夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第七章

焦がれる境界①

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 セレナの問に答えられないディアナスの、その態度こそが答えでもあった。
 それでもディアナスは、セレナの視線を逸らさない。
 そんなディアナスにセレナが先に視線を落とした。

「…本当の王子さまに、なっちゃったんだね」

 ぽつりと呟いたその言葉の、真意をディアナスが知ることはできない。
 それからセレナは顔を上げる。それは先ほどまでの顔とは打って変わって、何かを吹っ切ったかのような表情かおだった。
 今にも崩れてしまいそうなほど、感情を零していたセレナはもういない。
 貼りつけたような笑みをディアナスに向ける。

「行こう、あまりここに長居しない方が良いんでしょう? わたしも、戻らなくちゃ」

 セレナは振り返ることなく歩き出した。ディアナスの手をひいて、人の隙間を縫うように。ディアナスはその手にひかれながら、唇を噛んだ。
 
 セレナの中の他人を感じて思い知った。その一欠けらも自分には向いていないことを。そして彼女のその心の大半を占める、その存在を。

「待って、セレナ」

 ぐ、と。ただひかれるだけだった腕に力を込め、ディアナスは歩調を緩めずにその隣りに並んだ。
 人混みを抜けて喧噪から離れ、建物の影にセレナの身を寄せる。
 人の目から外れて安堵したのか、セレナも小さく息をつきながら引き留めたディアナスに用件を促した。

「戻ったら、もう二度とここには来ない気なんでしょう? おそらくボクたちもそう容易には会えなくなる。そうなる前に、確かめたい」
「…なにを?」

 訝しげに見つめるセレナの腕を、ディアナスが掴んで持ち上げる。
 そしてその裾をゆっくりと捲り上げた。
 セレナがぎくりと身を竦ませる。咄嗟のことで体は動かなかった。
 細い腕越しにセレナの拒絶と緊張を感じるも、ディアナスは手を止めない。
 遅れてセレナが振り解こうとするその腕はびくともしなかった。

「…この痣。これは、なに…?」

 細い腕に、白い肌に散る黒い痣。
 セレナはディアナスの視線に応えることもできず、ただ晒される肌に唇を噛みしめた。

 三日前、修道院ここで意識を失ったセレナの濡れた服を、着替えさせたのはアレスと“シンシア”だ。
 女性の着替えなのだからとアリシアに着替えを頼もうとしたシンシアを、ひどく真剣な瞳で制したのはアレスだった。
 確かめたいことがあるからと。邪な思いではなく、ただその肌を見たいと。
 他人には決して見せるなと、そうアレスは命じて自らセレナの衣服をひとつずつ取り払った。
 一番肌に近いシミューズはそこまで濡れていなかったので脱がせていない。だからすべてを見たわけではない。
 だけどその腕に見慣れた黒い痣を見つけたのだ。
 あの時よりも確実に増えている、この痣を。

 それを問いただす必要が自分たちにはあった。

「…場所を用意する。アレス兄様もこの痣については直接確認したいと言っていた。じき祭事も終わり退く時間だ。内密に連れてくる。セレナはそこで待っていて」

 咄嗟の言い訳も誤魔化しもできなかったセレナは、ディアナスに従うほかなかった。
 ただ待つ場所は屋内庭園を提示した。ディアナスは一瞬考え込み、了承してセレナを促す。念の為そこまで送るからと。
 ふたりは再び歩き出した。

 すべての行事を終えた修道院から、続々と人の気配が動き出すのを感じる。
 あまり動き回れる余裕はない。今が一番人目を避けたい時だ。

 幸い屋内庭園は修道院の一番端の部屋で一般客は立ち入れない場所だ。国王陛下やイリオスを含む他の王族もそこまでは行かないだろう。行く理由もない。
 いっそ陛下とイリオスだけでもさっさと修道院ここから離れて欲しい。
 ディアナスはあのふたりが一番こわいと思う。ついでに得体の知れないヘルメスもだ。
 彼女の心を唯一掻き乱すその存在。はやくセレナから離れてほしい。

