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その3
しおりを挟む立ち読みを初めて十分位たった頃に一人の女性が本屋に入って来た。杉田が何となくその女性の方に顔を向けるとその女性は杉田を見て「あれれ久しぶりやねえ。」と関西アクセントで言った。「おおスージーか。久しぶりやなあ。」と杉田も言った。その女性は軽音の同じ学年の仲間で、スージーというニックネームを持っていたギタリストの今村恵子だった。軽音にいた当時彼女はカーリーヘアにしていて、それがカーリーヘアをしていた時のスージー・クワトロみたいな感じだったのでスージーというニックネームが付けられた。軽音にいた時はずっとカーリーヘアだったが今は普通のナチュラルな髪で、昔と比べると外見的にはかなり変わっていた。
「杉田君もしかしてこの近くに住んでるの?」
「いや家は東大阪やから近くやないけど・・。」
「何でここまで来たん?」
「それは何となく。」
「何となくこんなとこに来んの?」とスージーは面白がって言った。「私はこの近くに住んでるんやけど、ほんと久しぶりやね。卒業式以来やから十年ぶりやねえ。」
「そうやな、スージーが卒業してから十年ぶりって事になるなあ。」と杉田はほんとに懐かしいなと思いながら言った。スージーは四年制の学生で一九八三年三月に卒業し、杉田は三回生の時に一年留年したのでスージーより卒業が一年遅れて八十四年の三月に卒業した。スージーの卒業式の時に杉田は軽音のバンドの打合せの為学校に来ていて、卒業式終了後スージーが彼女と同じく卒業を迎える男性の軽音部員三名と女性部員でドラマーのミンちゃんと一緒に軽音の部室に来て杉田や軽音部員達と一しきり話をした後みんなで軽く打ち上げをする事になり、学校近くのレストランでスージーとミンちゃんの卒業祝いの打ち上げ会を行った。スージーとはこの打ち上げ会以降会っていなかったので十年ぶりに会うという事になる。二人はちょっと喫茶店で話をしようという事で商店街の中の喫茶店に入った。二人ともレーコー(アイスコーヒー)を注文し、杉田とスージーは楽しそうに話を始めた。
お互いに三十三歳になっていたが杉田は老けた感じが全然せず、二十五歳だと言っても通用しそうな感じであった。外見的にあまり変わっていなかったのでスージーが「杉田君は若く見えるからいいねえ。」と言うと杉田は「いやいい事はないで。若く見えるのはアホやからやし。」と言った。
「私なんか老けてるやろう?こないだ四十歳ですか?って言われてほんとムカついたわ。」
「いや別にそんなに老けてないで。そんな事気にせんでええわ。」
「ところで杉田君は結婚してるん?」とスージーが訊いたので杉田は結婚してたけどいろいろあって去年離婚したんやと言った。スージーはそれを聞いて実は私も2年前に離婚して今は実家に戻って両親と一緒に暮らしてると言った。子供はいないとの事だった。もう男はこりごりや、とスージーはうんざりした表情で言った。杉田には離婚した妻との間に男の子が一人いて、今五歳で親権は妻が取り現在は子供を連れて実家に戻り、両親と一緒に住んでいる。離婚に至った経緯とかその辺の細かい事はお互い言及しなかったし、お互い尋ねもしなかった。
色々話してる内に話題は島崎洋子の事になり、スージーは二ヶ月前に洋子と電話で話したと言った。なんでも久しぶりに連絡を取ってみたくなって、軽音の部員名簿に書かれていた洋子の実家の電話番号に電話してみたところ洋子の弟が出て、洋子はアメリカ人と結婚してアメリカに住んでいたのだが、不幸にも夫が事故で亡くなってしまい、色々あってカジノのディーラーの仕事に就く為サンフランシスコからラスベガスに移り住んだとの事で、ラスベガスの家の電話番号と住所を教えてくれた。スージーがベガスの家に電話すると洋子が出て、十二年以上も会っていなかったかつての仲間から突然電話が来たので驚いていたが、凄く懐かしく話は弾んだ。けれどもアメリカと日本の間の国際電話なので洋子は気をつかって二十分位話した後電話代高くついたら悪いからとりあえず今日はこれぐらいにして洋子の方から手紙を書いて送ると言い電話を切った。それから二週間ぐらいして洋子から手紙が届き、スージーもそれに対して返事の手紙を書いて送った。
「手紙には旦那さんの事故に関する事とかディーラーの仕事の事とかとにかく色々書いてあったけど、杉田君の事に関しては電話の時も手紙の中でも全く触れてなかったわ。」
とスージーは言った。「今ナオミちゃんていう二歳の女の子がいて、日本から子供看てもらう為にお母さんに来てもらったと言う事で、三人で暮らしてるらしいわ。」
杉田は黙ってスージーの話を聞いていたが、一九八六年にシルバーフレイムを辞めてからこれと言った音楽活動を行わず消息不明となっていたので杉田は一体どこで何をしているんだろうとしばしば思っていた。音楽活動をやっていないという事は多分誰かと結婚したんじゃないかと推測もしていたが、アメリカ人と結婚したというのはちょっと意外だった。だがアメリカ人の夫が突然事故で亡くなってしまい、今は二歳の小さい子供を抱えて生活の為懸命にディーラーの仕事をしていると聞いて杉田は胸が痛くなった。「・・・杉田君洋子の住所と電話番号教えよか?」とスージーが訊くと杉田は「いやええわ。今さら連絡なんてでけへんし。」と言った。
スージーとの話が終わって東大阪へ帰る道中杉田は洋子との事を思い返し激しい自己嫌悪に陥った。あの時は完全に杉田に非があった。杉田は洋子を裏切る行為をした。ラブホテルから出て来たのはアルバイトしていたからだとか、女の子とは話をしただけだなどと白々しい嘘をついた事に関してはほんとに卑劣な事をしたと杉田は思った。
