夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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閑話

茨の道

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『――ほんとうに…?』

 震えていたその声は、戸惑いと畏怖の入り混じるか細い声だったと記憶している。
 受け容れ難い事実に心臓が一度大きく脈打ち、次第にそれが早鐘を打つ。
 それを同じ体内で聞いていた。

『…おそらく、間違いないかと…』
『……性別は…?』
『生まれるまで断言はできませんが…おそらく男児…王子殿下にございます』

 やんわりと、自分を包む温かな水と膜越しに、仄暗い力が自分たちに向けられるのを感じた。
 護られた肌に纏わりつく他人の魔力の気配が不愉快で煩わしい。この居心地の良い場所への侵入を身を堅くして拒絶する。
 ほんの少し身じろぎしただけでもうひとりの自分に触れた気がした。そのことに心から安堵した。
 だけど尚も、外界そとの悲痛そうな声は続けられる。

『……なら、なおさら駄目よ…流せない…! 陛下は第二妃を迎えられたばかり…しばらくその寵愛は、そちらに向いてしまう……! 私はなんとしてでも今、この子を…王子を産まなければ…!』

 痛々しいくらいの悲鳴と泣き声が混じり、やがて嗚咽が部屋に響く。
 自分の母の泣き声に、ふたつの心臓が同時に痛んだ。
 鼓動が同じ速度で脈打っている。寸分違わぬ思いまでも。

『…せめて…どちらが災厄の種なのかだけでも、分からないの…?』
『……魂の判別は、そう容易くできないことでございます。特に生まれたばかりの無垢な魂の魔力はその質も殆ど同じ…選ぶことは不可能に近いかと』
『でも、“災厄”は…! どちらかひとり、なんでしょう……?!』
『……そう、言われています。しかし、現状は。どちらとも選べません』
『…そんな……!』
『陛下にありのままを告げるべきです。陛下の判断を仰ぎ、決断はそれからでも』
『駄目よ……!』

 その声は、それまでで一番熱の篭るものだった。
 恐れではない。何かを守る強い意志がそこにある。

『陛下に自分の子の命を殺めさせるわけにはいかないわ…!』

 ――では。
 生まれてくるぼくらは、一体なんなのか。
 真に畏れられているものとは、いったい。
 

『……なら…私が…私が、選ぶわ。この国の命運を…最初の王子を、私が…』



 選ばれたのは誰だったのか。
 そして選ばれなかったのは。





「――イル」

 呼ばれてふと顔を上げる。
 その呼び方を使う存在はこの世でただひとりだ。
 生まれ落ちてすぐに引き離された半身。だけど心はずっと繋がっていた。

「…珍しいね。この前も、代わったばかりなのに」
「そう? 最近益々、ここは退屈になってきたからかな」
「…代わるのは、構わない。だけど、彼女には――」
「彼女って、どっちの聖女さまのこと?」

 くすり、と。暗闇から向けられる視線にイリオスは僅かに顔を顰める。
 その気配をすぐに察してブランシェスは体面だけで無邪気に詫びた。

「ごめん、怒らないでよ。エレナに勝手に術をかけたのは、悪かったって。だけどあの時はそれが一番だと思ったんだ」
「……ブラン。最近の君の行動は、流石に勝手が過ぎる。せめて事前に僕に言ってくれ。じゃないと対処できない」
「イルは駄目としか言わないからなぁ」
「……ブラン」

 静かな溜息に混じる、警鐘にも似た声音。
 イリオスの怒気にブランシェスは軽く笑って身を竦めた。

「大丈夫、セレナには。余計なことはしていないよ、そういう約束だから」
「……最近の君は、いまいち信用できないけれどね」
「そう言わないで、イル。たったふたりの兄弟だろう」

 その声は今度はすぐ耳元でささやかれた。この場所にはもはや距離などない。ここはふたりの秘密のよすがだ。誰にも侵すことのできないふたりだけの絶対唯一。

「これだけイルが手を尽くして動いているのに。不思議だね、イル。どうしてみんな、言う事を聞いてくれないんだろう」
「…皆、もう。子どもではない。それだけだよ」
「このままじゃあ君ひとり、置いていかれてしまうね」
「…それが、運命なら。僕は受け容れる」

 暗闇で、子どもの笑い声がした。自分はただ距離をとって見つめているだけの遠い過去だ。
 記憶を共有するふたりの今一番イリオスが思い出したくない記憶を、ブランシェスがイリオスのなかから引き出したのだ。
 努めて表情には出さず、イリオスは拳を握る。目を逸らしてもその残像からは逃れられない。
 やがてそれはひとりの少女の姿を映した。

「彼女もまた、選んだみたいだよ」

 くるくると、表情を変えるその少女。だけど自分に笑顔を見せたことは一度も無い。
 それでも彼女と話すのは飽きなかった。すべて表に出すその素直さと幼さと愚かさが…イリオスには眩し過ぎた。
 だからそれで良かった。自分を拒むくらいで調度良い。それまで誰ともそうしてきたように。

 記憶の奥深くに沈めたものを、ブランシェスはわざわざ引っ張り出して見せつける。
 すべてお見通しだと言わんばかりの視線をイリオスはあえて避けることはしなかった。

「――また。選ばれなかったね、イリオス」
「いいよ。君が居るから」

 ほんとうに?

 言葉にはしなくても、それは相手の心に伝わる。
 それが自分たちという存在だ。
 共に生まれ生き方を分かたれたもとはひとつのいのち
 
 その特異さ故に、自分たちが歩んできた道は茨の道だった。
 誰にも理解されない。味方もいない。頼れる者も心を許す者もだれも。救いも希望も望めなかった。
 その代わりに相手じぶんがいた。

 互いが居ればそれで良かった。唯一無二のかけがえのない存在。
 肉体と魂は引き離されても、この繋がりだけは誰にも切れやしなかった。

 はじめはひとつだったのだ。だけど人の欲がすべてを壊した。永い時をかけてゆっくりと。
 もう後戻りはできない。
 
「もうすぐ、“セレナ”はすべてを取り戻す。この国の運命もその時決まる」

 すべて元には戻らない。
 失ったものは取り返せない。
 だから。

「最後の残るのはこの国とセレナの命、どっちかな。ねぇ、イリオス」

 ぜんぶ奪うことしかできない。
 それしか知らない僕たちは。
 この血に生まれ落ちてから、それが僕たちの運命さだめだった。


 最後は僕が迎えに行く。
 最期こそ自分で選びとる。
 たとえなにを失っても。


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