 人目を気にしながら目的の部屋の前まで来て、ふたりはようやくその頭からヴェールをおろした。
 室内にはいり息をつくセレナをベンチに座らせ、ディアナスはセレナに努めて厳しく忠告する。

「逃げちゃ駄目だよ、一応いま修道院ここには王家専属の優秀な魔導師も揃ってるから、ヘンな真似したらすぐにばれるから」
「逃げないし、へんな真似もできないよ。少し休んでる。ちゃんと、待ってるよ」

 言って緩く笑ったセレナは、まだなお心配そうな顔をするディアナスを見送ってベンチの背に体重を預ける。
 特別な魔法のかかったこの部屋には、まだ僅かにセントポーリアの花が残っていた。
 大半は本日の祭事で摘み尽くされたが株分けの主として残されたものだ。以前サラがそう説明してくれたのを思い出す。
 そして胸の奥の記憶が疼いた。ここにサラと来たのはつい三日前のことなのに。
 もうここは、自分の居るべき場所ではないみたいだ。
 日の光と水の匂い。この場所を気に入っていた。サラとたくさん話をした。
 だけどもう来ることは無いだろう。

 心身共に疲弊していて休みたい気持ちはあったので、実のところこの時間は少しだけ有難かった。
 この後のことを思うと憂鬱な気持ちになるけれど、今は考えないでおく。
 いつの間にか問題の先送りのクセが板についた。こんなことじゃ、駄目なんだろうけれど。

 だけどここ数日でセレナの心も体も許容オーバーだ。
 今はとにかく時間が欲しい。そしてそろそろ隠し事に疲れてきた。

 いっそ、ぜんぶ、言ってしまおうか。自分を夜伽聖女と呼ぶ王子たちに。
 呪いも穢れもぜんぶまだ、ここにあるって。
 払う力など自分にはない。所詮自分はその程度の存在なのだ。

「……逃げちゃおうかな」

 ふと、先ほどのディアナスの言葉が胸の内に甦った。

 このままあの部屋へ戻れば、おそらくディアナスの察する通りもう自分に殆ど自由はないだろう。
 部屋の、城の外へ出たことはルミナスにも既に知られている。この後間違いなく尋問されるだろう。

 逃げるならきっと今しかない。もう二度と外には、出られないかもしれない。
 それならいっそ、このまま。どこか遠くへ逃げてしまおうか。

 そんなことを思って自然と歪な笑みが浮かんだ。
 そんな、できもしないこと。
 だけど何故か分からない。今ならどこにでも行ける気がしたのだ。

 ひとりでも。


「――本当に?」

 
 突如降って湧いたその声に、セレナはびくりと体を揺らして項垂れていた頭を持ち上げる。
 油断していたとはいえ、部屋にはいってくる人の気配にまるで気が付かなかった。
 暴れる心臓を押えつけながら、ゆっくりと声の方へ振り返る。

 ディアナスが戻ってくるには早すぎる。
 それに、その声は――

「…きっと、貴女は。そんなことは考えても、実際にはしないでしょう。貴女は誰も、見捨てられないのだから」

 ──懐かしい声だった。
 どのくらいぶりにその声を聞いただろう。
 分らない。だけど喉の奥が詰まる。

 気配を押し殺すような、音のない足音。それが少しずつ自分に近づいてくるのをただ見つめた。
 眼鏡のレンズの向こうでその瞳が、自分の情けない表情かおを映している。
 その口元はかたく引き結ばれたまま。自分をまっすぐ見据えたまま。