あの頃杉田は精神的に不安定な状態にあった──────「あの時はな、色んな事で悩んでたし、それに加えて八十年の十二月八日にジョン・レノンが殺されたという俺にとっては無茶苦茶ショッキングな出来事があって俺はほんとに精神的にまいってたんや。」と杉田は洋子に言った。「こんな事を言っても言い訳にしか聞こえへんやろうけど、あの頃俺はまず第一に倉田と洋子の間で気持ちが揺れていて正直自分でもどうしたらいいのかわからんかった・・・倉田が去って行ってから心にぽっかりと穴があいたようになってしまってほんとにどうしたらいいのかわからんかったんや。」杉田は少しの間沈黙した後続けてこう言った。「倉田に別れを告げた事がほんとに正しい事だったのか正直俺にはわからんようになってしまって、毎日のように自問自答を繰り返している時にラジオからジョン・レノンが殺されたっていうニュースが流れて来て俺はほんとに混乱状態になってしまって、そんな時にちょっと魔が差してしまったというか、俺に繰り返しアプローチして来てた女の子の誘いについ乗ってしまったんや・・。」
「・・・・確かに言い訳にしか聞こえないと言えば正にそうだけど、今の私は杉田を非難しようとは思わない。結局物事はなる様になるしかないし、成るべき形になったという事だけだと思うわ。」
「・・・今回ラスベガスに来たのはな、実際の所今俺はギャンブルで喰っていってる身の上なんでギャンブラーの聖地であるラスベガスにはとにかく一回は来なあかんとずっと思ってて、第一の理由としては仕事上の必要性という事やねんけど、ラスベガスに来てから昔の事をいろいろ思い出して今俺はほんとにあの時洋子に対してやった事がほんとに卑劣な事をやったとほんとに恥ずかしい思いで一杯で、元々は会わんつもりやったけどとにかく謝らなあかんと思って色々探して結局旅行社の山口ナオコさんに情報をもらって今日ここに来たわけや。」
「・・・ギャンブルを仕事にしてるって、それいつからしてるの?」
「稼げるようになったのは半年位前からやけど、それまでは勝ったり負けたりの繰り返しで、勝つ時は結構な金額勝ったけど、負ける時はかなり凄い金額負けるっていう様な感じで、当然の事ながらかなりの借金を作ってしまって、それで家族や親戚はもちろん、勤めてた会社の同僚や上司の信用も失ってしまい、会社は辞めざるを得ん様になったし、家も売らなあかん様になって離婚という事になって子供も嫁さんと一緒に実家に帰ってしまいよった・・・まあ自業自得と言えば全くその通りやけど、小さな子供と別れなあかんかった事が一番つらかったな・・・。」
「なんでまたそういう風になってしまったの?」
「・・・きっかけは会社の出張でマカオに言った時カジノにちょっと立ち寄って初めは小さな金額でちょっと遊ぶっていう位やったんやけど、だんだんと嵌って行って次第に金額が上がって行き、気がついた時はかなりの借金を抱えてるという風になって・・・・初めはカジノのギャンブルってそんなに好きじゃなかったんやけど、ある日自転車に乗ってた時車にちょっとぶつかって、ぶつかった事自体はそんなにも衝撃やなかったんやけど、はずみで自転車が転倒して、その時に左肩を強く打って骨折してしまい、一ヶ月位は左腕の上の方は動かす事が出来ないっていう感じで、それからも後遺症が残って結局二年位はドラムが叩けんようになってしまって、その頃は趣味でバンド組んでドラム叩いてたんやけど、この事故の為やめざるを得んようになってしまって、その為休みの時の楽しみというのが無くなってしまい、その空虚を埋めたのがギャンブルやったというわけなんや・・・・・まあこんな事言うても言い訳にしか聞こえないやろうけど、音楽しか楽しみがない様な人間やから突然出来た空虚の感情をどうにも出来ず、出張の多かった仕事やった事も悪い方に作用して、マカオや韓国に行く度にカジノでギャンブルするようになり、やがては休みの日も自分から海外のカジノに行くようになってしまったんや・・・」
洋子は杉田の話を聞きながら今自分が生きているラスベガスに於いてどれだけギャンブル依存に陥ってる人々が多いかという事を考えずにはいられなかった。初めはちょっとした遊びという感じで少ない金額で遊んでいた人々がある時を境に掛け金を大幅に上げ、結果的に無茶苦茶な大金を失って身を滅ぼすと言う様な事をディーラーという仕事をしている関係上頻繁に目にしてきた。カジノで信じられないレベルの、天文学的と言ってもいい位の大金を失って自殺をしたり、家族離散という事になったなんていう話はラスベガスに於いては掃いて捨てる程ある。血走った眼をして湯水の様に無茶苦茶な大金を使うギャンブラー達を毎日の様に目の前で見てきて、この仕事はほんとに因果な商売だと何度思った事だろう。狂った様にギャンブルをする人達を毎日の様に目にするディーラー達は自分では絶対にギャンブルはしないと言う人が多い。数々のギャンブルにまつわる悲劇的な話を見聞きする事が多いからこれは当然その様になるのだろう。いつだったかあるタクシー運転手と話をしてた時に日本にカジノはあるのかと訊かれ、無いと答えるとそのタクシー運転手は「そうか、無いのか。日本人は賢いんだな。」と言った。実際にはパチンコ屋とか競輪、競馬等といったギャンブルがあって、ギャンブル依存に陥る人達が幾らかは存在するが、どちらかと言うとごく少数といった感じなのではないかと洋子は思っていて、ラスベガスと比べたら全く比較にならないだろうと思った。とにかく日本でやれるギャンブルはカジノゲームと比較して勝てる確率というのが極めて低く、ほとんど負けてばかりという風になったら大抵の人はばからしくなってやめてしまうのではないか。まあ中にはやめられないで重い依存症になってしまう人もいるだろうが、やはりそれは少数派だろうと洋子は思った。カジノゲーム、例えばバカラなんかは勝てる確率という事から言えばほぼ二分の一、四捨五入すれば四十九%の確率で勝てる丁半博奕であるが、カジノ初心者は四十九%という高確率で勝てる博奕だと考えるが、長らくこの博奕をやっていると実は五十一%という高確率で負けてしまう博奕であるとやがて気づく事に
なる───。
「・・・稼げるようになったのは半年位前からって事だけど、何のゲームで稼いでるの?」
「メインでやってるのはポーカーで、時々気分転換でブラックジャックやバカラなんかをやる場合もあるって感じやな。」
「今私はディーラーの仕事をやっていて、その仕事をやっている者の視点から言えばギャンブルで喰っていけてるなんて事は奇跡に近いことなんじゃないかという気がするけど、これからもギャンブルで喰っていけるという自信はあるの?」
