカの頬に触れた。男の笑みとともに顎のラインをなぞっていく。怖気が背筋を這う。
「俺ならあんたを助けてやれる。こんな状況だ。バレやしねえよ」
「スガロ、何をしている!」
黒服の一人が叫んだ。
「その女を始末しろ! 反逆者は結社には不要だ!」
「……うるせえよ」
スガロが無造作に腕を振った。その腕に無数の電流が発生しているのが見えた。
さながら連続する落雷だった。スガロの腕から迸った無数の緑電が、廊下にいた黒服四名の体に瞬く間に降り注いだ。声を上げる事すらなかった。強力な電流に晒された人間達は、そのまま床へと倒れ伏した。
肉の焦げる臭いがした。
「ちっと疲れるんだがな、こんな事まで出来るようになったんだ。もう銃もいらねえや」
下卑た笑みを浮かべて、スガロがこちらへ顔を戻した――瞬間、レベッカは全霊を懸けて、その首筋へ飛び込んだ。忍ばせた注射器の針を皮膚へと突き立て、薬品を体内へと送り込む。
「……確かに、すごいわ。モンストロストーンが生み出す生体電流を増幅させて放つなんてね。でも、それだけ」
その耳元で囁くと、注射器を引き抜きスガロの巨躯を蹴り飛ばし、レベッカは拘束から逃れた。いや、もうスガロには力を保つ余裕はない。
「組織変異を強制的に停止させる、モンストロ被験者用の鎮静剤。死にはしないけど、二、三日はまともに動けないから」
スガロの返答はない。骨格の変化が始まり、元の姿――生まれた時の姿へと戻っていく。
小火竜を拾い、レベッカは先を急いだ。探偵を探さなければならなかった。
警報が鳴り響いている。しかし、それは今の戦闘に関係ない。
まるで、他の誰かに体を明け渡したかのような、しかし自分の意識も確実に存在する中で、叉反は攻撃を繰り出していた。背負った二挺の銃はもはやない。武器は己の体のみ。
だが、相手に叩き込む拳の威力は、明らかに銃弾の比ではなかった。
人型と化した黒犬の胸板に拳がめり込んだ刹那、その衝撃に耐えられないまま相手の体は宙を舞うが如く飛び、壁にその体の跡を残すほど叩き付けられる。
それを見ても、不思議と感情は湧かない。鉄の意志。一切の感情が消え去ったような感覚。何一つ、心が波立つ事はない。
赤い熱が、体中を駆け巡っている。
「……一体、何が起きやがった」
黒犬の口が動いた。まだ息がある。
加速とともに放った跳び蹴りが、壁を破壊して犬の男を廊下に転がした。満身創痍。肉体の再生に際して、体中で緑の電流が発生している。
「……冗談じゃ、ねえ!」
男の体が四足獣へと変じる。完全に叉反に背を向け、一目散に走り去る。
何処へ逃げようというのか。
一歩一歩、叉反の体は進んでいく。……いや、進むのは俺の意志だ。心は、体から離れてはいない。俺が奴を追っている。奴の息遣いを感じ、気配を感じ、一歩一歩近付いている。
奴を、仕留めるために……。
暗い廊下を進んでいくと、やがて叉反は開け放たれた扉を見つけた。
先に見えたのは複雑に入り組んだ、広い空間だった。多く機械、装置があり、そのほとんどが小型の家屋ほどの大きさだ。どうやら、清掃工場の根幹――処理装置に当たる区画らしい。
静まり返った区画の中、叉反は柵に仕切られた、一本道の狭い通路に足を踏み入れた。
物音はしない。だが、強烈なまでに冴え渡った勘が獲物はここにいると確信していた。あの犬はこのどこかで、息を潜めている。
ばちり、と今や聞き慣れた音が響いた。道の先だ。
破砕機から続くコンベヤーを辿って、見えてきたのは切り立った崖だった。砕かれたゴミはコンベヤーで運ばれ、やがてその崖の下に落ちる。崖下はつまり、ゴミ置き場だった。そしてその淵の近くで、奴は傷を癒していた。あと一歩踏み出せば、その体を踏み潰せる位置にまで叉反は近付いていった。
「来やがったか……探偵」
苦しげな息遣いの中、黒犬が言った。叉反は淡々と、事実だけを返した。
「お前もこれで終わりだ」
弱り切った体のはずの犬が、叉反の言葉に笑みを浮かべる。
「何があったか知らねえが、さっきまでと随分態度が違うな。それがお前の本性ってわけか」
「何?」
「惚けんなよ。お前は暴力を楽しんでるんだ。この俺を好き放題打ちのめして、挙句には殺したいって思ってんのさ」
「何を言っている……」
――何を怯えている? 叉反は自問した。自分はこの男を殺しにきたのではなかったのか?
