戦国転生・内政英雄譚 ― 豊臣秀長の息子として天下を創る

丸三(まるぞう)

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第二章 動きだす歯車

第31話 名人久太郎

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天正9年(1581年)11月 近江・長浜城


長浜の城下が、わずかにざわめき始めたのは、朝霧がまだ堀の水面に残っている頃だった。

「堀様が、まもなく着城だそうだ」

城門の外で交わされる声は低いが、隠しきれない緊張を含んでいる。

 堀秀政。
 通称、久太郎。

織田信長の近習にして、馬廻衆の筆頭。
13歳で信長の側近に取り立てられ、軍事的・行政的才能を発揮。
何をやらせてもそつなく完璧にこなす万能の才能から「名人」と呼ばれた。

軍議では、柴田や丹羽などの重臣と同じ席に座れる数少ない若手である。
戦場の段取りと政の算盤のどちらにも通じ、信長の書状を預かり、命令を伝える役も担ってきた。

本能寺の変の後は、羽柴秀吉に与した。
1590年小田原攻めの陣中で38歳で病死し、秀吉が大いに悲しんだという。

現在、20代の後半。
すでに織田の政を動かす歯車の一つとなっている。

伊賀攻め、越前一向一揆征伐、諸国の検地など、これまで重ねてきた功績への論功として、長浜2万5千石が与えられた。
城下ではそう囁かれている。

形式の上では、この長浜の新たな城主である。

もっとも、北近江15万石の大半は、いまなお羽柴家の家臣団が治めている。
秀吉は西国の軍務にあり、その妻子はこれまでと変わらず長浜に住むことになる。

城主は移るけれど、城下の暮らしは移らない。
主が替わっても、政がすぐに替わるわけではない。

それでも―

信長の最側近が、この城に入る。
その事実が、城下の空気をわずかに張り詰めさせていた。


私は母に伴われ、表の間に控えていた。
ねね様もすでに座している。背筋は伸びているが、どこか硬い。

「緊張しておられますか」
私が小声で言うと、ねね様は小さく息を吐いた。

「少しだけ」
「殿の城に、別の方が入るのですもの」
ねね様の言葉は柔らかいが、その裏にある感情は複雑だ。

やがて、廊下の向こうから足音が近づく。

現れた男は、思ったよりも若かった。
背は高く、体躯は引き締まり、動きに無駄がない。
顔立ちは端正だが、柔らかさよりも冷静さが先に立つ。

堀秀政。

その眼には、年齢以上の緊張と責任が宿っている。

秀政は畳に手をつき、深く頭を下げた。
「堀久太郎秀政にございます」
「此度、大殿の仰せにより、長浜城をお預かりすることとなりました」

ねね様も頭を下げる。
「遠路、ご苦労さまでございます」
「主人、羽柴筑前守は西国にて軍役の最中」
「留守を預かる身として、ご挨拶申し上げます」

秀政は顔を上げ、ねね様をまっすぐ見た。
「筑前守殿がこの城をいかに大切にされているか存じております」
「ゆえに、城も、城下も、これまで通りに」
「預かるだけでございます」

