緑担う姫と砂漠の真相

長野 雪

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悪ガキと噂と植物人間

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 外から漏れる月明かりだけが唯一の光源だった。
 夕食もとらないまま、もう真夜中になってしまったのだろう。腰の痛みは若干よくなった気がしたので、そーっと身体を起こして寝台から下り、窓辺に近づいた。
 満月に近い月が真上に昇っているようで、広がる大地は静寂そのものだ。まるで幻想的……と思ったところで気が付いた。何も聞こえない。あれだけ苦しみ呻く植物の声が響き続けていたのに、今は、静かだった。
 まさか、全てのものが死に絶えてしまったのかと、私の全身から血が引く。
 幸いにヴァルの姿はない。怪我人である私に配慮して別の部屋で休んでいるのかな。どちらにしても、チャンスだ。
 腰に響かないようにゆっくりと足を踏み出し、音を立てないよう細心の注意を払って扉を開ける。顔だけを出し、右、左、と確認してみるが、人影はなかった。
 部屋を出て、向かう先は決まっている。西棟の三階、一番奥の部屋だ。

 途中に遭遇しそうになった巡回の兵を何とかやり過ごし、目的の場所へ着いたのは、ほんの十数分後のことだった。人手が少ないんだろう。屋内の巡回をしている兵がいないことが、私の移動を随分と楽なものにしてくれた。

(……っ! まさか、ここまで来て)

 私の向かう先から、ガチャガチャとドアノブを動かす音がする。足音を殺して奥を窺うと、小柄な人影が乱暴にドアを開けようとしているようだ。

「おい、それもダメなのかよ」
「うん、だめみたい……」
「どうして合わないんでしょう。もう、残り三本しかありませんよ」

 聞き覚えのある声に緊張の糸をゆるめた私は、薄暗い中で目を凝らし、人影を見極める。うん、やはり、その人影は3つあった。

「シオン、ザイル、ヨーク」

 驚かさないように、声を絞って呼びかける。

「お、おい。シオン。呼んだか?」
「え? 僕は何も言ってないよ」
「ぼくにも聞こえましたよ。……もしかして、この部屋にいるという幽霊、とか?」

 困惑の声に、私は苦笑いを浮かべる。幽霊とはなんだ。幽霊とは。ちゃんと生きている。とはいえ、ちょっと声を落とし過ぎただろうか。

「シオン、ザイル、ヨーク。違うのよ。こっちの階段の方を見て」

 心持ち大きな声で呼びかけると、どうやらそれは逆効果だったみたいで、恐怖におののく三人は逆にこっちを見ないようにしている。

「お、おい、ザイル行けよ」
「いやですよ。ヨークが行ってください」
「オレか? オレは……」

 だめだ。完全に押し付け合いになってしまっている。いや、微笑ましいのだけど。

「誰でもいいから、こっちへ来て、(歩くのを)手伝って……」
「手伝って、だって?」
「いっしょに向こうの世界へ行こう、とかじゃありませんよね?」
「どっちにしろ、階段を押さえられてるんだから、やるしかねぇんじゃねぇか?」

 ヨークが物騒なことを言い出した。見れば、腰には装飾が過剰に施された短剣が挟まれている。
 彼は柄を強く握ると、突然、私の方に走り出した。

「くそっ、てめぇは一人で逝きやが……れ?」
「さすがにそれは難しいかしら」

 壁にもたれかかったままで笑顔を向けると、足を止めたヨークは呆然と私を見つめた。

「ヨーク? ヨーク! もしかして取り殺され……」
「バカなことを言わないでください。かくなる上は、ぼくたちもヨークを助けに行きますよ!」

 ヨークに続こうとするシオンとザイルの声に、彼はようやく口を開いた。

「心配ねーから、静かに歩いて来いよ」

 大きい音をたてられると気付かれる恐れがあるから、彼の提案は適切だった。


*+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+*


「いやぁ、びっくりしましたよ。それにしても何故こちらへ?」

 先ほどまで幽霊に脅えていたとは思えない朗らかさで、ザイルがネリスの左側を支えて歩く。

「ザイル、おしゃべりはいいが、そっと歩けよ」
「言われなくても分かっていますよ、ヨーク。というか、きみは先ほどの無礼について謝罪しましたか?」
「あれはいいのよ。誤解させてしまった私も悪いのだし。……そうそう、シオン、その鍵束だけど」

