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羨望
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翌日。ベッドの縁に腰を下ろし、子供のように足をバタバタさせているカルミアがいた。
何処か不機嫌そうにムッとしている。鎖骨まで伸びた髪には大きなカーラーが巻かれていた。
そんなカルミアとは対称的に、ターニャは人形遊びをしている少女のようなキラキラとした表情で、カルミアの顔に白粉を叩いていた。空中に飛散している粒子が、白々とした陽光で宝石ような光を放っている。
「...ターニャ、本当に化粧しないと駄目?男が化粧するなんて世も末だと思うんだけど」
「何を言っているんですか、カルミア様!!考え方が古いですわ!社交界では今や女も男も化粧を施すのが常識なんですよ。誰も壁の花になりたくないですからね」
カルミアは傍に置かれたサイドテーブルに視線を下げた。
大きなメイクボックスだ。三面鏡がついていて、大きさの不揃いな引き出しやスライド式のトレーがついている。開けっ放しの引きだしの中には、名前も知らない化粧道具達が乱雑に収納されている。
社交界に出たこともないカルミアは、どの道具が何の用途で使われるのか、まるで見当がつかない。
顔の表面にベールが被せられているみたいな違和感に、カルミアは不満を募らせた。
「うぅ。凄く皮膚がむずむずする.」
「あ、擦らないでください!せっかく叩いたのに、お粉が取れちゃいますわ!我慢してくださいまし!」
白シャツの袖で顔の表面を拭おうとするカルミアの手を、ターニャは払いのけた。今のターニャの気合の入れようは凄まじい。背後に天高く燃え上がる劫火が見える。
カルミアはターニャの熱意に引き気味だった。
おそらくカルミアが何を言ったって、今のターニャは聞き入れてくれないだろう。カルミアは渋々抵抗するのを諦めて、顔の表面に触れる球状体のスポンジを受け入れた。
「肌はこれで完成ですわね」
数分後。どうやらターニャはカルミアの顔に白粉を叩き終えたらしく、専用の容器にスポンジを戻した。パチリと容器の蓋を閉め、メイクボックスの中に容器を放り投げた。
ターニャが次に手に取ったのは芯の細い鉛筆型の化粧道具だった。
「次はこれで目の淵を埋めていきますわね!これで目元書いた後に、目の周囲に鉱物の粉を塗ると崩れ知らずなのです!カルミア様は造形がいいから化粧をするのが本当に楽しいですわ」
慣れた手付きで、カルミアの目元を縁取るターニャ。侍女になったばかりの頃は、自分の顔に白粉を叩くどころか、一人で衣服を着替える事すらままならなかったという。
ターニャは男爵家の長女として生まれ、幼い頃から花よ蝶よと育てられて来た。しかし三年前から領地経営が上手く行かず、ユーチャリス家の財政が悪化。僅か十二歳で子爵家に嫁がされそうになり、政略結婚の材料になりたくなかったターニャは、婚礼式の当日に姿を眩ませたらしい。
当然、縁談は破談。ユーチャリス家の当主は、家の名前に泥を塗ったターニャに憤怒して、ユーチャリス家から追放した。よって、現在のターニャは平民階級に下がってしまったわけだが...、当の本人は全く気にしていない様子だった。むしろ会った事もない男の伴侶になるぐらいなら、平民になる方がまだマシだったとさえ言っている。
しかしそれからの生活は随分と大変だったそうだ。
遠い親戚の伝手で侍女になったはいいが、使用人に任せっきりで、自分の身の回り事を何一つしてこなかったターニャが、突然他人の面倒を見れるわけがない。毎日のように失敗をしては叱られ、その度自分が情けなくて泣いていたとターニャは語る。
やっぱり自分に侍女なんて務まるわけがない。
誠意を込めて謝れば、父様も許してくれるんじゃないか。大人しく家に戻ろうか。何度もそんな事を考えたそうだが、例え戻れたとしてもすぐに別の良家に嫁がされる事が目に見えていたため、家に戻るわけにも行かなかった。
ターニャは粘り強く耐え続けた。その結果、今では側室になる青年の専属の侍女を立派に務め上げている。
『あのまま嫁がなくて正解でした。嫁いだらすぐに子を産むことを強制されて、子育てに追われてましたもの。自分の人生を楽しむどころではありませんでしたわ』
苦笑いを浮かべながらターニャが口にした言葉を、カルミアは鮮明に覚えている。
この国での爵位継承権は、男性のみとされている。そのため女性は領地経営には一切関わらない。一家の勢力を維持、拡大するために幼い頃から社交を行い、結婚適齢期を迎えれば両親が決めた名家に嫁がされる。そこで子を生し、血筋を途絶えないようにしなくてはならない。前世の日本のように、自身の恋愛や職業の選択肢は与えられない。ある意味、子を産むためだけに存在していると言ってもいい。
恋愛を自由に謳歌出来る世界を知っているカルミアには考えられない事だが、恋愛という概念を知らないこの国の貴族の女性は、位の高い家に嫁ぎ、家のために子を生す事が大変名誉ある事だと思っている。
そんな中、家を捨て、平民になる道を選んだターニャは、異質な存在だろう。
