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閑話
罪と罰と歪んだ資格
しおりを挟むテーブルの中央にある燭台の、蝋燭の灯りだけが室内を照らしていた。
この部屋に窓はない。あるのは風もないのに揺らぐ心許ない炎だけ。
それでもこの特別な部屋自体にかけられた術の効果故か、部屋が完全なる暗闇に染まることは決してなく、着席する人物の表情をぼんやりと浮かべていた。
その炎が一番最後に入室したゼノスを迎え入れ、部屋の扉が静かに閉じられる。
場所はもはや定例となった“兄弟会議”の秘密の部屋。
参加者はこの国の血を継ぐ王子たちだけだ。
「……今日は彼は、居ないんですね」
いつの間にか定位置となった席に腰を下ろしたゼノスが、小さくぽつりと呟いた。
その琥珀色の瞳はゆっくりと他の兄弟たちの顔を確認し、そして最後は長兄でありこの場の議長ともいえるイリオスで留まる。
イリオスはその表情も雰囲気も微塵も動かすことなくただその視線を受け止めた。
ゼノスの言葉に過剰に反応したのは末の王子のディアナスで、それから次兄のアレスも体面は特に関心を見せない。
だけどゼノスの言葉に皆が等しくただひとりを思い浮かべた。
ヘルメス・ノヴァ。
ずっと王位継承権を持たずその存在自体を隠されてきた、この国の第三王子。
それが先日の公式行事でもある祭事において、国王陛下自ら彼の存在を民衆に知らしめた。王位継承権授与の宣言と共に。
彼が国王陛下より賜った正式名はヘルメスのみで、“ノヴァ”は亡き母に与えらえたもうひとつの名前だ。ごく一部の人間しか、その名前を知らない。
「勿論彼も誘ったけれど、外せない用事があるからということで今日は彼は欠席だよ。兄弟が揃わなかったのは残念だけれど、議題の人物は揃っている。予定通り始めよう」
イリオスの言葉に緊張を走らせたのは、一番上座に座るイリオスから僅かに距離をとるように座ったふたりだった。
アレスとディアナス。ふたりともどことなく固い表情でイリオスの宣言を受ける。
この場の通達時に議題は知らされていなかったが、そんなものは本人たちが一番よく知っていた。
イリオスとの約束を破り夜伽聖女と接触し、あまつさえそれを報告もせずに隠してきたアレスと、そしてそれに一部とはいえ荷担していたディアナス。
ただしディアナスが彼女の正体――セレナが夜伽聖女であると知ったのはすべてがイリオスに知られた後だ。少なくとも修道院でセレナが倒れイリオスが迎えに来るまでは、ディアナスもその事実を知らなかった。
ディアナスは“シンシア”として、ひとりの少女と絆を深めただけ。そう思っていた。
だからディアナスがこの場で問われるとすれば、その後のことだろうとディアナスは固唾を呑む。
祭事当日において私情に流されディアナスは、本来の自分の責務を一部放棄した。
そしてセレナがあの場に居ること自体がルール違反であると知っていて、夜伽聖女に関する報告義務をあえて無視し、王子としてよりも個人の感情を優先させたのだ。
サラと、そしてセレナの約束を自分はどうしても見届けたかった。
意外にもそれに同調したのがアレスだった。アレスの行為に荷担したというよりは、祭事当日に限っては結託したと言った方が適切かもしれない。だけどそれを正す気はなかった。
その自覚がディアナス自身にもあったのが何よりの証だ。
「と言っても、今日の目的はあくまで諸々の確認のみで、この場において何かを断罪するつもりはない。既に罰はそれぞれ受けているはずだからね」
言ってイリオスは、手元の薄い紙にそっと目線を落とす。
それから業務的にそれを読み上げた。
「アレス…君のルール違反に関しては、騎士団への出入りと討伐遠征への当面の禁止だ。これは継続してあと一週間。つまりは謹慎を継続するように。必要時以外の不要な外出も勿論不可だ」
「……分かっている」
アレスのルール違反の罰は、謹慎と実はもうひとつあった。
アレスが肌身離さず持っている亡き親友の忘れ形見でもある剣が、イリオスによって一時的に没収されたのだ。
祭事までの三日間、アレスは文字通り丸腰で自室で過ごすという苦行を強いられた。
それでも続き部屋になっている専用の部屋で最低限の鍛錬はしていたが、アレスにとってはいろいろと自身を省みる時間を過ごすこととなった。
