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『翼とヒナゲシと赤き心臓』14
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14
曲がり角の影に隠れ、電撃銃を握り締めてレベッカは深呼吸をする。通路の先に二人、黒服の組織の人間がうろついていた。どちらも手にサブマシンガンを持っている。どうやら、奥の扉から出てきたばかりのようだ。
探偵が戦っていた大ホールには、あの扉の向こうへ真っ直ぐ進めばいい。緊張で手には汗が絶えなかった。ジェラルミンケースを持つ左手がぬめりそうだ。
《小火竜》の安全装置を操作し、電撃の威力を最低にする。ライムントに向けた時とは違う。これで相手に必要以上の痛手を与える心配はない。
この銃をレベッカに手渡した時の、父の瞳が思い出される。何も語らない。だが父の気持ちはわかった気がした。
――いつか、お前がこの引き金を引く時が来るのか?
「……父さん」
私は今、貴方の銃で戦っています。
「――おい、そろそろ引き上げるぞ。時間がない」
不意に男の声が聞こえ、レベッカはそっと黒服達を見た。まだ、こちらに気付いてはいない。どちらも若い男で、立場もそう変わらないようだ。厄介なのは二人とも銃を持っている。
「まだ犬野郎が見つかってないぞ」
黒服の一人が言った。
「もう時間切れだ。ぐずぐずしているとこっちまで巻き込まれる」
「なあ、本当にここを爆破するのか」
「さっきの音を聞いたろ? 作戦はもう始まってる。ライムント博士の指示で、焼却炉の爆発事故に見せかけるらしい。大方の奴等はとっくに逃げ出しているさ。俺達みたいな貧乏くじ引いた奴だけだよ、残っているのは」
「事故だろうが何だろうが、こんな大きな施設を吹っ飛ばしたらそれだけで大事件じゃないか。どうやったって人の目は誤魔化せないぞ。それなのに何でこんな大雑把な……」
……爆破? この研究施設を?
予想外の方向に事態は動き始めたようだ。男達の話は続いている。少し情報を集めなければならないだろう。
「上は処理班を呼んだんだそうだ。仮に消し損ねた物があっても、人目に触れる前にそいつらが全て後始末するらしい」
「処理班だって? 聞いた事がないな」
「俺もだよ。でも噂じゃ、結構前から結社には存在していたらしい。こういう時のためにな。さあ、早く行こうぜ。俺は爆破されるのも、処理班とやらに消されるのも御免だ」
「爆破、ねえ……。どうも現実味がないな」
黒服の一人が、そう言って首を捻った。
同感だった。これだけの大きな施設をただ破壊したら、注目が集まるのは考えるまでもない。初めに消防、次に警察。事故原因を調べるため、調査の手は深く及ぶだろう。モンストロ研究のために用意された設備や資料。それらと一緒に地下フロアまで焼き尽くせると、ライムントは思っているのだろうか。それは、少し目算が甘くはないのか?
黒服達の足が向きを変えた。ひやりとした汗が、レベッカの背を流れた。こっちにくる。電撃銃の引き金に指をかけ、壁に張り付くように身を隠す。
「今ここであいつに襲われでもしたら、洒落にならないな」
黒服の一人がぼんやりと言った。もう一人の黒服は答えなかった。足音がふと、途絶えた。
「……案外、ああいう風になったほうが楽かもな。怪物になったほうが」
「冗談だろ? お前もモンストロが欲しいのか?」
「希望の見えない生活を続けるよりマシさ。俺もフュージョナーだったら、あのレベッカって女の実験動物だったんだろうよ」
不意に名を呼んだその声音が、レベッカの身を否応なく竦ませた。
その瞬間、電子音が後方のエレベーターの到着を知らせた。
身を隠す暇はない。扉が無感情に開いていく。中にいたのは一人だった。組織の人間が身に着ける黒服。体を情緒不安定そうに揺さぶっている。扉が開き切る瞬間、目が合う。
最初にレベッカを追っていた男だ。
「レベッカ・アンダーソン!!」
喚き散らすような声ともに、男の手に握られたアサルトライフルの銃口が上がった。同時にレベッカは踵を返して、曲がり角へと入る。扉の前にいた二人の黒服達がレベッカに気付いた瞬間、猛烈な射撃音が背後でした。目の前の男達が驚きながらもサブマシンガンを構えたその時、レベッカは小火竜の引き金を引いた。
銃弾が吐き出されるより早く、電撃が黒服達を襲った。もつれそうになる足を動かして全速力で走り、崩れ落ちる黒服達を追い越して振り返りざま小火竜を構える。