違う。俺は、俺は人殺しをしようとしているんじゃない。必要なのは状況の打破だ。暴力も武力も全てはそのためだ。
本当か? 叉反は自分の耳でその問いを聞いた。
赤い獅子が見えた。翼の生えた獅子。刃のような歯をぎらつかせ、蠢く舌が叉反に問うた。
――俺達はこいつを殺しにきたんじゃないのか?
「俺は……」
体の奥から発されていた熱が引いていく。周りの音や気配がリアルに聞こえ、ようやく自分の血が通い出した錯覚さえ覚えて、目が眩む。
「隙だらけだな」
黒い影が動く。反応が遅れた。飛び込んできた黒犬の爪が深く身を抉る。体がくの字に折れる。続く背後からの二撃。背中を抉られ、ふらつきながらも振り返り、構えを取ろうとした瞬間、人型に戻った黒犬の、膨れ上がった巨腕が拳を握って放たれた。
躱せるはずがなかった。
強い衝撃が体を宙へ運ぶ。浮遊感は一瞬だけ。すぐさま体は下方へと落下する。
ゴミの山に穴が空いた。体を強く打ったせいで、意識さえ混濁している。
「逆転だ。この間の借りは返したぜ」
男の声が聞こえた。最低限しかついていなかった電灯が、大きく光り始める。遠くで、機械の駆動音がした。
ゴミ山が震えている。地面が動き始めた。ゴミ置き場の床が次第に傾いているのがわかる。
床が傾く下方に扉があった。大きな鋼鉄製の扉だ。それが音を立てて開いていく。その隙間から、熱が漏れていた。
赤い炎が見える。さっき見た幻覚めいたものじゃない。本物の炎。
焼却炉だ。
「あばよ探偵。安心しろ、一瞬で骨も残りゃしねえ」
勝ち誇ったかのような男の声が響く中、燃え盛る炎を持つ口は、ゆっくりと叉反を飲み込もうとしていた。
「仁!」
レベッカはカードキーを投げた。
「扉をロックして、今すぐに!」
少年が走る。足音はもうすぐそこまで近付いている。
カードキーをスライドさせ、赤いボタンを押す。部屋の扉が閉ざされていく。その隙間に組織の黒服の姿を見た時、扉は完全に閉まり切り、ロックされた。
「どうするの!?」
「ここの保管庫はマスターキーと同じレベルの鍵がないと開けられない。奴等が鍵を持って来る前に逃げないと」
「どうやって」
「仁、薬品棚の中身を全部出して。人一人、入れられるくらいに」
「……わかった」
仁は何かを察したようだった。棚の扉を開け、中身を次々と外へ出していく。
「……ぶ。……とぶ」
「え?」
不意にトビの右手がレベッカの腕を掴んだ。鳶のアシユビ。力は入っていないが、精一杯握り締めている。
「……俺は、死ぬのか」
切れ切れに、トビが言った。
「貴方は死なない。体内のモンストロが動けば、こんな傷すぐに」
「死にたくねえ」
聞こえているのかいないのか、トビは声を出す。
「さっきまで、死にたかった。でも、今は怖え。死ぬのが、すげえ怖い。ろくでもねえ。冗談じゃねえ」
「……すぐにストーンを動かすから」
小火竜を取り出す。グリップのレバーを操作し、出力を最低に。服のボタンを外してストーンを埋め込んだ胸元に宛がう。
「俺は、飛ぶんだ」
トビが言った。確かな意思を込めて。
「このろくでもねえ状況から、飛ぶんだ」
「勿論。絶対に、そう出来る」
引き金を引いた。トビの呻き声が上がる。電流が皮膚の下のストーンへと流れ込む。
ばちり、と緑の電流が、傷の辺りで弾けた。
「終わったよ!」