「自信があるのかと訊かれたら、そんなものは無いというしかないやろな。今ポーカーで何とか喰うていけてるのは、このゲームが確率以外の要素で色々戦略や経験則を生かせる博奕やからと思う。ポーカーや麻雀以外の普通のカジノゲームやったら短期的には勝てる事があるかもしれんが、長期的には必ず負ける様になってるから長くやればやる程ドツボに嵌る事になる事が多いやろな。ポーカーで今喰うていけてるというのもいつまで続くかというのはほんとにわからんし、ただ単に運が良かっただけなのかもしれへんし・・・いつか運が尽きて野垂れ死にする日が来るかもしれんわな・・まあ運が続く限りはやり続けようと思ってるけど、問題は運が尽きた時に果たして博奕をやめる事ができるかどうかという事やけど・・・こういう事を仕事にしてるやつらっていうのは一人の例外も無しに重度のギャンブル中毒にかかってる人間やから、やめなあかんとわかっていても破滅して野垂れ死ぬまでやめられへんと思う。」
「・・・・こんな風に再会するなんて夢にも思わなかった・・・私にとって杉田は尊敬するミュージシャンの一人でもあったから、あなたが今こんな風にギャンブルまみれの生活を送ってるって事が何と言うかある意味残念にも思うわね・・・もう音楽はやらないつもりなの?」
「それはわからん。趣味としてはまたやることがあるかもしれへんけど、何と言うか、今はあまり関心が無いと言うのが正直な所やな・・・とにかく今は出来る限り稼いで別れた子供の為に使いたいと思ってる。」
「それって別れた家族に仕送りをするっていう事?」
「仕送りと言うより借りてるお金を返すようなものかもしれん・・・俺が作った借金は家を売ってもまだ一千万円位足りない感じで、残りの金額は嫁さんと嫁さんの実家の両親が肩代わりしてくれたんやけど・・・・ほんとに凄い迷惑をかけてしまって申し訳ないと思ってる・・・まあこの半年で五百万円程送ったんやけど、稼いだお金は出来る限り送ろうと思ってる。」
「・・・そのお金を受け取って奥さんはどういう反応だったの?」
「五百万送るって言ったら凄く驚いてたわ・・・ギャンブルでそんなに稼いだなんて信じられないって・・。まあ無理もないと思う。普通の人の感覚やったらそう言うやろな。ギャンブルの怖い所は無茶苦茶な金額を賭けてやってたら一週間もせん内にその無茶苦茶な金額がどうって事がない普通の金額になってしまうっていう事やと思う・・・金銭感覚が麻痺してしまうっていうか、無茶苦茶な金額が無茶苦茶な金額だという事がわからなくなってしまうという恐ろしい事がいとも簡単に起こってしまう世界やから・・・まあとにかく俺はある程度稼いだらすぐ子供の所に送ろうと思ってる・・。手元に置いといたら三日後には無くなってるかもしれんし、実際あんまり手元に残さん方が調子よく勝てるって感じになってるから・・・普通は余裕の無い崖っぷちの博奕は勝てないって言われてるのに不思議な感じがするけど、俺の場合はこうやった方が命がけでやれるからいいんやろな。」
「・・・今回はいつまでベガスにいるつもりなの?」
「そうやな、少なくともあと一週間はおると思う・・・今の所まだツキのピークには達してないと感じるから、とにかくこれが潮時やなと感じる時まではおるつもりや。」
「・・・・話は変わるけど、シルバーフレイムのレコードは聴いてくれてたの?」
「もちろん聴いてた。俺もシルバーフレイムのファンの一人やから。アルバムは一応全部持ってるけど、正直な感想を言えば、好きなアルバムもあればあんまり好きじゃないアルバムもある。何と言うか、あまりに幅広い音楽をやっているから、このタイプの曲は好きやけど、あのタイプの曲はあまり好きやないというのがあって、ハードロックもあればソウルミュージックもあるっていう、そういうのが俺に言わせてみればありえへんという感じで、あまりにも突飛すぎると思う。ロックという枠の中に収まるんやったらまだわかるけど、ロックからソウルミュージックまで飛んで行ってしまうのはちょっと理解に苦しむわ。」
「そうね、シルバーフレイムってアルバム毎に音楽性を変えて行ってたから常に賛否両論があったわね。特に五枚目でソウルミュージックのアルバムを出した時なんかはほんとに拒絶反応を示したファンが多かった様で、ブーイングの手紙がいっぱいレコード会社に届いたわ。ライブの動員数にも影響があって、お客さんがかなり減ったので六枚目のアルバムは正統派のハードロックの路線に戻したんだけどお客さんは帰って来なかったわね・・・。それでもって、色々忙しくやってた時に父が突然亡くなってしまって、その時は色んな事でほんとに疲れてた事もあって混乱状態になってしまってもうこれ以上は続けて行けないと思ってバンドを辞めたの。それで暫く何もしないでぼーっと暮らしてたんだけど、ふと思いついてアメリカに留学する事に決めて、留学してから二年ぐらい経ってトニーに出会って付き合うようになり、お互いに運命の相手に出会ったと感じて結婚して今に至るんだけどトニーが突然事故で死んでしまってほんとに目の前が真っ暗になったわ。」
「色々あったんやな・・・ほんとに大変やったな・・」
「・・・子供がいたから何とかやっていけたんだと思う。この子の為に生きなきゃいけないという思いが何とか私をここまで引っ張ってくれたんだと思うわ。」
「その気持ちはわかる気がするな。俺かて小さい子供がおるから。」
「・・・トニーは何と言うか、私の夫であり、それと同時に私の父や兄でもある様な感じの人だった。ほんとにほんとに暖かい愛で私を包んでくれた・・。彼のおかげでほんとに幸せな時を過ごせたと思う。彼がいなくなってほんとに悲しいし寂しいけれど、子供の事を考えたら泣き続けるわけにはいかなかったから無理に自分を奮い立たせてきたわ。私の可愛い天使の為にも頑張って生き続けなきゃいけないと思ってる。」そう言うと洋子は暫く沈黙していたがやがて大粒の涙を流しながら嗚咽し始めた。「・・・・・ごめん、何だか堪らなくなって・・・」下を向いて嗚咽する洋子を見ながら杉田は言った。「いいんや。思い切り泣いたらいい。」──── 暫くしてからこう続けて言った。「・・・・今までかなり無理してきたんやな・・・」嗚咽する洋子を見て杉田は凄く胸が痛んだ。洋子の嗚咽が収まるの待ってから杉田は言った。「・・・何か俺に出来ることはないか?」
「・・・どういう意味?」
「いやつまり生活は大丈夫かっていう事や。」
「大丈夫よ。お陰様でお金には困っていないわ。」
