芋虫(完結)

毛蟹

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 その週の金曜日、仕事を終えて会社から出ると水津が私に話しかけてきた。

「今から行っていいですか?」

 私は水津が何を言っているのか一瞬よくわからなかった。

「え?」

「忘れたんですか?アレ」

 忘れてなんていない。ただ、どこかで悪い冗談だと思っていたのだ。

「……忘れてないわ」

「じゃあ、俺の車に乗って」

 だからといって、私が水津の車に乗る必要はない。

「え。でも」

「いいから来いよ」

 戸惑っていると苛立ちを隠せない様子の水津は会社の敷地外にある駐車場に行くように、私の背中を少しだけ乱暴に押した。

「っ、ええ。わかったわ」

 突然、背中を押されて私は体勢を崩し前方に倒れそうになる。

「どうぞ」

 水津に押されるまま私は駐車場へ向かい。若い子が好きそうな車を見て息を飲む。
 青いスポーツカー。良いところの青年だと思っていたが、やはり車もそうなのか。
 それなりにこだわっているように思えて、不安になる。

「本当に、私が助手席に乗ってもいいの?」

 私の質問に水津は嫌そうに眉を寄せた。嫌いな人間を車に乗せるのはやはり気分のいいものではないだろう。

「別に構いませんけど」

 しかし、水津は不服そうな表情だ。本当は私を乗せたくなさそうにしか見えない。

「私、電車で帰ってもいいけど。なんか申し訳ないし」

 私の愚図にしか思えないような言葉に、水津は舌打ちをする。

「は?俺はいいって言ってますけど」

 水津の不機嫌のゲージはどんどん上がっていくようで、腕を組んで「面倒なんで、さっさと乗ってください」と言われ恐る恐る乗車した。
 黒色の革のシートは肌触りがとてもよく、私の座席には女性用の可愛らしく。若い子が好きそうな。ピンク色のクッションが置かれていて、居心地が悪い。きっと彼の恋人用に用意した物だ。
 使用感のあるそれは、私のために用意したようには全く思えず。恋人が居ることを隠す様子もない彼は「弁えろ」と言わんばかりだ。
 彼には恋人がいるはずなのに、なぜ、私を座らせたのだろう?と疑問が浮かぶ。

 水津は私がシートベルトをしたのを確認すると、不機嫌さを隠す様子もなく乱暴に車を発進させた。
 ガクンと突然車体が揺れて身体がぐらつく。
 ピリピリと悪意が、首筋に絡み付くようで身がすくむ。なぜこんなにも嫌われなければならないのだろうか。
 居心地が悪くなって私は外の景色を見ることにした。しかし、都会の緑のない道路を眺めていても殺伐とした世界しか感じない。この車の中のように。
 早く家に帰って、早く終わらせて、早く帰ってもらおう。

「着きましたけど」

 不機嫌な水津に声をかけられて、私は慌てて返事をした。

「あ、ありがとう」

 「お邪魔します」と、一声かけて水津は私の部屋の中に入る。

「花が好きなんだ?」

 花瓶を見た水津の何気ない言葉に私は答えに困る。
 花は確かに好きだが、部屋に飾られているものは全て匂いのない物だ。人に執着しなくなったかわりに、物を無くしたりするのがとても嫌になっていた。
 生花が枯れていく様は、まるで今の自分のように思えて、以前は好きだったのに飾れなくなっていた。

「ええ、まあ、好きね」
「でも、造花でしょ?本物じゃない」

 その一言に『お前がどれだけ擬態しようが、本物にはなれはしない』と言われているような気分にさせられる。
 不意に、幸せそうに子供を抱き締め微笑み合う彩那と澤田の姿が頭に浮かんだ。
 もしかしたら、私がそこに居られたかもしれないのに。いや、あり得ない事だったと思う。あの時に別れなくても、私ではない別の誰かが澤田の隣に居たはずだ。
 私は一生蝶になんてなれやしない。それだけは良くわかっている。

「生花を買うと枯れるでしょう?取り替えるのが嫌で」
「そうやって人間関係を切り捨ててきたんだ?」

 水津の言葉は冷たいナイフのように胸に突き刺さる。切り捨てたんじゃない。切り捨てられたのは私だ。そう、叫びたい気分だ。

「……」

 何も言えずに私は目を伏せた。

「……次からは前もって連絡して、俺が部屋に行くよ」

 退社後とはいえ、声をかけてくるという非常識さに彼も少しは反省したようだ。

「そうね。できればそうしてもらえると嬉しいわ」

「他のセフレとかち合うと面倒だしね」

 水津はよほど私が男に飢えていると、思っているようだ。
 「そんな相手もいない、そこまで飢えてなんていない」と思わず返しそうになってやめた。
 私がどれだけ訴えても彼に全裸で襲いかかった事実は変わらないし、言ったところで信じてはくれないだろうから。

「……そうね」

 無意味なやり取りをするのが面倒で、適当に返すと、水津は不愉快そうに顔を歪めた。

「今はいいの?」

 水津は獰猛な肉食獣のような表情なのに、甘い声で私に囁いた。

「ええ、もちろん」

 そのために彼を部屋に入れたのだから。覚悟はできていた。
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