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本編
16. 今話せるかなぁ~?
しおりを挟むようやく手に入れた自由を噛み締めるように、アイシスはゆらゆらと茜色に染まる風景を、風に揺れた木々のざわめきを静かに堪能する。
人々の生活臭が混じらない、こちらの世界では初めてと言える強い緑の香りが心地好い。澱み荒んでいた心が、洗い清められる気がしてくる。
「最後の定期治療会が終わった時間で、丁度良かったのかもしれないなー」
迫る夜の闇をアイシスは恐れていない。忍び寄る魔物に負けない、退けるだけの方法が自分に備わっていることを知っているから。
定期治療会を頼った冒険者などは、彼女の顔などをもしかしたら覚えている可能性がある。王子のサイバードや令嬢のスリンカから馬鹿にされていたが、艶やかな黒髪や可愛らしい顔立ちは印象に残らないわけではない。
この時間の大街道にて聖女っぽい女性を見掛けたと、報告が入ることによって面倒臭くなるはずだ。目撃情報が少ないほど、逃亡に有利となることは分かっている。
「さてと、あそこに惜しむほどの名残はないし」
過去を振り切ろうとするアイシスが、背筋を伸ばしてから広げていた両手を下ろした。
このときはまだ逃亡を知らされていない宰相のする予想では、魔力欠乏の倦怠感に纏わり付かれている、残り少ない端数で無理をしているとされる。物陰へ隠れているくらいに考えられていたようだ。
しかし、晴れ晴れとした彼女はそんな様子を微塵も見せていない。
何故なら、転生者である彼女の成長速度を教会関係者や神聖王国の上層部が大きく見誤っていたから。そして、それは魔力の保有量だけに留まらない。
「――おおっと、危ない危ない~。コムギを喚んでおかないと怒られちゃうねぇ」
夕陽に向かって踏み出した一歩を支点にして、大事な相棒の存在を思い出したアイシスがぐりんと反転、慌てて王都の方角へ向き直った。
まず、彼女が保有できる魔力の増加に伴い、自由な休憩時間が減り礼拝堂の回転率は高められていった。
十二歳の頃には十回の開催を数え、十三歳の暮れには最高記録の十五回の開催まで到達していた。それから四年近く、最大十五回から定期治療会が増やされていないのは、彼女が昏倒してしまうほどの限界値まで礼拝堂の回転率が追従できなかったからだ。
神々に祈りを捧げ、治療を施す奇跡が聖女の身体から礼拝堂へ満ちている時間は、長く見積もって五分ほど。
その瞬間だけ重ねるなら、二十回三十回と増やせそうなものだが、二百名を超える希望者が室内へ並ぶ時間、文字通り患者を運び込む時間、そんな入れ替え作業を含めてしまうと一回に三十分から四十分くらいは掛かってしまう。
関わる修道士や修道女はしっかりと確保されているが、聖職者としての勤めだって普通に怠ることはない。そして、普段から十回を超えると満員御礼とならなくなる。睡眠時間を犠牲にして、夜明けから日暮れまで行い続ける意味がないのだ。
これらの理解が間違っているのだから当然、この段階から取り返せないほど後手に回ることになってしまう。
「……というか、ここから念話系統って通じるのかな?」
何度か、王都大聖堂の私室から王都の範囲なら試したことがある。その距離を数倍超えている場所に立って、首を四十五度に傾けてアイシスが思案顔になる。
それでもすぐに、試して駄目なら闇夜に紛れてこっそりと近付けば良いかと、目を閉じて使用時の感覚を思い返す。
「契約者アイシスが個体名コムギを求める、――《従魔通話》」
相手の立ち姿を思い浮かべた彼女は、言葉を包んだ魔力を飛ばしていく。
『あーあー、コムギちゃーん、今話せるかなぁ~?』
『……、……んん~? なんにゃ~?』
わずかな空白ののち、現状を知らない相棒から届いた軽い返事に、アイシスは笑みを溢す。
『おっ、通じたねぇ~』
『この時間に話し掛けてくるなんて、珍しいのにゃ~?』
大声の届かない離れた空間を乗り越えて、繋がりを保つ回線は遅延なく会話が成り立つ。
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