 対峙する。
 さよならも言わずに別れたと思っていたひと。

「……ノヴァ」
「…久しぶりです、……セレナ」


 そこに、ノヴァが居た。


------------------------------


 長い廊下を足早に歩きながら、王族用の控え室として使われている部屋を目指す。
 控室と屋内庭園は建物のほぼ反対に位置するのでその距離がもどかしい。
 こんな時に転移魔法を使えたらどんなに楽だろうとディアナスは内心苛立つ。
 転移魔法だなんて高位の魔法は使える人間自体限られているけれど。

 ディアナスの胸中はかつてないほど揺れていた。
 いろんな出来事がいっぺんに起こった。心の整理もつかぬまま。

 とにかく今は、アレスをあの部屋に連れていかなくては。できるだけ内密に、もっと言えばイリオスに見つからないように。

 おそらく国王陛下はもう修道院ここには居ないだろう。
 今日は祭事の為に修道院の一部が開放されている。その影響で普段院にかかっている結界が一時的に解かれていた。
 それはその分この場所が無防備に晒されているということだ。
 ただでさえ王族とそれに連なる者たちが顔を揃える数少ない機会。その分危険も伴う。国王陛下の滞在は必要最低限だけだ。

 民衆たちもぞろぞろと修道院を後にしている。
 祭事は無事終わったと言っていい。

 いっそイリオスも既に帰っていてくれていれば話は楽で良いのだが。
 でもおそらくそれはないだろう。イリオスは既に自分たちの不審に勘付いている。
 問い質すなら全員が揃っている今よりほかにない。

 面倒なことになったなぁと。ディアナスは内心重たい溜息を吐いた。
 自分は王位とか国の未来だとか、そんなしがらみからは一番遠い所に居ると思っていた。
 この血をもって生まれた以上自分の責務は全うするが、余計な諍いは望まない。もとより一番継承権の低い最後の身。何も期待なんかしていない。
 それはおそらく周囲も自分と同じような認識を抱いていて、それがあってのこれまでの自由だったと理解している。
 なのに、何故かそれはもう。
 他人事ではなくなってしまった。

 かつんと靴音を響かせて、ディアナスは努めて静かに目的の部屋の扉を開ける。
 そこにはおおよその予想通り、来客用のソファと椅子に腰かける自分の兄たちがいた。

 ――ただひとりを除いて。

「遅かったねディアナス。ちょうど今きみの話をしていたところだ」
「……は」
「…ディアナス?」
「ヘルメス・ノヴァは?」

 自分と半分だけ血の繋がった、四人の兄たち。
 これから王位を争うことになるのだろうか。考えただけで憂鬱だ。
 だけど今この場には、三人しか居ない。
 その光景にざわりと胸が騒いだ。
 得体の知れない感覚が喉元を込み上げて吐き気すらする。

「…父上と、先に城に戻ったはずだ」
「本当ですか? ゼノス兄様、探知魔法は? 彼が今どこに居るのか分からない?」

 イリオスに向けられる訝しげなをすり抜けて、ディアナスはソファに座っていたゼノスに駆け寄る。
 この中で一番魔法と魔術に精通しているのはゼノスだ。そして魔力を有しているのも。

 ディアナスのその突然の言動にゼノスは目を丸くして、「できるけれど、」とそれでも言葉を濁した。
 ちらりとイリオスに視線を向けて是非を問う。その様子にディアナスは歯噛みした。
 無言で理由を問われる重圧に、ディアナスは重たく口を開く。

「セレナが今ひとりで庭園に居ます。ノヴァ彼女セレナに近づかない保証は、ありますか」

 ディアナスのその言葉に一番驚いたのは、目の前に居たゼノスだった。
 
 ――セレナ?
 セレナとはあの、セレナのことだろうか。
 自分たちの、夜伽聖女。
 だけど彼女はあの部屋を出られないはずだ。そう聞いている。
 どうして、修道院ここに?
 それにこの緊迫した空気はなんなのだ。
 まったく状況が解らない。

