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最終章

第五十七話 最強の獣(9)

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   ◆◆◆

「!」

 そしてそれを感じ取ったアランは驚きに肩を震わせた。

「どうなさいました?」

 何事かと、隣にいるクラウスが問う。
 これにアランは少し間を置いてから答えた。

「……リックが死んだ」

 その声色は信じられない様子であった。
 まさか、あの強い男が? そんな顔をしていた。
 しかし信じざるを得なかった。
 彼の魂がアランの中に逃げ込んできたからだ。

「……」

 この強者を圧倒した男がいる、アランはその驚愕的事実に思考が停止しかけたが、

「アラン!」
「!」

 直後に響いたリーザの声がアランの心に活を入れた。
 そしてアランは即座にリーザの期待に応えた。

(クリス将軍!)

 前方の塹壕陣地の中で指揮を取っているクリスを「叫んで」呼ぶ。
 この状況ではどうやっても脳波が混線するからだ。
 ゆえに大きな声を上げられる、言い換えれば大きな波を発することが出来るかどうかが重要になる。
 今では大きな波を出せることが、感知能力の優秀さが指揮官に求められる素質になっている。魔力の大小はアランの軍ではもはや以前ほどには重視されていない。
 そしてアランの声は誰よりも大きい。
 ゆえに、クリスの応答は直後であった。

(半分ほど制圧されたが、敵の勢いは止まりかけている!)

 アランの声に比べるといささか小さいクリスの声。
 だが、受け取る周波数をクリスの声だけに絞り、さらに感度を大幅に上げることが出来るアランには何の問題も無かった。
 ゆえにアランはその朗報と思える言葉を一字一句聞き漏らすことなく、受け取ることが出来た。
 が、アランは朗報だとは思わなかった。
「制圧された」というのは、死体で埋まって使い物にならなくなったという意味であり、陣地が半分ほど破壊されたという意味だからだ。
 狂戦士達は全滅間近だが、もう一度同じ規模の突撃を受ければ危うい。
 そしてそれはもう見えている。
 ゆえにアランはそれを叫んだ。

(次が来るぞ! 魔王軍の後列に配置されていた部隊が前に出てきている!)

 それは分かっていたことらしく、クリスは即答した。

(粘れるだけ粘ってみるが、いざとなればこの陣地を放棄する! その時になったら合図を出すから援護を頼む!)

 これにアランが「分かった」と答えた直後、それは始まった。
 魔王軍の音楽隊が不快な演奏を止め、前に出てきた部隊と入れ替わるように後方に下がり始めたのだ。
 そして新たに前列に並んだ部隊は、先までの凶戦士達とは対照的に見えた。
 理路整然とした、知性を感じさせる隊列と歩み。
 最前に盾を持つ者が立ち、その真後ろに魔法使いと弓兵らしき軽装の者達が並んでいる。
 行軍が難しい雪国の装備であるためか、その盾はあまり大きくない。
 そしてその部隊は魔王を守るように前に立ち並んだ後、その足を止めた。
 あるものを待つためだ。
 そしてしばらくして、それは始まった。
 魔王軍の後方から、勇壮な音楽が鳴り始めたのだ。
 狂戦士達の時とは違う、単純に士気を上げるための演奏。
 ゆえに魔王は抵抗せずに、その音色に心を傾けた。
 アラン達も影響を受けるが、魔王軍よりも距離が離れているためその効果は比較的に薄い。
 そして部隊の士気が十分に高まったのを感じ取った魔王は、

「制圧しろ!」

 血気盛んになったその部隊を前に進ませた。

「「「ゥ雄雄雄ォォォッ!」」」

 待っていたとばかりに走り出す魔王軍。
 地鳴りのように足音が響く。
 されどやはり隊列は乱れない。
 その音と威容に気圧(けお)されまいと、クリスは叫んだ。

「迎え撃て!」

 その声が響き渡ったのとほぼ同時に、兵士達が塹壕から身を乗り出して光弾を放つ。
 魔王軍の反撃の光弾と混じり合い、飛び交う。
 そして間も無くその炸裂音の中に轟音が、リーザとラルフ、そして魔王の攻撃が加わった。

「!」

 その耳に痛いほどの轟音の中でアランは感じ取った。
 ゆえに叫んだ。

「来るぞ!」

 何が、そう聞き返すまでも無く、それは直後に皆の目に映った。
 左右からアラン軍の本隊を挟み撃ちするように迫る、魔王軍の遊撃部隊。
 しかしその足並みはバラバラ。
 好機と見て一斉に飛び出してきたのだろう。
 そして既に戦闘が始まっている。こちらの遊撃部隊が既に背後に食らいついている。
 いや、混じっているのはそれだけでは無かった。
 雲水が率いる忍者部隊も戦っている。
 そしてこれに対し、再編されていた元騎馬隊は予定通りアラン本隊を守るように左右についた。

「……っ」

 しかしその守りに対し、アランはまったく安心出来なかった。
 アランは探していた。リックを圧倒したあの男を。
 そして直後、アランは感じ取った。
 自分の中にいるリックが突然震え始めたのだ。
 その震えから伝わってくる感情、それは一つでは無かった。
 悔しさ、強者への畏怖、やり場の無い怒り、無念、そのようなものが混じった震え。

「リック……?」

 ゆえにアランは思った。
 それほどなのか、と。「あれ」はお前ほどの強者がそうなってしまうほどの男なのか、と。
 ゆえにアランは直後に叫んだ。

「後ろだ!」

 その声に、アランの周りにいる兵士達と左右の迎撃部隊、全員が同時に振り返った。
 そこにはたった一人の男が、オレグがいた。

「「「!」」」

 そして全員が同時に驚いた。
 その男は白く光っているように見えた。銀の粉を全身にまぶしたかのように。感知能力者にはそう見えた。感知が弱いものでも、アランの共感でそう感じられた。
 あれがリックを圧倒した男。神技を自在に操る男。人の限界を超えた男。
 そしてその男は眩い輝きを纏ったまま、ゆっくりと身構え、

「……行くぞ」

 そう呟くと同時に、地を蹴った。
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