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第八章
だれも知らない
しおりを挟む夢をみた。
いつか自分がみた夢だ。
――もしもふたり、呪いとか役目とか約束とか。
そんなものすべてから解き放たれて自由になって。
本当にいつか、そんな時がきたならば。
その時にまた、わたしが言わせなかった、奪ってしまったその言葉をわたしに言ってくれたなら。
呪いによる欲情なんかではなく、ただお互いのまっすぐな熱だけに溺れ、求め合うことができたなら。
なんにもなくなったただのわたしを、それでも必要としてくれたなら。
ふたりで生きていけたら良いと、そんなことを思っていた。
あの時ちゃんと言葉にして伝えれば良かったんだ。聞いてあげれば良かったんだ。
奪ってしまったのは、わたしだ。
――体中のあちこちが痛くて
目を覚ますとそこはこわいものだらけ
朝なんかこなくて良い
孤独に苛まれる一日なんか始まらず
永遠の夜に閉じこもって
あなたをただ待ち続けるだけの日々の方が
ずっとずっと、しあわせだった
終わりのこない日々のほうが
何も気付かず知ることもなく
永遠を夢見るだけの、ただの子どもで居られたなら
きっとその幸福は、
永遠だったはずなのに
『――前向きなんだか後ろ向きなんだか。きみが思うよりずっと、世界は単純だと思うけどね』
いつも彼は、わたしの考えを否定する
わたし達の考え方はいつも反対で、いつも相手を否定していた
とても一緒には居られないなと思った
なんでも知っていて、なんでも持っていて、ひとから恐れられるほどの魔力をもっていて
だけど彼には帰る場所も待つひともいない
まるでわたしと同じだ
たぶんそれだけが唯一の
さみしくてかなしい共通点
『ほんとうに、おかしな話だ。ぼくは“聖女”を、寄こせと言ったはずなんだけどね』
そうだよ、わたしは聖女なんかじゃない
だけどわたしは選ばれたの
女神さまに、この国の王様に――
『ただ受け容れるだけなの? ぼくに喰われるだけの運命を。つまらないな、もう少しぼくを楽しませてよ』
なんて身勝手で傲慢な
わたしを巻き込まないでほしい
わたしはもう、終わりたい
今がきっとその時だから
空っぽだった心と体が、それでも今はもうこんなに重たくくて苦しいくらい
あたなが最後に詰め込んだ、その思いが零れてしまう
それだけは惜しい
ひとつも零さず残さずぜんぶ、持っていきたいのに
『――ぼくが、きみを本物の聖女にしてあげる。きみにぼくの力を』
いらない
そんなの望まない
わたしが望むのは
欲しいのは――
『…だから。だから、死なないで。ぼくを置いていかないで。セレナ、ぜんぶきみが、ぼくに与えたんだ。もうひとりでは、生きていけない』
泣かないで
だいじょうぶ、きっと
あなたにとってはまた、長いひとりの夜が続くのかな
だけど前よりはきっとさみしくない
この森にはもう、あなたひとりではないはずだから
この体が朽ちてもこの心は
きっとまたあなたのもとへ戻ってくる
きっとまた逢える
だから見つけて
わたしを
------------------------------
心臓に、焼けるように鋭い熱を感じた。
痛みに呻きながらうっすらと瞼を持ち上げる。
見慣れた自分のベッドの上。窓から差し込む光は昼間のもの。
ぼんやりと視線を彷徨わせながら、記憶を手繰り寄せてみる。
霞む意識の波が先ほどまでの夢の余韻を押し寄せて掻き消した。
体が何かを叫んでいる気がする。だけど既にそれは遠い彼方。
ふとひとの気配を感じて視線を向けると、見覚えのある背中が見えた。
僅かに距離をとったベッドがその体重で軋んでいる。仰向けに寝たセレナの手が触れるか触れないか程に近く。だけど呼吸すら聞こえないほど静かに。
天窓から差し込む光に反射する金色の髪が綺麗だなと、ただそれだけがぼんやりとセレナの胸の内に沸いた。もう彼が無許可で無遠慮でなのに当然のようにここに居る非常識さとその理由には、つっこむ気も起きない。
「……イリオス…?」
小さく、呼んだ声に。その背中は何も反応を返さない。
いつもしゃんと伸びたまっすぐな背中が、何故だか少し屈められているように見えた。
寝たまま視線だけ向けた背中は、ただそう見えただけなのかもしれない。
イリオスは振り向かない。
