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第三章 アランが己の中にある神秘を自覚し、体得する

第十九話 新たなる精鋭(2)

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   ◆◆◆

 その頃、もう一人の試験合格者もバージルと同様に、家族へ報告を行っていた。

「よくやりましたリーザ、あなたのような娘を持ったことを私は誇りに思いますよ」

 母の穏やかな言葉に、リーザは跪いた姿勢からさらに頭を下げた。



 もう報告は終わった、これ以上言うことは何も無い、そう思ったリーザはその場から立ち去ろうとしたが、母の口がそれを邪魔した。

「ですがリーザ、これで気を抜いてはなりませんよ。『裏切り者』を討ち滅ぼすこと、それが我が一族の悲願」

 またこの話か、リーザは心底うんざりした。

「魔法信仰に反旗を翻し、我等の元から去った『炎の一族の裏切り者共』に報いを受けさせるのです!」

 話しながら、母の感情はどんどん高ぶっていった。

「あの者共のせいで残された我が一族がどれほどの辛酸を舐めさせられたことか! 『炎の一族の残りカス』などと言われる始末! ええい、思い出す度に腹が立つ!
 元を正せば、炎の一族の本家、本筋は我が一族のほう! 奴等が堂々と『炎の一族』を名乗るなど……耐え難い!」

 落ち着いてください、などとリーザは言えなかった。火に油を注ぐことにあるだけなのが分かっていたからだ。『炎の一族』の話をして母が癇癪を起こすことは避けられないのだろう、リーザはそう思いあきらめていた。

 このあと母が落ち着くまでにはかなりの時間を要した。ずっと同じ姿勢で耳を傾けていたリーザは、体の節々が痛くなってきたことばかりに気を取られ、母が喋っていることの内容など全く頭に入っていなかったのであった。

   ◆◆◆

 ようやく開放されたリーザは体を伸ばしながらある場所に向かっていた。
 それは下の子達、弟妹達の部屋であった。
 部屋に着いたリーザは軽いノックの後、返事も待たずにドアを開けた。

「あ、リーザお姉ちゃん! おかえり!」
「試験どうだった? お姉ちゃん!」
「お土産は?」

 次々と駆け寄ってくる弟妹達に対し、リーザは笑みを浮かべながら口を開いた。

「試験ならばっちりだったわ。お姉ちゃんは今日から精鋭魔道士よ!」

 大げさに胸をはりながらそう言うリーザに対し、弟妹達は「すごーい」「お姉ちゃんさすがー」などとはやし立てた。

「お姉ちゃん、お土産は?」
「あなたはそればっかりね。居間にお菓子を置いてあるからみんなで食べてきなさい」

 これを聞いた弟妹達は一斉に居間へと駆け出していった。

「私のことよりもお菓子のほうが気になるのね。まあ子供だし、そんなものか」

 リーザは弟妹達を追いかけようとはせず、その足を別の方向へと向けた。

「さて、一人姿が見えなかったけど、いつものところかしら」

 そう思ったリーザは「いつものところ」へと歩き出した。

   ◆◆◆

 屋外にある訓練場へとやってきたリーザは探していた人物を見つけた。
 青年と呼べるくらいの年頃に見えるその者は、訓練場に設置された目標に向かって炎の魔法を放っていた。
 だがその炎は貧弱であり、目標はびくともしていなかった。
 それを見てちょっとした悪戯心が芽生えたリーザは、その目標に向かって炎を放った。
 リーザの炎はその青年のものとは比べ物にならないほど大きく、かつ力強く、その目標をあっという間に飲み込み燃やし尽くした。

「! 姉上、お帰りになられていたのですか」

 その炎でリーザの存在に気づいた青年は口を開いた。青年はリーザの悪戯などなんとも思っていないようであった。

「ええ、さっき帰ってきたばかりよ」
「それで結果はどうでしたか?」
「もちろん、一発合格だったわよ」
「さすがです、姉上」

 青年は尊敬の念を込めた小さな礼をしたあと、続けて口を開いた。

「姉上、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「何?」
「姉上はなぜ精鋭魔道士になろうと思われたのですか? 母上が常日頃口に出している『炎の一族』への復讐のためですか?」

 青年のこの問いに、リーザは少し考えてから口を開いた。

「まさか、そんなわけないじゃない。私にとっては『炎の一族』なんてどうでもいいわ」

 リーザははっきりとそう言った後、言葉を続けた。

「でも、私達一族が周りから色んな悪口を言われているのは事実。私自身はそんなこと気にしていないわ。だけど、小さな下の子達が同じような目に遭わされるのは可哀想だと思うの。
 どんな形であれ、この家がかつての栄光と力を取り戻せば、あの子達が惨めな思いをすることは無くなるんじゃないか、そう思って精鋭魔道士になったのよ」

 この言葉に少年は深い敬意を礼で示したあと、口を開いた。

「それを聞いて安心しました。しかし姉上、無茶なことは決してなさらぬとお約束下さい。どうかご自重なされるようお願いします」
「もちろんよ。死んだらそれでお仕舞いだもの。決して無茶はしないわ」

 リーザは口ではそう言っていたが、心の奥底には『炎の一族』に対する憎しみがあった。リーザが嘘をついたのは、青年のことを心配させたくなかったからである。
 長女であるリーザは弟妹達を守るために周囲からの悪意を一身に受け続けてきた。彼女は理性の力で明るく振舞っていたが、その心の奥底には暗い感情が蓄積していた。

