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第二章
彼女がいる図書館
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月島すずと再び会ったのは、その数日後のことだった。
文学表現論の講義。教室に入ると、いつもより少し早く来てしまったらしく、まだ学生はまばらだった。僕は後方の窓際、いつもの席に向かった。
「あ、彰人君」
声がして、顔を上げる。そこには、月島すずがいた。
「また会ったね」
彼女は満面の笑みで手を振った。まるで旧友に会ったかのような、自然な仕草。
「……ああ、偶然だね」
「ここ、空いてる?」
そう言って、すずは僕の隣の席に座った。断る理由もなかったし、断る間もなかった。
「彰人君も文学表現論取ってるんだ」
「必修だから」
「私も。じゃあこれから一緒だね」
すずは嬉しそうに笑った。その笑顔には、まったく計算の色がない。本当に偶然を喜んでいるように見えた。
講義が始まる。教授が淡々と話し始める中、すずは真剣にノートを取っていた。時々、わからない部分があると小さく首を傾げる。その仕草が、なぜか気になった。
講義が終わると、すずは僕の方を向いた。
「ねえ、今から図書館行く?」
「……うん」
「私も行こうかな」
そう言って、彼女は荷物をまとめ始めた。それから、図書館でもすずと会うようになった。最初は本当に偶然だと思っていた。けれど、二階の西側、あの誰も来ない席に、すずがいることが増えていった。
「あ、彰人君。奇遇だね」
彼女はいつも、満面の笑みで手を振る。
「……奇遇、だね」
本当に偶然なのか。でも彼女の顔には、まったく計算の色がない。僕は少し迷ったが、結局いつもの席に座った。
「私ね、ここ気に入っちゃった。静かで落ち着くし」
「そう」
「邪魔だった?」
「いや、別に」
そう言いながら、僕は少しだけ違和感を覚えていた。この席は、誰も来ない場所だったはずなのに。
学食でも、すずと会った。
一人で食事をしていると、トレイを持ったすずが現れる。
「ここ、空いてる?」
「……ああ」
「ありがと」
そう言って、彼女は僕の向かいに座った。
「今日の講義、難しかったね」
「そう?」
「象徴表現って、なんだか抽象的で」
「簡単に言えば、言葉の背後にある心理や感情を読み取るってことだよ」
「へえ。でもそれって、読み取るのすごく大変だよね」
すずは箸を止めて、僕の方を見た。
「読み取れたとしても、それが本当かなんてわからないわけだし。結局、その言葉の裏にどういった意味や感情、考えがあるかなんて、本人にしかわからないんだよ」
彼女の言葉に、僕は少し驚いた。明るく夢見がちに見える彼女が、そんなふうに考えているとは思わなかった。
「……そうかもね」
「でもね」
すずは微笑んだ。
「だからこそ、ちゃんと言葉にしなきゃいけないこともあると思うの」
一週間が過ぎた。講義の後、図書館へ向かう。コンビニで飲み物を買う。その全てで、すずと会うようになっていた。偶然が、多すぎる。ある日、図書館でいつものように隣に座ったすずに、僕は思い切って聞いてみた。
「ねえ、月島さん」
「なに?」
「君、もしかして僕のこと追いかけてる?」
すずは一瞬だけ、動きを止めた。それから、いつもの笑顔に戻る。
「追いかけてるっていうか……お礼、まだしてないから」
「手帳の?」
「うん」
すずは読んでいた教科書を閉じて、にっこりと笑った。
「運命ってね、すごく繊細だと思うの。その一瞬のために、いろんな奇跡が起きて運命にたどり着く。あの日、あの時、彰人君があそこにいてくれなかったら、私の手帳は見つからなかったかもしれない。そう考えたら、お礼しなきゃでしょ」
「でも、拾ったの僕じゃないし」
「でも、彰人君がいたから、見つかった。それって、すごいことだと思わない?」
僕は、何も言えなかった。彼女の言葉には、不思議な説得力があった。
「それに」
すずは少し声を落とした。
「彰人君といると、楽しいから」
その言葉に、僕の中で何かが崩れた。
それからというもの、僕と月島すずは、二限の空きコマと四限以降を一緒に過ごすようになった。最初は戸惑った。人との距離を保つことが、僕の生き方だったから。でも彼女は、僕の境界線を少しずつ、自然に、踏み越えてきた。気づいたときには、もう彼女がいることが前提になっていた。
