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その4
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田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年五月十四日
お元気ですか。これを書いてる今は五月十四日の日曜日の午後一時八分、お昼を食べ終わって自分の部屋に戻って手紙を書いています。カセットで音楽を鳴らしながら書いてるんですが、今何の音楽を聴いているか当てられるでしょうか?十秒ほど時間を差し上げますのでお答えください──────ファイナルアンサー?────── 正解はイタリアのイ・プー(I Pooh)というグループの「パルシファル(Parsifal )」というアルバムを録音したテープなのです。多分当てられなかったのではないかと推測致しますが、実は近所に住む幼なじみのお兄さんが春休みの間にイタリア旅行に行って、ローマのレコード店で人気のあるグループを教えてくれと言ったら、そりゃあ何と言ってもイ・プーだよって答えが返って来て、お勧めのアルバムは?と訊くと、「パルシファル」だよと言ったのでこの「パルシファル」というLPを購入したんだそうです。でもって、日本に帰って来てからじっくり聴いてみると凄く良かったのでナオちゃんにも聴かせてあげるよって言ってLPを貸してくれたんでテープに録音してじっくり聴いてみるとこれがほんとに素晴らしいんです!───抒情的で哀愁のあるしっとりとしたサウンドと言ったらいいのか、ロックとフォークミュージックの両方の要素があるサウンドですが、そのイタリア語で歌われている楽曲というのがこれまた凄く良くて、正に心に染み入る音、といった感じです。イ・プーの音楽をどう形容したらいいのか、言葉ではなかなか形容が難しいんですが、とにかく抒情と哀愁満載の音楽で、ビートルズのサウンドとはまたちょっと違うし、日本のフォークの様な音でもない、何と言うか独特のサウンドでじわじわと心に染み入る音楽です。これはほんと実際に聴いて頂かないとわからないと思いますが、とにかく素晴らしくて今私が最も気に入ってる音楽です。イ・プーのアルバムが日本でも売られているのかどうかはわかりませんが、もし機会があったらぜひとも聴くことをお勧めしたい世紀の名盤です──!
話は変わって、前の手紙でも書いた様に五月十日(水)から十二日(金)にかけて修学旅行で京都に行って来ました。その感想を言いますと、ほんとすごかった!───運がいいと言うか、三日とも五月晴れで風もないムシ暑い日が続き、楽しかったけど大いにバテちゃいました。クラスの人で何人か倒れた人もいましたが、私はタフな方なのでまあまあ平気でした。色々な寺や観光地を回りましたが、一番良かったのは二条城ですね。二条城と言えば大政奉還の舞台として有名ですが、とにかく広くて壮大で、美しい庭園に加えて印象的な屏風画がたくさんあり、ほんとに見ごたえがありました──。
バスや新幹線に乗って外の風景を見たり、友達と色々ぺちゃくちゃしゃべったりするのは楽しいんですが、暑い中あちこち歩き回っていたので最終日の晩茅ケ崎に帰って来た時にはもうくったくたで家に着くなりバタンキューっとなりました。まあとにかくいい思い出にはなったと思います──。
またまた話は変わって、田村さんの「雨の向こうに」という詩、私の解釈では女の人の立場に立って報われない愛に関しての心象的風景を描いたものなんじゃないかと思っているんですが、田村さんはどういう意図でこの詩を創られたのでしょう?────まあ詩というものは読む人の数だけ様々な解釈の仕方があるんだろうとは思いますが、田村さんの詩はいつも私に新しい視点、新しい世界観を与えてくれてとても興味深くかつ魅力的です。他のどの詩人の詩を読んでも田村さんの様な詩というものはなく、ほんとに田村さん独自のカラーがあり、オリジナリティーがあると思います。いつか田村さんが自分の詩集を出される事をほんとに切望します──。
という事で今日はこれぐらいにしておこうと思います。お体に気を付けて元気にお過ごし下さい。GOOD-BY AND GOOD LUCK !
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年七月十六日
お元気ですか。雨の季節が終わって暑い日々が続いていますが、お体の方は大丈夫でしょうか?本来なら田村さんの返事が来てから手紙を書くべきなんですが、ちょっと書きたくなったんで先に書かせて頂きました。別に返事を催促してるわけではありませんので、どうか気になさらない様にお願い致します。色々お忙しいのは重々承知しておりますのでどうか気になさらずさらっと流して下さいね。
昨日の十五日の土曜日とその前の土曜日(七月八日)、二週連続で母と一緒に映画を見に行って来ました。昨日見たのは赤木圭一郎主演の「霧笛が俺を呼んでいる」と「紅の拳銃」という映画で、先週の土曜に見たのは石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」と「赤いハンカチ」という映画です。これらの映画、田村さんは見た事がおありでしょうか?私は全く見た事がなかったんですが、なんでも母が若い時に日活の映画が大好きでよく見に行ってたとかで、特にトニー(赤木圭一郎)の大ファンだったそうです。トニーの主演した映画はほとんど見たそうで、今回なぜか県内のとある映画館で昔の日活映画特集という事でリバイバル上映があったので、あんたもおいでとなかばむりやり連れていかれました。うちの母はかなりミーハーで、トニー以外にも石原裕次郎とかザ・タイガースの沢田研二とかが大好きだったそうです。母は六十年代後半にグループサウンズのコンサートによく行ってたそうで、父の話だと子供の世話を自分に押し付けてザ・タイガースやザ・テンプターズ、ゴールデンカップスとかオックスなんかのコンサートをよく見に行ってたそうです。ビートルズもかなり好きだと言ってまして、その点ではかなり話が合います。なんか六十年代のポップスが全体的に好きだそうです。
映画の話に戻りますと、見た感想は一言で言うとなかなか面白かったです。ご参考までに各映画の感想を下に記します:
霧笛が俺を呼んでいる・・・トニーって実際かなり男前でかっこいいですね。吉永小百合さんも出演されててちょっとびっくりしました。この当時たぶん中学生ぐらいかな?ほんとに可憐な少女って感じでステキだなと思いました。
紅の拳銃・・・ピストルをバンバン撃ち合うシーンが結構ある無国籍映画って感じですが、主演の女性がまた美しい人で(たしか笹森礼子さんという名前の人)、恋愛映画的な部分も少しあって胸がちょっとキュンとするかも。トニーの魅力炸裂の映画。
嵐を呼ぶ男・・・なかなか面白い映画でした。石原裕次郎さんも凄くかっこいい俳優だと思います。北原美枝さんも凄くステキ。このお二人の魅力炸裂の映画。
赤いハンカチ・・・裕次郎さんの哀愁味ある演技が光る、哀愁のこもった映画。浅丘ルリ子さんも凄くきれいな女性ですね。裕次郎さんの歌が心に響く、ファンタジーの映画。
ということで、私にとっては久しぶりの映画鑑賞だったんですが、なかなか良かったです。ちなみにこの前見たのは小学四年の時の夏休みに東映まんがまつりがあった時で、確かマジンガーZ対デビルマンを初めとした6本立てだったと思いますが、私は男の子達と違ってあんまり変身ものって好きじゃなかったのでそんなに面白いとは思わなかったと記憶しています。まあアニメやドラマとかに関してはまた別の手紙でお話していこうと思いますので今日はこのくらいで終わりたいと思います。もうすぐ夏休みですが、お互い受験を控えているのであんまり遊んでばかりもいられませんね。お互いがんばって乗り切って行きましょう。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年九月十七日
お元気ですか。九月の中旬になってやっといくらか涼しくなって来ました。これから私が好きな秋の季節がやって来ます。読書の秋でもありますね。私はとにかく本を読むのが好きなのでマンガでも小説でも色々読んでいるんですが、今日は少女マンガで私に深い印象を残したものをいくつか挙げていきたいと思います:
その一・・・一条ゆかりの「デザイナー」
このマンガはほんと凄いマンガです。トップモデルだった主人公亜実が交通事故に遭い、足が少し不自由になったためモデルの道をあきらめデザイナーとして再起をはかる、という感じの物語なんですが、とにかくはらはらする展開の連続で、最後まで夢中になって読み続けずにはいられない作品です。愛と憎しみと復讐の物語なんですが、とにかくありえへん展開が続く、凄く面白い作品です。ある意味これこそ少女マンガの王道と言える様なマンガで、美男美女がぎりぎりの愛と憎しみの闘争をする、後世に永遠に残るであろう名作です。
その二・・・「サインはV!」(原作 神保史郎 作画 望月あきら)
このマンガもなかなか凄まじいマンガです。いわゆるスポ根マンガと言われるものの一つですが、この作品もはらはらする展開の連続で読み続けずにはいられません。「いなづま落とし」や「魔のX攻撃」などの超人的なプレーが出て来てスリル満点な展開になって来る事には興奮させられますが、ジュン・サンダースの置かれた境遇や、彼女が命がけでバレーに取り組み、最後には亡くなってしまうという悲しい展開には号泣しました。テレビでもコミックでもジュンが亡くなってしまうシーンでは号泣してしまいます。ほんとに読む人の胸を熱くする名作マンガで、後世に永遠に残り、語り継がれると思います。
その三・・・土田よしこの「つる姫じゃー!」
女性のギャグマンガ家として有名な土田よしこさんですが、この「つる姫じゃー!」こそ彼女の最高傑作だと思います。とにかく面白くておかしくて笑い死にしてしまう必殺のギャグマンガの王様、いやお姫様です!
以上簡単に深い印象を残してくれたマンガを三つだけ挙げましたが、もちろんこれ以外にも色々あります。上に挙げたのはあくまで私が気に入ってるマンガですから賛否両論色々あるでしょう。小説やマンガ、音楽といったものは鑑賞する人の数だけ色々な意見があると思います。だけどこの三つのマンガがかなり多くの人の支持を得ているのは間違いのない事実ですから、後世に残って語り継がれるであろう永遠の名作であることは確かだと思います──。
テレビのアニメに関して言うと私は「ライディーン」とか「海のトリトン」、「ルパン三世」なんかは割と好きです。前者二つはどちらかと言うとキャラクターがいいようですが、ルパン三世に関してはストーリーが最高!(特に最初のシリーズ)────クールで時に哀愁に満ちたキャラクターも魅力的です。その他のアニメで言うと、なんと言っても「宇宙戦艦ヤマト」が最高で、最初のシリーズはほんと神レベルの素晴らしさだと思っているんですが、この夏に公開された「さらばヤマト」に関しては結末があまりにも悲しすぎてあんまりなんじゃないかと思ってます。だってみんな死んじゃうんだもん。古代くんも真田さんも佐渡先生もみんな・・。せっかく公開初日(8月5日)に朝早くから並んで見に行ったのにそれはそれはあんまりやないか、と大阪弁で叫びたくなるぐらいほんとに嫌です──。
話は変わって、九月九日と十日に学校で文化祭があったんですが、その文化祭でロックバンドの演奏というのもあって、ビートルズのコピーバンドとキッスのコピーバンドが出ました。その感想を言うと、総じてまあまあかなという感じで、下手ではないけどそんなにうまくもない、という感じでした。まあ中学生のバンドですからプロとは比べ物にならないでしょうが、安定した演奏テクニックではありました。やはり英語の歌ということもあり、そのへんでどうしても越えられない壁というのがあるのかなとも感じました。英語のノリと日本語のノリって全然違いますものね。日本語には日本語の良さというものがあるとは思いますが、ロックミュージックという事になるとやはり英語の方が合ってるかもとは思います。まあボーカルの人の力量というのも大いに関係しますけど── 。
ということで、今日はこれくらいで終わりという事にします。お体に気をつけてバンドと勉強の方がんばって下さい。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
─────────── ここでナオコが田村に出した手紙の記録は終わっている。実は一九七八年の十一月初めに最後の手紙を出しているのだが、それに関してはなぜかいつもの様に書き移していない。どういう経緯で書き移さなかったのかナオコは思い出す事が出来ないのだが、多分もう返事が来る事はないだろうと思ってなんか力が抜けたのだろう──── 何となく書き残さなかったという感じだったんだと思う────一九七八年四月二十三日付けの手紙を以って田村からの手紙は途絶えた。その理由は全く想像も付かないが、きっと何かがあったんだろう。そう思うしかないが、突発的な事故とかでなければいいんだけどとナオコは思った───。
一九七八年の十月九日の月曜日、学校が終わってからナオコは駅前の商店街の中にある本屋に立ち寄った。いつもの様にまずマンガの本をザーッと立ち読みし、次にPFマガジンを手に取って”読者からの投稿詩”という所を開いた。するとそこに田村伸介の詩が載っていた。「れんげ畑」という詩だった──── 。