「そうか、もし何かあったらいつでも言ってくれ。俺に出来る事やったら何でもするから。」
「杉田がそんな事を言う必要はないわ。自分の家の事は自分でするから。」杉田がその様な事を言うのが意外だったので洋子は思わず言った。「・・でもありがとう、心配してくれて。」
「・・・俺は洋子に対して凄く卑劣な事をしたから、何かで埋め合わせしないといけないと思ってる。だからおれに出来る事はないかと訊いたんやけど、昔の俺は何と言うかほんとに与える愛というものを知らない男やった・・・今思うに子供が出来て初めて与える愛を知ったと思う。何の見返りも求めない、ただただ与えるだけの愛ってやつを・・・・俺って男は元々子供なんて欲しいと思った事もないし、妹の子供が家に来た時も全く相手にせんと一言も喋らんかった様なそんな男やったんやけど、自分の子供が出来て慣れないながらも毎日子供の守りをして毎日寝顔を見ている内にどうしようもなく子供が可愛くて愛おしいと思う様になった・・・・子供が出来て初めて俺は人を愛するという事がどういう事なのかを知ったんやと思う。子供を愛するというのはほんとに何の見返りも求めない愛で、ただただ愛おしいと思うそんな感情で、子供と一緒におって毎日そういう気持ちに満たされるというのはほんとに幸せな事やと思う。」
「杉田の言う事はよくわかるわ。私も全く同じ気持ちだから。子供の事はほんとに愛おしいし、生まれて来てくれてありがとうって何度も思ったわ。」
「とにかく今ここで俺が昔洋子に対してやった事を謝りたいと思う。俺はほんとに卑劣な事をした・・・今謝ってもどうにもならんやろうけど、とにかく謝りたい。ほんとに全て俺が悪かった。」
「もういいのよ。全て終わった事だから。昔トニーと色々話しをした時に杉田の話をしたら、トニーは全てを許して杉田の幸せを願うべきだと言ったの。決して憎んではいけないと。全てを受け入れて全てを許すべきだと。ほんとの愛というのはそういうものだと彼は言ったわ。そんな彼を私は愛する様になった・・・何と言うか、今考えると私は彼の中に父の影を見たんだと思う。安らぎを与えてくれる暖かい陽の光を彼の中に感じたわ。」
「・・・ほんとにいい人に出会ったんやな・・・亡くなるなんてほんとに悲しい事やと思う。こんな言い方しかでけへんけど、ほんとにそう言うしかない。」
「まあとにかく今は頑張って生きていくしかないわ。大丈夫よ。何とかやって行くから。」 杉田との話が終わって家に戻った洋子は杉田と過ごした短大時代の日々を久しぶりに回想した。洋子にとって初めての恋であり、初めての男性であった杉田との思い出を回想している内洋子は強烈に思いを寄せていたあの頃の感情を思い出し、ノスタルジーに浸った。熱烈に恋したのは間違いない事実であるが、結局の所杉田は自分にとって運命の人ではなかったのだと洋子は思った。あの時杉田と別れたのは運命の必然だと思っている。だから杉田を恨む様な気持ちは全く無かった。全ては必然だったと思っている。杉田と別れたからこそシルバーフレイムに加入する事になったし、トニーに出会う事につながったのだ─────だから今は静かに杉田が平安で幸せな人生を過ごす事が出来る事を祈りたいと思った。だがそんな気持ちとは裏腹に杉田はギャンブラーというまともに死ぬ事が出来ないのではないかと危惧する様な仕事に就いている。杉田らしいと言えば正にそうだが、ほんとに因果な仕事をやっている。そして自分はカジノのディーラーという、これまた因果な仕事をやっている。ギャンブルで破滅する人々がいるからこそ自分はこの仕事で収入を得る事が出来る─────洋子はしばしばこういう風に考え、自分がやっているこの仕事はほんとに因果な仕事だと思う。その他にも考えてみると非常に不思議だとも言える事がある─────縁が切れたと思っていた杉田とこんな風にアメリカという異国で、ディーラーとギャンブラーという形で再会するなんて───人生て何て不思議で気まぐれなんだろうと思う─────今日こんな風に再会した事がこれから先私の人生に影響を与えるのだろうか?────もしかして私の運命を変える事になる?─────多分そんな事にはならないだろうけど人生って時にほんと不思議で気まぐれな事が起こるもんなんだなと洋子は思った。
───────「・・・・という訳でもう会う事は無いだろうと思っていたあの人に会って私は今とても戸惑っているの・・・何と言うかつまり忘れていた感情を思い出したと言うか、過去に置いて来たはずの感情を思い出したから・・・これが単なるノスタルジーなのかそれともそれ以上の感情なのか私にはわからないけど・・。」
「・・何となくわかる様な気がします・・・どう言ったらいいかわかりませんけど、とにかく人生というのは色々あって、時に不思議で気まぐれな事が起きるって事ですね。」
ナオコは洋子と杉田の間にあった話を聞いて非常に興味深い話だと思った。自分が長年憧れ、大ファンだったロック・クイーンの島崎洋子に会えただけでも奇跡に近い事なのに、ナオコはその憧れの人と今親しくなって、その人の極めて個人的な打ち明け話を聞いている────── それだけでも非常に驚くべき事なのにもう一つ驚くべき事があった────────「・・・・あのうそれと、倉田ミエコさんってあの「忍者カスミの物語」の倉田ミエコさんですか?」
「そうよ、今や日本でトップテンに入るマンガ家と言ってもいいあの倉田ミエコよ。」
「・・・・信じられない・・・私倉田さんがデビューした時からの熱狂的なファンで、洋子さんだけでもほんと奇跡なのに倉田さんの事まで出て来るなんてほんと信じられない・・・。」とナオコは感嘆して言った。無理もない────── 彼女は一九七九年十月にデビューして以来じわじわと少女達の間で人気が高まり、デビューしてから五年後の一九八四年には「忍者カスミの物語」がスーパーヒットし、少女達だけでなく少年達から青年、若い女性や中年男女に至るまで幅広い層に受け、テレビアニメも放映され、劇場映画も作られて大ヒットを記録、今やアニメファンの間では神の様な存在になっている”生きる伝説”の漫画家として名を馳せているのだから─────── 初めの五年は少女漫画を描いていたのだが、一九八四年の一月にとある著名な少年漫画誌で女忍者カスミの波乱とロマンに満ちた一生を描いた「忍者カスミの物語」の連載が始まると少しずつ熱狂の輪が広がり、八十四年の年末になる頃には押しも押されぬ神レベルのスーパーヒットとなっていた────── 彼女の凄い所はギャグ漫画とストーリー漫画の両方が描ける所で、しかも少女漫画と少年漫画の両方をこなしている。どの分野に於いても個性的で一流のレベルの漫画を描き続けている、ほんとに神レベルの漫画家なのだ。───────「・・・・それで、倉田さんが東京に行ってからはお会いになった事はあるんですか?」