「それじゃあ、私は長旅で疲れてるから、もう部屋で休ませてもらうわね」

 リーザはそう言いながら背を向けたあと、やや早足ぎみにその場から去っていった。

 そして、一人訓練場に残された青年は独り言を呟いた。

「相変わらず嘘がわかりやすい姉上だ。嘘をつく時に一瞬視線を外す癖、まだ直っていないのですね」

 言いながら青年は自身の言葉に間違いがあることに気づき、その独り言を頭の中で訂正した。

(いや、嘘と真、それぞれ半々というところか。我が家の名誉の回復と『炎の一族』への復讐、その両方共が姉上の戦う理由であると見たほうが正しいだろう)

 青年はその場に跪いて両手を組み、目を閉じて祈りを捧げた。

「神よ、我が祖先達よ、どうか姉上をお守りください」

 バージルとリーザ、両者に共通していた願望は「名誉の回復」であった。それ自体は純粋な感情であったが、二人にまとわりついている「復讐」という言葉が二人の心を曇らせていた。

   ◆◆◆

 一方、故郷に戻ったリックは一刻も早い回復を目指し、ただひたすら眠っていた。

 包帯まみれの格好で眠り続ける息子を前に、クレアは物思いにふけっていた。

(息子を半端な状態で戦場に送り出したのは間違いだったのかもしれない)

 帰って来る度に傷を増やす息子。このままだと次は命を落としてしまうのではないか。クレアの心は不安で一杯になっていた。

 そんなぼろぼろの息子を前に、クレアの心にはある一つの決心が生まれていた――

   ◆◆◆

 二ヶ月後――

 傷が癒えたリックは母クレアに呼び出された。
 クレアの私室に入ったリックは一礼しながら口を開いた。

「ただいま参りました。それで用件とは?」

 リックに対し背を向けていたクレアは振り返りながら口を開いた。

「体の具合はどうですか、息子よ」
「もう問題はありません。今すぐにでも戦場に戻ることができます」

 これにクレアは一息置いてから言葉を返した。

「今日呼び出したのはそのことなのです。リック、これから暫くのあいだ戦場に向かうことは許しません」
「!? 母上、それはどういうことでしょうか?」

 クレアの言葉にリックは驚いたが、次にクレアの口から出た言葉はさらにリックを驚かせた。

「リック、あなたに我が一族に伝わる奥義を授けます。それを身に着けるまで戦場に戻ることは許しません」

 これにリックは何も言葉を返すことができず、クレアの次の言葉を待った。

「ついてきなさい」

 そう言いながらクレアは部屋を出て行き、リックもまたすぐにその後を追った。

   ◆◆◆

 クレアに連れてこられた場所、それは訓練場であった。
 クレアは開けた場所の中央に立ち、口を開いた。

「これからその奥義を見せます」

 クレアの正面、少し距離を置いたところには細高い岩があった。高さはクレアと同じほど、太さはクレア三人分ほどに見えた。
 クレアはその岩に向かって静かに身構えた。
 それは左足を前に出した半身の構えであり、右拳は脇の下に置かれていた。

「この構え自体に奥義の極意はありません。我が一族の奥義に型は無く、どんな攻撃にも応用できます」

 クレアは白い息を吐きながら言葉を続けた。

「息子よ、かつてこの地は切り立った山が連なる、人が住むには厳しい山岳地帯であったことを知っていますか?」

 それが奥義と何の関係があるのかリックには分からなかったが、リックはとりあえず母の言葉に頷きを返した。
 リックの頷きを見たクレアは、再び口を開いた。

「我が一族の技はそんな厳しい自然の中で養われたのです。水を得るために谷へ降り、糧を得るために崖を登る、古き我が祖先の生活は自然との闘いでした。」

 喋りながらクレアは右手と両足に魔力を込め始めた。自身の右手と両足を発光させながら、クレアは言葉を続けた。

「ゆえに我が一族の祖先は強い力を求めました。山を砕けるほどの力を!」

 直後、その輝きが一層強くなったと同時に、クレアは動いた。
 次の瞬間、リックの視覚が最初に認識したのは岩が砕ける様であった。
 何があった? いや、それはわかる。母がやったことは至極単純だ。地を蹴って前に飛び出し、右拳を岩に叩き込んだのだ。
 そして、リックの聴覚が場に鳴り響く一つの轟音を認識する。いや違う、音は二つだ。クレアが地を蹴った音と、岩を砕いた音。速すぎるため、混じって聞こえるのだ。
 そう、速い、速すぎる。ずっと注目していたのに、影が一瞬流れたようにしか見えなかった。
 今の踏み込みは足で魔法が使えるというだけでは説明がつかない。母の魔力は精鋭級だが、それにしても速すぎる。

「母上! 今のは一体……」

 リックは思わず尋ねた。クレアはゆっくりと構えを解きながら答えた。

「この技は奥義であり基本でもあるのです。先も言ったように、この奥義は他の様々な技に応用が利きます」

 クレアは「ですが――」と、言葉を繋げた。

「――この技は使い手の身を削ります。そして、その制御を誤れば、使い手の身をいとも簡単に滅ぼします」

 強力であるが使い方を誤れば己が身を破壊する技、それはリックの心を強く煽った。

「この奥義を身につけるのに必要な才能は光魔法を使えることだけです。あとはただ基礎を積み重ねれば良いだけ。訓練すれば誰にでも習得できます。
 誰にでも使えてしかも強い、ゆえにこの技は奥義として扱われ、秘密にされてきたのです」

 リックはこの日から奥義習得のために修練を重ねることになる。
 次にリックがアランの前に立つ時、それは彼が絶対なる力と自信を備えた時なのだ。

   第二十話 嵐の前の静けさ に続く
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