ひらひらと、いつの間にか部屋に現れた白い蝶が、彼の肩にそっととまった。
誰かからの返事だろうか。もしくは新しい用件か。
これまでに何度かその蝶は王子たちの文章を運んできてくれたけれど、セレナにはすぐに返す気力はなかった。
すべてテーブルの上の出しっぱなしの紙にただ募っていくだけ。
筆跡もそのまま写す文章のおかげで、どの文字が誰のものかはセレナにも理解できる。殆どはきちんと名前をいれてくれていたおかげもある。主にアレス以外だ。
文字の読み書きができるようになったおかげで、蝶のやりとりにルミナスを介する必要がなくなったことは小さな救いだった。
いつも無意識に言葉を選んで躊躇していたその気力を削がれずに済んだからだ。気兼ねなくなったといっても良い。
だけどそれでも、返事はすぐにはできなかった。
ほかの王子たちと向き合う余裕がセレナには無かったのだ。
それでも次第に冷静になる頭と体と心で考えて、それからようやくひとつだけ返事を返した。
取り急ぎ返事をしたのはゼノスからのメッセージ。倒れる前に最後の記憶が彼とだったからからもしれない。
ただ自分の身を案じる文章に、無用な心配をさせたくないと思った。それに彼に会って確かめたいことがあったのだ。
以前ゼノスから借りた、先の“夜伽聖女”に関する資料。それに関して訊きたいことがあったし、その為には彼の部屋の方が都合が良い。
一応ルミナスに確認してからにはなるけれど、ゼノスの部屋には既に一度行っているし、ゼノスとの夜伽はまだ残っている。
だから会いにいくことにしたのだ。
ここ数日のことをぼんやりと思いだしていると、ふとようやくイリオスの背中が動く気配がした。
何故だかセレナの体は動かない。久しぶりに感じる気怠さに意識も定まらない。
ぎしりと、ベッドが鳴る。まだなお振り向かずにイリオスは、自分の肩にとまった白い蝶に人差し指を差し出す。蝶はひらりと場所を移してその指先に落ち着いた。
てっきりセレナ宛てに来たのかと思った蝶だけれど、イリオス宛てだったのだろうか。
まだ僅かに霞むセレナの視界の片隅で、蝶の羽に刻まれた文字がゆっくりとイリオスの指先に移るのが見えた気がした。そうしてその文字をイリオスが指先で散らすのを。
「…イリオス…?」
もう一度、呼ぶ。
返事はない。
もしかして自分はまだ夢の中なのだろうか。
やけに胸の痛みだけが鮮明で、だけど今までのも全部夢で。
目が覚めたらもう自分は、この世には居ないのかもしれない。
そんな終わりの予感がした。
「……“呪い”とは。つまり、なんだと思う…?」
ゆっくりと。ようやく振り返るその背中。
再びベッドがぎしりと鳴って、イリオスが腰を上げて体重をずらす。セレナとの距離を縮めながら。
問いかけているのか、それとも大きなひとり言なのか。
イリオスはセレナの答えなど待たず、覆いかぶさるようにセレナの顔の脇に手をついて、その腕の内側に閉じ込めた。腕の中からセレナはただ、その藍を見上げていた。
「呪いとは、力そのものだ。ひとつの意志のもとに解き放たれたその欠片は、目的を果たすまで止められない」
「……目的…?」
イリオスが何を言っているのか。言おうとしているのか分からない。確か以前もこんなことがあった。
ただまっすぐ見つめるその瞳に小さな違和感を覚える。
そこにセレナは映っていない。
彼が見ているものは、なんだろう。
「分かたれた欠片が本来のあるべきかたちを求めるのは当然であり、それには受け皿が必要だった。それが“夜伽聖女”だ」
ぴくりと。その名前に無意識に、体がいやでも反応した。
そんなセレナにくすりとイリオスはわらう。憐れむように、だけど慈しむように。
「穢れは祓えても、呪いを消すことはできない。成就させるか撥ね返すか。それしか術はない」
――どうして。
そんな哀しそうな瞳をするのか。
分らない。
ただ、目の前のこのひとは、セレナが一番隠したかったことに気付いている。
知っている。自分に呪いを浄化できるような資質がないことを。
呪いはまだ、ここにあることを。
「それを彼は…ノヴァは知っていた」
いつの間にかその手には白い紙の薄い冊子があった。
思い当たるそれは、ゼノスから借りた大事な資料だ。先の“夜伽聖女”の――
だけど、今イリオスの口から語られているようなことは、どこにも書いていなかった。
あれから何度も読み返したから知っている。そこに書かれていたのは僅かな情報と記録だけ。
