133 / 141
【零和 四章・空転する暫定神話について】
[零4-7・異物]
しおりを挟む
0Σ4-7
確かにそうかもしれない。
ゾンビに会う事無く、ここで生活していける。
電気は使えるし、温かいシャワーだって出る。
清潔な居住スペースで、何の不足もない食事も出来る。
久しぶりに食べたマトモな食事だった。
そう言えば、私はいつぶりに食事をしたことになるのだろうか。
胃の中は空だった気分であるが、記憶の齟齬と実際の時間の齟齬の間に身体はどうなっていたのだろうか。
「それでも、故障だって、不備不良だって起こ得る」
「それをハウンドが対処しています」
インフラの整備を行う為には、下層の世界に降りる必要がある。
だから武装した人間がそれを担当する。
理屈は分かる。
けれども、問題は。
私の目の前でそれを語る彼女の存在だった。
「……レベッカって何歳?」
「あたしですか? 16です」
「じゃあ私の一つ下だ」
そう。
私よりも年下だ。
いや、おそらく。
今この場で食事をしている全ての人達よりも年下で。
喧騒の中で、温かな食事の前で、空の聖域の元で、彼女は私にこの世界の仕組みを語る。
確かにそれは、完璧な社会に見える、平和で満ち足りた生活に見える。
それでも、そこには彼女という歪みがある。
「どうしてレベッカみたいな子がハウンドにいるの」
私は彼女の事を何も知らない。
それでも、きっと目の前の彼女よりも屈強でタフな人間は幾らでもいる。
彼女に、私の様な特異な優位性があるとも思えない。
この世界に魔法が存在しているのならば、だが。
レベッカが私の前に透明な包装材で包まれた一口大のチョコを置いた。
「……ハウンドは完全な志願制です。見返りもありません」
「何も?」
「万人に平等に提供される完璧なインフラは貧富の差を生みません。そこにあるチョコレート。他の物よりも高品質で数が少ない、それくらいがハウンドの見返りの一つです」
ほんの少しだけ、他人より良い生活が出来る。
シャワーの利用可能時間も制限されていないし、食品も希少性の高いものは優先的に回される。
だが、私にとっては些細に思えるそれが、たった今まで命を懸けてきた見返りだと言う。
水も食糧も電気も、インフラの全てが平等に提供される場所。
生活の全てが完結した場所。
故に此処にはきっと何の差も存在しない。
空の上で行き止まりに突き当たった場所。
「そんなの」
「無責任でも無自覚でも生きていける、それが成熟した社会だってウンジョウさんはよく言います」
聞いたことのある言葉であった。私は曖昧に頷く。
「いつの間にかそんな人間になってしまうのが嫌だったんです。パンデミックが起きた日みんな死にました、家族も友達もみんな、そう。その事を、その怒りを、忘れて生きていくなんて嫌だから。でも……目の前で……人が死ぬなんて……怖くてたまらないんです」
それはいつの間に、涙の混じった声で。
その言葉はいつの間にか、彼女の記憶を呼び覚ましてしまったようで。
目の前にいるのは私と同じ年くらいの一人の少女でしかなかった。
ショットガンを抱えてゾンビを蹴散らす勇猛果敢な戦士ではなかった。
それは多分。
私達に欠けていたもので。
「あなたは一体なんなんですか。突然訳の分からない時代に飛ばされてるんですよね!? それなのに目の前で人は死んで、ゾンビなんてもので一杯で。そんな中でなんであなたは平気な顔をしてるんですか」
「それは」
「ずっと平然とした顔をしてるんですよ! そんなのおかしいじゃないですか!」
「ゾンビと対峙したのは初めてじゃない……」
「それは私だって同じです! でも、目の前でカイセさんが死んだ時、頭の中が真っ白になって」
「……私が動かなきゃみんな死ぬと思ったから」
「それは……強い人の言葉です。きっと」
その会話をしている時に思い浮かんだ光景はいつかの時の学校の景色で。
初めて目の前で人が死んだ時。
いや、友達が死んだ時。
私の中で何か別の生き物がいて、それが命令を出したみたいに、やるべきことが鮮明に見えた。
私は彼女みたいに動揺し、泣いた事があっただろうか。
私の芯は、いつだって、どこか冷え切っていた気がする。
そして同じ様な事を別の人にも言われたのを思い出す。
あの時の加賀野さんは同じ様な事を思っていたのだろうか。
おかしいのは私か彼女かそれとも世界か、私には分からない。
彼女の方が、本当は当たり前の側にいるのだろうか。
レベッカが少し沈黙を経た後に俯いたまま言う。
「取り乱してごめんなさい。部屋に戻ります。また朝に迎えに来ますね」
レベッカに置き去りにされた私は部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。
清潔で良い香りがするシーツだった。
ライトのスイッチが分からなかったが、ベッドの中で暫く動かないでいると勝手に消える。
身体は疲労で満ちていたが、それでもあまりに多くの事実が、レベッカの言葉が、私の中で反響してしまって。
暗闇の中、冴えてしまった目で虚空を見つめ続けていた。
レベッカはパンデミックの記憶に対し憎悪を未だ燃やし続けている、自らを死の淵に置くことで。
でも、他の人々はそれを忘れようとしている。
望まざるか、そうでないかは分からないけれど、恵まれた生活がそうさせている。
無自覚で無責任でも生きていける、それが確かに社会なのかもしれない。
命をかけなくたって生きていける、そんなシステムを人は目指して、それを私達は社会と呼んだのだから。
その先にあるものが、目指した世界が、此処にある筈なのに。
