婚約破棄を喜ぶ聖女と滅ぶ王国~天下泰平の勘違い~

鷲原ほの

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本編

17. お腹でも空いたかにゃ~?

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 幼子のような高い声色なのに、話し方はずいぶんと落ち着いている。それなのに、にゃと入り込む台詞がアイシスには堪らない。

『お腹でも空いたかにゃ~?』
『あー、確かにご飯はまだなんだけどー』

 相手の質問に、意識を向けた腹部から可愛らしい音が返ってきた。
 聖女のみならず、教会に属する聖職者は朝晩の二食が普通だ。朝昼晩とある庶民の昼食では、野菜を挟んだ丸パン一個とスライムスティック一本という軽食や、冒険者のように魔物肉と薬草の微塵切りを小麦粉で固めて焼いた携行食をかじるだけという質素なことが多い。
 王族や豪商のように三食手を込め豪華に食すほど、趣向を凝らした食事を楽しめるほどの余裕はない。
 しかし、毎日代わり映えのしない粗食を出されていたアイシスには、食事を楽しんでいた記憶のある成長期の身体には、苦痛と物足りなさを感じる日々だった。食後のデザートや三時のおやつという概念が広まっていないことに、絶望に追い撃ちされるような日々を過ごしていた。
 ふらりと私室へ立ち寄った恩人から、もし果物や焼き肉、ほんのりと甘さを感じるスライムスティックの差し入れがされていなかったら、解放されるまま王都を火の海に沈めてしまうほど暗く染まっていたかもしれない。

『それはそれとして、ちょっと事情が変わってねぇ、これからこっちへ喚び出したいんだけど、コムギは大丈夫かしら?』
『ええ、問題にゃいわよ~』

 答えを聞いたアイシスは目を開けて、しゃがみ込み右手で大地に触れる。

「契約者アイシスが個体名コムギを求める、――《従魔召喚!》」

 放出された魔力が魔法陣を形作り、魔法名を唱えたところで輝き始めた。そして、アイシスが鳳凰殿から逃げ出した転移魔法よりは小さく広がった円形の魔法陣から、小さな影が飛び出してくる。

「うにゃ!」

 体操選手の演技終了時のように両手を広げて、華麗な着地を決めたのは茶色の体毛に青色の瞳をした猫妖精ケット・シーの女の子。

「……うー、にゃ?」

 しゃがみ込んでいるアイシスと同じくらいの目線で、猫として見れば大型なのだが、二足歩行の猫妖精としては少し小柄になる。
 その身体に衣服や靴は着用していないが、蒼玉と碧玉を嵌めたチョーカーが首元を飾っている。また、両手に掲げる赤い果物が目立って仕方がない。

「…………あっれぇー?」

 いつもの着地で、ぼふっと返ってくるお布団の感触がないことで下を向き、見慣れた私室と違う広がる景観に左右を見渡して、彼女は可愛く身体を傾けた。
 柔らかな風にふわふわりと揺れる体毛は繊細で、きりりとした顔立ちから放たれる甘い表情は、美猫さんとして心を奪うこと間違いなしだ。
 薫る聖女の魔力に惹かれて、閉じ込められたアイシスの目の前へ降り立った彼女は、契約を交わしたときにコムギと名付けられた。記憶の奥底に触れたのか、見たことがないはずの揺れる麦の穂のように、黄金色こがねいろとも言えそうな体毛がそう見えたのだろう。
 疲労から無表情しか見せなかった聖女が、至福の表情で全身を撫でていたことは誰にも知られていない。
 そんな日から始まった付き合いがもうすぐ九年になる。多方面へ興味を持つ事情通として、自由に闊歩する王都の出来事や噂話を収集している。それから、それまでの冒険話だって、知らない世界を教えてもらえる娯楽として助けられていたはずだ。
 ちなみに、従魔契約にある《従魔召喚》を使用して喚び出すには、相手がいる場所と喚び出す場所の距離に応じた魔力を必要とする。それは、距離が空いた相手と念話する《従魔通話》だって同じことである。
 聖女アイシスとして振る舞っていた彼女、にこにこと動きを見守る彼女が、礼拝堂で魔力放出後に待機しながら休息を取るようにしていたのは、本当に必要な動作だったのだろうか。そんな疑問が浮かんでしまうほど、高度な魔法の連続使用にも疲労感を見せていない。
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