そんなセレナの心の内の動揺を見て、イリオスは薄く笑う。
「…これは、ノヴァの母君が持っていた残りの半分。僕らの呪いと、夜伽聖女に関することが書かれている」
ゼノスから借りたものではなく、足りなかった、大事な部分――
おそらくそこにはセレナが知りたかったことが書かれている。
ぐっと、思わず。喉の奥に力が入って無意識に手が動いた。
イリオスはそれを、その稀薄な白い真実を。
セレナと目を合わせたまま、端から黒く焦がしていった。
「…! やめて、イリオ、…ッ」
思わず叫んだセレナの言葉ごと。
イリオスは封じ込める。自分の唇で。
抵抗は殆ど無意味だった。
両腕を抑えつけられ睨む視界の片隅で、イリオスの手を離れた黒い欠片はやがて跡形もなく消えた。
悔しくて思い切り唇を噛んでやった。
目の前でその綺麗な顔が僅かに歪み、それでもイリオスは唇を離さない。
口の中に鉄の味が広がる。
胸が痛くて涙が出た。それなのにどこか懐かしい感覚もした。
自分の血と唾液をセレナの口の内側に塗り付けながら、ようやくその唇が離される。濡れた唇の端には僅かに血が滲んでいた。
「はやく、すべての呪いを集めるんだ。そうすれば君は自由になれる」
「…どういう、こと…?」
「呪いの目的は、この国の――フィラネテスの国王を葬ること。夜伽は呪いをかき集める為の手段に過ぎない。きみの体はその依り代に充分な素質の“聖女”として召喚された」
「ま、待って、いきなり言われても」
「すべてが集まってしまうと、きみはきみではなくなってしまう。だから、全部でなくて良い。呪いがその効力を発揮できる力を得るまで…目的さえ果たせば、呪いは本懐を遂げ消失する」
目的を果たして、呪いが消失する。
すべてから解放されるということだ。
夜伽聖女という役目からも、この苦痛の檻からも。
「その為に彼は、王位継承権を継いだ。自ら王になることを、彼は望んだ」
イリオスの言う彼が、誰なのかをセレナは無意識に理解していた。
その顔が、涙で滲む。残酷な事実を突き付けられて。
「きみに殺される為に、ヘルメス・ノヴァはこの国の王となる」
――さいごの。
ノヴァの顔が、頭に浮かんだ。
愛していると。生きてと言って自分を切り捨てたひと。
セレナの為ではなく自分の為に選んだ道で、彼は生きていくのだと思っていた。
だけど、確かに彼も言っていた。
セレナを、夜伽聖女の呪いから解き放つと。
「……ゆるさない」
零れる涙もそのままに、セレナは目の前のイリオスを睨みつける。
イリオスはただそれを受け止めて、無言を返す。
ひとに生きろと言っておいて、自分は死ぬ気でいるなんて。
そうして自分を守った気でいるなんて、ひとり善がりも良いところだ。
以前アレスが自分に怒りを向けたその気持ちが今なら痛いくらい分かる。
――自分の弱さを他人のせいにするな。
ノヴァがそれしか選べなかったなら。その方法しかなかったのなら。
その弱さは自分のせいだ。
「そんなの絶対に、ゆるさない…!」
そんなこと、望んでない。
ちゃんと言ったのに。
何も要らないから傍に居てって。
だけどそうだ、伝え忘れていた。
なげやりだった自分が、ちゃんと生きると決めたこと。
きっとノヴァの中でまだ自分は、未来を諦めた死にたがりの弱いセレナのままなのかもしれない。
だったら。
伝えなくては、今度こそ。
「呪いが力そのものだというのなら、ぜんぶ掻き集める。ひとつ残らずこの体に」
「…きみがきみで、なくなるよ」
「そうならない方法を探す。ノヴァの決意は無駄にしない。だから、教えて」
ぐいと、自分を見下ろすイリオスの、その襟元を掴んで鼻先まで引き寄せる。
表情を崩さない端正な顔。されるがままに、どこかおもしろそうに。セレナの様子をその目に焼き付けている。
その瞳の奥で小さな光がわらう。試すように。
王家に継がれてきた呪いと、国を蝕む瘴気はまったくの無関係ではないはずだ。
だけど王家にはまだ、隠し事が多すぎる。
大人しく誰かの意思に従う気も、ただ閉じ込められておかれる気も毛頭ない。
今度はこちらがすべてを暴く番だ。
「あなたは誰?」
“イリオス”が、わらった。
かくれんぼで見つかった子どものように。
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