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本編
4. 終わったと思ったのに……
しおりを挟む「……はい」
三女神へ振り返ったアイシスはゆっくり一礼して、割り当てられた私室へ続く通路に姿を消す。
女性の平均身長が百七十センチを超える神聖王国にあって、彼女は百五十五センチとかなり小柄になる。
膨らんでいる気がする胸元や臀部、太股だって豊満とは言えない。飽食の暮らしと言ってしまうには、頬や顎、お腹や二の腕だって細々としているようにしか見えない。
だが、十年、二十年、五十年、百年、二百年と積み上げられてきた神聖王国における聖女制度が、漏れ伝えられる虚言がやはり事実を覆い隠してしまう。
我々が困っていないのだからと、教会関係者が困っているはずがないと思い込んでいるということもあるかもしれない。
先代の聖女までなら、地方へ出向けば感謝されることもあったという。それでも、聖女アイシスの加護を得られるようになった十年で、魔物の被害は目に見えて減り、怯えることを忘れた王国民の意識は狂ってしまったと言わざるを得ない。
「鳳凰殿へ向かいなさい、第一王子殿下がお待ちです」
周囲の扱いがそうさせるのであろうか、僅かに年上と言うだけの真っ白い修道服を着た見習い女性までが、聖女アイシスに命令するような口調で話す。教会内の立場で言えば、敬わなければならない相手だというのに。
そして、指示にのろのろと頷くところを確認して、余計な手間を掛けさせられたと舌打ちしながら離れていく。
「分かったのなら、さっさと移動しなさいよ」
元は、自分と同じ平民だ。
しかも、ずっと孤児院で育てられたような厄介者だと聞いている。
ちょっと幸運が微笑んだだけの、そんな女が持て囃されて優雅な生活を送っているのだ。そんな噂話を鵜呑みにして、嫉妬が思考を乱している者ばかり。
「まったく、何であんなに愚図なのかしら……」
見習いは侮蔑の言葉を届かないように吐き捨てて、のんびりとした歩みで次の作業へ移っていく。
炊事や掃除で荒れた指先を直してくれる誰かに、感謝を抱く時間など僅かほどにもなかったから。
ちなみに、定期治療会の参加費用は、日本の貨幣価値にて言い表せば僅か五百円ほどだ。
何となく筋肉痛が長引くくらいで足を運んでしまうくらい、拡充された人数は王都の住民にとって敷居を低くさせている。酷い二日酔いになっても教会の祝福を頼れば良いと、最大十五回確保されるようになった治療機会も考え方を変化させている。
就任当初から先代、先々代を超えていた彼女の魔力量は、王都住民の意識を堕落させるに十分だった。今までが一日に一度か二度だけの、もっと人数を限定された貴重な奇跡であったはずなのだから。
「…………ふぅ」
しかし、上げた水準は簡単には下げられない。
どれだけの恩恵をたった一人の、聖女アイシスだけの負担と犠牲から与えられているのか、正しく理解しようとする者はいなくなっている。
彼女の私室に届けられる粗末な食事すら自分達で運んでいるというのに、見下して問題ないという集団心理とは恐ろしいものである。
ちなみに、ワンコインくらいの支出の効果は、上腕骨や大腿骨の骨折だって、高熱のインフルエンザだって完治させてしまう。
気になっていたシミそばかすだって綺麗に目立たなくしてしまう。お肌の張り潤いを取り戻すことだってできてしまう。
わざわざ一回で完治しない事例を挙げるとするならば、腕を切り飛ばされた場合は一回目の祝福で全体が生えてきて、二回目の祝福で神経の繋がりが整い動かせるようになる。継ぎ合わせる部位を持ち込めば、一回で繋がれて完了することだってあるくらいの凄まじさだ。
(終わったと思ったのに……)
勤務時間が終わった瞬間に、厄介事が待ち受けていた悲しみよ。
婚約者の呼び出しに嬉しそうな表情を浮かべることがないのは、当然そういう相手だからである。
こちらも聖女という立場など関係ない、平民の女などあり得ないと目の前で宣うような思考の持ち主である。政のために取り繕うとか考えられないらしい。
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