「いや無いわ、一度も。」と洋子は答えた。「・・・杉田が会ったかどうかはわからないけど、何も言ってなかったから多分会ってないんだと思う──── まあとにかくミエコがあんなにも成功を収める事が出来てほんとに嬉しく思ってるし、これからも頑張って欲しいわね・・。」
────────── ヨーコ・ハミルトンとの話を終えて家に帰った時、時刻は晩の九時を少し超えていた──────── 洋子と色々お互いの事を話した後、洋子の母やナオミちゃんと一緒によもやま話をしながら楽しく食事をしてナオコは帰宅したのだった。帰宅後すぐにシャワーを浴びてリビングでゆったりとテレビを見ていたナオコはふと思い出して自分と田村伸介が文通してた時の手紙をこの前の続きから読もうと本棚から取り出し、テレビを消して読み始めた。
田村伸介様
FROM:山口ナオコ DATE: 一九七八年二月五日
お元気ですか。二月に入って本格的に寒くなって来ました。こちらの方では雪が降ったり最低気温が零下を下回る事が多くてとにかく寒いです。田村さんの所はどうでしょう?お互い風邪をひかない様気を付けないといけませんね。
───という事で田村さんのお勧めに従って友達に「アビーロード」を貸してもらい、テープに録音してここ数日毎日聴いています。聴いた感想を言うと、ほんとに凄いです!A面はロックの名曲とポップスの名曲が入り混じって凄くいいですし、B面は何と言っても一曲目の”Here Comes The Sun ”がいい曲でほんと気に入ってます!二曲目の”Because ”に関しては、こんな曲が創れるなんてほんと驚いたし、三人のボーカルハーモニーとクラシカルな抒情性が胸を締め付けて、とにかく凄いとしか言いようがありません。三曲目から終わりにかけては色んな曲がメドレー形式で演奏されていますが、”Golden Slumbers”から" Carry That Weight " にかけての流れは凄く感動的で胸が熱くなりました。
レコードを貸してくれた友人は小学校五年の時からビートルズを聴いている熱狂的なビートルズファンなんですが、彼女の話によるとこの「アビーロード」は聴けば聴くほど新しい発見があるとの事です。正直私は" I Want You " の様なヘビーな曲はあまりピンと来ないんですが、彼女が言うにはこういう曲は長いこと聴いている内にじわじわとその良さがわかって来るとの事で、まあその内わかるわと言ってました。
ビートルズの曲に関してはベスト盤に入ってる曲はとにかく全て素晴らしい曲で、ほぼ毎日聴いていますし、最近は特に”Michelle " と”Girl ”が気に入ってます。何と言うかこの二曲はほんと胸を締め付ける様な美しいメロディーを持っていますね。
話は変わって田村さんの「風と鳥と湖と」という詩、ほんとに胸に来るものがありました。私のこの胸の、心の中の琴線に触れました。───読んだ後で余韻が残る、ほんとに素晴らしい抒情詩だと思います。今まで色んな詩を読んで来ましたが、田村さんの詩には田村さん独特の世界があって、非常に抒情的で繊細で、希望とかそういった光に満ちた何かがある様に感じます。素晴らしくてステキでとてもいい────正直な感想です。ほんとに素晴らしいと思います──。
話はまた変わって、一週間前の日曜日に近所の古本屋で永島慎二の「漫画家残酷物語(第三巻)」という本を見つけ、手に取って立ち読みしてみて面白そうだったので購入して家でじっくり読んでみました。この単行本には全部で六つの話が収められているのですが、漫画家の人達の様々な青春群像といったものが描かれていて、漫画家の世界を舞台にした淡くて哀しい、哀愁のこもった青春の物語、といった感じです。この漫画は何と言うか、漫画と言うより、漫画という表現形式を使った小説なんじゃないかと思います。時は一九六二年から六十四年を舞台としていて、淡い青春の哀しみといったものが全編に散りばめられた一大青春叙事詩かつ一大青春抒情詩、といった感じです。特に第一話の「三度目のさよなら」っという話が凄く小説的な物語で印象に残りました。購入した時その古本屋には三巻しか無かったのですが、凄く感銘を受けたので機会を見つけて他の巻も探して購入しようと思っています。田村さんにもぜひ機会があったら読んで頂きたいと思う、何と言うか私のお勧めの本です。
私は今、週四回ラジオの講座でフランス語を勉強しています。前に書いた様に私は語学を勉強すると言うか、練習するのが好きなので全く苦にはならないのですが、フランス語の文法の複雑さにはちょっと驚きます。英語と比べて少なくとも五倍は複雑で難しいんじゃないかなと思います。名詞には男性名詞と女性名詞の区別があってそれぞれに付く冠詞も形が違ってくるし、動詞に至っては人称変化と言うのがあって、英語だと基本的に三人称単数にsが付くだけですが、フランス語では各人称で形が変化してかなり複雑で、しかもフランス語には英語には無い接続法って言う動詞の活用体系があって、もういい加減にしてって言いたくなりますね。多分フランス語を勉強する人はほとんどがそういう思いになるんじゃないかと思いますが、これはもうとにかく何回も練習して覚えていくしかないです。気長に焦らずにとにかく続けていく事、それに尽きますね。
文法の他に発音の難しさ、というものもあります。フランス語の発音って英語には無い発音の難しさがあって、フランス人の様な発音ってなかなか出来ません。これもとにかく練習するしかないと思います。とにかく気長に練習するしかないですね。
という事で、今日はここまでとさせて頂きます。お体に気を付けてバンドの方もがんばって下さい。それではGOOD LUCK AND GOOD - BY !!
