探偵尾賀叉反『翼とヒナゲシと赤き心臓』

安田 景壹

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『翼とヒナゲシと赤き心臓』15

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15


 一、二秒の間を空けて、男が口を開いた。乾いた笑いが、暗がりに反響した。
「は、はは……冗談だろう。何で俺があんたに加勢しなけりゃならない」
「助っ人が要るの。探偵の元に辿り着くまで、戦いに慣れた人間が。貴方は組織の人間じゃないし、任された仕事は終えている。次は私に付いても何の問題もないでしょう?」
「理由になってねえな。俺が誰にでも尻尾を振ると思ってんのか? あんまり人を舐めているとろくな事にならないぜ、先生」
 挙げた掌が力に戦慄く。狙いは頭に定めてある。ここで退く必要はない。


「それによ、探偵が生きていると本気で思っていやがんのか。まさか、灰を拾いに洗浄槽まで行こうって?」
「生きている探偵を迎えに行くのよ。巻き込んでしまった罪を償うためにね。目的を果たすためならどんな手段でも使う。危険な相手でも、力になってもらう」
 犬の顔がわかりやすい笑みを浮かべた。男の感情が如実に現れている。乱れる様子もない。人間性が保てているのだ。体内のモンストロが一時的に鎮静化しているのだろう。
「気合いは十分だな。だが、すぐにでも殺せる相手に従う馬鹿はいねえ。俺がその気にならない内に消えな。今なら見逃してやる」


 本当に見逃すかどうかはわからない。相手が気紛れにこちらを襲う可能性は十分にあるのだ。何よりまだ、交渉を諦める気はない。
「……お金が必要なら」
「却下だ。馬鹿かお前。こんな姿になったんだ。金はたんまりと貰っている、今さら駄賃が要るかよ」
「……なら、その体を――」
「また妙なクスリをくれるってか。つくづく馬鹿だな。今度はあんたが俺で実験しようってか、先生?」
「進んでモンストロを使ったのは貴方でしょう!? 私は実験なんて……」
「事前によく聞かせてもらったぜ、組織であんたが何をしていたのか」
 男が手を下した。銃を持つ腕に痺れを感じてきた。緊張が解けて、恐ろしいものがレベッカを飲み込もうとしていた。過去という恐ろしいものが。


「あんたが実験で使った奴等も見た。ひでえもんだったぜ、あんたやライムントの玩具にされて、今じゃあいつら――」
「黙りなさい!!」
 叫んだのは、垣間見た記憶を消すためだった。ベッドの上に横たわる彼らは身動き一つしない。――いや、出来ないのだ。変わってしまったから。その体をモンストロに捧げたせいで。レベッカ・アンダーソンに関わったせいで。
「おお、怖い怖い。都合が悪くなったら俺も殺すのかよ、先生」
「私は、誰も殺していない……」
「殺したようなもんだろう。今のあいつらは組織に生かされている畜生だ。自分の意志なんてものはねえ。未来も見えやしねえんだ」
 男の言葉が、いやでも意識を過去へと誘う。投薬。施術。毎日、毎日。貴方達を治すためだと言って。彼らの信頼に応えるために。自分の目的を果たすために。


「あんたが造った試作品のモンストロのせいで、連中は今も元の姿に戻れねえ。俺も、もう人の事は言えなくなっちまった。なあ先生、あんた、探偵を助けてどうするつもりだ? あいつも様子がおかしかったが、まさか、あいつにも何かしたのか?」
 今さら問われるまでもない。
 ライムントは言った。かの探偵には以前から目をつけていたと。〝心臓〟をテストするにはうってつけの人材だ、と。
 ――名前を見てもぴったりじゃないか。私達の〝心臓〟に。
「なるほど。要するに懲りちゃいねえってわけだ。あんたは結局、人様の体を弄らなきゃ収まらない変態って事さ」
「……あんまり汚い言葉を聞かせないで欲しいわね。耳が汚れるわ」
「汚れてねえところがどこにあるってんだ先生。自分の手を見てみるんだな」
 埒が明かない。これ以上問答を続けている暇もない。味方に引き込めないのなら、無力化するしかない。
「……最後にもう一度だけ聞くわ。私の味方に――」
「なあ、先生。あんた、間違ってるぜ」