タイミングは全く同じだった。アサルトライフルの銃口が再びレベッカに狙いをつけていた。
「動かないで。指一本でも動かせば、こいつら以上の事になるわよ」
アサルトライフルを構えた男の口が、忌々しげに歪んだ。怒っているのか、体が小刻みに震えている。レベッカ達を連れ去り際、仁を蹴り飛ばしたように、どうやら精神的に安定しない性質のようだ。
「……ざっけんじゃねえぞ、このイカレアマが。組織の金で散々フュージョナーを刻んで実験してやがったくせに、今さら裏切りかましやがって。恥を知れってんだ、このアマ公!」
「認識に違いがあるようね」
言いながら、相手の様子を観察する。気質が不安定なのに反して、銃口はぶれていない。ここから撃てば電撃を当てる事は出来るが、体に流れた電流がその拍子に相手の指を引かせるかもしれない。この距離で銃弾を避けるなんて真似は、到底出来そうもない。
「銃を下しなさい。銃弾と電撃ならこちらのほうが早いわ。身の安全は保証しないけど、それでもいいの?」
「俺を馬鹿にしてえのか? 俺じゃてめえに勝てねえってか!?」
声高に男は喚き散らす。感情は昂ぶる一方だ。だが、銃を持つその手がぶれる事はない。
(この男……?)
違和感が湧いた。一見、膠着しているように見えるこの状況。だがそれは、もしかして相手の手によるものではないのか――?
「……っ、馬鹿野郎! 撃つんじゃねえ、素手でやれ!!」
「っ!?」
足元の黒服が上げた唐突な怒鳴り声が、レベッカを怯ませた。自分が隙を生んだ事に気付いた時には、繰り出されたナイフが迫っていた。思わず振り上げた小火竜の銃身が刃に削られ鈍い音を立てる。気を取られた刹那、下腹部を強い蹴り足が襲った。
「ぐっぅ!?」
「終わりだよ、イカレアマ!」
ナイフの煌めきが目に入った瞬間、レベッカは左腕を振るった。ジェラルミンケースが男の頭部を打った。浅い。感触でわかった。だがやるしかない。相手の腹に小火竜を密着させ引き金を引く。銃身の中で溜められた静電気が一挙に吐き出され、標的の体へと流れる。
「――――ッふざけるな、レベッカ!!」
振りかぶられたナイフは勢いを止めなかった。男の体を突き飛ばしレベッカは走る。正面の扉はスイッチ開閉だ。右手側に操作タブレットがある。
銃声が背後から響いた。止まりそうになる刹那、眼前の天井に連続して弾痕が生まれる。狙いが大きくずれている。振り返れば、電撃で沈めたはずの男達が立ち上がりつつあった。サブマシンガンが構えられる。咄嗟にレベッカは扉ではなく、左の曲がり角へと飛び込んだ。
追手が増えた。予定していたルートは駄目だ。別の道を行くしかない。
「待ちやがれ、レベッカ・アンダーソン!」
自らを呼ぶ怒号にレベッカは三度身を竦めた。
信じられない事だった。小火竜の直撃を受けたにも拘わらず、アサルトライフルの男は動いていた。無論、十全な動きではない。だが、距離を離して当てた二人でさえ、一分以上はまともに動けなかったのだ。直に受けたはずの者が、何故身動きを取れるのか。
答えは、直後にわかった。
男の体に、一筋の電流が迸った。見覚えのある光の色。小火竜の電撃とは違う、悍ましささえ覚える緑の雷。
――モンストロ!?
驚きに浸る暇はない。アサルトライフルの銃口が、既にレベッカを狙っていた。引き金を引くのは一秒とかからない。射線から外れるように身を捻って跳びながら、一か八か、レベッカは小火竜を天井へと向けた。
電撃が走った。電源回路に突如加えられた電圧が短絡を引き起こし、通路の明かりが消える。暗闇が訪れるのと同じくして、アサルトライフルのフルオート射撃が放たれた。そこら中の壁で銃弾が跳ね返り、金属音が響き渡る。が、それもすぐに止んだ。弾切れだ。
「クソっ、どこに行ったレベッカ!」
悪罵を聞き流し、痛みを堪えながらレベッカは立ち上がる。電力が回復するまでどれほどかかるだろう? いや、そもそも回復などするのか。考えを巡らせながら、闇の中で壁を頼りに進んだ。すぐそこにまた曲がり角がある。
男達の怒声が聞こえる。施設の構造を思い出しながら、足を急がせる。確か、この先は――。
背後で、何かが光った。振り返るまでもなく見当はついた。緑電。モンストロの光だ。あの男、生身の人間ながらモンストロを摂取したらしい。普通の人間ならば、受け皿となるフュージョナー因子が存在しないためにその負荷には耐え切れないはずだ。あの男にモンストロを与えたのは、一体誰だ?