れんげ畑
田村伸介
今年もまた春が来て
れんげが一面に咲いている
このれんげ畑はあの時と変わらないけど
僕たちはあまりにも変わってしまった
もう一緒に歩く事はないけれど
このれんげ畑は変わらない
いつかまたもしもこのれんげ畑に来る事があったなら
せめて思い出してほしい
かつて僕たちがここにいて
一緒に空を見上げた事を
真っ青な空
一面に広がるれんげ畑
澄んだ瞳を持った2人の子どもは
れんげを摘んでいた
たとえ全てが変わっても
このれんげ畑は変わらない
僕たちはあまりにも変わってしまった
だけどこのれんげ畑だけは変わらない
きっと来年も
その次の年も
そしてまたその次の年も
一面にれんげ畑が広がっていることだろう
そう
れんげ畑は変わらない───
───4月23日付けの手紙以来手紙が途絶えていた田村だったがPFマガジンには投稿していた───
───これで2回目の掲載という事になるのだが、十月初めに発売の雑誌に掲載という事は三ヶ月位前に出したのだろうと推測され、だとすれば七月初め位に投稿したものと思われる。一体田村伸介に何が起こったのか?或いは何も起こってないのかもしれないが、ナオコは田村が実際の所元気でいて雑誌に投稿しているという事実に少し安心した様な心持ちになった。少なくとも突発的な事故とかはなかったと思われる。手紙が途絶えているという事に関してはとても残念に思うが、ナオコが今最も心酔している詩人の作品を今この日本に於いて最も沢山鑑賞する事が出来ているのが他の誰でもない自分であるという事実をナオコはほんとに幸運な事かつ光栄な事だと思った。だからほんとに短い間だったが手紙を交換出来た事に心の底から感謝したい気持ちになっていた── 。
ナオコはPFマガジンをレジに持っていって購入し、家に帰ってから再びじっくりと読んでみた。この「れんげ畑」という詩はおそらく幼なじみと何らかの事情で別れる事になった男性がれんげ畑の風景を見て感じた事をノスタルジーを交えて書いているのだろうと思われるが、男と女の立場を変えてみればなんか今のナオコの心情に重なる部分があって激しく胸を締め付けられる思いだった。実際ナオコはこの詩を何回か繰り返し読んでいる内に激しく泣いてしまった。というのは最近ナオコは失恋してしまい、その相手というのが近所に住んでる四歳年上の幼なじみのお兄さんで、春休みにイタリアに旅行して買って来たイ・プーのLPをナオコに貸してくれた、あのお兄さんだった。ナオコは小さい時からずっとそのお兄さんが大好きでずっと憧れて慕っていた。彼は大学の一年生で、なかなかカッコいいルックスを持った好青年であった。最近同じ学年の彼女が出来、家の方にもしばしば来ていたのでナオコも何回か会った事がある。かなりの美人で愛想も良く、彼女はナオコを見てあなたかわいいわね、と言って微笑んだ。それでもってお兄さんはナオコの事を幼なじみで妹みたいな存在だと彼女に紹介した。それがナオコに対する彼の正直な気持ちなのだが、ナオコはその幼なじみのお兄さんに真剣に恋をしていた。彼女の事が好きなの?とナオコがお兄さんに訊くとお兄さんは「好きだよ。真剣に恋してる。」と言った。ナオコは平静を装ったが家に帰るとわんわんと号泣した。お兄さんが真剣に恋をしている以上ナオコには何も出来ない。お兄さんがうまく行く様に、幸せになれる様に祈るしかないのだが、お兄さんが自分から離れて行ってしまうのは寂しいし悲しい。初恋というのは成就する事がとても少ないとよく聞くが、ほんとにそうだと思うし、あの頃はほんとに純情で純真だったと三十歳になった今新ためて思う。あれから何回か恋愛を経験したがどれもうまく行かなかった。何が悪かったのだろう?私が悪かったのか、それとも相手が悪かったのか、或いは両方とも悪かったのかもしれない。結局の所縁が無かったという事だけなのかもしれない。運命の人なんてほんとに存在するのだろうか?永遠の愛なんてほんとにあるのだろうか?ナオコは過去にあった事を色々思い出し、しばし空想に耽った───── 。
翌日の九月三十日(木)の午後三時頃、一人の男性がナオコの勤める旅行社にふらーっと入って来た。小ぎれいに散髪してさわやかな感じのハンサムな美男子で、入るなり「山口ナオコさんはいらっしゃいますか?」と関西アクセントで言った。ナオコが顔をあげて、「私ですけど、どちら様・・」と言いかけるとナオコはすぐに気づいてこう言った。「あれ、もしかして杉田さん?」
ナオコは驚愕した。会社にやって来たのは長い髪をきれいに散髪し、髭も全てそり落としてほんとに小ぎれいで洗練されたシティボーイ風に変身した杉田だった。眼鏡もかけていなかった。ほんとにこの前会った時とはえらい違いだ。杉田さんてこんなに男前だったのとナオコは心の中で驚愕の言葉を発せずにはいられなかった。ぼさぼさであんまり手入れもしていない様な長髪に髭ぼうぼうで黒縁の眼鏡をかけていたあのルックスとは正に天と地の差がある様な感じで、ほんとこんなにもステキな男性だったなんて思いもしなかった──。そう言えば母が好きだった赤木圭一郎にちょっと似てるかも、とナオコは思った。
「実はな、ちょっと飛行機の切符都合してもらおうと思ってな・・」と杉田は言った。「来週の木曜か金曜ぐらいに日本への直行便あるか?」
ナオコは来週の飛行スケジュールを確認してみた。来週は木曜日に成田行きの直行便があり、現在まだ空きがある事が確認できた。「来週の木曜日、十月七日の午後五時出発の便なら空きがあって予約は取れますけど、午後十一時十分発のソウル経由大阪伊丹空港行きの方が二百ドル位値段が安くなってますけど、どちらがよろしいですか?」とナオコが訊くと杉田は「・・そやな今回は成田行きの直行便の方がええわ」と言った。ナオコが具体的な料金を告げると杉田は財布からドルの現金を抜き取ってその料金ちょうどの金額を机の上に置いた。「これちょうどの金額や。チケット発行お願いするわ。」十五分後すべての処理を終えてチケットを受け取った杉田は、「なあ今日の晩一緒にご飯食べへんか?日本から友達が来てて一緒に食事することになってるんやけど、山口さんもけえへんか(来ないか)?」
「いいですよ。何時にどこへ行ったらいいですか?」
「七時にダウンタウンのGホテルの二階にある日本食レストランに来てくれ。今日は大勝ちしたからおごるわ。」
「それはどうもありがとう御座います。楽しみにしてます。」とナオコはかわいく微笑んで言った──。
六時五十五分位に約束の場所へ行くと杉田は既に来ていて、二人は連れだって中に入った。
「あのなあ、友達の事やねんけどなあ、実はまだギャンブルやっとって先に食べといてくれという事や。」と杉田は言った。「下手したらけえへんかもしれんなあ。」
「そうですか。それは仕方ないですね・・。まあとにかく何か食べましょう。」とナオコは言ってメニューを眺めた。アメリカで本格的な日本食となるとかなり高い。思ってたより値段が張るけどほんとにいいのかしらとナオコは思った。じっとメニューを見ているナオコを見て杉田は「遠慮せんと何でも頼みや。」と言った。「どうせあぶく銭や。ギャンブルでスルより食事に使った方が何倍も価値があるわ。それにどんなに喰ってもたかが知れてる。ギャンブルでスル金額と比べたらほんとにちょっとした小さい金額やから。」 食事で使う金額というのはせいぜい何百ドルというぐらいだろうが、ギャンブルでスってしまう金額というのは時に何万ドル、いや何百万ドルになる場合もある─────くわばらくわばら、ほんとに恐ろしい世界である──── 。
久しぶりに本格的な日本料理を色々と堪能出来てナオコは凄く嬉しかった。それに加えて嬉しいのは非常にハンサムな男と久しぶりにデートの様な感じの事が出来た事だった。実際の所ナオコは胸キュンになっていて、食べたり飲んだりしながら杉田と楽しく笑いながら会話をしていた。異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんと久しぶりだった。酒の力もあってナオコはいつもとは違い饒舌になって、九時が過ぎる頃にはちょっと悪酔いして酔っ払いおじさんの様に杉田に対してくだを巻く様になってしまった。そのくだの巻き方がかなりひどくなって来たのでさすがに杉田もいたたまれなくなり、「おいお前ちょっと飲み過ぎとちゃうか。女の子がおっさんみたいにくだ巻いとったら話にならんで。」とナオコをたしなめるとナオコは、「何言ってんのよ杉ちゃん、私ワイルドでしょう?」と泥酔しながら言った。それを見た杉田はだめだこりゃ、と思った──── 。
──────── どれぐらい時間が過ぎたのだろう?朝方の五時位にナオコはベッドの上で目覚めた。なんで私こんな所で寝てるの?薄暗い部屋を見渡したところホテルの客室みたいで、部屋の中にはベッドが二つあり、その一つにナオコが横たわっている。いったいいつの間にこんなとこに来たのだろう?ほんとわけがわからない・・・自分が置かれている状況がつかめず困惑していると部屋のドアが開き、一人の女性が入って来た。「ああ気がついたんやね。」とその女性は関西アクセントで言った。「もう酔いは醒めた?」
「・・・ここはどこで、あなたは誰ですか?」とナオコは尋ねた。
「ここは私が泊ってる部屋で、私は杉田ノブユキの友人です。」
「どうして私はここにいるんですか?」
「あんたがひどく酔っぱらってたんで、杉田が私に面倒を見てくれとこの部屋に連れて来てな、それでベッドに寝かしつけたという訳や。」と女性は関西アクセントで言った。「どうや、もしかして二日酔いになってるか?」
「そうですね、ちょっと頭が痛いですね。」
「まあとにかく私には遠慮せんでいいからゆっくりしたらええわ。」
「会社があるんでそういう訳にはいきません。あと1時間程休んだら帰ります。」
「そうか、わかった。好きにしい。」
「すいません、お名前は何と?」
「───倉田ミエコと言います。」
──────── ほんとに驚きだった!まさかあの倉田ミエコがベガスに来ていたとは!────ナオコはいっぺんに酔いが醒めてしまった。ナオコは自分がデビューして以来の熱狂的ファンである事をミエコに告げ、お会いできて感激だし、もの凄く光栄に思うと彼女に言った。彼女の話によれば、久しぶりの休暇で一週間前にベガスに遊びに来たのだが、偶然杉田に出くわし、何でもその時杉田はギャンブルで全財産をすってしまい公園で野宿していたそうだ。杉田から助けてくれと懇願されたミエコは呆れながらも彼を助けてスポンサーとなり、杉田はミエコからの資金援助により何とか挽回を図ることが出来たとの事だった。
「まさかこんな所でラムータに会うとは思いもせんかったわ。実際十年以上も会ってなかった訳やけど・・・一九七九年の八月に別れて以来の事になるから結局十四年ぶりって事になるんやけど・・。」と倉田ミエコは言った。「公園の隅の方でホームレスが何人か段ボール敷いて寝とってな、ほんでもって”おーい、くらたー!”って叫ぶ声が聞こえたんでその叫んだ人を見たんやけど、初めは誰かほんまわからんかったわ─── 何しろバサバサの、アトムみたいになった長髪に髭ぼうぼうで、黒縁の眼鏡かけてたから・・・ほんま実際最悪のルックスやんか、わかる?想像できる?─────うーん、わかるかなあ、わからねえだろうなあ───。」ミエコは東京での生活が結構長いのであるが、さすが関西人、どっかでギャグを入れてしまうという本能というか習性を持っていた──── 。「あまりにも汚い恰好しとったから、うちが泊ってる部屋まで連れてってまずお風呂に入れて、それからきれいに散髪させたんや。まあきれいに散髪してそれなりの服着せたらすごくいい男なんやけどな・・。」確かにすごくステキでいい男だとナオコも思った。いったい何でまたあんな風にわざと変なルックスをしていたのであろうか?杉田ノブユキという人物はどうもよくわからない部分がある・・・。────「だけどまさかギャンブルで生計立ててるなんて思いもせえへんかったわ。私の知ってるラムータはロックンロールに命をかけてるダイハードな男のはずやったし・・・。会わない間に何があったのか知らんけど、まさかラスベガスでこんな風に再会するなんてなあ・・。」
「島崎洋子さんが今ラスベガスに住んでいらっしゃる事は御存じですか?」
「それはラムータから聞いたわ。アメリカの人と結婚して、小さな子供がおるのに旦那さんが亡くなってしまったって事でえらい苦労してるみたいやな。」
「杉田さんと久しぶりに会ってどうですか?こんな事訊いていいのかわかりませんけど・・。」
「そやな、何と言うかまず初めはびっくりしたな。まさかラスベガスで会うなんて想像すらしなかったし・・。会うなりいきなり助けてくれって言われて目が点になったけど、いつか会える日が来るといいなと思ってた人に会えたわけで、そういう意味ではほんとに嬉しく思うし、ある意味すごくワクワクしてる様な所があるな・・。」そう言いながらほんとに嬉しそうに目を輝かせているミエコを見てナオコはちょっと複雑な気持ちになった。この偉大な漫画家は今でも杉田に思いを寄せているみたいだな、とナオコは思った。もちろん思いを寄せていたとしても何も悪い事は無いし、不都合な事は何も無いはずなのだが、どうして私はこんな気持ちになってるのだろう?・・・これは一体どういう事なのだろう?─────なんかちょっと納得が行かない様な、いやそういう事ではないかもしれない、これはもしかして────────?
ナオコが黙りこくっているとミエコはちょっと不思議そうな顔をしてどうしたの?と尋ねた。ナオコは慌てて、いえ何でもありませんと言いながら右手を左右に振って、少しの間を置いて「すいません、私もう帰りますんで・・。」と言った。
「えっ、もう帰るん?」突然ナオコが帰ると言ったのでミエコはちょっと驚いて言った。それに対してナオコは「すいません、やっぱりちょっと早めに帰った方がいいと思いますんで失礼します。これ私の名刺なんで、また何かありましたらお電話下さい。」と言って自分の名刺をミエコに手渡した。ミエコは名刺を見てから「あんたの家の電話番号も書いといてくれる?」と言って名刺をナオコに返したのでナオコは手早く電話番号を書いて再びミエコに手渡した。「という事で今日はこれで失礼します。」と言ってからナオコはちょっと思い出したように「・・ところでこのホテルはどこのホテルでしたっけ?」とミエコに尋ねたのでミエコはこう言った。「ここはG ホテルの十階で、昨日は一階のカジノでギャンブルやっててちょっと疲れたから少しだけ休むつもりでこの部屋に帰って来たんやけど、休んでる時に杉田があんたをここに連れて来て休ませてあげてくれと言ったんでベッドに寝かせたんや。だけどあんた昨日はほんとにえらい酔ってたな。あんたみたいに可愛い女の子が酔っぱらってあんな風にくだを巻いたらちょっと引いてしまうって感じやったけど、いつもあんな風に飲んでるんか?」
「いや普段はほとんど飲まないんですけど、昨日はちょっと調子に乗ってしまって・・・。」ナオコは自分が醜態をさらしてしまった事を知ってほんとに恥ずかしくて穴の中に潜り込みたい心境になった。普段はあまり酒なんて飲まないのだが昨日は気分が高揚してつい調子に乗って飲んでしまった。久しぶりに胸キュンとなる男性が現れて、その人と楽しく話をしながら会食が出来て凄くいい気分になってしまったから・・・。
「まあとにかく今度からは気い付けや。また電話させてもらうから、気い付けて帰るんやで。」
「ありがとうございます。それじゃ失礼します。」と言ってナオコは部屋を出てエレベーターで1階まで下りてホテルの駐車場に向かい、止めてあった自分の車に乗って家に帰ってちょっと休んでから会社に出勤した───── 。
一九九三年十月六日の水曜日の午後四時過ぎ、ナオコが旅行社で仕事をしていると電話が鳴ったので受話器を取るとそれは倉田ミエコからの電話だった─── 。
「どや、体の方は大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です。この前はほんとに御迷惑おかけしてすいませんでした。」
「明日どっかで一緒に食事せえへんか?いろいろ話もしたいし・・。」
「いいですよ。明日私休みなんで何時でもOKですけど、何時がいいですか?」
「それやったらお昼の十二時にGホテルの一階のロビーに来てくれるか?」
「わかりました。私も先生とはいろいろお話したいので楽しみにしてます。」
ずっと大ファンで憧れていた偉大なマンガ家と食事しながらじっくり話が出来るなんてほんと凄い事だし、感激で頭が爆発しそうだとナオコは思った。仕事が終わってからナオコはちょっと思い立ってダウンタウンから車で十五分位のサハラアヴェニューにあるPSカジノに立ち寄った。このカジノは掛け金のレートがかなり低い庶民的なカジノで、どちらかと言うと地元の人々がギャンブルしに来るカジノなのだが、最近はプローモーションの為にかなりお得な感じのポイントサービスをやっていて、ちょっとゲームをやっただけでも隣接の色々なレストランで食事が無料になるのでかなり地元の人で賑わっていた。ナオコはまずブラックジャックを一時間位やってみた。今日は面白い位順調に勝つ事が出来て、二百ドルの元金が十倍の二千ドルに膨れ上がった。勢いに乗ったナオコが次にバカラテーブルでやってみるとこれまた面白い位勝ち進んで二千ドルが二万二千ドルにまで増えてしまった。これはほんとヤバいくらいツイてると思ったナオコはまずその二万二千ドルのチップを換金所で現金に換えてから、PSカジノで一番レートの高いバカラテーブルであるミニマム(最低賭け金)百ドルのテーブルに行って、二万二千の内一万ドルだけをカジノチップに換えて、初めに百ドル張って負けたので次に二百ドル張ったらそれも負けたのでその次に四百ドルという具合に、いわゆる倍賭けの方法で張ってみた。この倍賭けの方法は別名マーチンゲール法とも呼ばれる、初心者が必勝法だと勘違いする所のかなり危険な賭け方なのだが、負けが続けば短い時間の間にもの凄い大金を失ってしまう可能性がある。この賭け方をするギャンブラーはよっぽど巨額の資金を持つ者か、そうでなければ倍賭けの怖さを知らない愚か者である。玄人なら、いやある程度カジノギャンブルの経験がある人間なら絶対に使わない手法である。ところがたまたまツキにツキまくって熱くなってしまったナオコは制御心を失い、倍賭けを続けて行って負け続け、二十分も経たない内に一万ドルをスッてしまった。負けて頭がカーっとなったナオコが残りの一万二千ドルをチップに換えようとバッグの中の財布に手を伸ばそうとしたまさにその時、「ちょっと待て!」と言う声が聞こえるのと同時に後ろにいた男がナオコの右手を取ってナオコを無理やり立たせてこっちへ来いといわんばかりに手を引っ張ってカジノの外へ強制的に連れ出した。ナオコは思わず「杉田さん、何をするんですか。」とその男に向かって叫んだ。ナオコはかなり立腹していて、いつもとは違い鬼の様な形相をして杉田を睨んだ。杉田は後ろでナオコがゲームをするのをずっと見ていた様だったが、ナオコはその事に全く気づかずにいて、急に邪魔をされたので非常に気分を害していた。
「まあとにかく落ち着いてくれ。」と杉田は言った。「無理やり引っ張って来て悪かったけど、これぐらいせえへんとあかん状況やったから。」
ナオコは何を言っているのか理解できなかったので「どういう事ですか?」と言った。
「いやな、要するに今日はもう運が尽きたから帰った方がいいと思うから連れ出したんや。」
「えっ、もしかして私の事ずっと見てたんですか?」
「うん、まあそうやな。すごく順調に勝ってたから今日は凄いなあと思って見てたんやけど、あの百ドルミニマムのテーブルであんなどぶに金を捨てるような張り方するのを見てたらさすがに止めんわけにはいかんかった。あれは典型的な負け博奕の見本で、あのまま続けとったら今持ってるお金、最後の一ドルまでスッてしまうっていうのが見え見えやったから無理にここまで引っ張って来たんや。ああいう状況に陥ったら即座に席を立って帰れっていうのがセオリーやねんけど、実際に潔く帰れる人間なんてほとんどおらへん。大概の場合頭に血が昇って負けを取り返そうとガンガン賭けて結局全てを失う事になってしまう。そういう例を今まで何回も見て来たし、俺自身も何回かそういう事になって再起不能になりかけた事が結構あったから、人の事をどうこう言う資格なんて無いやろけど、友達とか知り合いがそういう状況になるのを見た時は出来るだけ助ける様にしてるんや。まあ大概の場合は人の事に口出しすな、やるかやらんかは俺が決める事やって言われる事が多いんやけど、そう言ってギャンブルを続けた人間で勝ったやつなんて一人もおらへん。みんながみんな全員無茶苦茶に負けて奈落の底に落ちて、大概の場合何ヶ月かして最後には再起不能のレベルにまで行きよった・・。だから俺が言いたいのは、とにかくお金が引いて来たらそこでギャンブルはやめろ、ツキの波というのは実際に存在するし、一旦負けの大波に飲み込まれたらそこから逃れる事はでけへんからとにかくその場から離れて一目散に逃げろ、という事や。まあそうは言うてもそれがもの凄く難しい事やって事はわかる。一人でいる時は絶対でけへんと思う。だから知り合いがそういう状況に陥ったら出来るだけ助ける様にしてるんや。どうや、わかってくれたか?」
「・・・・・・」ナオコは何も言えず黙って杉田の目を見た。大きくてまつ毛の長いつぶらな瞳が優しい光を伴ってナオコの目を見ていた。この人はほんとに綺麗な目をしている、ほんとに素敵な人だなとナオコは思った。同時に長い間忘れていた異性に対する甘美なときめきをナオコは感じた。この人に対してこんな感情を持っていいんだろうか?これはもしかして恋をしてるときめきなのだろうか?異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんとに久しぶりだ。だけど洋子さんや倉田先生とのいきさつを知っている者としては素直にこの感情に身を委ねる事は出来ないんじゃないかとナオコは複雑な気持ちになった。もしもこの人と恋に落ちたら・・・・ナオコはビートルズのIf I fell の歌詞を思い出しながら、もしもこの人と恋人関係になったならどういう風になるだろうかと夢想した。だが実際の所そういう事は起こらないだろうなと直ぐに思い直した。この人は多分私の事なんか何とも思っていない、只の知り合いでしかないだろう・・・・結局の所そういう結論に至らざるを得ない。それにこの人が誠実な人なのかどうかという事に関しては、今まで聞いてきた話や今に至るまでの彼の経歴を見る限りかなりクエスチョンマークが付く。まあギャンブルにのめり込んで離婚に至った事なんかは人間なんだから失敗する事もあると言えば正にそうだし、過去に過ちを犯したとしても今どういう心構えでこれからどう生きて行こうとしているのかの方が大事だとも思う。だから実際の所は付き合ってみないとわからない事なのだろう。だけど彼とそういう関係になる事は多分ないだろうし、今は胸キュンになっているけど明日彼が帰国してしばらく会わなければこの気持ちもやがて跡形もなく消えて行く事になるんじゃないかとも思う。だから深入りせずにこのまま気持ちが消えて行くのを静かに見つめているのがいいのだろう・・・・・ナオコはこの様に考えながら暫く沈黙していたがやがて口を開いて「・・ええわかりました。どうもありがとう御座います。」と言った。それに対して杉田は「わかってくれたんやったら嬉しいわ。どうや、これから一緒に何か食べに行かへんか?中華なんかどないや?」と言った。
「ええいいですよ。私ポイントがかなりたまってるんで、私のポイントで一緒に食事出来ると思いますんでそこのチャイニーズレストランに行きませんか?なかなかいい味で評判のレストランなんできっと気にいって頂けると思います。」
意気投合した二人はカジノに隣接するチャイニーズレストランに入って行った─── 。
「・・・・という事でやな、カジノギャンブルで大事なんはツキの波が今どういう状態にあるかという事を常に考えながらベットする金額を微妙に調整して行く事や。」───── 食事をしながら杉田は今までに自分が経験してきた色々なギャンブルに関する体験や逸話を面白おかしく饒舌に語っていた────「ブラックジャックやバカラなんかはほんと経験則の博奕やからな、こういう時にはこういう風にした方がいいというのが色々あるんやけど、その経験則っていうのは時として言葉で表現できない場合があって、要するに何かこれは匂うぞっというか、大勝ちのモードに入ってるんとちゃうかという場合もあるし、反対に大負けのモードに入ったんちゃうかという場合もある。そういういわゆる第六感というのが実はギャンブルに於いてはかなり重要で、確率論なんというのは実際の所参考にはなるけどあんまり役に立つもんやないんや。ルーレットで十回以上黒が続いたり、バカラでバンカーが十回以上続いたりっていう、いわゆるツラっていう現象は実際の所よく起こるっていう事から考えても確率なんてものは実際あまり役に立てへん──。」
ナオコは杉田の話を聞きながら今日退勤前に上司から突然告げられた事を思い出していた。何でも洋子がラスベガスに赴任するまでずっと勤めていた東京の渋谷支店の社員が二人急に辞める事になり、一ヶ月後にいなくなるので急な話で申し訳ないのだが今月の末(十月末)に渋谷支店の方に戻って欲しいとの事だった。三月に来て以来こちらの仕事にも慣れて来てこれから色々楽しくなってきそうだなと感じて来てた矢先だけにナオコはかなり戸惑った。上司の話では最近海外に行く人が増えて業務の方がもの凄く忙しくなって来ていて、そんな時に二人もやめるとなったらかなりピンチになるのでベテラン社員であるナオコに急遽戻って欲しいとの事で、とりあえず一年位勤務してもらって後任の人材が確保出来たらまた海外勤務をしてもらう事になるだろうとの事だった。どこの国に行ってもらうかは未定だが、多分フランスのパリかアメリカのどこかの都市のいずれかになるだろうと上司は言い、ナオコは長年憧れて来たフランスになったらいいのになと思った。けれども東京に帰ったらせっかく知り合いになれたヨーコ・ハミルトンや杉田に会う機会が無くなり、自然と疎遠になってしまうだろうなと思い到り、それに関しては残念だなと痛切に思った。ベガスにいれば年に何回かは杉田がやって来て会う機会があるだろうが、東京に戻ったら恐らくもうそういう機会はないだろう。そうなったら凄く寂しいし、もの凄く名残惜しい事だ。ナオコは杉田に「実は急に東京に戻らなきゃいけない事になったんです。」と話を切り出した。「渋谷支店のスタッフが二人急に辞める事になったので。」
杉田はそれを聞いて「・・そうか、それはちょっと寂しい事やな。」と名残惜しそうな表情を浮かべながら言った。「年に何回かはベガスに来るからまた会えるやろなとは思ってたんやけど、そうなったらちょっと当分会う事はないかもしれんな。まあ俺の主戦場はマカオで、時々は韓国のカジノにも行くからもし暇があったらどっちでも来てくれたらまた会えるかもしれんけど。」
「・・・仕事が忙しいんでなかなか行けないとは思いますが、また会えたらいいですね・・。」ナオコも名残惜しそうな表情を浮かべ暫く沈黙した。暫しの沈黙の後ナオコは言った。「話は変わりますが、杉田さんは大阪は東大阪市の出身ですよね?」
「そうやけど、それが何か?」
「前にも言った事があると思うんですが、私中学の時に東大阪市在住の人と文通してた事があって、その人は私より三つ年上の高校生だったんですが、多分杉田さんと同じ位の年だと思うんですけど杉田さんは今お幾つですか?」
「三十三や。昭和三十五年の六月生まれで。」
「そうですか。じゃ一緒の歳なんですね。なんか杉田さんと話してるとその人の事を思い出すというか、なんか重なっちゃうんですよね。名前が全然違うのに、同じ東大阪の人だから。」
「その人の名前は何て言うんやった?」
「タムラシンスケって言うんです。杉田ノブユキとタムラシンスケってほんとに全く違う名前なのに杉田さんと話してるとなぜかその人の事を想い出してしまうんです。」
「前にその人が雑誌に発表した詩というのを見せてもらったけど、かなりその詩が気に入ってるんやな。」
「そうですね。その人は手紙の最後に必ず詩を書いてくれて、どの詩も全て素晴らしくて気に入っているんです。その人とは結局一年位しか文通できなかったんですが、私が最も敬愛する詩人というのがそのタムラシンスケさんなんです。田村さんの手紙全てとその田村さんの詩が掲載されてるPFマガジンっていう雑誌2冊、具体的に言うと一 九七七年の十二月号と七十八年の十一月号の二冊なんですけど、ベガスに越して来る時に持って来たぐらい気に入っているんです。」
「えらい気に入ってる様やけど、結局途中で文通を打ち切られたんやろう?気分を害したりとかはなかったんか?」
「それは全然なかったですね。まあ何らかの事情があったんだろうとは思ってるんですが・・。」そう言いながらナオコはちょっと杉田の言い方に疑問を持った。”途中で文通を打ち切られたんやろう?”という言い方、事実は正にその通りなのだが、ストレートにそう決めつけられるものなのだろうか?その辺の詳しい事をナオコは何も言ってないのに、杉田の置かれた立場に於いてそんなにもストレートに決めつけられるものなのであろうか?ナオコは思わず「・・あのう杉田さん、どうしてそんなに決めつけるように途中で文通を打ち切られたんやろうって言えるんですか?私その辺の詳しい事何も言ってないのに・・・。」と言うと杉田は「・・・ああそれはな、まあ要するにホームズやったらこういう風にストレートに言うやろなあという事で、つまり論理的に推理してみればそんなにも敬愛している相手に対して山口さんの方から文通を打ち切るなんて事は考えられないという所から来てるわけや。あくまでも論理的な推理をしてみればそうなるという事や。」
「・・・そういう事ですか。わかりました。まあそう言われてみればそうですよね。」
とナオコは言った。ホームズ流に推理してみればそうなると言った杉田の表情は無表情、いわゆるポーカーフェイスであった。ポーカーフェイス、しかし何でまたこういう状況でそんな無表情で言うのだろう?ナオコは論理的には納得したが、杉田のポーカーフェイスには違和感を覚えた。この人は何でまたこんな無表情で言うのだろう。普通に感情を顔に出して言ってもいいのにと思うのだが何でまた・・・・?
気を取り直してナオコは続けて言った────「それでまあ、その人の詩が掲載されたPFマガジンって雑誌なんですが、杉田さんは読んだ事がありますか?」
「何回か本屋でパラパラと見たことはあるけど、読者からの投稿詩を多く掲載している雑誌やな?」
「そうなんですけど、その雑誌は私が高三の時に廃刊になってしまって、確か一九八一年の十一月だったと記憶してるんですが、結局その人の詩が掲載されたのは二回だけで、文通がストップしてからもずっともしかして載ってないか毎月チェックしてたんですけど、結局二度と載る事はなく終わってしまいました・・。」
「・・・えらい気に入ってたんやな。一体その人の詩のどこが良かったんや?」
「そうですね、何と言うかきっとその人の心象風景と私の心象風景って凄く似ていると思うんです。きっとその人は私と同じように基本的に夢の中で生きている様な人と言ったらいいのか、そんな感じだと思うんです。つまり魂の奥底に持っているものが同じ人、ソウルメイトと言ってもいいのかもしれませんけど、表現したいと思っているものが同じ方向性を向いているソウルメイトなんじゃないかと思っているんです。だから初めてあの詩を本屋で目にした時あんなにも心に響いたんだと思うんです。」
「・・分かった様で分からん言い方やな・・・。」
「これを他の人に分かってもらうのは凄く難しい事だと思いますが、とにかく中二のあの時にあの詩に出会った事が私の精神や思想に与えた影響というのは凄く大きくて、私が短い間でしたけど作家になったというのも実際田村伸介さんの影響でそうなったと言ってもいいぐらいで、結局あの人が書くような詩を書きたい、あの人だったらこういう小説を書くんじゃないかという感じであの人に憧れて書いたといった感じだったんです。」
「その田村さんの詩が書いてあるあの手帳、今手元にある?」
「ええ、ありますけど。」
「すまんけどもう一度見せてもらえるか?」
ナオコが手帳を杉田に手渡すと杉田は言った。「・・この前見た時は”ノスタルジア”っていう詩だけやったのにえらい増えてるな。あれからまた継ぎ足して書いたんか?」
「ええ、田村さんが手紙に書いてくれた詩は全て書きましたし、PFマガジンに掲載された二回目の投稿詩の”れんげ畑”も写して書きました。それと一番最後の「晩秋に」という詩なんですが、実はそれ、私が書いた詩で、PFマガジンの最終号に掲載された詩なんです。だから田村さんの詩が六篇、私の詩が一篇という事になるんですが、私の詩はともかく、田村さんの詩はほんとに素晴らしいと思ってます。」
PFマガジンの最終号、即ち一九八一年の十一月七日発売の八一年度版十二月号に掲載されたナオコの詩は以下の様な詩であった────
晩秋に
限りなく白に近いグレイの雲が
薄く高く空に張り付いている
ぼやけた白い陽の光が
ふわりふわりと舞い降りて来る
そら寒い風が心地よく体を通り抜け
伸び過ぎた僕の前髪を軽く持ち上げる
葉を落とした梢が鮮やかに空に映えて
哀しげな色合いを見せてくれる分
溶け込んでしまえそうな透明なものが
漂っている事を僕は感じる事ができる
僕の視線は何を探しているのだろう
消えてしまった何か
消えようとする何か
何もかもが遠くなってしまった気がして
風の来る方向に手を差し伸べてみる
鏡に映った僕はきっとやるせないうつろな目をしているね
滅入ってしまう気分の中で またそんな自分が好きだから
よけい滅入る僕がため息をついている
杉田は無表情な顔で暫く黙読していたが、やがてその無表情なポーカーフェイスでナオコに向かって言った。「・・・・なかなかいい詩やと思う。特に一番最後の詩が。」
「えっ、そうなんですか?わたしの詩が?・・・」
自分の詩が特にいいと言われてナオコはちょっと意外に思ったし、驚きもした。ナオコ自身は田村の詩の方が遥かに素晴らしいと思っているので杉田のその発言はとても意外なものとして響いたのだ。その発言を受けてナオコは「・・・杉田さんは詩を読んだり書いたりはなさらないんですか?」と杉田に訊いた。
「・・そやな、今まで色々バンドやって来たからオリジナルをやるバンドにいた時ちょっと作詞とかやった事はあるけどな。」
「そうですか、それならこの田村さんの詩がいかに凄いかおわかり頂けますよね。作詞と言えば、私村下孝蔵さんの歌詞が凄く繊細で素敵だなと思ってるんですが、杉田さんは村下孝蔵さんの曲は聴かれた事あります?」
「あるよ。ロックを聴くやつは普通フォークとかニューミュージックってあまり聴かんかもしれんけど、実際のとこ僕も半年ぐらい前まではそうやったんやけど、ある時ラジオで村下孝蔵の特集があって何気無く聞いてみたらこれはそこらへんにいる普通のフォークシンガーの類とは全然違うレベルの曲を歌ってるなと強く感じてな、すぐにCDショップに行って彼のCD を買ったんや。実際の所彼の歌は素晴らしいと思う。曲もいいし、何よりも歌詞が繊細で素敵で素晴らしい。ソングライターとしてはポール・マッカートニーやポール・サイモンなんかに匹敵するぐらい凄いソングライターやと思う。今の所そこまで高くは評価されていないけど、彼の歌を聴いてて思うのは、日本語の響きや美しさを最大限に生かした様な感じで曲作りがなされていて、日本人に生まれてよかった、なぜならこんなにも美しい詩とメロディーの結晶を我々日本人は直接味わう事が出来るから、と思わせられる程のレベルで、実際のとこほんとに素晴らしい歌と詩やと思う。普段はあまりこの手のしっとりとした音楽は聴かないんやけど、彼の音楽だけは別や。彼はほんと、神レベルのシンガーソングライターやと思う。」
杉田の口からこんなにも村下孝蔵氏を賞賛する様な言葉が出て来るとは思いもしなかったのでナオコは正直ちょっと驚いていた。杉田の言葉に対してナオコは「杉田さんがそんなにも村下孝蔵さんの事を評価なさっていたなんてちょっと意外でした。私も杉田さんと全く同じ様に思っていて、彼の歌と詩はほんとに繊細で素敵で素晴らしいと思います。それと私は思うんですが、田村伸介さんの詩を村下さんの歌を聴きながら読むとほんとに胸に来ると言うか、ほんとに合うんです。感性がぴったり合うと言うか、抒情性がさらに増すと言ったらいいのか、とにかく合うんです、いやむしろこう言ったらいいのかな、つまり感動が増幅されるんです。」と言った。それに対して杉田は「そうか、そう言われたらそうかもな。」と言った。
「・・・話は変わりますが、この前五百万円程別れた奥さんの所へ送金したそうですけど、ほんと私の様な素人にはただただ凄いなあとしか言いようがありませんが、そんな風に大金を稼ぐレベルまでに到達するには凄く苦労なさったんでしょうね。」
「確かに苦労したと言えばかなり苦労したけど、それよりも何と言ったらいいのか、結局ギャンブルで喰って行こうと考える事自体正気の沙汰やないと言うか、頭がおかしい人間じゃなければ成し遂げられない事やと思う。実際儲けられる様なレベルに達するまでに凄い借金を作って嫁さんとその実家にかなりの迷惑をかけてしまったし、その事に関してはほんと申し訳ない事をしたと思う。家を売らなあかん様になって、まあまあの値段で売ったんやけど、それでもまだかなり借金が残って、それを結局嫁さんの両親が肩代わりしてくれたんやけど、その時両親にお詫びに言った時に俺はギャンブルはやめないと言ったんや。あの時土下座して今後一切ギャンブルはやらずに一生懸命働いてこの埋め合わせはすると言えば離婚せんで済んだやろうけど、あろうことか俺はギャンブルは絶対にやめないと嫁さんの両親に言ったんや。嫁さんの両親はかなりの資産家で、いくつかホテルを経営してたりして俺に仕事を手伝って欲しかったみたいやなんけど、その両親のせっかくの温情を踏みにじる様な事を俺は言ってしまった訳で、当然両親はもの凄く激怒して、おまえは頭がおかしいとおとうさんに怒鳴りつけられて結局離婚するしかないっていう風になってしまったわけやねんけど、とにかくギャンブルを極めるという事は普通の人には理解できない、途轍もなく不条理で狂気に満ちた事やから、こんな生き方は絶対選ばない方がいいと言わざるを得んな。ギャンブルに振り回されて制御を失って奈落の底に落ちて行った人間をほんと今までに何人も見て来たし、全員が全員悲惨な最後を迎えよったから、ほんとギャンブルはほどほどにと言うしかないんやけど、ほどほどにギャンブルをするって事は実際なかなか難しい事で、結局全くやらないか、さもなくば行くとこまで行くかのどっちかになる場合が多いな。まあ俺みたいな人間が言うのは説得力無いけど、ギャンブルはせん方がええという事やな。」
「・・私みたいな人間はやはりやらない方がいいんでしょうね?」
「そやな、今日みたいな事を繰り返しとったらいずれ奈落の底に落ちる事は間違いない感じやな。かなり気を付けた方がいいタイプの代表やと思う。」
「そういう意味では今月末に帰国が決まったのはちょうど良かったのかもしれませんね。」
「人の事をどうこう言う資格は俺には無いやろうけど、そう言ってもいいかもな。」
杉田はそう言うとグラスに残っていたビールを一気に飲み干して暫く沈黙した。ナオコも同じように残っていたソフトドリンクのコーラを飲み干し(ナオコは今回酒類は頼まなかった)、空を見つめながら暫く沈黙した。ナオコが腕時計に目をやると時刻は夜の十一時をちょっと過ぎていた。杉田がそろそろ出よかと言ったのでナオコは”Check, please !(会計をお願いします)”とウエイターに告げ、ナオコのカジノポイントを使って清算し、ウエイターへのチップをテーブルに置いて外に出た。
カジノの外に出ると杉田は短い間やったけど、色々ありがとう、また時間があったらマカオや韓国のカジノに来てくれとナオコに言った。ナオコはこれでお別れだと思うとほんとにほんとに名残惜しかったし、胸が少し痛んだ。恋しい人を見つめる様な眼差しを杉田に向けながらナオコは「東京に帰ったらまたかなり忙しくなるんで正直マカオや韓国まで行けるかどうかわからないんですけど、また会える日が来るんでしょうか?」と言った。
杉田はナオコの目をまっすぐ見つめながら言った: ─────────────────────────────────────────────「また会えるよ。」────────────────────────
────── 彼はこの時関西アクセントではなく、標準語のアクセントで言ったのだ!─────────
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────「いつかどこかで。」
(つづく)
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年五月十四日
お元気ですか。これを書いてる今は五月十四日の日曜日の午後一時八分、お昼を食べ終わって自分の部屋に戻って手紙を書いています。カセットで音楽を鳴らしながら書いてるんですが、今何の音楽を聴いているか当てられるでしょうか?十秒ほど時間を差し上げますのでお答えください──────ファイナルアンサー?────── 正解はイタリアのイ・プー(I Pooh)というグループの「パルシファル(Parsifal )」というアルバムを録音したテープなのです。多分当てられなかったのではないかと推測致しますが、実は近所に住む幼なじみのお兄さんが春休みの間にイタリア旅行に行って、ローマのレコード店で人気のあるグループを教えてくれと言ったら、そりゃあ何と言ってもイ・プーだよって答えが返って来て、お勧めのアルバムは?と訊くと、「パルシファル」だよと言ったのでこの「パルシファル」というLPを購入したんだそうです。でもって、日本に帰って来てからじっくり聴いてみると凄く良かったのでナオちゃんにも聴かせてあげるよって言ってLPを貸してくれたんでテープに録音してじっくり聴いてみるとこれがほんとに素晴らしいんです!───抒情的で哀愁のあるしっとりとしたサウンドと言ったらいいのか、ロックとフォークミュージックの両方の要素があるサウンドですが、そのイタリア語で歌われている楽曲というのがこれまた凄く良くて、正に心に染み入る音、といった感じです。イ・プーの音楽をどう形容したらいいのか、言葉ではなかなか形容が難しいんですが、とにかく抒情と哀愁満載の音楽で、ビートルズのサウンドとはまたちょっと違うし、日本のフォークの様な音でもない、何と言うか独特のサウンドでじわじわと心に染み入る音楽です。これはほんと実際に聴いて頂かないとわからないと思いますが、とにかく素晴らしくて今私が最も気に入ってる音楽です。イ・プーのアルバムが日本でも売られているのかどうかはわかりませんが、もし機会があったらぜひとも聴くことをお勧めしたい世紀の名盤です──!
