ケダモノと恋するクオリア

藤原いつか

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運命まがいの赤

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 この世界の獣人たちの最優先事項は、その血と子孫を残すこと。
 その次くらいに命と尊厳。家族と一族が一番大事。

 それぞれ同種のケモノ同士で番うのが主で、そのコミュニティは強固だ。だから数が多い種族ほど保守的でいて、排他的思考が強くなる。
 守るべきものが多い種というのは閉鎖的だ。その分身内同士の絆は強い。

 それに比べて先生の、狼という種族は孤独だ。数えるほどしか存在が確認されていない。 

 “ケダモノ”である先生はずっと神殿のこの離れで一人で暮らしていて、ほとんど外界には出たことがないらしい。

 神殿内では職務や雑務、祭祀の準備や結界の管理、記録。その殆どが表には出ないもので粛々とひとりで勤めている。
 だけど裏で女神の加護とやらと付与する儀式を行ったり、神殿を覆う強固な結界の術者だって先生だ。その魔力の補填をほとんどひとりで行っている。

 そこに役立たず神子(つまりわたし)の世話が追加され、それが先生にとって平坦な日常の気晴らしくらいにはなったのか、それとも負担だったのかは分からない。
 はじめは責任と義務から。だけど先生はわたしを大切にしてくれた。それだけは確かだ。

 生活用品はリオン頼み、“外”と言えば裏庭の薬草園くらい。
 その才能は国にも認められているので、国中の図書館の特別閲覧権限を持っているから退屈はしないと言っていた。この離れに居ても本の内容を読めるらしい。ひきこもり歓喜の魔法と権限である。

 禁止されているわけではないと言う。自らひきこもっているだけだと。
 だけど時折リオンに聞く話から、そう言わざるを得ない経緯があったのだろうと察せられる。

 なのでもちろん“運命の番”と出会うことはかなわない。
 番を求めるのは正常な本能だというのに、それすら許されない。
 絶対神である女神に純潔を捧げてしまっている。その力だけいいように使われて、女神さまは何も応えてはくれないのに。

 だったら、わたしが。
 わたしがもらっても、構わないでしょう。

 他にはなにもいらないから。


 ◇


 熱い舌が口内を舐め回していた。
 水音が重たい部屋に響いて、呼吸が阻まれるほど隙間を埋めて。
 その荒々しさにさえ体が喜ぶ。求められている事を実感して。

 キスもそれ以上の行為もはじめてで、ただ必死にそれを受け容れた。
 とにかく途中で先生が引き返したりしないように。この鎖が消えない限りはきっと先生の理性も切れていない。
 しっかりしなきゃと思うのに、徐々に思考が塗り潰されていく。

 絡められるだけだった舌先を、きつく吸われて思わず体がびくりと跳ねた。先生の服を掴んでいた手に力がこもる。
 初めてのその衝動に怯んだわたしに気付いてか、先生の舌がずるりと抜け出していく気配に慌ててわたしは追いかけた。
 
 やめないで。逃げないで。

 追いかけて辿り着いたその先で、今度はわたしが先生の口内を舐め回す。
 先生の舌は一瞬驚いたように奥へひっこんだけれど、その隙にわたしも先生と同じものを返してみた。
 吐息も唾液も同じ場所で混じり合う。突き出た先生の喉が上下に鳴って、きつく目を瞑ったままそれを呑み込んでいた。
 先生の背後の大きな尾がゆらりと左右に揺れて銀色の残像を描いた。それすら美しかった。

 先生は、拒まない。おそらく稚拙なそれを精一杯繰り返す。

 舌先で歯列をなぞって一際大きく尖った牙に行き当たった。
 ようやく知ったその牙。ずっと先生が隠していた凶器。
 これでわたしなんてカンタンに噛み殺せてしまうのに、屈服させてしまえるのに、先生は絶対にそんな事はしないって分かっているから。
 わたしも好きなだけ行為に没頭できた。
 
 酸素を求める合間にはぁ、と吐息を吐き出して、不慣れなタイミングにかつんと歯と歯がぶつかって、少しだけおかしな気持ちになって口元が緩む。
 先生も少しだけ泣きそうに目を細めてわたしを見た。だけどそのまま無言で、その舌がまた唇を繋ぐ。いつの間にか体ごと全部先生の体の内側に居た。

