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プロローグ
しおりを挟む「母さん、明日は入社式だよ」
俺は仏壇に置かれた母さんの写真に声をかけ、静かに手を合わせた。明日のことを考えると、緊張で胸がギュッと痛くなってしまう。
入社前からこんなんじゃダメだと思い、仏壇の前に置かれた『月森音弥様』と書かれた封筒に視線を向けた。内定通知を受け取った日の喜びと安堵が甦り、少しだけ緊張が和らいだ気がした。
「職場の人と、上手くやっていけるかな……」
思わず本音が口から漏れる。人と話すのが得意じゃない俺に、営業職が務まるのだろうか。考えれば考えるほど、不安が募っていく。
「母さんがいてくれたら、色々と相談できたのかな……」
そこまで言って、俺は首を横に振った。
「ううん、なんでもない。ごめんね、心配かけちゃって。俺は大丈夫だから」
明日への緊張が口を滑らせてしまったのだろうか。普段なら口に出さない言葉を、思わず口にしてしまった。双子の弟の態度も最近気になるから、つい弱音を吐いてしまったのかもしれない。
「奏音も初音も相変わらず元気だよ。でも、奏音は思春期なのかな……ちょっと難しい年頃になったみたいだ」
俺は母さんに心配をかけまいと、つとめて明るく振る舞った。奏音の態度が最近気になるのは本当だけど、母さんに愚痴っても仕方がない。
母さんの笑顔を見て俺も微笑み返した後、ふと視線を落としたら、仏壇の隅に置かれた一冊の絵本が目に入った。
母さんがよく読み聞かせてくれた、思い出の絵本。双子がまだ小さかった頃は、二人が母さんの膝に座って、俺はその隣で一緒にページをめくった。大きくなってからは、俺も双子に読み聞かせをしたっけ。
「明日から社会の一員として、精一杯頑張ってくるよ。母さん、俺たちを見守っていてね」
もう一度仏壇に手を合わせると、静かに立ち上がった。そろそろ風呂の順番が回ってくる頃だ。ドアの方に姿勢を変えた時、ふと仏壇の方に光が見えた気がした。
なんだろう……気のせいか?
振り返って確認をしようとしたその瞬間、絵本から眩しい光が放たれた。
「うわっ!」
思わず飛び退くように後ずさったけれど、今度は巨大掃除機に吸い込まれるような、強い力に体を引き寄せられる。
「えっ……何っ?」
瞬時にやばいと察して、懸命にその場にとどまろうとするけど、奮闘も空しく俺の体がふわりと宙に浮いた。
「嘘だろ……っ!」
「お兄ちゃん……⁉︎」
俺の体が宙に浮くのと同時に、初音の驚いた声が聞こえてきた。だけど眩しい光に包まれ、初音の姿を確認することはできない。
「来るな!」
きっと初音は、俺に手を伸ばして引き留めようとするだろう。でもだめだ、初音まで巻き添えにはできない。
お願いだ、何が何だかわからないものに吸い込まれるのなら、俺だけにしてくれ!
そう強く願ったのに、俺の手は柔らかい手でしっかりと掴まれていた。
「初音、離せ! お前まで――」
「いやだ、お兄ちゃんを助けるんだ!」
掴まれた手を離そうとした途端、吸い込む力が速度を増した。光は視界を奪い、風は耳を塞ぐ。
「兄さん! 初音!」
完全に吸い込まれそうになった俺の耳には、奏音の俺たちを呼ぶ声が聞こえた気がした――。
◇
浮遊感がなくなり、地面に着地したような感覚があった俺は、無意識に閉じていた目を開いた。
目の前には木々が広がり、草と土の香りが漂っていた。
「っ! 初音⁉︎」
一緒に吸い込まれたはずの初音は隣にいなくて、俺は慌てて辺りを見回した。こんな知らないところで逸れてしまったらと考えてしまい、背筋がひゅっと冷たくなった。
「大丈夫だよ。初音は無事だ」
え?
草むらから聞こえてきた声に驚いてそちらを見ると、ここにはいないはずの人物が草むらから出てきた。
「奏音⁉︎ ――初音!」
俺はびっくりしすぎて一瞬で理解はできなかったけど、奏音の隣には、手をしっかりと繋がれた初音がいた。
急いで初音のもとに走った俺は、初音に怪我がないことを確認して、安堵のため息をついた。本当に無事で良かった。
「初音、怪我もなくて良かった。奏音も……吸い込まれちゃったか」
「光が消えそうだったから……急いで飛び込んだ」
「え? お前、自分から飛び込んだのか!」
奏音は吸い込まれずに済んだと思っていたのに、まさか自ら飛び込むとは思っていなくて、つい言葉を重ねようとしてしまった。
「お兄ちゃん、その話は後でいいから、ここがどこなのかまわりを見てみようよ」
「あ、ああ。そうだな」
初音に言われて、俺ははっと我に返り言葉を止めた。
怪我もなく、二人とも無事だったんだ。確かに、今はそこを追求している場合じゃない。初音の言うように、ここがどこなのか調べるのが先決だ。
俺は二人の肩を引き寄せると、守るように抱きしめた。
いつもだったら、恥ずかしがってすぐ腕を解く初音も、最近は交わす言葉が減ってしまっていた奏音も、黙って俺の腕に寄り添ってくれていた。
俺たちは何故光に吸い込まれてしまったのか、そして一体ここはどこなのか――。
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