人間、平和に長生きが一番です!~物騒なプロポーズ相手との攻防録~

長野 雪

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74.トゲトゲな視線(後)

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「あら、どこの野良猫が迷い込んだのかと思いましたわ」

 はい、ちゅーもーく。名前も知らない他人をすれ違い様にぶつかった挙句に指さして罵るなんて、淑女がやっちゃいけないことですよー。ここテストに出ますからねー。
 などと、ちょっぴり現実逃避に走りたくなる午後in仕立て屋。不穏な空気に、私の担当になってくれた針子さんが慌てています。
 屋台飯に舌鼓を打って、貴族向けの仕立て屋に来たのだけれど、最悪門前払いもあるかなーという私の心配は杞憂に終わり、すんなり招き入れて貰えた。事前の予約を取って欲しいとチクリと言われたけれど。
 聞いてみたら、私が今、塔で着ているもの――マックさんかグース卿が手配したドレス――を仕立ててくれた店らしい。高級既製服プレタポルテ仕立服クチュールの両方を扱っているので、前回は既製服、今回は仕立服を買いに来た、って感じだ。子爵令嬢でしかない私だが、隣の大魔法使いサマのネームバリューによって、若手のクチュリエールを担当に付けてもらって、採寸までを済ませた……わけなんだけどね。
 生地見本やデザインノートを見ながら待っているヨナの元へ戻ろうとしたときに、通りすがりにぶつかられた挙句にイチャモンつけられた、と。

(これは、穏便に済ませるのは、無理……だろうなぁ)

 完全に敵意の眼差しだし、案外、ヨナの隣を狙うという噂のハイエナ令嬢かもしれない。

「どちらのご令嬢か存じ上げませんが、この店内に招き入れられている時点で『野良猫』などではないと想像もできませんのね」

 軽いジャブ代わりに、「てめぇの頭の中身が残念だな」とあてこすっておく。好戦的? そんなことありませんとも。

「まぁ、お連れの方のおかげで入れた方のおっしゃることは違いますわ。王都のお茶会でも見た事がない方ですもの、さぞや名のある家のご出身でいらっしゃいますでしょう?」
「ふふふ、勘違いの理由が分かりましたわ。まず、私がこの国出身と思い込んでいらっしゃるのね。それに、普段、王都に出て来ない辺境伯の関係者である可能性も失念していらして……」

 私はできるだけ余裕綽々に見えるよう微笑んだ。さて、相手の家位はなんだろねー。少なくとも実家よりは上だろうなー。うっかり名乗れないわ、絶対。

「そうですわね、お名前は伺わない方がよろしいでしょう。そうでなければ、うっかり王太子妃殿下とのお茶会でこぼしてしまいますもの」
「……っ! 王太子妃殿下……?」

 さすが権力者の名前は違う。強気だったご令嬢が怯んだ。うんうん、ちゃんとそのぐらいは分かる頭を持ってるんだね。偉いよー。

「それでは、ごきげんよう」

 微笑みを崩さないまま別れの挨拶を告げ、「行きましょう」とクチュリエールさんに声を掛ける。ハラハラと見守っていた彼女は、ハッとして先導してくれた。この場を離れた方がいいってことを分かってくれたんだろう。

「……で、随分と不機嫌ね」
「あの女、俺に散々絡んだ挙句にお前にまで不快な思いをさせるとはな」

 あー、絶対これ盗聴されてたやつ。バングル経由だろうなぁ。

「はいはい、別に大したことなかったから、そんなにガルガルしないの。気になる生地やデザインはあった?」

 落ち着け落ち着け―、と二の腕をぽんぽん叩くと、ヨナはそれでも不満そうに鼻を鳴らした。

「ルッコット地方の絹はどうだ?」
「まぁ、お目が高いですわ。まだ価格は安く取引されているのですけれど、これから間違いなく価値の上がる生地ですもの。よくご存じで」
「……よくご存じで?」
「出張で少しな」

 なるほど、あちこち転移で出張するから、何かしら見聞きしてるんだな。魔法にしか興味ないと思っていたけど、ちゃんと周囲を見てるんじゃない。

「デザインはお前の好みで構わない」
「ヨナが贈ってくれるんだから、ヨナの好みも聞きましてよ?」

 人目があるので、それなりの言葉遣いをしているのだけれど、丁寧語が気にくわないのか渋い顔のヨナは小さく息を吐いた。

「……体のラインが出るのは仕方ない。だが、胸元や背中があまり開いているのは好かない」
「それなら、襟元はハイネックのものがいいかしら。あ、でも、あまり襟が高いと苦しいから、そこは着心地優先がいいですわ」
「ふふ、愛されていらっしゃいますわね」

 クチュリエールさんが微笑ましく私たちを見て来るけれど、そんなんじゃないですからー。いや、そんなんでいいのか? 一応は婚約者だし。

「シルエットはエンパイアスタイルかプリンセスラインかしら? タイトなものやマーメイドラインは彼を不快にさせそうですし」
「お色はご希望ございますか?」

 手元の紙にデザインを落とし込みながら質問してくるクチュリエールさんを見ると、さすがだなーと思う。ラフ画でもデザインが分かりやすく伝わってくるし、描きながら質問とか、私にはちょっと無理。

「そうですわね、一着は黒ベースでお願いするとして……」

 私はちらりとヨナを見る。あぁ、黒という言葉に、一気に満足そうな顔になってる。

「そうだな。5着程頼もうか」
「え」

 私としては2、3着で構わないと思っていたのだけど? そんなに作られても着て行く先は……妃殿下とのお茶会ぐらいだし。

「あ、色味は少し明るめでお願いします」
「明るめですか? 僭越ながら、お嬢様ですと、濃いお色の方が似合うと思いますが……」
「えぇと、……ねぇ、ヨナ。これ一房だけでも戻せない?」
「無理だな」
「うぐ。――――その、今の髪色と瞳の色は魔法で変えていますの。本来は落ち着いた茶色……えぇと、このぐらいの色で」

 色見本をぱらぱらとめくり、髪と瞳の色についてクチュリエールさんに説明する。

「事情はお察しいたします。本来の色彩に合うものを、ということですわね」
「面倒な注文でお手数をおかけしますわ」
「いいえ、お連れ様のことを考えれば、当然の自衛だと思いますわ。どうぞ、お気になさらず」
(あー、良い担当さんに当たったなぁ。女性だけど、ヨナに色目を使う様子もないし)

 もしハイエナ令嬢と同類だったら、ドレスの相談どころではなくなってただろう。
 そのままデザインについていくつか注文を出し、後はお任せと相成った。
 なお、体当たり令嬢については、あれ以降、絡んでは来なかった。妃殿下とお茶ができる隣国の令嬢、と匂わせたのが効いたのかもしれない。

「ま、面倒なことには変わりないけど」
「何か言ったか?」
「いいえ? なんでも?」

 こうして、初めての王都歩きは、予想よりは平穏に終わったのだった、まる。

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