 襲うと意気込んだは良いけれど、わたしの性知識はもとの世界の漫画とか小説頼みだ。
 でも身体的には同じ人間の構造なんだし一緒のはず。わりと興味津々なお年頃だったので、こわいものなんて何もない。
 相手が先生なら、どんな事だってできるし耐えられる。
 
 まだ僅かに理性を残す先生は、きっと自ら行為を推し進める事はしない気がした。
 それにおそらく先生だって、その経験もへたしたら知識もないのでは。
 だからわたしからいくしかない。

 背中にまわしていた腕でそっと先生の輪郭をなぞるように滑らせる。
 時折その長い髪が指先に絡んで、だけど指の間から滑り落ちていくだけだった。
 この銀色を編んでみたい。いつもみたいに赤い紐を結んだらきっとよく映える。
 先生は不器用で、たまにわたしの髪を編んでくれたこともあったけれど、三つ編みはこの世界の獣人には難しいらしい。

 行き着く先を察したのであろう先生の身体が強張り、目の前の先生の赤い瞳が大きく見開かれた。
 咄嗟に腕を掴まれて、それが鎖のある方の手だったので、冷たく無機質な金属音が大きく響く。
 その存在がひどく耳障りだ。やめろって警告しているみたいで。
 
 唇だけ重ねたまま、戸惑いを孕んだまま、先生が小さく声を漏らした。先生の背後で銀色の毛のしっぽがぶわりと毛を逆立てている。
 まるで挑み合うみたいに、お互いの意志を無視したままの口づけは、それでも官能の味がした。

 触れた先生のそこはきちんと固く熱をもっていて、そのことにまずわたしはほっとして、それだけで泣きそうになった。
 これからしようとしていることが先生にもちゃんと伝わっているなら嬉しかった。
 例えひとりよがりでも身勝手でも。ひとりではできない事だから。

 それなのに。
 そろりと布地の上から撫で上げると、びくりと撥ねた先生の身体が咄嗟に腰をひいた。
 背後は壁なので僅かに身をずらし、とうとう逃げられてしまう。じゃらりと鳴った鎖の分だけ、わたしを置いて。
 離れた温度で体の熱さが浮き彫りになるようだった。

「……ルーナ、これ以上は、もう」
「無理だよ、先生、これからなのに」

 止める気を微塵も見せないわたしの答えに、先生はわかりやすく絶望に顔を染める。みるみる冷静を取り戻すその様に内心舌打ち。
 むしろ先生の身体だってやる気はあるはずなのに、まだ理性が邪魔をするというのか。

 何が足りないんだろう。月は既に夜空の一番高い位置。
 その魔力は一層濃く強く、ケモノの本能を掻き立てているはず。

 はやく全部捨ててしまえば良いのに。
 そうすれば楽になれるのに。
 なのに先生はそう簡単に手放さない。

 その“理性”こそがきっと先生にとっての、“正常まとも”であることの証明だったのかもしれない。
 “異常ケダモノ”だとずっと蔑まれてきた先生の。

 わたしの手を制するその手に痛いくらいの力が篭る。
 その欲こそを嫌悪しているかのような反応に胸が痛くなった。
 この世界は先生にぜんぜん優しくない。

「先生は、ふつうだよ」

 ぺたりと伏せられた先生の耳が、ぴくりとわずかに反応して、けれどもすぐにまた閉じてしまう。
 ヒトよりも身体能力に長け五感も優れるその能力も、本当に守りたいものを守ってはくれない。

 先生はいつも笑ってわたしを護ってくれたけれど、重ねていたのだろうか。異端とされた自分と、わたしを。

「そのままで良いんだよ、先生。これが、ふつうなんだよ」
「……ルーナ」
「そのままの、先生が好き」
「僕もあなたが好きです、ルーナ。あなたは、大切な――」

 ――女神さまからの預かりもの。
 いつもそう言ってる。
 だけど今は聞きたくない。
 この想いがまた置き去りにされるのも嫌。

「違う」

 この世界に“恋”はない。
 恋を知る前に誰もがみんな、“番”を見つけて“大人”になる。
 よく分からない仕組みで繋がった、まるで運命の赤い糸みたいに導かれる、たったひとりの相手。
 
