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72.至れり尽くせりなデート(後)

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 ちょっと顔が赤くなった自覚はあったが、敢えて無視して別の店の軒先を見る。紙類を扱っているそこは、ちょっと洒落た便箋もあるようだった。

「ちょっと中に入って見てもいい?」
「あぁ、構わない」

 いやに上機嫌で許可してくれたけど、男性にとって、こういう店は居心地悪くないんだろうか? あんまり時間かけるのもかわいそうだし、できるだけ即断即決を目指していこう。財布は潤沢のはず、だし。
 中に入ると、可愛らしい便箋や封筒だけでなく、ペンやインクも取り扱っているようだった。前世風に言えばファンシーショップに近いかもしれない。実際、お客さんは女性ばかりで、長身かつ美貌で男性のヨナはすごく目立つ。

「ご、ごめんね。すぐに決めるから……!」
「気にするな。入ったことのない類の店だから、これはこれで興味深い」
(いや逆に興味持たれても困るやつー!)

 とりあえず、何か花びらを梳き込んだ感じのカードと、イチゴの蔦の枠が可愛らしい便箋を第一印象で選ぶ。これだけでいいか、と思ったところ、その隣の棚に置かれていたペーパーウェイトに目が吸い寄せられた。

(これ……)

 御影石みたいな真っ黒な楕円の形をしていて、飾り気もほとんどなく、使いやすい物のように見える。でも、気になったのはそこじゃない。上面に彫られた文様だ。

(橘紋……)

 別に家紋なんて気にする世代じゃなかったけれど、苗字の通り、スタンダードな橘紋だった。このペーパーウェイトに彫られた文様がその家紋に瓜二つだった。

「それも買うか?」
「ひゃっ」

 後ろから手がにょっと伸びてきて、私が見つめていたペーパーウェイトが取り上げられる。

「えっと、それは――――」
「別に大した値段でもない。気になるなら買えばいいだろう」
「……お願い、します」

 カードと便箋と一緒に会計をしようとしたヨナを見送った私だったけれど、慌ててもう一品を店員に渡した。

「これもか?」
「だって、入れるバッグもないでしょ」
「すぐ送ればいいだけだろう」
「買い物したって実感のために、必要なんですー」
「……そういうものか?」

 首を傾げたヨナは、それでもまとめて会計を済ませてくれた。……というか、さっきから手品のように出て来るお金はどこから出てるんだろう。バッグもなければポケットに手を入れている様子もない。謎だ。
 ともあれ、生成りの厚手のトートバッグに買った品物を全部入れると、その重みが「ショッピングしてるー!」と教えてくれる。素晴らしい。実感は大事。ただ、あまりに飾り気がないので、塔に戻ったら刺繍でも加えよう。前世みたいにアップリケとかあれば楽ちんなんだけど。

「他は? 気になる店はあるか?」
「うーん、あとは衣類を少し見たいのと、お昼ご飯……どうする?」
「衣類は……仕立て屋か?」
「そうなるか……。でも、貴族向けとかじゃなくていいのよ。欲しいのは動きやすい服なんだから」
「俺としてはリリアンを着飾らせてみたいが」
「それは遠慮するわ。あぁ、でも、ある程度揃えておかないと、茶会で困るか……」

 塔での生活なら、動きやすいワンピース、何ならパンツスタイルだっていいけど、この国の貴族女性はパンツスタイルなんて乗馬服ぐらいしかないので馴染みが薄い。あと、王太子妃殿下とのお茶会は、最低限の格式が求められる気がするので、正直そろそろ手持ち(というよりグース卿に用意してもらった分)がそろそろ一周してしまいそうだ。

「そうね、庶民向けの仕立て屋を見て、それからランチ、その後で貴族向け……って、一見さんお断りかしら」
「断られたらそのとき考えればいい。まずは庶民向けだな」

 ヨナの手が私の手をぐいっと引っ張る。もう少しエスコートに気遣いが欲しいというのは望み過ぎ? 認めたくないけれど、足のコンパスの長さの関係で、どうしても早歩きになっちゃうのよね。
 ただ、指摘したらしたで、いつぞやバーに連れて行かれたときみたいな対処をされそうなのが悩ましい。

「ここでどうだ?」
「店構えは良さそう。……私の買い物ばかりで、なんだか申し訳ないわ」
「気にするな。むしろ金の使い道ができていい」
「……まさか、給金をほとんど使っていない、とか?」
「欲しい素材や本があれば使うが、危険手当や出張手当もあるから貯まる方が速いな」

 よし、遠慮なく使ってもらおう。経済は回さねば。

「こんにちは、誰かいらっしゃいますかー?」

 店に入ると店員らしき姿がなかったので、声を出してみる。すると、「はいはい」と恰幅の良いおばちゃんが出てきてくれた。
 おばちゃんはヨナの姿に一瞬目を丸くして硬直したけれど、そこはプロ。すぐに立て直してくれた。

「いくつかまとめてお願いしたいんですけど……」

 寝間着の替えや下着、動きやすいワンピースに、庭いじり用の作業服なんかを頼んでみると、上客だと判断してくれたのか、にっこにこで承諾してくれた。さすがに採寸のときだけは、ヨナを別室で待たせたけれど、特にトラブルなく注文を終える。

「難しいデザインもないし、2週間もあれば全部揃いますよ」
「それじゃ、その頃にまた取りに来ます。……あ、このあたりでお昼ご飯を食べようと思っているんですけど、オススメの店はありますか?」
「そうだねぇ。今日は天気もいいから、屋台なんてどうでしょうかね。南広場にはいくつも出ているから」

 ちらり、とヨナを見ると、小さく頷いてくれたので「ありがとうございます、寄ってみますね」とお礼を言う。
 店を出ると、ヨナは「なるほど」と呟いた。

「普通はああして情報を得るのか」
「誰も彼もが魔法を使えるわけじゃないからね。地元の人の方が、良い店を知っている確率が高いし」
「子爵領にいた頃も、そうして酒場を探していたのか」
「まぁ、最初は出入りの商人がぽろっとこぼした酒場だったけどね。あとは酒場で話してるうちに、どこそこの店の品ぞろえがどうとか、料理がうまいとか、酔いもあってポロポロと……」

 もちろん、心からその店が良いと思って進めてくれるパターンと、知り合いだから宣伝しておきたいパターンがあるものだから、確実に良い店というわけでもない。ここが口コミの難しいところだ。

「ま、いいじゃない。とりあえず南広場でお昼ご飯するってことで構わない?」
「構わない……が」
「が?」
「いや……、こればかりは運もあるからな。今から明言はできない」
「随分ともったいつけるじゃない?」
「うっかり口にすると現実になりやすいからな。不本意な予想は言葉にしたくない」
「あー、ゲン担ぎみたいなものね。それなら納得できるわ」

 いったいどんな悪い予想をしているのか分からないけれど、南広場に行くのを避けるほどでもないらしい、と判断して、私はヨナと手をつないだままサカサカと歩きだしたのだった。
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