山口ナオコ様
前略。暖かくなってきましたね。返事遅くなってすいません。言い訳になりますが、とにかく色々忙しくて手紙を書くのが遅れました。どうかお許し下さいます様お願い申しあげます。
でもってあれからバンドの練習を結局三回ほどやりました。通算五回って事になるんですが、かなり合う様になって来ました。でもボーカルに関してはかなりレベルが低くて苦戦してます。バンドはギターが三人とベースとドラムという五人編成で、ギターの三人が曲によってリードボーカルを分け合っていて、リードボーカルを担当する者はギターを弾かずにボーカルに専念するという形でやってるんですが、かなり苦戦しています。
この間ドラムの兄貴のバンドのリハーサルをメンバー全員で見学に行ったんですが、さすがに色んなライブハウスに出ているセミプロのバンドだけあって凄い演奏でした。楽器の演奏テクニックもボーカルも全て一流の完璧な演奏を聞かせてくれてほんと凄かったです。それでもってリハーサルの最後の方でリードボーカルの方が親切にも僕ら全員に発声の基本を教えてくれて、腹式呼吸のコツとかその他発声の基本的な事を丁寧にコーチしてくれたんですが、ギターの三人は自分らが如何にいい加減に発声していたかわかったと言ってました。ほんとにボーカルの方には感謝感激雨あられっていう感じですが、おかげで進歩の為の足がかりが得られたと思います。僕もこれがきっかけになって歌に興味を持つようになり、最近はテープに合わせて色んな歌を練習してるんですが、ビートルズの曲が特に歌っていて楽しいですね。まあドラムをやりながらリードボーカルというのはなかなか難しいし、体力的にもハードなので、バンドの中でボーカルを取る事はあまり無いでしょうが、歌の練習は楽しいのでこれからも続けて行きたいと思っています。
話は変わって、ラジオ講座でフランス語を勉強されているとの事ですが、実は僕もラジオやテレビ講座で中国語を勉強しています。山口さんと同じく中学二年の春から始めました。元々中一の時からラジオの英語講座を聴いていて僕も語学の勉強というか、練習するのが好きなので前から興味を持っていた中国語の勉強を始めました。今年で四年目になるんですが、中国語に関しての感想を言うと、中国語はとにかく発音が難しいですね。中国語は声調言語で、つまり音の高い低いというのを正確に区別して発音しないと通じない言語です。例えば同じマーという発音の言葉でも音の高さによって意味が違ってきて、ある高さだとお母さん、それとは違ったある高さだと馬、またある高さだと罵るという意味になるという様な感じの非常に厄介な言葉で、初めの一年間はほんとに苦労しました。まあ言ってみれば、一つの文章を覚えるという事は一つの歌を正確な音程で覚えるというのと同じ、といった感じでしょうか。だからとにかく何回も何回も繰り返して発音練習というか、音程を覚える練習をするのが重要になって来ます。言わば歌を覚える様に音程に注意して言葉を覚えなきゃいけないという事です。
発音はかなり習得に時間がかかりますが、文法に関してはかなり単純な気がします。ある意味英語よりも単純で、例えば英語や日本語と違って形の上での”過去形”というのがありません。過去の事を表す時は昨日とか去年とかいう言葉を一緒にくっ付けて区別するか、前後関係や文脈でわかる時はそういう言葉無しでもOKです。つまり私は知らないと言う時と私は知らなかったと言う時が同じ「我不知道(ウォ・プ・チータオ)」になるという訳です。完了を表す時は動詞の後ろに”了”という言葉を付けて”~した、~という事になった”と言う意味で使ったり、完了形の形で”~した”という意味で使う、つまり過去形の様な感じで使う事もあるんですが、とにかく明確な形としての”過去形”というものがありません。中国語の文法は単純だからこそ何か漠然としていてよくわからない、あやふやな感じがして難しいとも言えますね。でもまあフランス語やドイツ語なんかと違って動詞の変化を覚えなくていいというのは楽と言えば楽かもしれません。だけど語彙の豊富さ、という点ではもの凄く豊富で、何しろ漢字の本場の国の言葉なので覚えなきゃいけない言葉が沢山ある事は間違いなく、語彙は無限にある、と言った感じだとも言えます。まあとにかく外国語というのはどれを取っても難しい、ということですね。
また話は変わって、永島慎二の「漫画家残酷物語」に関してですが、実は僕も一年位前に近所の古本屋で一巻から三巻まで見つけて全て購入済みで、隅々まで何回も丹念に読みました。で、その感想を言いますと、これは日本の漫画の中ではかなり異色の漫画ですが、凄い傑作であり名作だと思います。全編に漂う哀愁と抒情、時にはペーソスといったフィーリングが胸に迫る名作です。僕も、これは山口さんが言われる様に漫画という表現形式を使った小説だと思います。特に第一巻の第一話である「嘔吐」というエピソードが胸を締め付けました。”売れる”漫画ではなく、本当の意味での芸術的な漫画を追及する事を選んだ主人公に待っていた運命というのがほんとに残酷な運命で、この漫画の結末はあまりにも悲しすぎて胸を締め付けます。ただ、もしかしたら自分が選んだ道が決して間違ってはいなかったのだと知って最後に主人公は満足して逝ったのかもしれません・・・・・これ以上は言わないでおきます。出来るだけ早い時期に山口さんが一巻と二巻を手に入れられてじっくり読んでくださる事を切に希望します────。
最後にいつもの様に僕が書いた詩を下に記します───
さまよう船
目を閉じて
想像して欲しい
今、出航する時だから
さまよう船に乗って
神秘の川を渡り
幻想の海に出よう
目的地の無い旅に
今僕達は出る
答えの無い問いに
今僕達は答えを出す
