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本編
3. もう下がって良いぞ
しおりを挟む「最後の祝福に間に合って良かったなー。危うく寂しい夜を過ごすところだったぜ~、ハッハ」
千切れた箇所をぐるぐると固定していた赤い包帯を剥いで、二十代の男性が大きく腰を振る真似をして笑う。
「お前は女将さんに怒られて、エールも禁止だったかもなー」
「そりゃないぜ~」
不注意で大事な右手の指二本、第二関節より失いそうだった冒険者ですら、左腕が膨れるほどの大きな痣が消えた仲間と肩を組んで、立ち尽くすアイシスに感謝を伝えることなく退場していく。ここまで来れば、直ることが当たり前となっているから。
それくらいに簡単なことだと考えているから、迷宮を抱える隣の街にこそ、聖女の住まう大聖堂を用意すれば便利なのにと愚痴を溢すのだ。
「はぁ、これで何とか家の片付けが続けられるかー」
重たい荷物を落としたのか、折れたような足先の鈍痛がなくなったことを靴の上から確かめた三十代の男性が、自分の順番だと踵を返す。
その流れへ続くように、小石に躓いて額や頬に擦り傷を残していた二十代の女性が、熱湯を飛ばし左手の甲から手首に火傷を負っていた三十代の女性が、夕飯の支度を考えながら黙々と足を運ぶ。
「やれやれだわねぇ」
定期治療会へ参加した彼等の認識にあるのは、祝福はあくまで神々から与えられる恩寵であり、きっかけとなる教会には治療費という対価を払っているというもの。
祈りを捧げる聖女とは、日々巻き上げている金銭で安全な敷地に籠もり、質の良い生活を続けている相手。そして、いずれは婚約者の第一王子と結婚して、正妃という望外の地位を手に入れ、我等の税金でさらに贅沢な暮らしを楽しむ相手という認識なのだ。
ちょっと才能に恵まれていたというだけなのに。努力とか知ったこっちゃない。
「…………」
信仰のためと寄付金を捻り出しているわけで、別途治療費を要求する聖女をどこかで疎ましくさえ感じている。
敬うべき聖女という虚像を利用して、自らが祝福を与えているかのように仰々しく振る舞っている。そんな風にしか見ようとしなくなったのだから尚更だ。
ここ数年の入れ替えを急ぐように、追い立てられるように退場させられていく以前から、そのような心情の変化は起こり始めていた。
「立ち止まらないように、列を乱さないように進んで下さい」
修道女が口煩いことも、評判を悪くしているだろうか。
しかし、治療費の請求はかつての聖女が、アイシスが言い出したことではない。
王都の一般的な住民以上に良い食事をしているわけではない。手が出せないような嗜好品が王侯貴族から届けられているわけでもない。
神々が寄り添う聖女となれば、大気に漂う魔力を補給することにより、一般人以上に飲み食いすることなく正常な状態を保てるから生き存えている。安宿で出されるような、素朴なパンとスープ、僅かなサラダで充分だと教会関係者には知られている。
「乱さないで下さい!」
結局は、大聖堂の責任者に任命されるような上の者が、集めた金銭や贈答品で身銭を増やそうと掠め取っている。そうやって、教皇まで上り詰めた者が、さすがにこれほどの無料奉仕は如何なものかと始めた仕組みだったのだから。
王侯貴族を迎え入れる、階級に相応しい貴賓室が無駄に充実していくことも、癒着するためと似たような理由だろう。
「聖女アイシス、もう下がって良いぞ」
全員の退出が終わったことを見届けて、指示を出した壮年の男性からしても聖女とは成り上がるための駒に変わらない。
前任者から王子の婚約者だからといって、特別に扱う必要性は説かれていない。今まで通りで問題無いと聞かされていれば、わざわざ制度を変えようとも思わない。
長年の王都大聖堂ほど酷使していなくとも、どこで生まれた聖女であれ、微笑みを浮かべて自ら弱き者に尽くしてきた過去があるのだ。
それこそが正しい聖女像であると、幼少期より教え込んでいることを含めて。
「早くしろ」
だからこそ、誰一人この恵まれた状況が突如なくなってしまう事態を考えようとはしない。今代の能力が衰えれば、次代の聖女が湧いて現れると信じているのだから。
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