言葉は丁寧だが、媚びはない。
事実だけを述べる声だった。

母が続けて頭を下げる。
「秀長の妻、初にございます」

秀政は一瞬だけ目を細め、深く礼を返した。
「秀長殿の御内室様」
「お噂はかねがね」

そして、視線が私へ移る。
わずかに、止まる。
「……こちらが」

母が言った。
「秀長が嫡子、竹若でございます」

私は、頭を下げる。
「はじめてお目にかかります」
「竹若でございます」

秀政は私をじっと見た。
年相応の子を見る目ではない。
まるで、大人を見るような、測る視線だった。

「今、7つにおなりとか」

「はい」

「……よい目をしている」

それだけ言って、秀政はわずかに頷いた。
それ以上の言葉はなかった。
形式ばった挨拶が終わると、場所を移し、小さな茶の席となった。

ねね様と母、私、そして堀秀政。

侍女が茶を運び、静かな空気が落ちる。

秀政が口を開いた。
「北近江の商いも、年貢も、兵の配置も今まで通りで構いません」
「秀長殿の家臣方にも、そのまま政務を続けていただきたい」

ねね様と母はほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます」

彼は、信長の命を背負ってここに来ている。
同時に、秀吉の顔も立てねばならない。
それを両立させようとするバランス感覚の高さに、素直に感心した。

茶が一巡したころ、秀政の視線が、私の足元に移った。
マルが伏せている。

「犬、ですか」

「はい」
ねね様が微笑む。
「竹若殿の友でございます」

秀政は少しだけ口元を緩めた。
「……よい城ですね。人が穏やかだ」
「戦場の城とは、まるで違う」

それから、何気ない調子で続けた。
「この近江は、噂が早い」
「民や商人の動きが活発であれば、それに合わせて噂も駆け巡る」

私は顔を上げた。
「噂、ですか?」

「北近江の国人衆のことです」
部屋の空気が、わずかに締まる。
「水争いを裁いたのが、若殿だと聞きました」

私は頷いた。
「裁いたわけではありません」
「話を聞き、道筋をつけただけです」

秀政は興味深そうに言った。
「ほう、道筋とはどのような?」

「どちらが正しいか、ではなく」
「どうすれば、お互いが納得し争わずに済むかです」

秀政は小さく息を吐いた。
「ほう……」

私は静かに続けた。
「裁きは、勝ち負けを決めてしまう」
「しかし、それでは次の火種が残ってしまいます」

秀政の目が細くなる。
「ほう。それをご自分で?」

「いいえ、お祖父様、いや磯野殿から後で教わった知恵です」
「理由があって、拳を下ろすのだと。家のため、村のため、子の代のため」
「その時の私は、裁き以外の道はないか尋ねただけです」

一瞬の沈黙。
遠くで、湯の沸く音がかすかに聞こえた。

秀政は、伏せたマルに目をやってから、私を見た。
「戦場では、兵は、命令で動く」
「だが民は、納得で動く」

私は頷いた。
「はい。命令は早く効きますが、その効果は短い」
「理解と納得は長く効きます」

「力をもって人を服せしむる者は、心より服するにあらず。徳をもって人を服せしむる者は、心の中より悦びて、誠に服す。でしたか」(註)


秀政は、一瞬目を大きく開き、口元に笑みを浮かべてを静かに笑った。
声を立てぬ、武将の笑いだった。
「……なるほど。これは驚いた」
「北近江の噂の元はこれか」

ねね様が、穏やかに言う。
「国人衆が、竹若殿の名を口にするようになりました」
「誇らしげに」

秀政は小さく頷いた。
そして、私を正面から見据える。
「竹若殿。国人を従わせるのは、武と威だけではない」
「今、口にされたとおり“理(ことわり)”と“徳”も必要」
「しかし、どちらか一方ではない。この二つを同時に実現することが肝要」
「心に留めておいていただきたい」

長年にわたり織田政権の中心で重積をこなしてきた男の箴言(しんげん:教訓の意味をもつ短い戒めの言葉)だ。
この言葉の重みを感じ、深く心に留めようと思った。

そして、秀政の目を見据え、
「はい」
とだけ短く返事を返し、深く深くお辞儀をした。

秀政は大きく頷き、一拍おいて、続けた。
「秀長殿の御子らしい」


ねね様と母は何も言わなかったが、空気がわずかに変わった。
秀政は茶碗を置き、立ち上がった。
「本日は、ご挨拶まで」
「城下の巡察を済ませ、夕刻には、安土へ向かいます」

ねね様が立礼する。
「長浜のこと、どうかよろしくお願いいたします」

「お任せください」
秀政は深く頭を下げ、そして私を見る。
「竹若殿。秀長殿の留守をしっかり守ってください」

私は一瞬、戸惑ったが、静かに頷いた。
「はい」

秀政はそれ以上何も言わず、踵を返した。
足音が遠ざかる。

しばらく、誰も言葉を発しなかった。

ねね様が小さく息をつく。
「……思ったより、静かな方でしたね」
「ええ」
母も頷く。

「強い方です」
「言葉が少ないほど、強い」
私は、胸の奥に残る感覚を探っていた。

堀秀政。
織田の後、次代の政権にとっても重要な男。


城下の喧騒は、いつもと変わらない。
 市場の声。
 鍛冶の音。
 子どもの笑い声。

長浜は、いつもと変わらず動いている。
それが、何よりの現実だった。



(註)
古代中国の思想家・孟子(もうし)の言葉
原文(書き下し文)
「力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり。力足らざればなり。徳を以て人を服する者は、中心より悦びて誠に服するなり」 

意味
「力(権力や武力)によって人を従わせる者は、相手の心まで服従させているわけではない。それは、相手が力でかなわないから従っているにすぎない。徳(公正さや思いやり)によって人を従わせる者は、相手が心の底から喜び、真心から従うものだ」

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