ある日の講義で、教授が象徴表現について詳しく説明した。
「象徴表現とは、ある対象を直接描写するのではなく、別のものに置き換えて表現する技法だ。たとえば、『彼女の心は氷のように冷たかった』というのは直喩だが、『彼女は氷だった』となれば隠喩、つまりメタファーになる。そして象徴表現は、さらに抽象的な概念を具体的なイメージで表す。月、花、風、雨。これらは単なる自然現象ではなく、人間の感情や心理状態を映し出す鏡となる」
講義が終わると、すずが僕に話しかけてきた。
「ねえ彰人君、今日の話、面白かったね」
「まあね」
「でもさ、象徴表現って結局、相手がそれを理解できなきゃ意味ないよね」
「……そうだね」
「私が『月がきれい』って言っても、それが『あなたが好き』って意味だなんて、普通は伝わらないもん」
すずは笑いながらそう言った。僕は少しだけ、胸がざわついた。
「君は、そういうの好きなの?」
「え?」
「象徴表現とか、遠回しな言い方」
「うーん」
すずは少し考えてから答えた。
「好きっていうか、憧れるかな。ちゃんと伝わるなら、素敵だと思う。でも私は、ちゃんと言葉にしたい派かも」
「言葉にしたい派」
「うん。だって、言わなきゃ伝わらないことって、たくさんあるから」
図書館での時間、すずはよく将来の話をした。
「ねえ彰人君、私さ、将来は絶対、私が困ってるときに助けに来てくれる白馬の王子様と結婚したいんだ」
「また将来の話?」
「もちろん。私だって女の子。白馬の王子様を夢見て待ってるものなの」
「そっか」
「彰人君は? どんな人がいい?」
「別に、考えたことないけど」
「嘘。絶対あるでしょ」
すずは僕の顔を覗き込んだ。
「……わからない」
「わからないんだ」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「でもね、いつかわかるよ。きっと」
そんな時間が、いつの間にか習慣となり、やがて前提となった。月島すずがいる図書館。月島すずと話す空きコマ。月島すずと帰る夜道。それが、僕の新しい日常になっていた。一ヶ月が過ぎた頃、一限が終わった後、不意に声をかけられた。
「彰人。一限お疲れ様」
振り返ると、そこには中村陽がいた。彼は唯一の僕の友人で、僕の幼馴染だった。
文学表現論の講義。教室に入ると、いつもより少し早く来てしまったらしく、まだ学生はまばらだった。僕は後方の窓際、いつもの席に向かった。
「あ、彰人君」
声がして、顔を上げる。そこには、月島すずがいた。
「また会ったね」
彼女は満面の笑みで手を振った。まるで旧友に会ったかのような、自然な仕草。
「……ああ、偶然だね」
「ここ、空いてる?」
そう言って、すずは僕の隣の席に座った。断る理由もなかったし、断る間もなかった。
「彰人君も文学表現論取ってるんだ」
「必修だから」
「私も。じゃあこれから一緒だね」
すずは嬉しそうに笑った。その笑顔には、まったく計算の色がない。本当に偶然を喜んでいるように見えた。
講義が始まる。教授が淡々と話し始める中、すずは真剣にノートを取っていた。時々、わからない部分があると小さく首を傾げる。その仕草が、なぜか気になった。
講義が終わると、すずは僕の方を向いた。
「ねえ、今から図書館行く?」
「……うん」
「私も行こうかな」
そう言って、彼女は荷物をまとめ始めた。それから、図書館でもすずと会うようになった。最初は本当に偶然だと思っていた。けれど、二階の西側、あの誰も来ない席に、すずがいることが増えていった。
「あ、彰人君。奇遇だね」
彼女はいつも、満面の笑みで手を振る。
「……奇遇、だね」
本当に偶然なのか。でも彼女の顔には、まったく計算の色がない。僕は少し迷ったが、結局いつもの席に座った。
「私ね、ここ気に入っちゃった。静かで落ち着くし」
「そう」
「邪魔だった?」
「いや、別に」
そう言いながら、僕は少しだけ違和感を覚えていた。この席は、誰も来ない場所だったはずなのに。
学食でも、すずと会った。
一人で食事をしていると、トレイを持ったすずが現れる。
「ここ、空いてる?」
「……ああ」
「ありがと」
そう言って、彼女は僕の向かいに座った。
「今日の講義、難しかったね」
「そう?」
「象徴表現って、なんだか抽象的で」
