恋の始め方がわからない

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ソースと口付け

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 姫川に、そう言われてまだ一口もつけていない事に気がついた。
 クレープ生地はしっとりとしていて、中のクリームはかなり甘い。けれど、いちごのソースは酸味が強めに作られているようで、かなり食べやすい。

「うん。美味しい」

 美味しいけれど、中身がしっかりと入っているので食べにくい。唇にクリームがつきそうだ。
 私が食べているところを見ながら、「次はこれを頼んでみようかな」と呟くのが聞こえた。

「あ、ソースついてるよ」

 姫川に指摘されて、私は自分の顔を拭こうと慌ててハンカチを取り出す。

「どこについてる?」

「ここ」

 言うなり姫川は、私の唇をペロリと舐めてしまった。

「……っ!」

 あまりに突然のことすきで、驚きで私は目を見開く。
 
 拭くにしてもそれはないでしょうよ!

 姫川は、心底楽しそうに「ははは」と、声を出して笑い出した。

「嘘だよ」

 嘘だったの!?
 私はまた驚いてしまう。なんでこんなことをするのだろうか。

「ちょっ!姫川さん」

「無防備なのが悪いよ」

 思わず抗議すると、姫川は私が悪いと言わんばかりにそう返す。

「……!」

 普通はそんな事しない。
 彼が何を考えているのか、全く理解できない。

「さあ、食べたら行こうか?」

「う、うん」

 ずっと、翻弄されっぱなしだ。本当に心臓に悪い。

「大丈夫。取って食ったりはしないから、お誘いがあったら喜んでご奉仕しますけど」

「……!」

 何をどうご奉仕するつもりなのだろうか。
 考えるのも怖い。いや、考えてはいけない。深みにハマって逃げられなくなるから。
 痛い女にはなりたくない。

「僕の行きたいお店でもいいですか?ちゃんとした飲食店ですよ」

「ええ、どうぞ」

 ちゃんとした飲食店。というワードにびくりとしてしまう。

「次どこ行きます?」

「えっと」

 次の約束をさりげなく取り付けられて、私は言葉に詰まる。
 また、誘われるなんて思いもしなかったから。
 ゆっくりとフェードアウトしていくという意味なのだろう。変に意識してはいけない。

「今は寒いからあれだけど、暖かくなったら動物行きますかね。ナイトズーとかどうです」

 動物園というワードに、知り合いもいたら。と、思うと途端に不安になる。
 姫川と噂にならなければいいのだけれど。

「屋台とか出ていて、色々と食べられるみたいですよ」

「行く!!絶対に行くわ!」

 屋台というワードに、反射的に私は行くと返事をしてしまう。
 いつでも食べられる焼きそばも唐揚げも、お祭りの屋台で買うと、特別感がマシマシになり、とても美味しく感じるのだ。

「麗さんって食べるの大好きですよね」

 そう言われて、いつのまにか姫川のペースに乗せられていることに気がつく。
 きっと経験値の差のせいだろう。
 彼が私に飽きるまではこの関係がもしかしたら続くのかもしれない。

 別にいいか。私は弁えているし。

 恋愛に発展しないであろう関係は、とても心地いいものだ。きっと、姫川もそうだ。

 ああ、でも。少し胸が痛むのはなぜだろ。
 
 きっと、身体を繋げてしまったからだ。その感触すら忘れてしまえば何も悩まなくなるはずだ。


「今日はありがとう」

 気がつけば楽しい時間は終わり、アパートまで送ってもらってしまった。
 
「その、お茶とか」

 わざわざアパートまで送ってもらったことが申し訳なくて、お茶を飲まないかと声をかけると、姫川は苦笑いを浮かべた。

「そうやって男を上げたら、襲われるって思っておいた方がいいよ」

「えっ」

 突然そんな事を言われたので、少し驚いたが、冷静になって考えてみるとその通りでしかない。
 姫川がそんな事をするなんて絶対に思えないが。

「やめておきます。麗さんは、もっと、危機感を持ってください」

「……うん」

 素直に返事をするしかできなかった。

「じゃあ、またね」

 返事をしようとしたら、急に姫川の顔が近づいてきた。
 チュッと音を立てて、姫川の唇と私の唇がぶつかってしまう。

「くぁ」

 思わず出た間抜けな声に、姫川はくすりと笑った。

「凄い間抜け顔。可愛い」

 また、姫川の顔が近づいてきて、私は慌てて首を振る。

「ち、ちょっ、ちょっ!」

 待って。という言葉が続かない。
 姫川は、私の慌てふためく様子に満足したように顔を離した。
 どうやら揶揄っていたようだ。
 本気でキスしてくるのかと思った。

 こういう時、経験値のなさのせいで冗談を本気に取りそうになってしまう。

「次は、水族館にしようか。じゃあ、またね」

 また、いつもの「またね」だ。
 その「またね」がいつまで続くのだろうか。

 そんな事を考えて、とても寂しくなった。

「あの、楽しかった。凄く。その、本当にありがとう」

 いつか、終わる関係でも嬉しかった事はちゃんと伝えようと思った。
 せめて思い出だけは楽しいものにしたかったから。

 姫川は、なんの返事もせずに微笑んだ。

 その笑みは、愛する人との情事の後のように優しくて、愛されていると勘違いしそうになるものだった。





今日はあと五回くらい更新します
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