一瞬、元上司の姿が頭をよぎったが、レベッカはすぐに頭を振った。事態は目まぐるしく、考えがなかなかまとまらない。思考を一本に絞る事にした。
通路に薄ぼんやりとした明かりが灯る。非常灯だ。視界は確保出来るがあまり嬉しくはない。この通路では追手から身を隠す術がない。追いつかれたら、次は逃げ切れるかどうか。
扉が見えてきた。白塗りの、普通のドアだ。だがここまで来ても、この先が何の部屋だったのかが思い出せない。
深呼吸をした。どの道、引き返せはしない。この先に道があれば進めるが、そうでなければ追手をここで迎え撃つほかない。
ドアノブに手をかけると、難なく動く。鍵はかかっていないようだ。
扉の向こうは薄暗がりだった。ここも非常灯が灯っていて薄暗く、奥までは見通せない。広く、いくつもの大きな機械が敷き詰められ、通路はその隙間を縫うようなものばかりだ。
「ここは……」
「処理区画だ。俺やあんたみたいなゴミにはうってつけの場所さ、学者先生」
闇の向こうから聞こえてきた声はレベッカの体を硬直させるには十分だった。一秒止まったか止まらないか、気付いた時には動いていた右手の小火竜の先に、制止を促すような黒い手があった。
「遅いぜ、先生。撃つなら撃つ、逃げるなら逃げる。どっちかでないと死んじまうぜ」
案外、落ち着いた声だった。銃を向けたまま、レベッカは慎重に相手を観察する。黒い体毛に覆われ、上半身が変貌している。頭部は犬。どうやら、獣人態のようだ。ここへ来る前にモンストロを口にした男の事を、レベッカは思い出した。
「貴方は……」
「とりあえず銃を下してくれ。俺は仕事を済ませた。もうあんたとは敵じゃねえし、殺されてやるつもりもねえ」
男は両手を挙げた。しかし、レベッカは銃口を逸らさなかった。
「おい。学者先生」
「言われた事を実行しているだけよ。疑がわしいのなら晴れるまでは疑い切る。仕事を済ませたと言ったわね、どういう意味?」
男の空気が変わった気がした。微妙な変化だ。言葉を選ぶような沈黙。
「――俺が組織から頼まれたのは、あんたの身柄の確保と実験への協力だ。それで俺は野良犬に戻るのさ。あんたをここまで連れてきたし、薬を何本もぶち込まれたが戦いもした」
戦った。そう、この男は戦っていたのだ。レベッカが助けなければならない、もう一人の人物。探偵尾賀叉反と。
「……探偵はどうしたの?」
内心気を落ち着かせながら、レベッカは言った。
男の瞳が、暗がりの中からレベッカを見ていた。
「殺した。焼却炉の中に落としたよ。あれで生きてるなら人間でもフュージョナーでもねえだろう」
男の言葉にも、レベッカは淡々と頭を働かせた。
「焼却炉に落としただけ? 頭や心臓にダメージを与えたりだとか、生命活動の根幹にかかわるところには手を出していない?」
男の空気がまたも変わった。こちらに対する不審、そして嫌悪の色だ。
「学者先生……あんた、何を言っていやがる」
「直接殺害したわけでないのなら、まだ生存の可能性はある。炎に接触するまでに脳が動いていたのなら、防衛機能が働いたはず」
うまくすれば装置が完全に働いたかもしれない。それなら、ほぼ確実に生きているはずだ。宝球然り、ライムントが造り出したあれは、フュージョナーに人類の枠を超越させるためのものなのだから。
「焼却炉から出る灰は、塩素抜きのための洗浄槽へ行くのよね」
「……それが何だってんだ」
一つ、考えが湧いた。現状、有効な一手だろう。上手くいけば、少なくとも今のまま先に進むよりは勝算がありそうだ。
「私の味方に付いて」
電撃銃を向けたまま、レベッカは言った。
曲がり角の影に隠れ、電撃銃を握り締めてレベッカは深呼吸をする。通路の先に二人、黒服の組織の人間がうろついていた。どちらも手にサブマシンガンを持っている。どうやら、奥の扉から出てきたばかりのようだ。
探偵が戦っていた大ホールには、あの扉の向こうへ真っ直ぐ進めばいい。緊張で手には汗が絶えなかった。ジェラルミンケースを持つ左手がぬめりそうだ。
《小火竜》の安全装置を操作し、電撃の威力を最低にする。ライムントに向けた時とは違う。これで相手に必要以上の痛手を与える心配はない。
この銃をレベッカに手渡した時の、父の瞳が思い出される。何も語らない。だが父の気持ちはわかった気がした。
――いつか、お前がこの引き金を引く時が来るのか?