 後頭部を叩き割られるような、そんな痛みが、レベッカから意識を奪っていった。ジェラルミンケースが手を離れ、体が崩れ落ちていく。
「会った瞬間に俺を撃つべきだったんだ。追われているんならな」
 激痛に頭が耐え切れない。倒れ込んだのはわかるが、その感触は感じない。だが、頭上に影が差したのはわかった。犬男の影ではない。
「手間かけさせやがって。レベッカ」
 緑電を放つ黒服が、彼女を見下ろしていた。
「あ、なた……」
 まだかろうじて口が動く。


「しばらくそこでじっとしていろ。お前はすぐに殺してやる。その前に……」
 緑電迸る右手を掲げ、黒服が前を向いた。
「野犬狩りだ」
 犬の男が僅かに怯んだような間を空けて、口を開いた。
「どういう事だ? 組織はもう俺の事は放っておいてくれるんじゃねえのか?」
「ライムントはそうするつもりだったらしいがな。生憎とそれじゃ困るというお方もいるんだよ。で、俺達処理班の出番ってわけだ」
「処理班だと?」
「そうさ。悪いがお前はここで眠れ」
 言葉とともに緑電が弾けた。唸り声を上げた犬男が後ろへ跳び去るとともに、その形態を変化させる。


「ぶち殺してやるぜ、野良犬!」
 黒服が喚いた。レベッカは何とか体に力を入れる。二人はあっと言う間に奥へと進んでいく。電撃が弾け、黒犬が吠える。
 立ち上がった瞬間に、体がぐらつく。とても立ってはいられない。這うような格好でレベッカは入り口へと戻り、すぐ近くの壁に手をついた。
 見取り図が壁に貼られていた。良い事がひとつわかった。貯水槽へと続くエレベーターがこの壁沿いの先にある。
 深呼吸をし、何とか立ち上がりながらレベッカは歩き出した。急がなければならない。次に見つかれば今度こそ命はないだろう。
 混濁しそうになる意識を保ちながら、レベッカは歩いた。足元はおぼつかない。何とか進んではいるものの、目の前には闇が広がっている。
 徐々に意識が遠のいていくのを感じながら、レベッカはそれでも歩き続けた。

      ※

 ――花が咲いていた。立ち並ぶ木々についた幾万もの蕾が開き、白、薄紅、赤に近いものと鮮やかな色合いを様々に見せる――
「見て見て、ママのはな!」
 声がした。と、同時に指をさす。ああ、これは私の声だ。小さい頃、父と母と三人で見に行った、ワシントンの桜祭り。
「ふふ、そうねえ。綺麗ね、レベッカ」
 見上げた母が笑っていた。小さなレベッカにとって、母はとても大きな人だった。太陽の影に優しい母の笑顔がある。白金の髪の間から生えた桜も、周りと同じように花開いている。


 少し後ろを歩く父は何も言わない。でもレベッカ達のやり取りを聞いているのはわかる。父はそういう人だ。
 母の歩みはゆっくりで、レベッカも父もそれに合わせて歩いていく。
「ママ、足はだいじょうぶ?」
「大丈夫。レベッカは優しい子ね」
 母は足が悪かった。出かける時は杖が欠かせなかった。レベッカが足の事を心配すると、母は決まって、優しい子だと言ってくれた。
「あ、ワタアメ屋さーん」
「こら、走っちゃ駄目よ。レベッカ」
 母が笑って言う。愛情をかけられて育ったと思う。父も母も、レベッカの事を大切に育ててくれた。母の足が何故悪いのか、その原因はいくら小さなレベッカでもわかっていたが、それ以上悪くなると思った事はなかった。いや、仮に思い浮かべたとしても振り払ってきた。
 だって、こんな優しい人たちがこれ以上不幸になるとは、とても考えられなかった。
「――どけ、退けえ!」