「簡単に言えば、言葉の背後にある心理や感情を読み取るってことだよ」
「へえ。でもそれって、読み取るのすごく大変だよね」
すずは箸を止めて、僕の方を見た。
「読み取れたとしても、それが本当かなんてわからないわけだし。結局、その言葉の裏にどういった意味や感情、考えがあるかなんて、本人にしかわからないんだよ」
彼女の言葉に、僕は少し驚いた。明るく夢見がちに見える彼女が、そんなふうに考えているとは思わなかった。
「……そうかもね」
「でもね」
すずは微笑んだ。
「だからこそ、ちゃんと言葉にしなきゃいけないこともあると思うの」
一週間が過ぎた。講義の後、図書館へ向かう。コンビニで飲み物を買う。その全てで、すずと会うようになっていた。偶然が、多すぎる。ある日、図書館でいつものように隣に座ったすずに、僕は思い切って聞いてみた。
「ねえ、月島さん」
「なに?」
「君、もしかして僕のこと追いかけてる?」
すずは一瞬だけ、動きを止めた。それから、いつもの笑顔に戻る。
「追いかけてるっていうか……お礼、まだしてないから」
「手帳の?」
「うん」
すずは読んでいた教科書を閉じて、にっこりと笑った。
「運命ってね、すごく繊細だと思うの。その一瞬のために、いろんな奇跡が起きて運命にたどり着く。あの日、あの時、彰人君があそこにいてくれなかったら、私の手帳は見つからなかったかもしれない。そう考えたら、お礼しなきゃでしょ」
「でも、拾ったの僕じゃないし」
「でも、彰人君がいたから、見つかった。それって、すごいことだと思わない?」
僕は、何も言えなかった。彼女の言葉には、不思議な説得力があった。
「それに」
すずは少し声を落とした。
「彰人君といると、楽しいから」
その言葉に、僕の中で何かが崩れた。
それからというもの、僕と月島すずは、二限の空きコマと四限以降を一緒に過ごすようになった。最初は戸惑った。人との距離を保つことが、僕の生き方だったから。でも彼女は、僕の境界線を少しずつ、自然に、踏み越えてきた。気づいたときには、もう彼女がいることが前提になっていた。
ある日の講義で、教授が象徴表現について詳しく説明した。
「象徴表現とは、ある対象を直接描写するのではなく、別のものに置き換えて表現する技法だ。たとえば、『彼女の心は氷のように冷たかった』というのは直喩だが、『彼女は氷だった』となれば隠喩、つまりメタファーになる。そして象徴表現は、さらに抽象的な概念を具体的なイメージで表す。月、花、風、雨。これらは単なる自然現象ではなく、人間の感情や心理状態を映し出す鏡となる」
講義が終わると、すずが僕に話しかけてきた。
「ねえ彰人君、今日の話、面白かったね」
「まあね」
「でもさ、象徴表現って結局、相手がそれを理解できなきゃ意味ないよね」
「……そうだね」
「私が『月がきれい』って言っても、それが『あなたが好き』って意味だなんて、普通は伝わらないもん」
すずは笑いながらそう言った。僕は少しだけ、胸がざわついた。
「君は、そういうの好きなの?」
「え?」
「象徴表現とか、遠回しな言い方」
「うーん」
すずは少し考えてから答えた。
「好きっていうか、憧れるかな。ちゃんと伝わるなら、素敵だと思う。でも私は、ちゃんと言葉にしたい派かも」
「言葉にしたい派」
「うん。だって、言わなきゃ伝わらないことって、たくさんあるから」
図書館での時間、すずはよく将来の話をした。
「ねえ彰人君、私さ、将来は絶対、私が困ってるときに助けに来てくれる白馬の王子様と結婚したいんだ」
「また将来の話?」
「もちろん。私だって女の子。白馬の王子様を夢見て待ってるものなの」
「そっか」
「彰人君は? どんな人がいい?」
「別に、考えたことないけど」
「嘘。絶対あるでしょ」
すずは僕の顔を覗き込んだ。
「……わからない」
「わからないんだ」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「でもね、いつかわかるよ。きっと」
そんな時間が、いつの間にか習慣となり、やがて前提となった。月島すずがいる図書館。月島すずと話す空きコマ。月島すずと帰る夜道。それが、僕の新しい日常になっていた。一ヶ月が過ぎた頃、一限が終わった後、不意に声をかけられた。
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