 私の指摘に、シオンは小さく身を竦めた。そう、ガチャガチャと聞こえていたのは、その鍵束から1つずつ試していたのだ。

「西棟の鍵なんだ。ちょっとくすねて来ちゃったんだけど」

 怒られると思っているのだろう。おそるおそる私を窺う様子は少しかわいらしかった。

「違うのよ。怒るとかそういうのではなくて、その中にあの部屋の鍵はないと思うから」
「えっ? 何か知っているんですか? あの部屋のこと」
「……鍵はヴァルが持っているの」

 私の言葉に、右側を支えるヨークが「やっぱり上からの方が良かったか」と呟いた。するとザイルが「午後のアレを忘れたんですか!」と睨みつける。

「それじゃ、どうして、なんで、ネリス様は?」

 二人の険悪な空気を散らすように、シオンは私に話しかけてきた。この三人の中では一番大人なのかもしれない。でも、苦労性だろうなぁ。

「もちろん、あなたたちと一緒よ。緑色の謎を解くためにね」

 時折、私を支えてくれる役を代わりながら、私たちはゆっくりと歩いた。

「さ、着きました。……けど、どうするんですか?」
「うーん、開くかどうかは分からないけど……」

 私はドアノブを握り、扉の向こうの蔦に――キャズに呼びかけた。

(聞こえている……? キャズ、声が聞こえていたら、鍵を開けて……!)

 すると、カシャン、と小さな手ごたえを感じた。私はそっとノブを回して押し開ける。すんなり開いた扉に、「開いた……?」「嘘、マジかよ?」「すごい、どうやったんですか?」と、少年たちから三者三様の驚きの声が響いた。
 でも、その驚きは、別の感動にとって代わられる。

「これは……」
「すごいな」
「きれい」

 部屋の中は、所狭しとはびこる一面の蔦、蔦、蔦。この砂漠の中心にあったなお、青々と茂る蔦に、私は心の中で頭を抱えてしまった。

(ヴァルにこの部屋を見られたら、バレバレじゃないの……!)

 元気になったのは喜ばしいことだ。けれど、やり過ぎだろう。どう考えても。

「これだけの緑、王都にだってそうそうないですよ」
「ぼく、こんなにきれいな植物見たの初めてだ」

 喜ぶ3人を見て、まぁ、仕方ないか。と諦めながら、私は寝台に目を向けた。まぁ、寝台とは名ばかりで、蔦に覆われて全容も見えないけれど。

『ネリス、まさか本体の方に来るとは思わなかったよ』
(そっちに来てもらってばかりにもいかないでしょ? おかげで面白い発見もあったわ)

 窓から吹き込む乾いた風に、キャズの葉がさわさわと揺れた。

『それは、「今」のことだね?』

 私は頷いた。
 植物の悲鳴が全く聞こえない不思議な時間。私はこの国に足を踏み入れてから、初めて静寂な時間を過ごしている気がする。

『真昼と真夜中の少しの間だけ、ボクらは楽になれるんだ。と言っても、昼間は陽の光が強過ぎて、それほどゆっくりできないけど、夜ならね。でも、それ以外の時間帯は、全て……耐えがたい……痛み、が、……力が抜け……絶え間なく……』
(どうしたの!?)
『時間、が終……わる。おか、さん、は呪い……って、言って――――。地上と、天上が……』
(キャズ?)

 再び耳に届く、あちらこちらからの苦しみの声。目の前のキャズには、例えばまた涙をあげれば応えてくれるようになるかもしれない。けれど、これ以上、葉を繁らせてもらっても困る。

「地上と、天上……」
「何か言いました?」

 私がうっかり口に出してしまった言葉に、ザイルが耳聡く拾って聞き返してきた。

「ううん、なんでもないわ。……それにしても、このキャズの繁りようはすごいわね」
「これ、キャズっていう草なんだ?」

 そうよ、と答えながら、私はずきずきと痛む腰を押さえながら、窓際に向かった。外もこのキャズと同じような状況に苦しんでいるんだろうか。

「窓に近づくと、バレる」

 ヨークに指摘され、確かに夜の暗がりの中で自分の風貌は目立ち過ぎると思い至った。仕方がないので、外を覗けるぐらいの位置に立ち止まる。東棟や中央棟の屋上に見える明かりは、夜警のものだろう。