何故こんなにも違和感を覚えるのだろう。
確かにそうかもしれない。
ゾンビに会う事無く、ここで生活していける。
電気は使えるし、温かいシャワーだって出る。
清潔な居住スペースで、何の不足もない食事も出来る。
久しぶりに食べたマトモな食事だった。
そう言えば、私はいつぶりに食事をしたことになるのだろうか。
胃の中は空だった気分であるが、記憶の齟齬と実際の時間の齟齬の間に身体はどうなっていたのだろうか。
「それでも、故障だって、不備不良だって起こ得る」
「それをハウンドが対処しています」
インフラの整備を行う為には、下層の世界に降りる必要がある。
だから武装した人間がそれを担当する。
理屈は分かる。
けれども、問題は。
私の目の前でそれを語る彼女の存在だった。
「……レベッカって何歳?」
「あたしですか? 16です」
「じゃあ私の一つ下だ」
そう。
私よりも年下だ。
いや、おそらく。
今この場で食事をしている全ての人達よりも年下で。
喧騒の中で、温かな食事の前で、空の聖域の元で、彼女は私にこの世界の仕組みを語る。
確かにそれは、完璧な社会に見える、平和で満ち足りた生活に見える。
それでも、そこには彼女という歪みがある。
「どうしてレベッカみたいな子がハウンドにいるの」
私は彼女の事を何も知らない。
それでも、きっと目の前の彼女よりも屈強でタフな人間は幾らでもいる。
彼女に、私の様な特異な優位性があるとも思えない。
この世界に魔法が存在しているのならば、だが。
レベッカが私の前に透明な包装材で包まれた一口大のチョコを置いた。
「……ハウンドは完全な志願制です。見返りもありません」
「何も?」
「万人に平等に提供される完璧なインフラは貧富の差を生みません。そこにあるチョコレート。他の物よりも高品質で数が少ない、それくらいがハウンドの見返りの一つです」
ほんの少しだけ、他人より良い生活が出来る。
シャワーの利用可能時間も制限されていないし、食品も希少性の高いものは優先的に回される。
だが、私にとっては些細に思えるそれが、たった今まで命を懸けてきた見返りだと言う。
水も食糧も電気も、インフラの全てが平等に提供される場所。
生活の全てが完結した場所。
故に此処にはきっと何の差も存在しない。
空の上で行き止まりに突き当たった場所。
「そんなの」
「無責任でも無自覚でも生きていける、それが成熟した社会だってウンジョウさんはよく言います」
聞いたことのある言葉であった。私は曖昧に頷く。
「いつの間にかそんな人間になってしまうのが嫌だったんです。パンデミックが起きた日みんな死にました、家族も友達もみんな、そう。その事を、その怒りを、忘れて生きていくなんて嫌だから。でも……目の前で……人が死ぬなんて……怖くてたまらないんです」
それはいつの間に、涙の混じった声で。
その言葉はいつの間にか、彼女の記憶を呼び覚ましてしまったようで。
目の前にいるのは私と同じ年くらいの一人の少女でしかなかった。
ショットガンを抱えてゾンビを蹴散らす勇猛果敢な戦士ではなかった。
それは多分。
私達に欠けていたもので。
「あなたは一体なんなんですか。突然訳の分からない時代に飛ばされてるんですよね!? それなのに目の前で人は死んで、ゾンビなんてもので一杯で。そんな中でなんであなたは平気な顔をしてるんですか」
「それは」
「ずっと平然とした顔をしてるんですよ! そんなのおかしいじゃないですか!」
「ゾンビと対峙したのは初めてじゃない……」
「それは私だって同じです! でも、目の前でカイセさんが死んだ時、頭の中が真っ白になって」
「……私が動かなきゃみんな死ぬと思ったから」
「それは……強い人の言葉です。きっと」
その会話をしている時に思い浮かんだ光景はいつかの時の学校の景色で。
初めて目の前で人が死んだ時。
いや、友達が死んだ時。
私の中で何か別の生き物がいて、それが命令を出したみたいに、やるべきことが鮮明に見えた。
私は彼女みたいに動揺し、泣いた事があっただろうか。
私の芯は、いつだって、どこか冷え切っていた気がする。
そして同じ様な事を別の人にも言われたのを思い出す。
あの時の加賀野さんは同じ様な事を思っていたのだろうか。
おかしいのは私か彼女かそれとも世界か、私には分からない。
彼女の方が、本当は当たり前の側にいるのだろうか。
レベッカが少し沈黙を経た後に俯いたまま言う。
「取り乱してごめんなさい。部屋に戻ります。また朝に迎えに来ますね」
レベッカに置き去りにされた私は部屋に戻ってベッドに潜り込んだ。
清潔で良い香りがするシーツだった。
ライトのスイッチが分からなかったが、ベッドの中で暫く動かないでいると勝手に消える。
身体は疲労で満ちていたが、それでもあまりに多くの事実が、レベッカの言葉が、私の中で反響してしまって。
暗闇の中、冴えてしまった目で虚空を見つめ続けていた。
レベッカはパンデミックの記憶に対し憎悪を未だ燃やし続けている、自らを死の淵に置くことで。
でも、他の人々はそれを忘れようとしている。
望まざるか、そうでないかは分からないけれど、恵まれた生活がそうさせている。
無自覚で無責任でも生きていける、それが確かに社会なのかもしれない。
命をかけなくたって生きていける、そんなシステムを人は目指して、それを私達は社会と呼んだのだから。
その先にあるものが、目指した世界が、此処にある筈なのに。
何故こんなにも違和感を覚えるのだろう。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる