望郷の満月

とまと屋

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三話

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 山の向こうから、昨日よりは少し小さくなった月が姿を現す。まだ満月と呼んで差し支えない衛星は、昨夜同様、照明が不要なほどに地上を照らしてくれた。
 私は再び、祖父の墓の前で保存食を齧っていた。
 バスの時間に間に合わなかったということもあるけれど、もう一晩だけでもここにいたいと思ってしまったから。
 テーブルの上に山積みにした、祖父の日記を一冊、手に取り、開く。
「おじいちゃんは……月に帰りたかったんだね」
 墓に話しかける。当たり前だけど返事はない。
 祖父は……月の兵士だった。
 祖父の日記は、終戦直後から書かれていたようなのだけれど、さすがに初期の日記は劣化がひどくて手に取ることもできなかった。なんとか読めるようになったのは、祖父がここギルタインに腰を落ち着け、大地ガイアの民として生活し始めたころからだ。だから、祖父がどのような経緯でギルタインに腰を落ち着けるに至ったのか、正確にはわからない。
 ただ、日記の端々に滲む文から読み取るに、祖父の乗った空飛ぶ船は、戦争末期にギルタインの街に降下したようだった。それも作戦ではなく、降下中の事故による不時着に近いもので。
 当時、ギルタインに人がいたかどうか、戦闘になったかどうかはわからない。だけど、鉱山の街として終焉を迎えていたギルタインに人はいないか、少なかったはずで。大きな惨劇は起きなかったのではないかと思う。
 ……甘い期待だろうか。
 地下の広大な空間が、もとからギルタインにあったものなのか、それとも月の兵士が掘ったものかはわからない。だけど、地下に空飛ぶ船を隠して、祖父はひたすら修理を続けていたらしい。
 なんのために?
 ……月に帰るためだ。
 祖父が大地ガイアに降下してすぐに月が沈黙し、うやむやのうちに戦争は終わってしまったのだ。
 祖父と仲間はギルタインを拠点とし、最低限の生活基盤を確保すると、空飛ぶ船の修理に必要な部品などを探して各地に散っていった。時々、祖父に届いたわけのわからない部品はそれだったんだ。
 最初は報告書を思わせる堅苦しい日記も、少しずつ柔らかくなり、愛する伴侶────祖母と出会ったころには普通の日記に変わっていた。
 どうやら祖父たちが生活基盤を整えたこともあり、どこからか流れてきた難民がギルタインに身を寄せるようになったのだ。
 祖父としては厄介だったが、大地ガイアの民のふりをしている祖父は難民を受け入れるしかなかった。そんな時に祖父と祖母は出会った。
 具体的にどんな出会いをして、どうやってお互いに惹かれ合うようになったかまでは日記には書かれていない。だけど、途中から明らかに文章が変化し、文章の端々に滲む甘い想いが読み取れてしまって、正直背中がムズムズしたわ。
 ただ、この辺りから祖父の日記に苦悩が見え始めた。
 月に帰ろうとしているのに、大地ガイアへの楔となる伴侶を得ていいのか?
 妻を置いて月に帰れるのか?
 自分が月の兵士と知って、妻は恨まないか?
 日記に苦悩が綴れらる。誰にも相談できず、こうやって日記に残すしかできなかったのだとすると、祖父の苦しみはどれほどだったのだろう。
「……おばあちゃんのこと、本当に好きだったんだね」
 私が生まれる前に亡くなってしまった祖母。どんな人か写真も残っていないから知らないけれど、愛していなかったら、ここまで苦悩しなかったでしょうし。
 やがて時は過ぎ、子供もできて、祖父の故郷への想いは少しずつ薄れていったように感じる。空飛ぶ船の修理についての言及も少なくなった。
 そんな祖父が再び月を目指すようになったのは、愛した祖母の死だった。
 祖母が流行り病に罹ってから日記の更新が少なくなり、恐らく……祖母が亡くなってから長い間、日記はまるで書かれていなかった。
 数か月の間を置いて再会された日記は以前の事務的なものに変わり、再び月を目指す旨が記されていた。
 子供は独立し、妻を亡くして再び故郷への想いが再燃したのかもしれなかった。だけど。
「まさか私が、おじいちゃんを迷わせていたなんてね……」

 ──────────────

『息子が妻と初孫を連れてやってきた。その時の衝撃を儂は忘れん。
 まだよちよち歩きの孫はあいつにそっくりで……成長した姿を見てみたいと思ってしまった』

『孫も随分と大きくなった。若いころにあいつに、どんどん似ていく。
 儂に懐かないでくれ。帰る気持ちが萎えてしまう』

『息子と縁を切って、ようやく孫を忘れられると思ったのに、あの野郎め。孫からの手紙の配達を請け負うとか余計なことを。返事を書いてしまう儂も儂だがな……』

 ──────────────

 そっか、私はおばあちゃんに似てたのか。
「私がいなかったら、おじいちゃんはとっくに船を修理して……月に帰っていたのかな」
 考えてもしかたのないことを頭の中でグルグル回していると、日記になにかが挟まっていることに気づいた。それは────。
「写真?」
 色褪せた古い写真が数枚。どれも三十台くらいの男女が仲良く写っている。
 え、あれ? この女性、なんか自分に似てる気がする。それに男性の方はおじいちゃんの面影があるような……。まさか。
「若い時のおじいちゃんと、おばあちゃん?」
 裏には日付と二人の名前が書いてある。やっぱり、この女性がおばあちゃんなんだ。
 幸せそうな二人の笑顔。……そうだ。
「おじいちゃん、形見にこの写真、もらっていいよね?」
 故郷に帰れなかったおじいちゃん。だけど、幸せな時間が確かにあったのだと、そう証明するこの写真を私は手元に置いておきたくなった。何枚かあるし、一枚くらいはいいよね。
 あ、そうだ。
 家に戻り、適当な大きさの陶器の器を持ってくる。本当は専用の入れ物がいいんだろうけど、おじいちゃんの家には無さそうだしね。
 その器を祖父母の墓の真ん中に置き、焚き火から火を移して……その火に、祖父母の写真を一枚いれる。

 送り焚き。

 遺品を墓の前で燃やし、故人の魂が天に還るよう祈る地元の儀式だ。
 燃えた写真の灰が、煙とともに天へと、月へと昇っていく。
 ああ、どうか。祖父母の魂が天で出会い、祖父の故郷へと────月へと届きますように。
 そんな祈りを捧げながら、私はずっと月を眺めていた。
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