「昼間は屋上で遊んでいても大丈夫なんですけどね」
「夜はさすがに見張りの邪魔はできないんだよな」

 私の視線の先に気が付いたのだろう。ザイルとヨークがそんなことを言ってきた。

「そういえば、屋上でよく遊んでるって言ってたけど、何か面白いものでもあるの?」

 何気ない質問だったのに、三人はなぜかきまり悪そうに顔を見合わせた。

「前は屋上じゃなく外に行って遊んでたんだが、禁止くらったからな」
「そうそう、昔は街の見張り台まで行ってたんですけどね」
「……でも、今回のことで、屋上も禁止になっちゃうかも」

 最後にシオンの呟いた言葉に、他の二人もしゅんと落ち込んでしまった。おそらく、街の見張り台の方で遊んでいるときにも、似たような事故を起こしてしまったんだろうと容易に想像がついた。

「もうあとは、城内で秘密の部屋を探すしか……」
「おいっ!」

 ヨークの叱責にザイルが慌てて口を押さえた。うん、ごめん。でもちゃんと聞いてしまった。

「秘密の部屋?」
「なんでもないですよ。ねぇ、シオン?」

 そらっとぼけたザイルがシオンに同意を求めたけど、シオンの返事はなかった。

「シオン?」

 ザイルがいぶかし気に呼ぶけれど、彼は窓の方を見つめて立ちすくんでいるようだった。

「おい、シオン。どうしたんだ?」

 ヨークがシオンに近づく……けれど、ヨークもまた、ぴしりと動きを止めてしまった。

「白い……手、か?」

 ヨークの固い声に、ザイルもそれに気が付いたようだ。生い茂る緑の蔦から、まるでもがき這い出そうとするかのように白くほっそりとした手があるのを。

「あぁ、そっか。その人のことにはまだ気付いていなかったのね」

 私は、怖がらせないように、何でもないことのように口にする。

「ヴァルのお母さんよ」

 淡々とした声が、かえって恐怖を煽ってしまったのか、シオンは「わぁっ」と声をあげて、私に抱きついた。うん、地味に腰が痛い。

「草に、食べられてるの?」

 涙声で問われてしまうと、まぁ、そう見えなくもないかな、と妙に納得してしまう。

「違うの。逆なのよ。守られてるの」
「嘘ですよ。草に人間が守られてるなんて。どうして分かるんですか」

 震えた声で反論するのはザイルだ。怖くて白い手から目が離せないようだった。

「じゃぁ、どうしてこの人はまだ生きているんだと思う?」

 意地悪く質問に質問で返してしまうと、二人とも黙り込んでしまった。

「それが、例の側室か」

 呟いたのは、ヨークだった。

「なんですか、それ? ヨークは何か知っているんですか?」
「――――当時でさえ、貴族の、それも一部しか知らないことだった。当時、まだ承認だったお前の親が知らなくても当然だ。……呪いだとか、奇病だとかいろいろ言われていたが、要はなんで倒れたのか分からなかった。そして、それを機に遷都の話が持ち上がった」
「……」
「誰も自分がそんな目に遭いたくないからな」
「……ど、どういうことです?」
「つまり、奇病だか呪いだかにかかった側室の近くにいたら、オレ達だって、いつこうなるか分からないってことだ」

 ひゃぁぁぁ、と悲鳴を上げてザイルが王妃から距離をとった。

「当時、側室が倒れたその場にいたはずの王は、どこでどう倒れたのかも語らずに、側室を隔離したと聞いてたが……」

 まさか、隔離の理由がこういうことだったとはな、と一人納得したヨークは、自分で言ってて怖くないのだろうか。ほっそりとした手をじっと見つめていた。

「しかし、疑問が残ります。側室の隔離の理由がこの蔦にあるということを、陛下はどうして偽る必要が?」
「さぁな。遷都後に広まった噂はあるが。……ザイル、お前も聞いたことぐらいはあるだろう。この城が取り壊されない理由」
「例の『王族の重大な秘密』ってやつですか? 父様に探って来るようにと言われましたが」
「オレも同じだ。ここに一番長くいるシオンも知らないようじゃどうしようもないと諦めたけどな」

 ザイルとヨークはそうしてお互いに調べた場所や、そこに至るまでの苦労話に花を咲かせる。
 それを聞きながら、私はすがりついたままのシオンの頭を撫でていた。
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