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最終章

第五十七話 最強の獣(8)

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 だからまだリックは粘っていた。アランとは違うやり方で粘っていた。
 ゆえに、オレグはそれを称賛した。

(……この男、やはり良い感をしているな)

 目で捉えられない攻撃から致命傷を避け続けている。
 これまでの経験から養われた戦いの感と、それに基づいて産み出された独特の動きで被弾の衝撃を緩めている。
 まるで水流の中に揺らめく水草のような動き。
 全身から力が抜けているように見えてそうでは無い。倒れないように制御されている。
 こちらが思考を隠しているということが有利に働いていないように思える。思考を隠しているせいで決定打が取れていないように思える。
 ゆえに、オレグは、

(ならば、心を隠すなどという小細工はもうやめにしよう)

 さらに戦い方を変えることにした。
 そして次の瞬間、状況はリックにとってさらに不利なほうに傾いた。

「!」

 驚きにリックが目を見開く。
 突如、“右”と、オレグの心の声が響いたからだ。
 そして直後に放たれたものは、宣言通りの右拳であったのだが、

「ぐああぁっ!?」

 続けて放たれた連打に、リックは悲鳴を上げた。
 圧倒的な五連撃。
 水鏡の三段突きのような、連撃の音が一つに繋がって聞こえるほどの速さ。
 直前まであった攻撃動作の繋ぎの鈍さが消えている。
 オレグがやったことは至極単純であった。使って無かった脳を再活動させた、ただそれだけであった。
 読まれやすいとはいえ、それでも脳が優秀な情報処理装置であることには変わりない。オレグはその秘めておいた処理能力を動作処理に、攻撃動作の繋ぎの計算にあてたのだ。
 そして神技と共に放たれたその連打はまさに烈火の如く。
 それをリックは、宣言通りの一撃目を受け止め、二撃目を夢想の境地で受け流したが、残りの三発は直撃。
 三つの箇所で骨が砕けた音がリックの脳内に鈍く重く響く。
 そして五発で連打が止まったのは、リックが吹き飛んだからだ。

「……」

 しかしオレグは即座に追撃を仕掛けようとはしなかった。
 このまま「何も無ければ」次の連打で終わる。
 しかしそんなことはありえないと、オレグは思っていた。
 だからオレグは再び心の声をリックにぶつけた。
 お前はまだ隠し持っているのだろう? と。
 お前も知っているのだろう? ただの人の身の限界を。それに迫る技を。
 ならば魅せてみよ、と。
 直後、リックはその声に応え、叫んだ。

「最終奥義!」

 その文面は、まさにオレグが望んだものであった。
 人の身の限界を表した「最終」という言葉、それにオレグは身を震わせた。
 己の力がどれほど人間から離れたものに至ったのか、それを知るには絶好の相手。
 ゆえにオレグも応えた。

「来い!」

 その強者からの誘いに、リックは、

「雄雄雄ォッ!」

 烈火の如き気勢をもって踏み込んだ。

 しかしリックはどう思うだろうか。
 剣や弓などを凌駕する武器がもうじき世に溢れるという事実を知った時、リックはどうしただろうか。
 伝統を捨て、同じものに染まるだろうか。それとも伝統を維持したまま、目立つことは無くなろうとも、時代の流れの中に上手く溶け込むだろうか。

 残念ながら、その答えを聞くことはもう永遠に叶わなくなった。
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