夢の中の人が言う
あなたは充分にやったわ
もう苦しまなくていいのよ
さあ一緒に旅立ちましょう
ここでは時は永遠に続く
何も恐れる必要は無いし
ただ風の吹くままに
光の方向に進めばいい
これが私たちの出した答えなら
信じるままに行くだけ
見知らぬ町の
見知らぬ風景を僕たちは夢見る
幼子の歌が
心に平安をもたらす時
預言者の言葉は意味を持つ
さあ今旅立とう
さまよう船に乗り
光の方向に向かって
真夜中の太陽を探しに行こう
世界は元々永遠の平安と安らぎの世界だった
それに気づいたなら
新たな世界を創る為に旅出とう
僕達のさまよう船は
今日もまた幻想の海の上を漂う
明日は一体どういう世界が広がっていて
どんな神秘に出会うのか僕にはわからないが
きっとより良い世界が広がっているのだろう
だから今旅立とう
新しい神秘を求めて
より良い明日を探しに行こう
一九七八年四月二日
田村伸介
田村伸介様
FROM:山口ナオコ DATE: 一九七八年四月十五日
待ち望んでいた春がようやくやって来ました。四月になって新しい学年が始まり、私も中学三年になったんですが、中三になると受験とかもあって幾らか大変と言えば大変です。でもまあがんばってやって行こうと思っています。
でもって、最近私はアルセーヌ・ルパンに凝っていて、学校の図書室にある「怪盗ルパン全集」を夢中になって読んでいます。田村さんはアルセーヌ・ルパンを読んだ事がおありですか?ルパン三世じゃなくて、元祖であるアルセーヌ・ルパン(一世)の方です。元々テレビのルパン三世が好きだったので、もしかして面白いかなと思って読んでみたんですが、これがほんと面白くてやめられなくなりました。学校の図書館にあるのは南洋一郎という人が小学生や中学生向きに読みやすく書き直した(らしい)ルパンシリーズなんですが、ほんと面白くて読む手が止まらない感じです。今まで読破したのは、「怪盗紳士」、「怪盗対名探偵」、「奇巖城」、「魔女とルパン」の四冊で、今は「8・1・3の謎」を夢中になって興奮しながら(笑い)読んでます。このアルセーヌ・ルパンというのは冒険小説と推理小説の両方の要素がある、ほんとに何が起こるかわからない要素満載の波瀾万丈の物語で、読んでいてほんとに痛快です。で、私の友達で推理小説をたくさん読んでいる友達がいるんですが、彼女の話によると世界的にはルパンよりもシャーロック・ホームズの方がよく知られているそうで、日本においてはアニメのルパン三世やこのルパン全集があるおかげでアルセーヌ・ルパンというのは結構人気があってよく知られていますが、世界的な観点で言えば、フランスや日本を除いては圧倒的にシャーロック・ホームズの方が知名度が高いとの事です。私は実を言うとついこの間までホームズを読んだ事がなくて、ルパンシリーズにホームズがよく出て来るので最近になって読み始めたんですが、コナン・ドイルの小説に出て来るホームズとルパンシリーズに出て来るホームズとでは、えって思うぐらいキャラクターが違う気がします。特に「奇巖城」に出て来るホームズって凄く冷酷な刑事さんっていう様な感じのキャラクターで、まるで悪役なんじゃないかという様な感じさえするぐらいで、「奇巖城」を読んだ後でホームズの短編集を読んだ時はあまりにキャラクターが違いすぎるのでもの凄い違和感というか、変な感じがしました。ルパンシリーズに出て来るホームズってなんかいいとこがあまり無く、ルパンの方が3枚ぐらい上だって感じに描かれているので、ホームズの熱狂的ファンの方が読んだら抗議したくなるかもしれませんね──。
話は変わって、来月の五月十日(水)から十二日(金)にかけて修学旅行で京都に行く事になっていて、久しぶりに関西に行くので楽しみにしています。前に行ったのは大阪で万博があった一九七〇年で、夏休みの時、確か八月の終わり頃だったと思いますが、家族三人で行きました。当時小学一年でしたが、とにかく人がいっぱいで、暑い中長い時間行列に並んだなあって事は覚えています。小さかったので正直あまり面白いとかそんな印象は残ってませんが、父と母はなかなか興味深かったと言ってます。長い時間並んでアメリカ館やソ連館に入って結構興味深いものを見たと言ってますが、私はとにかく疲れてしんどかったなあという記憶しかありません。まあとにかく万博なんてものは大人になってから見た方が面白いんだろうなとは思います。私が一生を終えるまでにまた日本で万博が行われる事があるかどうかはわかりませんが、もしあったら今度はじっくりと見物したいものだなと思います。まああるかどうかはわかりませんが・・。
─────── 田村さんの「さまよう船」という詩、ぱっと読んだだけでは分かったようで分からないという感じの詩ですが、心を無にして瞑想し、この世の中の事や人間がこの世に生まれて来て波瀾万丈な人生を過ごし、、やがていつかはこの世を去ってあの世に旅立つという事を心の眼で見つめればこの詩が語る抒情的かつ叙事的な意味が見えて来る様な気がします。とてもスピリチュアルで深い意味が込められている、神秘的なフィーリングに満ちた詩で深い感銘を受けました。いつか何かのきっかけで全ての意味がわかる時が来る、そういった感じの詩ですね───。
またまた話は変わって、「漫画家残酷物語」の話ですが、田村さんは既に全て持ってらしたんですね。一巻と二巻、私も凄く読みたいと思ってるので色々探してみて出来るだけ早く手に入れるつもりです。近くの本屋を三軒ほど見て回ったんですが、置いてなかったので近いうちにとなりの町まで遠征して探してみようと思ってます──。
という事で、今日はこれぐらいにしておきます。バンドの方がんばって下さい。それではまた。GOOD-BY AND GOOD LUCK !!
