閒冥草祇(まくらのそうし) ~月穹の四将の物語~

伽葉 ナツキ

文字の大きさ
7 / 7
2章 初陣

7話 宵の里の行者

しおりを挟む
 神名月かみなづきの中将――

 そう名乗った彼は、花びらが散るように落ちて行く。 
 彼を包むべにが流れ落ち、真白に変わる。
 
 べには渦を巻き、揺蕩たゆたう彼の御魂みたまを染める。
 広い袖がひるがえり、長い黒髪が絹糸のように流れ、重い得物えものが腰を引く。

 驚愕と懐古がせめぎ合い、記憶が入り乱れる。
 だが、向かう先は分かっている。
 この流れの果てに……

 
 
 

「ぐはっ!」

 和樹は水面に顔を出した。
 飲み込んだ水を吐き出し、腕を伸ばす。
 指先に何か触れ、そちらに向かって水を掻いた。

 手のひらが土を捉え、無我夢中で這い上がり、膝を付いて咳き込む。
 鼻に入った水を絞り出す、大きく喘ぐ。

 胸を押さえ、うずくまること数分――。
 ようやく呼吸が落ち着き、無意識に額にかかる前髪を払った。


「……髪……?」

 指の谷間に長い髪が引っかかり、そっと引き抜く。
 見ると、和服を身に付けている。

 両手を掲げて我が身を確かめようとすると、手が茜色に染まった。
 夕陽かと思い、見上げた空は――現実とは異なっていた。
 
 漆黒の空に、金色を帯びた薄雲がたなびいている。
 そして、巨大な紅い満月が鎮座している。

 その異妖さは只事ならず――しかし、目が離せない。

 地平より少し浮き上がった月は、衝突寸前ではないかと思えるほど大きい。
 夜空の半分を覆い、血走った眼球のように禍々しい視線を地に注ぐ。
 それは禍々しく、妖しく、美しい――。
 
 
「ここが……悪霊の住処すみかなのか?」

 父の話が真実なら、ここは悪霊たちが闊歩する霊界ということになる。
 しかし、見回しても父の姿はない。
 父は導いてくれるだけで、ここには来られないようだ。
 
 一気に心細さが増し、足元の草むらを探る。
 虫の一匹でもいないかと期待したが、暗くて分からない。

「そうだ……水! また潜れば、家に戻れるかも!」
 
 期待を胸に近寄って覗き込むと、そこは六畳間ほどの大きさの池だ。
 魚がいる気配はなく、鏡に映したように自分の姿が写る。

「……これが……霊体の僕……?」

 改めて、己の姿を確認する。
 
 薄灰色の小袖と、裾の絞った紫色の袴。
 袖の広い羽織を二枚重ね着た装束だ。
 上の羽織は白銀色で、下は山吹色。
 裾は、地面に着くほどに長い。
 
 平安時代風の烏帽子を被り、腰まで届く髪を後ろで束ねている。
 そして、ソックスっぽい内履きに、ローファーに似た皮沓かわぐつ
 瑠璃色の勾玉まがたまを繋いだ首飾りが、胸に垂れている。

 それら装束も髪も、いつの間にか乾いている。
 霊体ゆえの現象かもしれないが――ふと、腰に重みを感じた。
 
 ここで、腰帯に吊り下がっている直剣に気付く。
 竹刀を触らせて貰ったことはあるが、それよりずっと重い。
 まさか、これで闘えと言うのだろうか――。
 
 
「おい、冗談だよな?」

 身震いし、剣から目を逸らす。
 再び、水鏡に写る我が身が目に入った。
 顔の造形は『神無代かみむしろ和樹』そのままだが、精悍な雰囲気がある。
 それに、若干年齢が上がっているようにも見えるが――


「わん!」
「うえっ!?」

 背後から吠えられ、危うく池に落ちかけた。
 振り向くと――夕陽色の月光に浮かび上がった影があった。

「……柴犬か……?」

 まじろぎ、そのシルエットから判断して呟いた。
 大きい影が二つで、小さい影が二つ。
 小さい影たちは、尻尾を振っている。

「犬の親子かな……?」

 手を差し出すと、小犬たちはキャンキャン吠えながらまとわりつく。
 親犬たちは、吠えることなく頭を下げる。

 目鼻立ちは見えず、まさに『犬の形の影』だ。
 ここを彷徨さまよう犬の霊体だろうか。

(……人の霊体はいないんだろうか……)

 立ち上がり、四方を見渡した。
 犬のおかげで、少し落ち着きを取り戻した。
 親犬たちの様子から、人に飼われていたと可能性が高い。

 意思疎通ができる霊体がいないか気配を探ると――風音が激しくなった。
 草を踏みしめるような足音が近づいて来る。
 無意識に腰を落とし、剣の柄を握ったが――


「わぉん!」
 子犬たちが鳴き、ぽんぽん飛び上がる。
 親犬たちは、音の方角を見て腰を落とす。

 どうやら、敵意を持つ存在ではないようだ。
 柄から手を離し、音の方向をじっと眺める。

 
 それは、闇から抜け出るように出現した。
 白装束をまとった人物だが、顔や首や手は『影』と化した人物である。
 身長は低めで、やや腰が曲がった老人のように見える。

 老人が近づくと、子犬たちはその足に擦り寄った。
 老人は無言で、和樹を見上げ――「ほう」とささやいた。

 老人が自分を認識し、犬たちが懐いている様子に安堵し、しげしげとその姿を観察した。

 小袖に、袖なしの羽織、手甲、袴、脚絆きゃはん
 着ている物すべてが白一色だ。
 頭に布を巻き付け、草鞋わらじを履いている。
 右手には、木から削り出したような長杖を携えている。

「……生霊がここを訪れるのは、百年ぶりじゃな」

 しわがれた声が、夜風に冴え冴えと響く。
 顎ひげを蓄えているらしく、口が動くと髭も動いて見えた。


「……あなたさまは……」
 
 尋ねると、老人はフッと笑った。

「ほうじょう……方丈の行者ぎょうじゃと呼ぶが良い。死にそこないの、ただの老いぼれよ」
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

【短編集】こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

入れ替わり夫婦

廣瀬純七
ファンタジー
モニターで送られてきた性別交換クリームで入れ替わった新婚夫婦の話

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

処理中です...