仁が叫ぶ。棚の中は綺麗に空になっていた。余計なパーツも取られ、人一人余裕を持って入れられる空間が空いている。レベッカは頷き、棚の横にある電子パネルを操作した。緊急搬出。コンテナ装填。
棚の裏側で機械が作動し始めた。いざという時、薬品を運び出せるように用意された空のコンテナが、コンベヤーの上にセットされた。
「仁。彼を運び込んで」
「入るの?」
「ええ。急いで」
二人でトビを抱え、奥のコンテナに体を折り曲げて入れる。少し窮屈かもしれないが我慢してもらうしかない。
「仁、貴方も入って」
「え?」
「貴方とトビならちょうど入れる。行き先を一階の運搬口に設定しておくから、そこから逃げて」
「お姉さんはどうするんだよ!」
「私は探偵を脱出させる。さあ急いで!」
強引に仁を棚の奥へと押し込む。コンテナの中に入ったのを確認して、搬出を開始させる。コンテナの蓋が閉まり、コンベヤーが動き出す。
大砲のような衝撃が、保管庫の扉を襲ったのはその時だ。
瘤のように扉の中心部分が盛り上がっていた。鍵を待たず強引に破りに来たか。レベッカは気絶している痩身の男に近付き、その手からショットガンを取り上げた。撃った事はないが、撃ち方の知識はある。
二度目の衝撃。保管庫全体が震えている。扉に大きな亀裂が入った。おそらく、次の一撃には耐えられないだろう。ジェラルミンケースを資料棚のほうへ滑らせ、手近にあった道具を掴み、資料棚へと走る――アンプルを折る。間に合うかどうか。
次の瞬間、三度目の衝撃が、鉄壁の扉を突き破った。
「ふー」
のそり、と影が入ってきた。大きな頭部、筋肉が膨れ上がった腕。全身を取り巻く緑色電光。鰐だ。鰐のフュージョナー。その姿が目に入った瞬間、レベッカはショットガンの引き金を引いた。
到底、耐えられる衝撃ではない。だが、背を張り付けた資料棚が安定を保った。散らばった散弾が鰐へと着弾する。衝撃に震える体に鞭打って、レベッカは素早く右手を動かし、小火竜の銃把を握り流れるままに引き金を引いた。空間を走った電撃が標的を捉えた瞬間、畳みかけられた敵が血を吐くような声を上げた。
ショットガンを捨て、ジェラルミンケースを掴み駆けた。駆けて逃げるしかない。無残に開いた扉を通り、まだ状況を掴めていない黒服どもの脇をすり抜け、一拍置いてレベッカに気付いた彼らの声に後ろ手に電撃を放つ。エレベーターだ。そこまで行けば、地下二階まで一気に行ける。
「待てよ、センセイ」
むずりと、有無を言わさぬ強い力が、レベッカの衣服の背を掴み上げた。
「っ!?」
足元が浮遊感に襲われる。反射的に小火竜の銃口を向けた瞬間、固い鱗のような感触が乱暴にレベッカの手を弾いた。ジェラルミンケースの取っ手を握る指がすべり、ケースが足元へと落ちる。
「効かねえよ。俺はモンストロを完璧に使いこなした。あんたのお得意の電撃はシャワーみたいなもんだ。ショットガンの弾もな」
襟を掴まれたまま、レベッカは強く壁に押し付けられた。
鰐男の得意気な顔が、目の前にあった。
「スガロ……」
「その節は世話になったな、センセイ。おかげさまでどうだ。今や俺はそこらのフュージョナーを完全に〝超越〟した」
ばちり、と緑電がスガロの体から迸る。なるほど、確かにモンストロストーンのコントロールには成功したらしい。だが、それだけだ。
「超越ですって?」
ライムントの片腕の頃の経験が、男の見当違いな言葉に反応して、レベッカの中から冷笑を引き出した。
