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本編
5. いやがったかぁ……
しおりを挟むちなみに、この頃の冒険者はこれほどの恩恵が当たり前にあると思い込み、迷宮の限界地点まで無謀な戦いを挑むことが常態化していた。高まる身体能力に見合うだけの技術的な成長を待つことなく。
ある意味整えられた迷宮を離れて、地上を動き回る魔物の相手を請け負えるだけの力量は伴わないかもしれない。
傷を負えば多少の治療費を払えば助かり、食べて飲んで抱いて遊べるだけの金銭があっという間に稼げるのだから、迷宮だけで奮闘すれば良いと誰もが考えてしまう。そんな思考の弊害も、もうすぐ表面化する事態となってしまう。
「…………めんど」
廊下を曲がり見習いの女性が完全に消えると、アイシスは精一杯の感情を吐き出して、とぼとぼと夕闇迫る廊下を進み始めた。
この身勝手な第一王子の呼び出しが、変わるはずのなかった彼女の日常を、婚約者の権威を、ポシャント神聖王国の栄華と運命を大きく狂わせてしまう。
築き上げられた完璧だった世界が、破滅の足音を奏で始めてしまうと知らぬまま、彼女は一歩一歩転機へ近付いていく。
☆ ☆ ☆
それなりに煌びやかだった一般向けの礼拝堂の区画を離れて、アイシスは絢爛豪華な鳳凰殿まで続く廊下へ足を踏み入れた。
そこは、王都大聖堂へ設けられた王侯貴族向けの礼拝堂。出入りする正面からして扉一枚の重厚感が異なっている。
「聖女アイシスが参りました」
外で待機していた護衛の騎士が、両開きを動かして内部へ伝達を行った。
そのあと、さっさと入れと言わんばかりに、ゆらゆらと寄って来る彼女を睨み付けて急かしてくる。
「やっと来たか、本当に愚図な女だ」
アイシスが入室してきたことを確認して、無駄に着飾る金髪の男性が乱暴にティーカップを置いた。
「頭空っぽで、反応が鈍いそうですから、仕方無いですわよ~」
男性に向かい合う椅子へ座り、青色のロングヘアをくるくると弄っていた女性が、クスクスと笑いながら追随する。媚びへつらうような甘い声色で。
彼等へ紅茶を用意したであろう修道女の姿は見えず、琥珀色の液体から湯気が立ち上ることもない。
(いやがったかぁ……)
待たされることに怒っていなくなっていれば楽だったのにと、面倒だと思う内心を隠したまま、表情を変えないアイシスが立ち止まった。
気に障らぬよう護衛の騎士は音を立てずに扉を閉め、逃がさないと言わんばかりの目付きで室内に二人が、邪魔を拒むように礼拝堂外へ二人が立ち塞がる。
「ひっじょ~うに、大事な話をするので、お前はそこへ立て」
大きな窓から向日葵の咲き始めた中庭が望める椅子を離れた第一王子は、こちらへ来なくて良いと中央付近を顎で示した。勝手に歩みを止めているとか認めようとしないから。
学校の教室をすっぽりと収めるほどの鳳凰殿は、だだっ広いだけの一般向けの礼拝堂と違い、四本の柱の内側に敷き詰められた赤い絨毯が良く映えている。
「今はこの上なく機嫌が良いからな、多少待たされたことは許してやろう」
絨毯の外側、白い石材に仁王立ちした神聖王国の第一王子、聖女アイシスの婚約者サイバード・タチマチ・ポシャントが青色の瞳を輝かせながら、にやにやと品のない笑みを浮かべる。
相手の予定など気にしない、呼び出せば最優先で顔を出すべきだと怒り出すいつもとは違うようだ。たまに、本当に王宮へ返っているからのろのろと歩くことを覚えたらしい。
「…………」
大らかな心に感謝を示すわけでもなく、適当にハイハイと頷くアイシスを咎めることもない。
(本当に珍しいじゃん)
成人となる十八歳を淡々と過ごし、サイバードは今年二十歳を迎えている。
未だに国王から王太子として指名されない第一王子には、神聖王国が抱える全ての事情を打ち明けられていない。
基準を満たしていないと判断される程度なのだ、残念なことに。
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