 賑わう桜祭りの会場に相応しくない怒鳴り声が、不意に人ごみの中から聞こえてきた。人ごみがすぐに割れた。
 飛び出してきたのは男だった。フードを被っていて顔は見えない。何かに追われているかのように、こちらに向かって駆けてくる。
「レベッカ!!」
 父と母が叫んだ。その声が重なったのを聞きながら、目の前の男が銃を構えるのを見た。銃だ。弾が出て、体に当たればとてつもなく痛い。あの銃だ。
 ほとんど転ぶように母がレベッカの体を掴んだ瞬間、銃声が轟いた。


 一発だけじゃなかった。三発、四発は聞こえたと思う。一発はあらぬ方向へ飛び、一発は地面を削って、二発が母の体にたどり着いた。
 間を置いて、炸裂音のような何かが響き、フードを被った男が倒れた。父が構えていて銃のような物を下ろし、すぐさま母とレベッカの元へと駆け寄ってきた。
 悲鳴が聞こえてきた。どうやら騒ぎが広まっているらしい。だが、レベッカには朧な出来事だった。意識がそちらまで回らない。自分の上に崩れ落ちる母の重みだけが現実感を伴っている。力が抜けていく母の体。とても自分では、支えきれない。


「……ママ?」
 起き上がりながら、母に触れる。背中の辺り、抱きかかえるような格好になる。湿っていた。中指と人差し指が、違和感に触れた。
 手が、レベッカの手が濡れていた。この時の自分の手を、今でもはっきりと思い出せる。真っ赤に染まった右手。何て小さな手だろう。
「ぁあ」
 母の服に二つ穴が空いていた。どちらも色が変わっている。どんな絵具でも出せないような、気持ちの悪くなる赤。
「――……っあああ」
 吐き出すように漏れた声は、あっという間に絶叫に変わった。



 ――気が付くと、病室の中にいる――
 目の前のベッドで母が眠っている。寝ているだけだ。撃たれた傷も、今は塞がっている。
「回帰症です」
 淡々と、医者が言った。体を冷やさないようにかけられた布団を、医者はそっと持ち上げる。
 茶色い枝が見えた。レベッカの人差し指の何回りも太く、さらに細い枝がいくつか生えていた。細い枝のさらに先端から伸びた枝に、緑の蕾がいくつかついていた。
「傷口が再生するのに際し、さらに進行したようです。切り落とす事も出来ますが根を除去しない限りはまた生えてきます」


「では根を全て取り除けば……」
「残念ですが、傷口のみならず、全身に変化の兆候が見られます。今ある根を全て取り除いたとしても、次にまた発生しないという保証はありません」
 嫌な話を医者は淡々とした。父はしばらくの間押し黙った。レベッカの脳裏に浮かんだのは桜祭りの桜だ。鮮やかな赤、貝殻のような白、珊瑚の如き薄紅。風が吹いて、花びらが一斉に舞い散る。目の前を埋め尽くす桜吹雪の中へ、母の姿が消えていく。
 ――幸せは奪われる。何の前触れもなく、理不尽にレベッカの日常を打ち壊していく。
 心の中に空虚が生まれて、幼いながらにレベッカはその穴を自覚して生きる事になった。母の笑顔のような桜色の日々は消えた。色のなくなった世界で、レベッカは父と共に母のいる病院へ通い続けた。


 
 十年以上経っても、母はベッドの上で眠ったままだった。桜の花は毎年のように咲いた。花が咲くのは母がまだ生きている証拠で、その色艶は母の健康状態を示していた。桜は母の血を吸い上げ、その内側に母の血を通わせていた。それがどれだけおぞましくても、桜もまた母の一部なのだった。医者は淡々と言った。お母さんは死んだのではない。意識が戻らないのでもない。ただ、生きる形が変わっているのだと。眠りながら、人間とはまた違う生命活動をしているのだと。
十年の間にレベッカは勉強をした。母の体の事。自分の体の事。自分達、フュージョナーと呼ばれる生命体について勉強を重ねた。
忌まわしい桜を取り除き、再び母の笑顔を見るために。

 そうして、一足早く大学に入学し、二年の歳月で生物学者という肩書をレベッカが手に入れた頃、彼女の前に肩に蛇を持つ男が現れた――
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