「馬鹿言わないで。貴方はまだ獣人態を操り始めたばかり。ライムントや白王が望むレベルには到底達していないわ」
「その白王だって、今に俺が身の程を教えてやる。たかがネコのガキに、化けモンになった俺が負けるわけがねえ」
鋭い歯が並んだ口が、そっと耳元に近付く。
「綺麗な顔だな、センセイ。手術してもらった時からずうっと綺麗だと思ってた。白王は逃げるなら殺せって言ってたが、なあ……」
尖った爪の先が、レベッカの頬に触れた。男の笑みとともに顎のラインをなぞっていく。怖気が背筋を這う。
「俺ならあんたを助けてやれる。こんな状況だ。バレやしねえよ」
「スガロ、何をしている!」
黒服の一人が叫んだ。
「その女を始末しろ! 反逆者は結社には不要だ!」
「……うるせえよ」
スガロが無造作に腕を振った。その腕に無数の電流が発生しているのが見えた。
さながら連続する落雷だった。スガロの腕から迸った無数の緑電が、廊下にいた黒服四名の体に瞬く間に降り注いだ。声を上げる事すらなかった。強力な電流に晒された人間達は、そのまま床へと倒れ伏した。
肉の焦げる臭いがした。
「ちっと疲れるんだがな、こんな事まで出来るようになったんだ。もう銃もいらねえや」
下卑た笑みを浮かべて、スガロがこちらへ顔を戻した――瞬間、レベッカは全霊を懸けて、その首筋へ飛び込んだ。忍ばせた注射器の針を皮膚へと突き立て、薬品を体内へと送り込む。
「……確かに、すごいわ。モンストロストーンが生み出す生体電流を増幅させて放つなんてね。でも、それだけ」
その耳元で囁くと、注射器を引き抜きスガロの巨躯を蹴り飛ばし、レベッカは拘束から逃れた。いや、もうスガロには力を保つ余裕はない。
「組織変異を強制的に停止させる、モンストロ被験者用の鎮静剤。死にはしないけど、二、三日はまともに動けないから」
スガロの返答はない。骨格の変化が始まり、元の姿――生まれた時の姿へと戻っていく。
小火竜を拾い、レベッカは先を急いだ。探偵を探さなければならなかった。
警報が鳴り響いている。しかし、それは今の戦闘に関係ない。
まるで、他の誰かに体を明け渡したかのような、しかし自分の意識も確実に存在する中で、叉反は攻撃を繰り出していた。背負った二挺の銃はもはやない。武器は己の体のみ。
だが、相手に叩き込む拳の威力は、明らかに銃弾の比ではなかった。
人型と化した黒犬の胸板に拳がめり込んだ刹那、その衝撃に耐えられないまま相手の体は宙を舞うが如く飛び、壁にその体の跡を残すほど叩き付けられる。
それを見ても、不思議と感情は湧かない。鉄の意志。一切の感情が消え去ったような感覚。何一つ、心が波立つ事はない。
赤い熱が、体中を駆け巡っている。
「……一体、何が起きやがった」
黒犬の口が動いた。まだ息がある。
加速とともに放った跳び蹴りが、壁を破壊して犬の男を廊下に転がした。満身創痍。肉体の再生に際して、体中で緑の電流が発生している。
「……冗談じゃ、ねえ!」
男の体が四足獣へと変じる。完全に叉反に背を向け、一目散に走り去る。
何処へ逃げようというのか。
一歩一歩、叉反の体は進んでいく。……いや、進むのは俺の意志だ。心は、体から離れてはいない。俺が奴を追っている。奴の息遣いを感じ、気配を感じ、一歩一歩近付いている。
奴を、仕留めるために……。