「……ゼノス。僕が補佐する。ノヴァの居場所を確認してあげなさい。修道院ここに居るか居ないかだけ分かれば良い。ついでに、彼女セレナも」
「……は、い」

 イリオスに促され、ゼノスは呆然としながらも半ば反射的に魔法陣を展開した。
 事態はまったく呑み込めない。だけどやたらと血が騒ぐ。どくどくと、まだなお体に残るのろいが。

 探知魔法は範囲と対象によって膨大な魔力を必要とする。だけど情報量によってその負荷は軽減されるし精度も上がるものだ。
 修道院内だけに範囲を限定しゼノスは魔法を発動した。ゼノスの魔力が修道院を巡る。

 ヘルメス・ノヴァの情報はあまり持っていない。だけどこの身に流れる半分だけ同じ血が一番の情報源だ。
 血を分ければ魔力の質もとても近いものになる。
 だからゼノスは、ノヴァの居場所をすぐに見つけることができた。
 そしてもうひとりの、目当ての人物も。

「…居ました。まだ、修道院内ここに……おそらくその、庭園に」
「……!」
「…セレナも、一緒です」

 室内の空気が変わるのを、その場に居た全員が感じた。
 誰のものかは分からない。
 だけど真っ先に動いたのはイリオスだった。

「空間を繋げる」

 言うのと同時にイリオスが素早く魔力を部屋の扉に向けた。
 扉を介する空間転移魔法だ。こちらもおそろしく魔力を消耗する。

 一番扉に近い場所に居たアレスが腰元の剣をとり素早く扉を開けた。
 それからイリオスとディアナス、探知魔法を収めたゼノスが続く。

 一瞬で切り替わった場所は、セントポーリアの室内庭園が見える広い廊下。
 室内庭園は壁ではなく大きな窓が嵌めこまれ、室内の日差しが廊下まで溢れていた。
 
 そしてそこに。
 ふたりの姿を確認することができた。

「……セレナ…!」

 思わず零したのはゼノスだった。
 いつもとは全く異なるドレスを身に付けているけれど、その黒い髪は見間違えるはずがない。
 自分が彼女を、見間違えるはずが。

「…結界があるみたいだね」

 ぽつりと零したイリオスに、兄弟たちの視線が吸い寄せられる。
 部屋の扉より僅か手前。透明な壁がそこに在った。

「……ノヴァか」

 おそらく、兄弟たちの中で。自分が一番魔力を有している。ゼノスはその自覚があった。

「…兄上。おれとヘルメス・ノヴァ、どちらの魔力が上ですか」
「……分らない。彼の魔力を正しく測ったことが無いからね。ただ、彼は…彼の素質は本物だ。彼の母君はあの大魔導師だ」
「…補佐をお願いします」
「…ゼノス。やめた方が良い。そうでなくても今きみの身には残る呪いを抑える為の魔法が幾重にもかかっている。これ以上の負担を強いるのは危険だ」

 イリオスの冷静で居て的確な警告は、ゼノスの心までは届かない。
 ゼノスは自分の身に纏っていた防護の為の魔法をすべて取り払い、目の前にある自分たちを阻む結界だけに意識を集中した。
 
「ゼノス、やめなさい。僕も今日はいつも以上に魔力を消費している。補佐しきれない」
「ならおれひとりでやります。離れていてください」
 
 その場に居た全員がゼノスのその様子に、ただならぬ気配に思わず息を呑む。
 いつも部屋に篭り殆ど自分を出さず、すべてイリオスに従ってきたあのゼノスが、イリオスに逆らうところなど初めて見る。
 こんなにも激情的なゼノスを、誰も知らない。

 もはやゼノスの目には、次第に距離を縮めるふたりの姿しか映らなかった。
 風もないのにその銀色の髪が揺らぐ。
 琥珀色の瞳が捕えるのはただひとりだ。

 ──それ以上、近づくな。
 彼女に触れるな。
 彼女は――


「必ず、破ります」


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