「……父さん」
私は今、貴方の銃で戦っています。
「――おい、そろそろ引き上げるぞ。時間がない」
不意に男の声が聞こえ、レベッカはそっと黒服達を見た。まだ、こちらに気付いてはいない。どちらも若い男で、立場もそう変わらないようだ。厄介なのは二人とも銃を持っている。
「まだ犬野郎が見つかってないぞ」
黒服の一人が言った。
「もう時間切れだ。ぐずぐずしているとこっちまで巻き込まれる」
「なあ、本当にここを爆破するのか」
「さっきの音を聞いたろ? 作戦はもう始まってる。ライムント博士の指示で、焼却炉の爆発事故に見せかけるらしい。大方の奴等はとっくに逃げ出しているさ。俺達みたいな貧乏くじ引いた奴だけだよ、残っているのは」
「事故だろうが何だろうが、こんな大きな施設を吹っ飛ばしたらそれだけで大事件じゃないか。どうやったって人の目は誤魔化せないぞ。それなのに何でこんな大雑把な……」
……爆破? この研究施設を?
予想外の方向に事態は動き始めたようだ。男達の話は続いている。少し情報を集めなければならないだろう。
「上は処理班を呼んだんだそうだ。仮に消し損ねた物があっても、人目に触れる前にそいつらが全て後始末するらしい」
「処理班だって? 聞いた事がないな」
「俺もだよ。でも噂じゃ、結構前から結社には存在していたらしい。こういう時のためにな。さあ、早く行こうぜ。俺は爆破されるのも、処理班とやらに消されるのも御免だ」
「爆破、ねえ……。どうも現実味がないな」
黒服の一人が、そう言って首を捻った。
同感だった。これだけの大きな施設をただ破壊したら、注目が集まるのは考えるまでもない。初めに消防、次に警察。事故原因を調べるため、調査の手は深く及ぶだろう。モンストロ研究のために用意された設備や資料。それらと一緒に地下フロアまで焼き尽くせると、ライムントは思っているのだろうか。それは、少し目算が甘くはないのか?
黒服達の足が向きを変えた。ひやりとした汗が、レベッカの背を流れた。こっちにくる。電撃銃の引き金に指をかけ、壁に張り付くように身を隠す。
「今ここであいつに襲われでもしたら、洒落にならないな」
黒服の一人がぼんやりと言った。もう一人の黒服は答えなかった。足音がふと、途絶えた。
「……案外、ああいう風になったほうが楽かもな。怪物になったほうが」
「冗談だろ? お前もモンストロが欲しいのか?」
「希望の見えない生活を続けるよりマシさ。俺もフュージョナーだったら、あのレベッカって女の実験動物だったんだろうよ」
不意に名を呼んだその声音が、レベッカの身を否応なく竦ませた。
その瞬間、電子音が後方のエレベーターの到着を知らせた。
身を隠す暇はない。扉が無感情に開いていく。中にいたのは一人だった。組織の人間が身に着ける黒服。体を情緒不安定そうに揺さぶっている。扉が開き切る瞬間、目が合う。
最初にレベッカを追っていた男だ。
「レベッカ・アンダーソン!!」
喚き散らすような声ともに、男の手に握られたアサルトライフルの銃口が上がった。同時にレベッカは踵を返して、曲がり角へと入る。扉の前にいた二人の黒服達がレベッカに気付いた瞬間、猛烈な射撃音が背後でした。目の前の男達が驚きながらもサブマシンガンを構えたその時、レベッカは小火竜の引き金を引いた。
銃弾が吐き出されるより早く、電撃が黒服達を襲った。もつれそうになる足を動かして全速力で走り、崩れ落ちる黒服達を追い越して振り返りざま小火竜を構える。
タイミングは全く同じだった。アサルトライフルの銃口が再びレベッカに狙いをつけていた。
「動かないで。指一本でも動かせば、こいつら以上の事になるわよ」
アサルトライフルを構えた男の口が、忌々しげに歪んだ。怒っているのか、体が小刻みに震えている。レベッカ達を連れ去り際、仁を蹴り飛ばしたように、どうやら精神的に安定しない性質のようだ。