話は変わって、前の手紙でも書いた様に五月十日(水)から十二日(金)にかけて修学旅行で京都に行って来ました。その感想を言いますと、ほんとすごかった!───運がいいと言うか、三日とも五月晴れで風もないムシ暑い日が続き、楽しかったけど大いにバテちゃいました。クラスの人で何人か倒れた人もいましたが、私はタフな方なのでまあまあ平気でした。色々な寺や観光地を回りましたが、一番良かったのは二条城ですね。二条城と言えば大政奉還の舞台として有名ですが、とにかく広くて壮大で、美しい庭園に加えて印象的な屏風画がたくさんあり、ほんとに見ごたえがありました──。
バスや新幹線に乗って外の風景を見たり、友達と色々ぺちゃくちゃしゃべったりするのは楽しいんですが、暑い中あちこち歩き回っていたので最終日の晩茅ケ崎に帰って来た時にはもうくったくたで家に着くなりバタンキューっとなりました。まあとにかくいい思い出にはなったと思います──。
またまた話は変わって、田村さんの「雨の向こうに」という詩、私の解釈では女の人の立場に立って報われない愛に関しての心象的風景を描いたものなんじゃないかと思っているんですが、田村さんはどういう意図でこの詩を創られたのでしょう?────まあ詩というものは読む人の数だけ様々な解釈の仕方があるんだろうとは思いますが、田村さんの詩はいつも私に新しい視点、新しい世界観を与えてくれてとても興味深くかつ魅力的です。他のどの詩人の詩を読んでも田村さんの様な詩というものはなく、ほんとに田村さん独自のカラーがあり、オリジナリティーがあると思います。いつか田村さんが自分の詩集を出される事をほんとに切望します──。
という事で今日はこれぐらいにしておこうと思います。お体に気を付けて元気にお過ごし下さい。GOOD-BY AND GOOD LUCK !
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年七月十六日
お元気ですか。雨の季節が終わって暑い日々が続いていますが、お体の方は大丈夫でしょうか?本来なら田村さんの返事が来てから手紙を書くべきなんですが、ちょっと書きたくなったんで先に書かせて頂きました。別に返事を催促してるわけではありませんので、どうか気になさらない様にお願い致します。色々お忙しいのは重々承知しておりますのでどうか気になさらずさらっと流して下さいね。
昨日の十五日の土曜日とその前の土曜日(七月八日)、二週連続で母と一緒に映画を見に行って来ました。昨日見たのは赤木圭一郎主演の「霧笛が俺を呼んでいる」と「紅の拳銃」という映画で、先週の土曜に見たのは石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」と「赤いハンカチ」という映画です。これらの映画、田村さんは見た事がおありでしょうか?私は全く見た事がなかったんですが、なんでも母が若い時に日活の映画が大好きでよく見に行ってたとかで、特にトニー(赤木圭一郎)の大ファンだったそうです。トニーの主演した映画はほとんど見たそうで、今回なぜか県内のとある映画館で昔の日活映画特集という事でリバイバル上映があったので、あんたもおいでとなかばむりやり連れていかれました。うちの母はかなりミーハーで、トニー以外にも石原裕次郎とかザ・タイガースの沢田研二とかが大好きだったそうです。母は六十年代後半にグループサウンズのコンサートによく行ってたそうで、父の話だと子供の世話を自分に押し付けてザ・タイガースやザ・テンプターズ、ゴールデンカップスとかオックスなんかのコンサートをよく見に行ってたそうです。ビートルズもかなり好きだと言ってまして、その点ではかなり話が合います。なんか六十年代のポップスが全体的に好きだそうです。
映画の話に戻りますと、見た感想は一言で言うとなかなか面白かったです。ご参考までに各映画の感想を下に記します:
霧笛が俺を呼んでいる・・・トニーって実際かなり男前でかっこいいですね。吉永小百合さんも出演されててちょっとびっくりしました。この当時たぶん中学生ぐらいかな?ほんとに可憐な少女って感じでステキだなと思いました。
紅の拳銃・・・ピストルをバンバン撃ち合うシーンが結構ある無国籍映画って感じですが、主演の女性がまた美しい人で(たしか笹森礼子さんという名前の人)、恋愛映画的な部分も少しあって胸がちょっとキュンとするかも。トニーの魅力炸裂の映画。
嵐を呼ぶ男・・・なかなか面白い映画でした。石原裕次郎さんも凄くかっこいい俳優だと思います。北原美枝さんも凄くステキ。このお二人の魅力炸裂の映画。
赤いハンカチ・・・裕次郎さんの哀愁味ある演技が光る、哀愁のこもった映画。浅丘ルリ子さんも凄くきれいな女性ですね。裕次郎さんの歌が心に響く、ファンタジーの映画。
ということで、私にとっては久しぶりの映画鑑賞だったんですが、なかなか良かったです。ちなみにこの前見たのは小学四年の時の夏休みに東映まんがまつりがあった時で、確かマジンガーZ対デビルマンを初めとした6本立てだったと思いますが、私は男の子達と違ってあんまり変身ものって好きじゃなかったのでそんなに面白いとは思わなかったと記憶しています。まあアニメやドラマとかに関してはまた別の手紙でお話していこうと思いますので今日はこのくらいで終わりたいと思います。もうすぐ夏休みですが、お互い受験を控えているのであんまり遊んでばかりもいられませんね。お互いがんばって乗り切って行きましょう。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
田村伸介様
FROM: 山口ナオコ DATE: 一九七八年九月十七日
お元気ですか。九月の中旬になってやっといくらか涼しくなって来ました。これから私が好きな秋の季節がやって来ます。読書の秋でもありますね。私はとにかく本を読むのが好きなのでマンガでも小説でも色々読んでいるんですが、今日は少女マンガで私に深い印象を残したものをいくつか挙げていきたいと思います:
その一・・・一条ゆかりの「デザイナー」
このマンガはほんと凄いマンガです。トップモデルだった主人公亜実が交通事故に遭い、足が少し不自由になったためモデルの道をあきらめデザイナーとして再起をはかる、という感じの物語なんですが、とにかくはらはらする展開の連続で、最後まで夢中になって読み続けずにはいられない作品です。愛と憎しみと復讐の物語なんですが、とにかくありえへん展開が続く、凄く面白い作品です。ある意味これこそ少女マンガの王道と言える様なマンガで、美男美女がぎりぎりの愛と憎しみの闘争をする、後世に永遠に残るであろう名作です。
その二・・・「サインはV!」(原作 神保史郎 作画 望月あきら)
このマンガもなかなか凄まじいマンガです。いわゆるスポ根マンガと言われるものの一つですが、この作品もはらはらする展開の連続で読み続けずにはいられません。「いなづま落とし」や「魔のX攻撃」などの超人的なプレーが出て来てスリル満点な展開になって来る事には興奮させられますが、ジュン・サンダースの置かれた境遇や、彼女が命がけでバレーに取り組み、最後には亡くなってしまうという悲しい展開には号泣しました。テレビでもコミックでもジュンが亡くなってしまうシーンでは号泣してしまいます。ほんとに読む人の胸を熱くする名作マンガで、後世に永遠に残り、語り継がれると思います。
その三・・・土田よしこの「つる姫じゃー!」
女性のギャグマンガ家として有名な土田よしこさんですが、この「つる姫じゃー!」こそ彼女の最高傑作だと思います。とにかく面白くておかしくて笑い死にしてしまう必殺のギャグマンガの王様、いやお姫様です!
以上簡単に深い印象を残してくれたマンガを三つだけ挙げましたが、もちろんこれ以外にも色々あります。上に挙げたのはあくまで私が気に入ってるマンガですから賛否両論色々あるでしょう。小説やマンガ、音楽といったものは鑑賞する人の数だけ色々な意見があると思います。だけどこの三つのマンガがかなり多くの人の支持を得ているのは間違いのない事実ですから、後世に残って語り継がれるであろう永遠の名作であることは確かだと思います──。
テレビのアニメに関して言うと私は「ライディーン」とか「海のトリトン」、「ルパン三世」なんかは割と好きです。前者二つはどちらかと言うとキャラクターがいいようですが、ルパン三世に関してはストーリーが最高!(特に最初のシリーズ)────クールで時に哀愁に満ちたキャラクターも魅力的です。その他のアニメで言うと、なんと言っても「宇宙戦艦ヤマト」が最高で、最初のシリーズはほんと神レベルの素晴らしさだと思っているんですが、この夏に公開された「さらばヤマト」に関しては結末があまりにも悲しすぎてあんまりなんじゃないかと思ってます。だってみんな死んじゃうんだもん。古代くんも真田さんも佐渡先生もみんな・・。せっかく公開初日(8月5日)に朝早くから並んで見に行ったのにそれはそれはあんまりやないか、と大阪弁で叫びたくなるぐらいほんとに嫌です──。
話は変わって、九月九日と十日に学校で文化祭があったんですが、その文化祭でロックバンドの演奏というのもあって、ビートルズのコピーバンドとキッスのコピーバンドが出ました。その感想を言うと、総じてまあまあかなという感じで、下手ではないけどそんなにうまくもない、という感じでした。まあ中学生のバンドですからプロとは比べ物にならないでしょうが、安定した演奏テクニックではありました。やはり英語の歌ということもあり、そのへんでどうしても越えられない壁というのがあるのかなとも感じました。英語のノリと日本語のノリって全然違いますものね。日本語には日本語の良さというものがあるとは思いますが、ロックミュージックという事になるとやはり英語の方が合ってるかもとは思います。まあボーカルの人の力量というのも大いに関係しますけど── 。
ということで、今日はこれくらいで終わりという事にします。お体に気をつけてバンドと勉強の方がんばって下さい。それではGOOD-BY AND GOOD LUCK !!
─────────── ここでナオコが田村に出した手紙の記録は終わっている。実は一九七八年の十一月初めに最後の手紙を出しているのだが、それに関してはなぜかいつもの様に書き移していない。どういう経緯で書き移さなかったのかナオコは思い出す事が出来ないのだが、多分もう返事が来る事はないだろうと思ってなんか力が抜けたのだろう──── 何となく書き残さなかったという感じだったんだと思う────一九七八年四月二十三日付けの手紙を以って田村からの手紙は途絶えた。その理由は全く想像も付かないが、きっと何かがあったんだろう。そう思うしかないが、突発的な事故とかでなければいいんだけどとナオコは思った───。
一九七八年の十月九日の月曜日、学校が終わってからナオコは駅前の商店街の中にある本屋に立ち寄った。いつもの様にまずマンガの本をザーッと立ち読みし、次にPFマガジンを手に取って”読者からの投稿詩”という所を開いた。するとそこに田村伸介の詩が載っていた。「れんげ畑」という詩だった──── 。
れんげ畑
田村伸介
今年もまた春が来て
れんげが一面に咲いている
このれんげ畑はあの時と変わらないけど
僕たちはあまりにも変わってしまった
もう一緒に歩く事はないけれど
このれんげ畑は変わらない
いつかまたもしもこのれんげ畑に来る事があったなら
せめて思い出してほしい
かつて僕たちがここにいて
一緒に空を見上げた事を
真っ青な空
一面に広がるれんげ畑
澄んだ瞳を持った2人の子どもは
れんげを摘んでいた
たとえ全てが変わっても
このれんげ畑は変わらない
僕たちはあまりにも変わってしまった
だけどこのれんげ畑だけは変わらない
きっと来年も
その次の年も
そしてまたその次の年も
一面にれんげ畑が広がっていることだろう
そう
れんげ畑は変わらない───
───4月23日付けの手紙以来手紙が途絶えていた田村だったがPFマガジンには投稿していた───
───これで2回目の掲載という事になるのだが、十月初めに発売の雑誌に掲載という事は三ヶ月位前に出したのだろうと推測され、だとすれば七月初め位に投稿したものと思われる。一体田村伸介に何が起こったのか?或いは何も起こってないのかもしれないが、ナオコは田村が実際の所元気でいて雑誌に投稿しているという事実に少し安心した様な心持ちになった。少なくとも突発的な事故とかはなかったと思われる。手紙が途絶えているという事に関してはとても残念に思うが、ナオコが今最も心酔している詩人の作品を今この日本に於いて最も沢山鑑賞する事が出来ているのが他の誰でもない自分であるという事実をナオコはほんとに幸運な事かつ光栄な事だと思った。だからほんとに短い間だったが手紙を交換出来た事に心の底から感謝したい気持ちになっていた── 。
ナオコはPFマガジンをレジに持っていって購入し、家に帰ってから再びじっくりと読んでみた。この「れんげ畑」という詩はおそらく幼なじみと何らかの事情で別れる事になった男性がれんげ畑の風景を見て感じた事をノスタルジーを交えて書いているのだろうと思われるが、男と女の立場を変えてみればなんか今のナオコの心情に重なる部分があって激しく胸を締め付けられる思いだった。実際ナオコはこの詩を何回か繰り返し読んでいる内に激しく泣いてしまった。というのは最近ナオコは失恋してしまい、その相手というのが近所に住んでる四歳年上の幼なじみのお兄さんで、春休みにイタリアに旅行して買って来たイ・プーのLPをナオコに貸してくれた、あのお兄さんだった。ナオコは小さい時からずっとそのお兄さんが大好きでずっと憧れて慕っていた。彼は大学の一年生で、なかなかカッコいいルックスを持った好青年であった。最近同じ学年の彼女が出来、家の方にもしばしば来ていたのでナオコも何回か会った事がある。かなりの美人で愛想も良く、彼女はナオコを見てあなたかわいいわね、と言って微笑んだ。それでもってお兄さんはナオコの事を幼なじみで妹みたいな存在だと彼女に紹介した。それがナオコに対する彼の正直な気持ちなのだが、ナオコはその幼なじみのお兄さんに真剣に恋をしていた。彼女の事が好きなの?とナオコがお兄さんに訊くとお兄さんは「好きだよ。真剣に恋してる。」と言った。ナオコは平静を装ったが家に帰るとわんわんと号泣した。お兄さんが真剣に恋をしている以上ナオコには何も出来ない。お兄さんがうまく行く様に、幸せになれる様に祈るしかないのだが、お兄さんが自分から離れて行ってしまうのは寂しいし悲しい。初恋というのは成就する事がとても少ないとよく聞くが、ほんとにそうだと思うし、あの頃はほんとに純情で純真だったと三十歳になった今新ためて思う。あれから何回か恋愛を経験したがどれもうまく行かなかった。何が悪かったのだろう?私が悪かったのか、それとも相手が悪かったのか、或いは両方とも悪かったのかもしれない。結局の所縁が無かったという事だけなのかもしれない。運命の人なんてほんとに存在するのだろうか?永遠の愛なんてほんとにあるのだろうか?ナオコは過去にあった事を色々思い出し、しばし空想に耽った───── 。
翌日の九月三十日(木)の午後三時頃、一人の男性がナオコの勤める旅行社にふらーっと入って来た。小ぎれいに散髪してさわやかな感じのハンサムな美男子で、入るなり「山口ナオコさんはいらっしゃいますか?」と関西アクセントで言った。ナオコが顔をあげて、「私ですけど、どちら様・・」と言いかけるとナオコはすぐに気づいてこう言った。「あれ、もしかして杉田さん?」
ナオコは驚愕した。会社にやって来たのは長い髪をきれいに散髪し、髭も全てそり落としてほんとに小ぎれいで洗練されたシティボーイ風に変身した杉田だった。眼鏡もかけていなかった。ほんとにこの前会った時とはえらい違いだ。杉田さんてこんなに男前だったのとナオコは心の中で驚愕の言葉を発せずにはいられなかった。ぼさぼさであんまり手入れもしていない様な長髪に髭ぼうぼうで黒縁の眼鏡をかけていたあのルックスとは正に天と地の差がある様な感じで、ほんとこんなにもステキな男性だったなんて思いもしなかった──。そう言えば母が好きだった赤木圭一郎にちょっと似てるかも、とナオコは思った。
「実はな、ちょっと飛行機の切符都合してもらおうと思ってな・・」と杉田は言った。「来週の木曜か金曜ぐらいに日本への直行便あるか?」
ナオコは来週の飛行スケジュールを確認してみた。来週は木曜日に成田行きの直行便があり、現在まだ空きがある事が確認できた。「来週の木曜日、十月七日の午後五時出発の便なら空きがあって予約は取れますけど、午後十一時十分発のソウル経由大阪伊丹空港行きの方が二百ドル位値段が安くなってますけど、どちらがよろしいですか?」とナオコが訊くと杉田は「・・そやな今回は成田行きの直行便の方がええわ」と言った。ナオコが具体的な料金を告げると杉田は財布からドルの現金を抜き取ってその料金ちょうどの金額を机の上に置いた。「これちょうどの金額や。チケット発行お願いするわ。」十五分後すべての処理を終えてチケットを受け取った杉田は、「なあ今日の晩一緒にご飯食べへんか?日本から友達が来てて一緒に食事することになってるんやけど、山口さんもけえへんか(来ないか)?」
「いいですよ。何時にどこへ行ったらいいですか?」
「七時にダウンタウンのGホテルの二階にある日本食レストランに来てくれ。今日は大勝ちしたからおごるわ。」
「それはどうもありがとう御座います。楽しみにしてます。」とナオコはかわいく微笑んで言った──。
六時五十五分位に約束の場所へ行くと杉田は既に来ていて、二人は連れだって中に入った。
「あのなあ、友達の事やねんけどなあ、実はまだギャンブルやっとって先に食べといてくれという事や。」と杉田は言った。「下手したらけえへんかもしれんなあ。」
「そうですか。それは仕方ないですね・・。まあとにかく何か食べましょう。」とナオコは言ってメニューを眺めた。アメリカで本格的な日本食となるとかなり高い。思ってたより値段が張るけどほんとにいいのかしらとナオコは思った。じっとメニューを見ているナオコを見て杉田は「遠慮せんと何でも頼みや。」と言った。「どうせあぶく銭や。ギャンブルでスルより食事に使った方が何倍も価値があるわ。それにどんなに喰ってもたかが知れてる。ギャンブルでスル金額と比べたらほんとにちょっとした小さい金額やから。」 食事で使う金額というのはせいぜい何百ドルというぐらいだろうが、ギャンブルでスってしまう金額というのは時に何万ドル、いや何百万ドルになる場合もある─────くわばらくわばら、ほんとに恐ろしい世界である──── 。
久しぶりに本格的な日本料理を色々と堪能出来てナオコは凄く嬉しかった。それに加えて嬉しいのは非常にハンサムな男と久しぶりにデートの様な感じの事が出来た事だった。実際の所ナオコは胸キュンになっていて、食べたり飲んだりしながら杉田と楽しく笑いながら会話をしていた。異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんと久しぶりだった。酒の力もあってナオコはいつもとは違い饒舌になって、九時が過ぎる頃にはちょっと悪酔いして酔っ払いおじさんの様に杉田に対してくだを巻く様になってしまった。そのくだの巻き方がかなりひどくなって来たのでさすがに杉田もいたたまれなくなり、「おいお前ちょっと飲み過ぎとちゃうか。女の子がおっさんみたいにくだ巻いとったら話にならんで。」とナオコをたしなめるとナオコは、「何言ってんのよ杉ちゃん、私ワイルドでしょう?」と泥酔しながら言った。それを見た杉田はだめだこりゃ、と思った──── 。
──────── どれぐらい時間が過ぎたのだろう?朝方の五時位にナオコはベッドの上で目覚めた。なんで私こんな所で寝てるの?薄暗い部屋を見渡したところホテルの客室みたいで、部屋の中にはベッドが二つあり、その一つにナオコが横たわっている。いったいいつの間にこんなとこに来たのだろう?ほんとわけがわからない・・・自分が置かれている状況がつかめず困惑していると部屋のドアが開き、一人の女性が入って来た。「ああ気がついたんやね。」とその女性は関西アクセントで言った。「もう酔いは醒めた?」
「・・・ここはどこで、あなたは誰ですか?」とナオコは尋ねた。
「ここは私が泊ってる部屋で、私は杉田ノブユキの友人です。」
「どうして私はここにいるんですか?」
「あんたがひどく酔っぱらってたんで、杉田が私に面倒を見てくれとこの部屋に連れて来てな、それでベッドに寝かしつけたという訳や。」と女性は関西アクセントで言った。「どうや、もしかして二日酔いになってるか?」
「そうですね、ちょっと頭が痛いですね。」
「まあとにかく私には遠慮せんでいいからゆっくりしたらええわ。」
「会社があるんでそういう訳にはいきません。あと1時間程休んだら帰ります。」
「そうか、わかった。好きにしい。」
「すいません、お名前は何と?」
「───倉田ミエコと言います。」
──────── ほんとに驚きだった!まさかあの倉田ミエコがベガスに来ていたとは!────ナオコはいっぺんに酔いが醒めてしまった。ナオコは自分がデビューして以来の熱狂的ファンである事をミエコに告げ、お会いできて感激だし、もの凄く光栄に思うと彼女に言った。彼女の話によれば、久しぶりの休暇で一週間前にベガスに遊びに来たのだが、偶然杉田に出くわし、何でもその時杉田はギャンブルで全財産をすってしまい公園で野宿していたそうだ。杉田から助けてくれと懇願されたミエコは呆れながらも彼を助けてスポンサーとなり、杉田はミエコからの資金援助により何とか挽回を図ることが出来たとの事だった。
「まさかこんな所でラムータに会うとは思いもせんかったわ。実際十年以上も会ってなかった訳やけど・・・一九七九年の八月に別れて以来の事になるから結局十四年ぶりって事になるんやけど・・。」と倉田ミエコは言った。「公園の隅の方でホームレスが何人か段ボール敷いて寝とってな、ほんでもって”おーい、くらたー!”って叫ぶ声が聞こえたんでその叫んだ人を見たんやけど、初めは誰かほんまわからんかったわ─── 何しろバサバサの、アトムみたいになった長髪に髭ぼうぼうで、黒縁の眼鏡かけてたから・・・ほんま実際最悪のルックスやんか、わかる?想像できる?─────うーん、わかるかなあ、わからねえだろうなあ───。」ミエコは東京での生活が結構長いのであるが、さすが関西人、どっかでギャグを入れてしまうという本能というか習性を持っていた──── 。「あまりにも汚い恰好しとったから、うちが泊ってる部屋まで連れてってまずお風呂に入れて、それからきれいに散髪させたんや。まあきれいに散髪してそれなりの服着せたらすごくいい男なんやけどな・・。」確かにすごくステキでいい男だとナオコも思った。いったい何でまたあんな風にわざと変なルックスをしていたのであろうか?杉田ノブユキという人物はどうもよくわからない部分がある・・・。────「だけどまさかギャンブルで生計立ててるなんて思いもせえへんかったわ。私の知ってるラムータはロックンロールに命をかけてるダイハードな男のはずやったし・・・。会わない間に何があったのか知らんけど、まさかラスベガスでこんな風に再会するなんてなあ・・。」
「島崎洋子さんが今ラスベガスに住んでいらっしゃる事は御存じですか?」
「それはラムータから聞いたわ。アメリカの人と結婚して、小さな子供がおるのに旦那さんが亡くなってしまったって事でえらい苦労してるみたいやな。」
「杉田さんと久しぶりに会ってどうですか?こんな事訊いていいのかわかりませんけど・・。」
「そやな、何と言うかまず初めはびっくりしたな。まさかラスベガスで会うなんて想像すらしなかったし・・。会うなりいきなり助けてくれって言われて目が点になったけど、いつか会える日が来るといいなと思ってた人に会えたわけで、そういう意味ではほんとに嬉しく思うし、ある意味すごくワクワクしてる様な所があるな・・。」そう言いながらほんとに嬉しそうに目を輝かせているミエコを見てナオコはちょっと複雑な気持ちになった。この偉大な漫画家は今でも杉田に思いを寄せているみたいだな、とナオコは思った。もちろん思いを寄せていたとしても何も悪い事は無いし、不都合な事は何も無いはずなのだが、どうして私はこんな気持ちになってるのだろう?・・・これは一体どういう事なのだろう?─────なんかちょっと納得が行かない様な、いやそういう事ではないかもしれない、これはもしかして────────?
ナオコが黙りこくっているとミエコはちょっと不思議そうな顔をしてどうしたの?と尋ねた。ナオコは慌てて、いえ何でもありませんと言いながら右手を左右に振って、少しの間を置いて「すいません、私もう帰りますんで・・。」と言った。
「えっ、もう帰るん?」突然ナオコが帰ると言ったのでミエコはちょっと驚いて言った。それに対してナオコは「すいません、やっぱりちょっと早めに帰った方がいいと思いますんで失礼します。これ私の名刺なんで、また何かありましたらお電話下さい。」と言って自分の名刺をミエコに手渡した。ミエコは名刺を見てから「あんたの家の電話番号も書いといてくれる?」と言って名刺をナオコに返したのでナオコは手早く電話番号を書いて再びミエコに手渡した。「という事で今日はこれで失礼します。」と言ってからナオコはちょっと思い出したように「・・ところでこのホテルはどこのホテルでしたっけ?」とミエコに尋ねたのでミエコはこう言った。「ここはG ホテルの十階で、昨日は一階のカジノでギャンブルやっててちょっと疲れたから少しだけ休むつもりでこの部屋に帰って来たんやけど、休んでる時に杉田があんたをここに連れて来て休ませてあげてくれと言ったんでベッドに寝かせたんや。だけどあんた昨日はほんとにえらい酔ってたな。あんたみたいに可愛い女の子が酔っぱらってあんな風にくだを巻いたらちょっと引いてしまうって感じやったけど、いつもあんな風に飲んでるんか?」
「いや普段はほとんど飲まないんですけど、昨日はちょっと調子に乗ってしまって・・・。」ナオコは自分が醜態をさらしてしまった事を知ってほんとに恥ずかしくて穴の中に潜り込みたい心境になった。普段はあまり酒なんて飲まないのだが昨日は気分が高揚してつい調子に乗って飲んでしまった。久しぶりに胸キュンとなる男性が現れて、その人と楽しく話をしながら会食が出来て凄くいい気分になってしまったから・・・。
「まあとにかく今度からは気い付けや。また電話させてもらうから、気い付けて帰るんやで。」
「ありがとうございます。それじゃ失礼します。」と言ってナオコは部屋を出てエレベーターで1階まで下りてホテルの駐車場に向かい、止めてあった自分の車に乗って家に帰ってちょっと休んでから会社に出勤した───── 。
一九九三年十月六日の水曜日の午後四時過ぎ、ナオコが旅行社で仕事をしていると電話が鳴ったので受話器を取るとそれは倉田ミエコからの電話だった─── 。
「どや、体の方は大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫です。この前はほんとに御迷惑おかけしてすいませんでした。」
「明日どっかで一緒に食事せえへんか?いろいろ話もしたいし・・。」
「いいですよ。明日私休みなんで何時でもOKですけど、何時がいいですか?」
「それやったらお昼の十二時にGホテルの一階のロビーに来てくれるか?」
「わかりました。私も先生とはいろいろお話したいので楽しみにしてます。」
ずっと大ファンで憧れていた偉大なマンガ家と食事しながらじっくり話が出来るなんてほんと凄い事だし、感激で頭が爆発しそうだとナオコは思った。仕事が終わってからナオコはちょっと思い立ってダウンタウンから車で十五分位のサハラアヴェニューにあるPSカジノに立ち寄った。このカジノは掛け金のレートがかなり低い庶民的なカジノで、どちらかと言うと地元の人々がギャンブルしに来るカジノなのだが、最近はプローモーションの為にかなりお得な感じのポイントサービスをやっていて、ちょっとゲームをやっただけでも隣接の色々なレストランで食事が無料になるのでかなり地元の人で賑わっていた。ナオコはまずブラックジャックを一時間位やってみた。今日は面白い位順調に勝つ事が出来て、二百ドルの元金が十倍の二千ドルに膨れ上がった。勢いに乗ったナオコが次にバカラテーブルでやってみるとこれまた面白い位勝ち進んで二千ドルが二万二千ドルにまで増えてしまった。これはほんとヤバいくらいツイてると思ったナオコはまずその二万二千ドルのチップを換金所で現金に換えてから、PSカジノで一番レートの高いバカラテーブルであるミニマム(最低賭け金)百ドルのテーブルに行って、二万二千の内一万ドルだけをカジノチップに換えて、初めに百ドル張って負けたので次に二百ドル張ったらそれも負けたのでその次に四百ドルという具合に、いわゆる倍賭けの方法で張ってみた。この倍賭けの方法は別名マーチンゲール法とも呼ばれる、初心者が必勝法だと勘違いする所のかなり危険な賭け方なのだが、負けが続けば短い時間の間にもの凄い大金を失ってしまう可能性がある。この賭け方をするギャンブラーはよっぽど巨額の資金を持つ者か、そうでなければ倍賭けの怖さを知らない愚か者である。玄人なら、いやある程度カジノギャンブルの経験がある人間なら絶対に使わない手法である。ところがたまたまツキにツキまくって熱くなってしまったナオコは制御心を失い、倍賭けを続けて行って負け続け、二十分も経たない内に一万ドルをスッてしまった。負けて頭がカーっとなったナオコが残りの一万二千ドルをチップに換えようとバッグの中の財布に手を伸ばそうとしたまさにその時、「ちょっと待て!」と言う声が聞こえるのと同時に後ろにいた男がナオコの右手を取ってナオコを無理やり立たせてこっちへ来いといわんばかりに手を引っ張ってカジノの外へ強制的に連れ出した。ナオコは思わず「杉田さん、何をするんですか。」とその男に向かって叫んだ。ナオコはかなり立腹していて、いつもとは違い鬼の様な形相をして杉田を睨んだ。杉田は後ろでナオコがゲームをするのをずっと見ていた様だったが、ナオコはその事に全く気づかずにいて、急に邪魔をされたので非常に気分を害していた。
「まあとにかく落ち着いてくれ。」と杉田は言った。「無理やり引っ張って来て悪かったけど、これぐらいせえへんとあかん状況やったから。」
ナオコは何を言っているのか理解できなかったので「どういう事ですか?」と言った。
「いやな、要するに今日はもう運が尽きたから帰った方がいいと思うから連れ出したんや。」
「えっ、もしかして私の事ずっと見てたんですか?」
「うん、まあそうやな。すごく順調に勝ってたから今日は凄いなあと思って見てたんやけど、あの百ドルミニマムのテーブルであんなどぶに金を捨てるような張り方するのを見てたらさすがに止めんわけにはいかんかった。あれは典型的な負け博奕の見本で、あのまま続けとったら今持ってるお金、最後の一ドルまでスッてしまうっていうのが見え見えやったから無理にここまで引っ張って来たんや。ああいう状況に陥ったら即座に席を立って帰れっていうのがセオリーやねんけど、実際に潔く帰れる人間なんてほとんどおらへん。大概の場合頭に血が昇って負けを取り返そうとガンガン賭けて結局全てを失う事になってしまう。そういう例を今まで何回も見て来たし、俺自身も何回かそういう事になって再起不能になりかけた事が結構あったから、人の事をどうこう言う資格なんて無いやろけど、友達とか知り合いがそういう状況になるのを見た時は出来るだけ助ける様にしてるんや。まあ大概の場合は人の事に口出しすな、やるかやらんかは俺が決める事やって言われる事が多いんやけど、そう言ってギャンブルを続けた人間で勝ったやつなんて一人もおらへん。みんながみんな全員無茶苦茶に負けて奈落の底に落ちて、大概の場合何ヶ月かして最後には再起不能のレベルにまで行きよった・・。だから俺が言いたいのは、とにかくお金が引いて来たらそこでギャンブルはやめろ、ツキの波というのは実際に存在するし、一旦負けの大波に飲み込まれたらそこから逃れる事はでけへんからとにかくその場から離れて一目散に逃げろ、という事や。まあそうは言うてもそれがもの凄く難しい事やって事はわかる。一人でいる時は絶対でけへんと思う。だから知り合いがそういう状況に陥ったら出来るだけ助ける様にしてるんや。どうや、わかってくれたか?」
「・・・・・・」ナオコは何も言えず黙って杉田の目を見た。大きくてまつ毛の長いつぶらな瞳が優しい光を伴ってナオコの目を見ていた。この人はほんとに綺麗な目をしている、ほんとに素敵な人だなとナオコは思った。同時に長い間忘れていた異性に対する甘美なときめきをナオコは感じた。この人に対してこんな感情を持っていいんだろうか?これはもしかして恋をしてるときめきなのだろうか?異性に対してこんなに胸キュンになるのはほんとに久しぶりだ。だけど洋子さんや倉田先生とのいきさつを知っている者としては素直にこの感情に身を委ねる事は出来ないんじゃないかとナオコは複雑な気持ちになった。もしもこの人と恋に落ちたら・・・・ナオコはビートルズのIf I fell の歌詞を思い出しながら、もしもこの人と恋人関係になったならどういう風になるだろうかと夢想した。だが実際の所そういう事は起こらないだろうなと直ぐに思い直した。この人は多分私の事なんか何とも思っていない、只の知り合いでしかないだろう・・・・結局の所そういう結論に至らざるを得ない。それにこの人が誠実な人なのかどうかという事に関しては、今まで聞いてきた話や今に至るまでの彼の経歴を見る限りかなりクエスチョンマークが付く。まあギャンブルにのめり込んで離婚に至った事なんかは人間なんだから失敗する事もあると言えば正にそうだし、過去に過ちを犯したとしても今どういう心構えでこれからどう生きて行こうとしているのかの方が大事だとも思う。だから実際の所は付き合ってみないとわからない事なのだろう。だけど彼とそういう関係になる事は多分ないだろうし、今は胸キュンになっているけど明日彼が帰国してしばらく会わなければこの気持ちもやがて跡形もなく消えて行く事になるんじゃないかとも思う。だから深入りせずにこのまま気持ちが消えて行くのを静かに見つめているのがいいのだろう・・・・・ナオコはこの様に考えながら暫く沈黙していたがやがて口を開いて「・・ええわかりました。どうもありがとう御座います。」と言った。それに対して杉田は「わかってくれたんやったら嬉しいわ。どうや、これから一緒に何か食べに行かへんか?中華なんかどないや?」と言った。
「ええいいですよ。私ポイントがかなりたまってるんで、私のポイントで一緒に食事出来ると思いますんでそこのチャイニーズレストランに行きませんか?なかなかいい味で評判のレストランなんできっと気にいって頂けると思います。」
意気投合した二人はカジノに隣接するチャイニーズレストランに入って行った─── 。
「・・・・という事でやな、カジノギャンブルで大事なんはツキの波が今どういう状態にあるかという事を常に考えながらベットする金額を微妙に調整して行く事や。」───── 食事をしながら杉田は今までに自分が経験してきた色々なギャンブルに関する体験や逸話を面白おかしく饒舌に語っていた────「ブラックジャックやバカラなんかはほんと経験則の博奕やからな、こういう時にはこういう風にした方がいいというのが色々あるんやけど、その経験則っていうのは時として言葉で表現できない場合があって、要するに何かこれは匂うぞっというか、大勝ちのモードに入ってるんとちゃうかという場合もあるし、反対に大負けのモードに入ったんちゃうかという場合もある。そういういわゆる第六感というのが実はギャンブルに於いてはかなり重要で、確率論なんというのは実際の所参考にはなるけどあんまり役に立つもんやないんや。ルーレットで十回以上黒が続いたり、バカラでバンカーが十回以上続いたりっていう、いわゆるツラっていう現象は実際の所よく起こるっていう事から考えても確率なんてものは実際あまり役に立てへん──。」
ナオコは杉田の話を聞きながら今日退勤前に上司から突然告げられた事を思い出していた。何でも洋子がラスベガスに赴任するまでずっと勤めていた東京の渋谷支店の社員が二人急に辞める事になり、一ヶ月後にいなくなるので急な話で申し訳ないのだが今月の末(十月末)に渋谷支店の方に戻って欲しいとの事だった。三月に来て以来こちらの仕事にも慣れて来てこれから色々楽しくなってきそうだなと感じて来てた矢先だけにナオコはかなり戸惑った。上司の話では最近海外に行く人が増えて業務の方がもの凄く忙しくなって来ていて、そんな時に二人もやめるとなったらかなりピンチになるのでベテラン社員であるナオコに急遽戻って欲しいとの事で、とりあえず一年位勤務してもらって後任の人材が確保出来たらまた海外勤務をしてもらう事になるだろうとの事だった。どこの国に行ってもらうかは未定だが、多分フランスのパリかアメリカのどこかの都市のいずれかになるだろうと上司は言い、ナオコは長年憧れて来たフランスになったらいいのになと思った。けれども東京に帰ったらせっかく知り合いになれたヨーコ・ハミルトンや杉田に会う機会が無くなり、自然と疎遠になってしまうだろうなと思い到り、それに関しては残念だなと痛切に思った。ベガスにいれば年に何回かは杉田がやって来て会う機会があるだろうが、東京に戻ったら恐らくもうそういう機会はないだろう。そうなったら凄く寂しいし、もの凄く名残惜しい事だ。ナオコは杉田に「実は急に東京に戻らなきゃいけない事になったんです。」と話を切り出した。「渋谷支店のスタッフが二人急に辞める事になったので。」
杉田はそれを聞いて「・・そうか、それはちょっと寂しい事やな。」と名残惜しそうな表情を浮かべながら言った。「年に何回かはベガスに来るからまた会えるやろなとは思ってたんやけど、そうなったらちょっと当分会う事はないかもしれんな。まあ俺の主戦場はマカオで、時々は韓国のカジノにも行くからもし暇があったらどっちでも来てくれたらまた会えるかもしれんけど。」
「・・・仕事が忙しいんでなかなか行けないとは思いますが、また会えたらいいですね・・。」ナオコも名残惜しそうな表情を浮かべ暫く沈黙した。暫しの沈黙の後ナオコは言った。「話は変わりますが、杉田さんは大阪は東大阪市の出身ですよね?」
「そうやけど、それが何か?」
「前にも言った事があると思うんですが、私中学の時に東大阪市在住の人と文通してた事があって、その人は私より三つ年上の高校生だったんですが、多分杉田さんと同じ位の年だと思うんですけど杉田さんは今お幾つですか?」
「三十三や。昭和三十五年の六月生まれで。」
「そうですか。じゃ一緒の歳なんですね。なんか杉田さんと話してるとその人の事を思い出すというか、なんか重なっちゃうんですよね。名前が全然違うのに、同じ東大阪の人だから。」
「その人の名前は何て言うんやった?」
「タムラシンスケって言うんです。杉田ノブユキとタムラシンスケってほんとに全く違う名前なのに杉田さんと話してるとなぜかその人の事を想い出してしまうんです。」
「前にその人が雑誌に発表した詩というのを見せてもらったけど、かなりその詩が気に入ってるんやな。」
「そうですね。その人は手紙の最後に必ず詩を書いてくれて、どの詩も全て素晴らしくて気に入っているんです。その人とは結局一年位しか文通できなかったんですが、私が最も敬愛する詩人というのがそのタムラシンスケさんなんです。田村さんの手紙全てとその田村さんの詩が掲載されてるPFマガジンっていう雑誌2冊、具体的に言うと一 九七七年の十二月号と七十八年の十一月号の二冊なんですけど、ベガスに越して来る時に持って来たぐらい気に入っているんです。」
「えらい気に入ってる様やけど、結局途中で文通を打ち切られたんやろう?気分を害したりとかはなかったんか?」
「それは全然なかったですね。まあ何らかの事情があったんだろうとは思ってるんですが・・。」そう言いながらナオコはちょっと杉田の言い方に疑問を持った。”途中で文通を打ち切られたんやろう?”という言い方、事実は正にその通りなのだが、ストレートにそう決めつけられるものなのだろうか?その辺の詳しい事をナオコは何も言ってないのに、杉田の置かれた立場に於いてそんなにもストレートに決めつけられるものなのであろうか?ナオコは思わず「・・あのう杉田さん、どうしてそんなに決めつけるように途中で文通を打ち切られたんやろうって言えるんですか?私その辺の詳しい事何も言ってないのに・・・。」と言うと杉田は「・・・ああそれはな、まあ要するにホームズやったらこういう風にストレートに言うやろなあという事で、つまり論理的に推理してみればそんなにも敬愛している相手に対して山口さんの方から文通を打ち切るなんて事は考えられないという所から来てるわけや。あくまでも論理的な推理をしてみればそうなるという事や。」
「・・・そういう事ですか。わかりました。まあそう言われてみればそうですよね。」
とナオコは言った。ホームズ流に推理してみればそうなると言った杉田の表情は無表情、いわゆるポーカーフェイスであった。ポーカーフェイス、しかし何でまたこういう状況でそんな無表情で言うのだろう?ナオコは論理的には納得したが、杉田のポーカーフェイスには違和感を覚えた。この人は何でまたこんな無表情で言うのだろう。普通に感情を顔に出して言ってもいいのにと思うのだが何でまた・・・・?
気を取り直してナオコは続けて言った────「それでまあ、その人の詩が掲載されたPFマガジンって雑誌なんですが、杉田さんは読んだ事がありますか?」
「何回か本屋でパラパラと見たことはあるけど、読者からの投稿詩を多く掲載している雑誌やな?」
「そうなんですけど、その雑誌は私が高三の時に廃刊になってしまって、確か一九八一年の十一月だったと記憶してるんですが、結局その人の詩が掲載されたのは二回だけで、文通がストップしてからもずっともしかして載ってないか毎月チェックしてたんですけど、結局二度と載る事はなく終わってしまいました・・。」
「・・・えらい気に入ってたんやな。一体その人の詩のどこが良かったんや?」
「そうですね、何と言うかきっとその人の心象風景と私の心象風景って凄く似ていると思うんです。きっとその人は私と同じように基本的に夢の中で生きている様な人と言ったらいいのか、そんな感じだと思うんです。つまり魂の奥底に持っているものが同じ人、ソウルメイトと言ってもいいのかもしれませんけど、表現したいと思っているものが同じ方向性を向いているソウルメイトなんじゃないかと思っているんです。だから初めてあの詩を本屋で目にした時あんなにも心に響いたんだと思うんです。」
「・・分かった様で分からん言い方やな・・・。」
「これを他の人に分かってもらうのは凄く難しい事だと思いますが、とにかく中二のあの時にあの詩に出会った事が私の精神や思想に与えた影響というのは凄く大きくて、私が短い間でしたけど作家になったというのも実際田村伸介さんの影響でそうなったと言ってもいいぐらいで、結局あの人が書くような詩を書きたい、あの人だったらこういう小説を書くんじゃないかという感じであの人に憧れて書いたといった感じだったんです。」
「その田村さんの詩が書いてあるあの手帳、今手元にある?」
「ええ、ありますけど。」
「すまんけどもう一度見せてもらえるか?」
ナオコが手帳を杉田に手渡すと杉田は言った。「・・この前見た時は”ノスタルジア”っていう詩だけやったのにえらい増えてるな。あれからまた継ぎ足して書いたんか?」
「ええ、田村さんが手紙に書いてくれた詩は全て書きましたし、PFマガジンに掲載された二回目の投稿詩の”れんげ畑”も写して書きました。それと一番最後の「晩秋に」という詩なんですが、実はそれ、私が書いた詩で、PFマガジンの最終号に掲載された詩なんです。だから田村さんの詩が六篇、私の詩が一篇という事になるんですが、私の詩はともかく、田村さんの詩はほんとに素晴らしいと思ってます。」
PFマガジンの最終号、即ち一九八一年の十一月七日発売の八一年度版十二月号に掲載されたナオコの詩は以下の様な詩であった────
晩秋に
限りなく白に近いグレイの雲が
薄く高く空に張り付いている
ぼやけた白い陽の光が
ふわりふわりと舞い降りて来る
そら寒い風が心地よく体を通り抜け
伸び過ぎた僕の前髪を軽く持ち上げる
葉を落とした梢が鮮やかに空に映えて
哀しげな色合いを見せてくれる分
溶け込んでしまえそうな透明なものが
漂っている事を僕は感じる事ができる
僕の視線は何を探しているのだろう
消えてしまった何か
消えようとする何か
何もかもが遠くなってしまった気がして
風の来る方向に手を差し伸べてみる
鏡に映った僕はきっとやるせないうつろな目をしているね
滅入ってしまう気分の中で またそんな自分が好きだから
よけい滅入る僕がため息をついている
杉田は無表情な顔で暫く黙読していたが、やがてその無表情なポーカーフェイスでナオコに向かって言った。「・・・・なかなかいい詩やと思う。特に一番最後の詩が。」
「えっ、そうなんですか?わたしの詩が?・・・」
自分の詩が特にいいと言われてナオコはちょっと意外に思ったし、驚きもした。ナオコ自身は田村の詩の方が遥かに素晴らしいと思っているので杉田のその発言はとても意外なものとして響いたのだ。その発言を受けてナオコは「・・・杉田さんは詩を読んだり書いたりはなさらないんですか?」と杉田に訊いた。
「・・そやな、今まで色々バンドやって来たからオリジナルをやるバンドにいた時ちょっと作詞とかやった事はあるけどな。」
「そうですか、それならこの田村さんの詩がいかに凄いかおわかり頂けますよね。作詞と言えば、私村下孝蔵さんの歌詞が凄く繊細で素敵だなと思ってるんですが、杉田さんは村下孝蔵さんの曲は聴かれた事あります?」
「あるよ。ロックを聴くやつは普通フォークとかニューミュージックってあまり聴かんかもしれんけど、実際のとこ僕も半年ぐらい前まではそうやったんやけど、ある時ラジオで村下孝蔵の特集があって何気無く聞いてみたらこれはそこらへんにいる普通のフォークシンガーの類とは全然違うレベルの曲を歌ってるなと強く感じてな、すぐにCDショップに行って彼のCD を買ったんや。実際の所彼の歌は素晴らしいと思う。曲もいいし、何よりも歌詞が繊細で素敵で素晴らしい。ソングライターとしてはポール・マッカートニーやポール・サイモンなんかに匹敵するぐらい凄いソングライターやと思う。今の所そこまで高くは評価されていないけど、彼の歌を聴いてて思うのは、日本語の響きや美しさを最大限に生かした様な感じで曲作りがなされていて、日本人に生まれてよかった、なぜならこんなにも美しい詩とメロディーの結晶を我々日本人は直接味わう事が出来るから、と思わせられる程のレベルで、実際のとこほんとに素晴らしい歌と詩やと思う。普段はあまりこの手のしっとりとした音楽は聴かないんやけど、彼の音楽だけは別や。彼はほんと、神レベルのシンガーソングライターやと思う。」
杉田の口からこんなにも村下孝蔵氏を賞賛する様な言葉が出て来るとは思いもしなかったのでナオコは正直ちょっと驚いていた。杉田の言葉に対してナオコは「杉田さんがそんなにも村下孝蔵さんの事を評価なさっていたなんてちょっと意外でした。私も杉田さんと全く同じ様に思っていて、彼の歌と詩はほんとに繊細で素敵で素晴らしいと思います。それと私は思うんですが、田村伸介さんの詩を村下さんの歌を聴きながら読むとほんとに胸に来ると言うか、ほんとに合うんです。感性がぴったり合うと言うか、抒情性がさらに増すと言ったらいいのか、とにかく合うんです、いやむしろこう言ったらいいのかな、つまり感動が増幅されるんです。」と言った。それに対して杉田は「そうか、そう言われたらそうかもな。」と言った。
「・・・話は変わりますが、この前五百万円程別れた奥さんの所へ送金したそうですけど、ほんと私の様な素人にはただただ凄いなあとしか言いようがありませんが、そんな風に大金を稼ぐレベルまでに到達するには凄く苦労なさったんでしょうね。」
「確かに苦労したと言えばかなり苦労したけど、それよりも何と言ったらいいのか、結局ギャンブルで喰って行こうと考える事自体正気の沙汰やないと言うか、頭がおかしい人間じゃなければ成し遂げられない事やと思う。実際儲けられる様なレベルに達するまでに凄い借金を作って嫁さんとその実家にかなりの迷惑をかけてしまったし、その事に関してはほんと申し訳ない事をしたと思う。家を売らなあかん様になって、まあまあの値段で売ったんやけど、それでもまだかなり借金が残って、それを結局嫁さんの両親が肩代わりしてくれたんやけど、その時両親にお詫びに言った時に俺はギャンブルはやめないと言ったんや。あの時土下座して今後一切ギャンブルはやらずに一生懸命働いてこの埋め合わせはすると言えば離婚せんで済んだやろうけど、あろうことか俺はギャンブルは絶対にやめないと嫁さんの両親に言ったんや。嫁さんの両親はかなりの資産家で、いくつかホテルを経営してたりして俺に仕事を手伝って欲しかったみたいやなんけど、その両親のせっかくの温情を踏みにじる様な事を俺は言ってしまった訳で、当然両親はもの凄く激怒して、おまえは頭がおかしいとおとうさんに怒鳴りつけられて結局離婚するしかないっていう風になってしまったわけやねんけど、とにかくギャンブルを極めるという事は普通の人には理解できない、途轍もなく不条理で狂気に満ちた事やから、こんな生き方は絶対選ばない方がいいと言わざるを得んな。ギャンブルに振り回されて制御を失って奈落の底に落ちて行った人間をほんと今までに何人も見て来たし、全員が全員悲惨な最後を迎えよったから、ほんとギャンブルはほどほどにと言うしかないんやけど、ほどほどにギャンブルをするって事は実際なかなか難しい事で、結局全くやらないか、さもなくば行くとこまで行くかのどっちかになる場合が多いな。まあ俺みたいな人間が言うのは説得力無いけど、ギャンブルはせん方がええという事やな。」
「・・私みたいな人間はやはりやらない方がいいんでしょうね?」
「そやな、今日みたいな事を繰り返しとったらいずれ奈落の底に落ちる事は間違いない感じやな。かなり気を付けた方がいいタイプの代表やと思う。」
「そういう意味では今月末に帰国が決まったのはちょうど良かったのかもしれませんね。」
「人の事をどうこう言う資格は俺には無いやろうけど、そう言ってもいいかもな。」
杉田はそう言うとグラスに残っていたビールを一気に飲み干して暫く沈黙した。ナオコも同じように残っていたソフトドリンクのコーラを飲み干し(ナオコは今回酒類は頼まなかった)、空を見つめながら暫く沈黙した。ナオコが腕時計に目をやると時刻は夜の十一時をちょっと過ぎていた。杉田がそろそろ出よかと言ったのでナオコは”Check, please !(会計をお願いします)”とウエイターに告げ、ナオコのカジノポイントを使って清算し、ウエイターへのチップをテーブルに置いて外に出た。
カジノの外に出ると杉田は短い間やったけど、色々ありがとう、また時間があったらマカオや韓国のカジノに来てくれとナオコに言った。ナオコはこれでお別れだと思うとほんとにほんとに名残惜しかったし、胸が少し痛んだ。恋しい人を見つめる様な眼差しを杉田に向けながらナオコは「東京に帰ったらまたかなり忙しくなるんで正直マカオや韓国まで行けるかどうかわからないんですけど、また会える日が来るんでしょうか?」と言った。
杉田はナオコの目をまっすぐ見つめながら言った: ─────────────────────────────────────────────「また会えるよ。」────────────────────────
────── 彼はこの時関西アクセントではなく、標準語のアクセントで言ったのだ!─────────
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────「いつかどこかで。」
(つづく)
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