貴族から平民になったターニャは風当たりも強いそうだが、当の本人は気にも留めていない。むしろ何処か生き生きしているようにも見えた。
籠の中で死んだように息をしているカルミアは、そんなターニャが眩しくて仕方がなかった。
何処か不機嫌そうにムッとしている。鎖骨まで伸びた髪には大きなカーラーが巻かれていた。
そんなカルミアとは対称的に、ターニャは人形遊びをしている少女のようなキラキラとした表情で、カルミアの顔に白粉を叩いていた。空中に飛散している粒子が、白々とした陽光で宝石ような光を放っている。
「...ターニャ、本当に化粧しないと駄目?男が化粧するなんて世も末だと思うんだけど」
「何を言っているんですか、カルミア様!!考え方が古いですわ!社交界では今や女も男も化粧を施すのが常識なんですよ。誰も壁の花になりたくないですからね」
カルミアは傍に置かれたサイドテーブルに視線を下げた。
大きなメイクボックスだ。三面鏡がついていて、大きさの不揃いな引き出しやスライド式のトレーがついている。開けっ放しの引きだしの中には、名前も知らない化粧道具達が乱雑に収納されている。
社交界に出たこともないカルミアは、どの道具が何の用途で使われるのか、まるで見当がつかない。
顔の表面にベールが被せられているみたいな違和感に、カルミアは不満を募らせた。
「うぅ。凄く皮膚がむずむずする.」
「あ、擦らないでください!せっかく叩いたのに、お粉が取れちゃいますわ!我慢してくださいまし!」
白シャツの袖で顔の表面を拭おうとするカルミアの手を、ターニャは払いのけた。今のターニャの気合の入れようは凄まじい。背後に天高く燃え上がる劫火が見える。
カルミアはターニャの熱意に引き気味だった。
おそらくカルミアが何を言ったって、今のターニャは聞き入れてくれないだろう。カルミアは渋々抵抗するのを諦めて、顔の表面に触れる球状体のスポンジを受け入れた。
「肌はこれで完成ですわね」
数分後。どうやらターニャはカルミアの顔に白粉を叩き終えたらしく、専用の容器にスポンジを戻した。パチリと容器の蓋を閉め、メイクボックスの中に容器を放り投げた。
ターニャが次に手に取ったのは芯の細い鉛筆型の化粧道具だった。
「次はこれで目の淵を埋めていきますわね!これで目元書いた後に、目の周囲に鉱物の粉を塗ると崩れ知らずなのです!カルミア様は造形がいいから化粧をするのが本当に楽しいですわ」
慣れた手付きで、カルミアの目元を縁取るターニャ。侍女になったばかりの頃は、自分の顔に白粉を叩くどころか、一人で衣服を着替える事すらままならなかったという。
ターニャは男爵家の長女として生まれ、幼い頃から花よ蝶よと育てられて来た。しかし三年前から領地経営が上手く行かず、ユーチャリス家の財政が悪化。僅か十二歳で子爵家に嫁がされそうになり、政略結婚の材料になりたくなかったターニャは、婚礼式の当日に姿を眩ませたらしい。
当然、縁談は破談。ユーチャリス家の当主は、家の名前に泥を塗ったターニャに憤怒して、ユーチャリス家から追放した。よって、現在のターニャは平民階級に下がってしまったわけだが...、当の本人は全く気にしていない様子だった。むしろ会った事もない男の伴侶になるぐらいなら、平民になる方がまだマシだったとさえ言っている。
しかしそれからの生活は随分と大変だったそうだ。
遠い親戚の伝手で侍女になったはいいが、使用人に任せっきりで、自分の身の回り事を何一つしてこなかったターニャが、突然他人の面倒を見れるわけがない。毎日のように失敗をしては叱られ、その度自分が情けなくて泣いていたとターニャは語る。
やっぱり自分に侍女なんて務まるわけがない。
誠意を込めて謝れば、父様も許してくれるんじゃないか。大人しく家に戻ろうか。何度もそんな事を考えたそうだが、例え戻れたとしてもすぐに別の良家に嫁がされる事が目に見えていたため、家に戻るわけにも行かなかった。
ターニャは粘り強く耐え続けた。その結果、今では側室になる青年の専属の侍女を立派に務め上げている。
『あのまま嫁がなくて正解でした。嫁いだらすぐに子を産むことを強制されて、子育てに追われてましたもの。自分の人生を楽しむどころではありませんでしたわ』
苦笑いを浮かべながらターニャが口にした言葉を、カルミアは鮮明に覚えている。
この国での爵位継承権は、男性のみとされている。そのため女性は領地経営には一切関わらない。一家の勢力を維持、拡大するために幼い頃から社交を行い、結婚適齢期を迎えれば両親が決めた名家に嫁がされる。そこで子を生し、血筋を途絶えないようにしなくてはならない。前世の日本のように、自身の恋愛や職業の選択肢は与えられない。ある意味、子を産むためだけに存在していると言ってもいい。
恋愛を自由に謳歌出来る世界を知っているカルミアには考えられない事だが、恋愛という概念を知らないこの国の貴族の女性は、位の高い家に嫁ぎ、家のために子を生す事が大変名誉ある事だと思っている。
そんな中、家を捨て、平民になる道を選んだターニャは、異質な存在だろう。
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