「……ざっけんじゃねえぞ、このイカレアマが。組織の金で散々フュージョナーを刻んで実験してやがったくせに、今さら裏切りかましやがって。恥を知れってんだ、このアマ公!」
「認識に違いがあるようね」
言いながら、相手の様子を観察する。気質が不安定なのに反して、銃口はぶれていない。ここから撃てば電撃を当てる事は出来るが、体に流れた電流がその拍子に相手の指を引かせるかもしれない。この距離で銃弾を避けるなんて真似は、到底出来そうもない。
「銃を下しなさい。銃弾と電撃ならこちらのほうが早いわ。身の安全は保証しないけど、それでもいいの?」
「俺を馬鹿にしてえのか? 俺じゃてめえに勝てねえってか!?」
声高に男は喚き散らす。感情は昂ぶる一方だ。だが、銃を持つその手がぶれる事はない。
(この男……?)
違和感が湧いた。一見、膠着しているように見えるこの状況。だがそれは、もしかして相手の手によるものではないのか――?
「……っ、馬鹿野郎! 撃つんじゃねえ、素手でやれ!!」
「っ!?」
足元の黒服が上げた唐突な怒鳴り声が、レベッカを怯ませた。自分が隙を生んだ事に気付いた時には、繰り出されたナイフが迫っていた。思わず振り上げた小火竜の銃身が刃に削られ鈍い音を立てる。気を取られた刹那、下腹部を強い蹴り足が襲った。
「ぐっぅ!?」
「終わりだよ、イカレアマ!」
ナイフの煌めきが目に入った瞬間、レベッカは左腕を振るった。ジェラルミンケースが男の頭部を打った。浅い。感触でわかった。だがやるしかない。相手の腹に小火竜を密着させ引き金を引く。銃身の中で溜められた静電気が一挙に吐き出され、標的の体へと流れる。
「――――ッふざけるな、レベッカ!!」
振りかぶられたナイフは勢いを止めなかった。男の体を突き飛ばしレベッカは走る。正面の扉はスイッチ開閉だ。右手側に操作タブレットがある。
銃声が背後から響いた。止まりそうになる刹那、眼前の天井に連続して弾痕が生まれる。狙いが大きくずれている。振り返れば、電撃で沈めたはずの男達が立ち上がりつつあった。サブマシンガンが構えられる。咄嗟にレベッカは扉ではなく、左の曲がり角へと飛び込んだ。
追手が増えた。予定していたルートは駄目だ。別の道を行くしかない。
「待ちやがれ、レベッカ・アンダーソン!」
自らを呼ぶ怒号にレベッカは三度身を竦めた。
信じられない事だった。小火竜の直撃を受けたにも拘わらず、アサルトライフルの男は動いていた。無論、十全な動きではない。だが、距離を離して当てた二人でさえ、一分以上はまともに動けなかったのだ。直に受けたはずの者が、何故身動きを取れるのか。
答えは、直後にわかった。
男の体に、一筋の電流が迸った。見覚えのある光の色。小火竜の電撃とは違う、悍ましささえ覚える緑の雷。
――モンストロ!?
驚きに浸る暇はない。アサルトライフルの銃口が、既にレベッカを狙っていた。引き金を引くのは一秒とかからない。射線から外れるように身を捻って跳びながら、一か八か、レベッカは小火竜を天井へと向けた。
電撃が走った。電源回路に突如加えられた電圧が短絡を引き起こし、通路の明かりが消える。暗闇が訪れるのと同じくして、アサルトライフルのフルオート射撃が放たれた。そこら中の壁で銃弾が跳ね返り、金属音が響き渡る。が、それもすぐに止んだ。弾切れだ。
「クソっ、どこに行ったレベッカ!」
悪罵を聞き流し、痛みを堪えながらレベッカは立ち上がる。電力が回復するまでどれほどかかるだろう? いや、そもそも回復などするのか。考えを巡らせながら、闇の中で壁を頼りに進んだ。すぐそこにまた曲がり角がある。
男達の怒声が聞こえる。施設の構造を思い出しながら、足を急がせる。確か、この先は――。
背後で、何かが光った。振り返るまでもなく見当はついた。緑電。モンストロの光だ。あの男、生身の人間ながらモンストロを摂取したらしい。普通の人間ならば、受け皿となるフュージョナー因子が存在しないためにその負荷には耐え切れないはずだ。あの男にモンストロを与えたのは、一体誰だ?