室内に篭るより外に出ることの方が気性に合うアレスにとってはなかなかに重たい罰ではあるが、相応の罪を犯した自覚はあるので甘んじて受け入れた。
あと一週間は、イリオスによって命じられた政務補佐のような役割をこなさなければならない。アレスの最も苦手とし今まで散々避けていた机仕事だ。考えただけでも憂鬱になるが、今の自分には文句のひとつも出てこなかった。
「それからディアナス、君も三日間の謹慎を既に終えている。君は文字通り新生活があるからね。落ち着いた頃を見計らって今後は正式に“ディアナス”としての公務も加わることになる。その前にいろいろと準備や手続きも必要だろう」
「は、はい…」
それからイリオスが、その藍色の瞳をふたりの弟に向けた。
「この件に関しては、それぞれの報告書と反省文を以て収束とする。過ぎたことはこれ以上追及しても仕方ない。今目の前にある事実を、僕はただしく受け容れている」
イリオスのその言葉にアレスとディアナスは思わず顔を顰めるも、頷いて素直に同調をみせる。
罰が本当にそれで済むのなら想定外ではあるが有難いことだ。
ただ、肝心の夜伽聖女に関する言及が無いことだけが、何故だか妙に気にかかる。まるでそれを避けているかのように。
「事実として祭事は無事終了し、一部の想定外をおいて目的は達成できた。あの場において聖女の加護を民衆に知らしめ、未だ混迷する民のその心を陛下の元にひとつにすること。祭事の目的はそこにあった」
熱をもたないイリオスの、まるで読み上げるようなその宣言。
弟たちは若干の違和感を覚え顔を上げた。
そこにはいつもと変わらない兄が居るだけだ。
なのに、何故か、胸がざわついた。
「……セレナは…どうなったんですか? 彼女は、この後どうなるんですか、兄上」
その違和感と疑問を真っ先に口にしたのは、イリオスから一番近い席に座るゼノスだった。
いつも目深に被っていたフードも、全身を覆い隠す厚手のローブも、痛みと呪いの痣の誤魔化しの為の魔法も、もはや何ひとつ纏わない彼のそのまっすぐな瞳がイリオスに向けられる。
イリオスはそれを受けて僅かに笑って答えた。
「どうもならない。彼女はまた、あの部屋に戻ったよ。そして最後までその役目を全うする。それだけだ」
「……っ」
祭事の日、あの白い庭先で。
最愛の別れに泣き崩れたセレナを抱き留めたのはゼノスだ。
だけど気を失ったセレナを引き取ったのは、いつの間にか部屋に現れたルミナスだった。
おそらくイリオスが呼んだのであろうことはすぐに察しがついた。本来なら中立の立場とする神官長であるルミナスは、祭事に限り陛下の側近の一団に居たはずだ。
あれからセレナとは一切の接触が断たれている。唯一の連絡手段である蝶を飛ばしても返事は返らず、セレナの現状は一切分らない。彼女があの部屋でひとり、どんな思いで過ごしているのかも。
「…夜伽を、続けると。そういうことですか?」
「…そうなるね。彼女の目的は僕ら全員の呪いを解いて、そして自由を得ることだ」
おかしいと、おそらくその場に居た全員が無意識に感じていた。
アレスとディアナスのルール違反は勿論だが、セレナ自身もルールを侵してあの場所に居たことをイリオスも知っているはずだ。そして最後のあの庭で、泣き崩れるセレナをイリオスも見ている。
イリオスだけじゃない、ここに居る全員が。セレナの心が粉々に砕け傷つく様を見せつけられたのだ。
そうなるほどにセレナの心が誰に向いていたのかを、注がれていたのかを。あの場に居た全員が思い知らされた。
自分たちがセレナの傍に駆け寄った時にはもうその姿はなかったが、そこには確かにヘルメス・ノヴァが居て、そして彼女と何をしていたのかも知っている。ふたりの関係性が自分たちとは異なるかたちであったことも、気付いていない者はここに居ない。
「質問を変えます。セレナは本当に、夜伽を望んでいるんですか?」
「…その答えなら、以前したはずだ、ゼノス」
「望まないと思うからこそ今訊いてるんです。彼女には、大切に思う相手が居る…それ以外の相手など、本来なら望むはずがありません。彼女は、」
「望むとも望まざるとも、それが彼女の責務だ。彼女もそれを、理解している」
「……兄上…?」
普段滅多に声を荒げないふたりの間に漂う緊張のせいか、室内の空気がやけに薄く感じた。
それともイリオスの放つ空気のせいか。
その翳る瞳の色を、少なくともゼノスは初めて見る。深い翳りの奥の炎を。