 それすらゆるされない先生は、永遠にきっと無垢なまま。
 大切なものはわたしが奪ってしまうけれど――

「違うんだよ、先生。わたしの、好きは――」

 どうしたら伝わるのかをずっとずっと考えていた。
 簡単に好きだなんて口にする先生。それは明らかに親愛で、どちらかと言えば家族愛に近いもの。
 わたしとの温度差に微塵も気付かず、だけどその絶対的な領域はわたしのものではないくせに。

 いつか終わる関係だとわかっていたからこそ。
 この距離は縮まらない。

 わたしは自らの服に手をかけながら、離れた距離を惜しむように先生の傍へとにじる寄る。
 まるで警戒するように、もしくは威嚇するように。先生の喉が低く小さく唸り声を上げたけれどこわくはなかった。

 今日が最後の夜なので、わたしはこの世界に喚《よ》ばれた時と同じ格好。つまり制服を着ていた。
 この服に袖を通すのは実に三年ぶりだったし、サイズもぎりぎりだった。ぎりぎりアウトに近いけれど。

 半袖白地のセーラー服の、胸元に結ばれていた赤いスカーフをしゅるりと解く。
 零れた赤を眼で追っていた先生が、荒い息で頭を振った。まだなお拒絶を示すように。 
 思えば先生は初めて会ったあの日から、この“赤”が嫌いだったっけ。


『赤い色、嫌いなの?』

 この離れの家も、先生の部屋も、先生の身につけているものも、その殆どが白を基調としたものばかり。
 召喚されたばかりのわたしは中学校の制服を着ていて、胸元には赤いスカーフがあって、先生は分かり易く視線を逸らしていた。

 わたしの普段着が届けられようやく制服を脱いだわたしに、先生はあからさまにほっとした表情《かお》を見せた。
 だからなんとなくぴんときた。

 わたしの指摘は的を射ていたようで、先生は気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。
 まっすぐわたしを見つめながら。

『血と同じ色ですから……少し、苦手なんです』

 先生だけじゃなく獣人はみんな血が苦手らしい。
 理性を失いやすくなるからだとか。
 ふぅんと小さく頷いて、自分の手元を見つめる。

『わたしは好きだけどな、赤。わたしの居た世界《ところ》では、運命の色だよ』
『……運命、ですか』

 たぶんわたし達の認識はすれ違ったまま。

 もっとかわいい部屋がいいと文句を言ったおかげで、白一色だった部屋はほんの少しだけ賑やかになった。
 唯一のわたしの仕事は長い長い先生の髪を、時々三つ編みにすることで、結んだその先に赤い色の髪紐を使ってひとり満足したりして。
 けっきょく最後まできっと気付かなかったと思う。自分のことにはとことん頓着のないひとだから。
 小さな独占欲と優越の色。それを見ると安心できた。
 つたないけれど確かなわたしのしるしマーキング

 だけどお別れの日を意識してからは、また少しずつその色《あか》を消して、なるべく存在《あか》を残さないように。
 わたしがいなくなった後また先生が、哀しい顔をしなくて済むように。


 あなたのことばかり考えてた。この世界で先生がすべてだった。
 わたしのこの、好き、は。


「先生のこと、めちゃくちゃにしたいって事」

 この乱暴な気持ちを、押し付けるだけの想いを、恋と呼んで良いのだろうか。
 だけど咎めるひとも正すひともこの世界には居ない。

 この運命はわたしだけが繋げる。
 

「めちゃくちゃにされたいって、事だよ、先生」


 全部脱ぎ捨てて、それから。
 揺れるその瞳を見つめながら、わたしは自分の唇を噛み締めて、そこに自ら歯をたてた。

 ぶつりと嫌な音がして、瞬後に鉄の匂いと味が口の中に広がる。
 先生の鼻もそれを拾って大きく目を見開いた。

「ルーナ! なにを……!」

 咄嗟にその手が伸びてきて、滴る血と唇を指先で拭う。
 先生の指先にわたしの血が滲んで広がって、痛ましげに歪められる顔が近づいてくる。
 
 その指先を舐めて、自らの血を舌先ですくって。
 ぴくりと肩を揺らした先生の、赤い瞳を見据えながら。

 怯んだ先生の唇に自分のを押し付けてそのまま勢いよく押し倒した。
 むりやり押し開いた口内に、自分の赤を塗りたくる。
 唾液に混じって突き抜ける鉄の匂いと、一度味わった快楽の味。
 一瞬の間を置いて、舌先が触れ合った。

 
 鎖の音はもう聞こえなかった。


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