一瞬、元上司の姿が頭をよぎったが、レベッカはすぐに頭を振った。事態は目まぐるしく、考えがなかなかまとまらない。思考を一本に絞る事にした。
通路に薄ぼんやりとした明かりが灯る。非常灯だ。視界は確保出来るがあまり嬉しくはない。この通路では追手から身を隠す術がない。追いつかれたら、次は逃げ切れるかどうか。
扉が見えてきた。白塗りの、普通のドアだ。だがここまで来ても、この先が何の部屋だったのかが思い出せない。
深呼吸をした。どの道、引き返せはしない。この先に道があれば進めるが、そうでなければ追手をここで迎え撃つほかない。
ドアノブに手をかけると、難なく動く。鍵はかかっていないようだ。
扉の向こうは薄暗がりだった。ここも非常灯が灯っていて薄暗く、奥までは見通せない。広く、いくつもの大きな機械が敷き詰められ、通路はその隙間を縫うようなものばかりだ。
「ここは……」
「処理区画だ。俺やあんたみたいなゴミにはうってつけの場所さ、学者先生」
闇の向こうから聞こえてきた声はレベッカの体を硬直させるには十分だった。一秒止まったか止まらないか、気付いた時には動いていた右手の小火竜の先に、制止を促すような黒い手があった。
「遅いぜ、先生。撃つなら撃つ、逃げるなら逃げる。どっちかでないと死んじまうぜ」
案外、落ち着いた声だった。銃を向けたまま、レベッカは慎重に相手を観察する。黒い体毛に覆われ、上半身が変貌している。頭部は犬。どうやら、獣人態のようだ。ここへ来る前にモンストロを口にした男の事を、レベッカは思い出した。
「貴方は……」
「とりあえず銃を下してくれ。俺は仕事を済ませた。もうあんたとは敵じゃねえし、殺されてやるつもりもねえ」
男は両手を挙げた。しかし、レベッカは銃口を逸らさなかった。
「おい。学者先生」
「言われた事を実行しているだけよ。疑がわしいのなら晴れるまでは疑い切る。仕事を済ませたと言ったわね、どういう意味?」
男の空気が変わった気がした。微妙な変化だ。言葉を選ぶような沈黙。
「――俺が組織から頼まれたのは、あんたの身柄の確保と実験への協力だ。それで俺は野良犬に戻るのさ。あんたをここまで連れてきたし、薬を何本もぶち込まれたが戦いもした」
戦った。そう、この男は戦っていたのだ。レベッカが助けなければならない、もう一人の人物。探偵尾賀叉反と。
「……探偵はどうしたの?」
内心気を落ち着かせながら、レベッカは言った。
男の瞳が、暗がりの中からレベッカを見ていた。
「殺した。焼却炉の中に落としたよ。あれで生きてるなら人間でもフュージョナーでもねえだろう」
男の言葉にも、レベッカは淡々と頭を働かせた。
「焼却炉に落としただけ? 頭や心臓にダメージを与えたりだとか、生命活動の根幹にかかわるところには手を出していない?」
男の空気がまたも変わった。こちらに対する不審、そして嫌悪の色だ。
「学者先生……あんた、何を言っていやがる」
「直接殺害したわけでないのなら、まだ生存の可能性はある。炎に接触するまでに脳が動いていたのなら、防衛機能が働いたはず」
うまくすれば装置が完全に働いたかもしれない。それなら、ほぼ確実に生きているはずだ。宝球然り、ライムントが造り出したあれは、フュージョナーに人類の枠を超越させるためのものなのだから。
「焼却炉から出る灰は、塩素抜きのための洗浄槽へ行くのよね」
「……それが何だってんだ」
一つ、考えが湧いた。現状、有効な一手だろう。上手くいけば、少なくとも今のまま先に進むよりは勝算がありそうだ。
「私の味方に付いて」
電撃銃を向けたまま、レベッカは言った。
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