「彼女も充分承知している。それしか術のないことを」
「……どういう、意味ですか…?」
「知りたいのなら、自分で確かめてみなさい。君にはまだ彼女の夜伽を受ける資格が残っているのだから」
「…ッ、」
「それから、ディアナス」
一方的にゼノスの視線と言葉を切ったイリオスが、今度はその瞳をディアナスに向けた。
兄たちの切迫した空気に慣れないディアナスは身を竦ませ、それでもイリオスの名指しになんとか顔を上げて応える。
ディアナスにとってもここ数日の出来事は、まだ自分の中で上手く収まりきっていない。
なのに続いてイリオスの口から放たれた言葉が、ディアナスの心に追い打ちをかけた。
「シルヴァから君の“禊”について報告があった。本来は最低でも、成人までには済ませるのが通例だ。君は少し異例とはいえ…早急に済ませる必要がある」
「……!」
イリオスの口から飛び出た言葉に、ディアナスはさっと顔色を蒼くする。
忘れていた問題が、まだここに。しかもこの場で挙がるとは夢にも思わず、ディアナスは思わず言葉を失う。鈍い痛みがざらりと口の中で溢れるようだった。
要約するとイリオスは、王子でありかつ成人男子として、さっさと童貞を捨てろと言っているのだ。
それが王家の血を継ぐ男子としての義務でもある。
しかし頭では解っていても、そう容易く受け入れられない。
母の期待に応えようと成人である十五まで女として過ごしてきたディアナスに、いきなり見ず知らずの王家が用意した女を抱けだなんて、いろいろな意味でハードルが高過ぎるのだ。
向いの席に座るアレスが一瞬気の毒そうな視線をディアナスに向け、助け舟を出そうかと思案している間にも、イリオスは更に言葉を続ける。
「幸か不幸か君はあれだけ拒んでいた“夜伽聖女”との対面を、偶然にも既に果たしていた。それを踏まえてこれは、僕からの提案なんだけれど…」
そこで一瞬イリオスは、言葉を切った。
そしてその瞳をディアナスではなくアレスに向ける。
アレスはその視線を受けて怪訝そうな視線を返した。
「禊の相手は、ディアナス、君に一任する。おそらく君が選ぶ相手はただひとりだろう。それに僕たち王家は口を出さない。出させないと約束する。ただし、条件がある」
その提案は、既に禊を体験したアレスにとってもゼノスにとっても意外なものだった。
基本的に禊の相手は王家が、もしくは当王子の母君が用意する“性技に長けた都合の良い女”だ。ゼノスもアレスも、そして例外なくイリオスもそうだった。
女は王家の血を継ぐ王子の相手として充分に吟味され、王子の初めての性行である“禊”は一種の儀式として重要視される。
滞りなく済んだことを、その身の正常を王家に正しく報告する義務がある。当人以外が。
つまり、立会人のもとに監視されるのだ。王家側の人間に、その行為の一部始終を。
「本来なら禊の立会人は母君が務めるのが常。だけどおそらく、君の場合はそれは難しいだろう。だからその立会人は僕が指名する。なるべく君の意を汲んでくれるであろう、王家の人間を」
「…? どういう、意味ですか」
イリオスの言葉をさっぱり理解できずただ顔を蒼くするばかりのディアナスをおいて、いち早くその意味に気付いたのはアレスだった。
思わず反射的にその拳をテーブルに叩き付ける。イリオスを燃えるように赤い視線で射抜きながら。
イリオスは全く怯む様子もなく言い放った。
「立会人にはアレスを指名する。双方拒否は受け付けない」
言葉を失うディアナスとゼノスの、空気を裂くように咆えたのはアレスだった。
「おまえ…! 本気で言っているのか、イリオス!」
「僕は冗談は嫌いだし言ったこともないよ、アレス」
「…それは、セレナの責務の範疇を越えるだろう…!」
「行為の名称が変わるだけだ。それでディアナスの呪いが解ければ“夜伽”にかわりはないだろう。それに君に課すのはあくまで立会人としての立場だ」
「…ッ、」
深い藍色の更に奥の、その凍てつく炎。
そこにようやく一欠けらの彼の感情が伺えた。
だけどそれがどの感情であるかを、アレスは理解することはできなかった。
「今度こそ約束を守ってみせなさい、アレス。彼女に、触れず。君の役割を全うすること。それがこれまでの件の、君たちへの最後の罰だ」
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