暗い廊下を進んでいくと、やがて叉反は開け放たれた扉を見つけた。
先に見えたのは複雑に入り組んだ、広い空間だった。多く機械、装置があり、そのほとんどが小型の家屋ほどの大きさだ。どうやら、清掃工場の根幹――処理装置に当たる区画らしい。
静まり返った区画の中、叉反は柵に仕切られた、一本道の狭い通路に足を踏み入れた。
物音はしない。だが、強烈なまでに冴え渡った勘が獲物はここにいると確信していた。あの犬はこのどこかで、息を潜めている。
ばちり、と今や聞き慣れた音が響いた。道の先だ。
破砕機から続くコンベヤーを辿って、見えてきたのは切り立った崖だった。砕かれたゴミはコンベヤーで運ばれ、やがてその崖の下に落ちる。崖下はつまり、ゴミ置き場だった。そしてその淵の近くで、奴は傷を癒していた。あと一歩踏み出せば、その体を踏み潰せる位置にまで叉反は近付いていった。
「来やがったか……探偵」
苦しげな息遣いの中、黒犬が言った。叉反は淡々と、事実だけを返した。
「お前もこれで終わりだ」
弱り切った体のはずの犬が、叉反の言葉に笑みを浮かべる。
「何があったか知らねえが、さっきまでと随分態度が違うな。それがお前の本性ってわけか」
「何?」
「惚けんなよ。お前は暴力を楽しんでるんだ。この俺を好き放題打ちのめして、挙句には殺したいって思ってんのさ」
「何を言っている……」
――何を怯えている? 叉反は自問した。自分はこの男を殺しにきたのではなかったのか?
違う。俺は、俺は人殺しをしようとしているんじゃない。必要なのは状況の打破だ。暴力も武力も全てはそのためだ。
本当か? 叉反は自分の耳でその問いを聞いた。
赤い獅子が見えた。翼の生えた獅子。刃のような歯をぎらつかせ、蠢く舌が叉反に問うた。
――俺達はこいつを殺しにきたんじゃないのか?
「俺は……」
体の奥から発されていた熱が引いていく。周りの音や気配がリアルに聞こえ、ようやく自分の血が通い出した錯覚さえ覚えて、目が眩む。
「隙だらけだな」
黒い影が動く。反応が遅れた。飛び込んできた黒犬の爪が深く身を抉る。体がくの字に折れる。続く背後からの二撃。背中を抉られ、ふらつきながらも振り返り、構えを取ろうとした瞬間、人型に戻った黒犬の、膨れ上がった巨腕が拳を握って放たれた。
躱せるはずがなかった。
強い衝撃が体を宙へ運ぶ。浮遊感は一瞬だけ。すぐさま体は下方へと落下する。
ゴミの山に穴が空いた。体を強く打ったせいで、意識さえ混濁している。
「逆転だ。この間の借りは返したぜ」
男の声が聞こえた。最低限しかついていなかった電灯が、大きく光り始める。遠くで、機械の駆動音がした。
ゴミ山が震えている。地面が動き始めた。ゴミ置き場の床が次第に傾いているのがわかる。
床が傾く下方に扉があった。大きな鋼鉄製の扉だ。それが音を立てて開いていく。その隙間から、熱が漏れていた。
赤い炎が見える。さっき見た幻覚めいたものじゃない。本物の炎。
焼却炉だ。
「あばよ探偵。安心しろ、一瞬で骨も残りゃしねえ」
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さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
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