山口ナオコ様
前略。今回はまずアルセーヌ・ルパンとシャーロック・ホームズについて書こうと思います。僕が初めてシャーロック・ホームズを知ったのは中一の時で、推理小説が好きな友達に勧められて「シャーロック・ホームズの冒険」という短編集を読んでみたんですが、これが非常に面白かったので他の短編集も色々読むようになり、たちまちの内に熱狂的なホームズファンになりました。とにかく訳のわからない事件を次々とその超人的な推理力で解決していくのが面白くてもの凄くはまりました。中二の終わり頃には短編に関しては全て読みつくした、というぐらい読みました。それでもって、長編の方も「緋色の研究」と「四つの署名」、「恐怖の谷」と読破していったんですが、どちらかと言えば短編集の方が僕は好きですね。ホームズの推理能力の凄さも確かにこの物語を魅力的にしている大きな要素だとは思いますが、僕はこの物語を人間という不可解で不思議な存在を推理によって解明していった一連の物語だという風に捉えています。つまり推理小説というより人間解明小説、といった感じでしょうか。本当に人間の内面というのはなかなか解明が難しい、謎が多い部分だと言えると思います──。
ほんでもってアルセーヌ・ルパンの方ですが、僕は中三になって初めてルパンシリーズを読み始めたんですが、確かに山口さんが手紙で書いておられる様に、物語自体は凄く面白いと思います。「奇巖城」や「8・1・3の謎」を読んだ時は僕も非常に興奮しながら読んだものですが、ルパンの物語におけるホームズの扱いに関しては非常に違和感を覚えます。特に「奇巖城」におけるホームズのキャラクターに関してはあんまりなんじゃないかと思うぐらいで、物語の最後の方でルパンを撃ち殺そうとホームズはピストルを放つんですが、それがルパンをかばおうとしたルパンの恋人の胸に当たり、その恋人は絶命してしまうという展開になって、これを読んで僕はそれはないだろう、あんまりだと思いました!───事あるごとに思い出すぐらいで、今でも強く思ってます。熱狂的なホームズファンだったら誰でもそう思うでしょう。まあトラウマとまで言ってしまったらさすがに言い過ぎでしょうが、この展開はちょっとあんまり過ぎると思います───。
それはともかく、アルセーヌ・ルパンの物語自体は波瀾万丈でスリルに満ちた冒険小説であり、良く出来た推理小説でもあるので僕も好きなのですが、ホームズの扱いに関してだけは違和感を覚えます──。
ルパンの物語にはシャーロック・ホームズが出て来るのがまあまあありますが、コナン・ドイルのホームズストーリーにルパンが出て来たことは一度もありません。これはひとえにドイルがルパンを無視したからにほかありません(と僕は個人的に思います)。と言うか、何とも思っていなかったのかな?、とも思います。ルパンの初期の物語にホームズが”出演”した事に関し、ドイルが作者のモーリス・ルブランにホームズを出さないでくれ、とクレームを出したのでルブランが仕方なくホームズの名前をエルロック・ショルメス(Herlock Sholmes)と名前を変え、友人のワトソン博士をウィルソン(Wilson)と変えたのは有名な話ですが、ルパンシリーズにおいてワトソンはホームズの友人と言うより、ホームズの助手という設定になっていて、しかも助手と言うよりも”部下(と言うより下僕?)”と言った方が適切な感じで描かれていますので、これに対しても僕は違和感を覚えました──。
とは言え、僕はドイルの小説にルパンが出て来ない事に関してはほんと残念な事だと思いますね。出したらきっと凄く面白い話になったんじゃないかと思うので──。もし僕がドイルだったら絶対出すんですけどね───。
話は変わって、四月になって僕も高三になり、山口さんと同じ様に受験の事を真剣に考えなければならないのですが、国公立は完全にあきらめているのでとにかくどこかの私大に入れればいいと思ってます。まあアルバイトはずっとやっていかなきゃならないでしょうが、とにかくバンド活動を続けていきたい、今考えているのはそれだけです。僕は英語とか中国語なんかの語学が好きなので、英語専攻という事でいくつか受けてみようと思ってますが、出来るだけ家から通える所に決めたいなと思います──。
最近よく聴いているのがレインボーの「虹を翔ける覇者」とバッド・カンパニーのファーストアルバムで、この二枚はほんとに素晴らしい音楽が満載で毎日飽きずに繰り返して聴いています。ちょっと解説すると、レインボーというのはディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモアがディープ・パープル脱退後自分をリーダーとして結成したバンドで、「虹を翔ける覇者」はセカンド・アルバムなんですが、これがほんとに凄いんです!とにかく最初から最後までキラーチューン満載で、ハードロックが好きな人なら絶対に聴かねばならない必殺のバイブル的なアルバムです!あまりに凄すぎて手が震え、汗がどばどばばーっと飛び散る、どう形容したらいいのかわかりませんが、とにかく凄いアルバムです!このアルバムを点数で評価するとしたら百点満点で百五十点!という感じで、ほんとにもう神のレベルの傑作です!ハードロックを聴いてきてよかった、なぜならこんなにも凄いアルバムに巡り会えたのだから、と言いたくなる様な世紀の名盤で、全てのロックファンにお勧めしたいアルバムです───!
バッドカンパニーのファーストアルバムに関して言うと、これはとにかくポール・ロジャースの歌が素晴らしい!こんなにも胸にぐっと来る歌を歌える人というのはそんなにいないと思います。アルバム全体に渡ってポール・ロジャースの素晴らしい歌唱が堪能できますが、特に二曲目の”Rock Steady " から五曲目の”Bad Company ”までが圧巻で、ほんとにほんとに”魂の歌唱”の真髄を聞く事ができます。曲としてはロックの曲もあればバラード調の曲もあり、バラエティーに富んだ内容となっていますが、このアルバムも全てのロックファンにお勧めできる世紀の名盤です!機会があればぜひともお聴き下さる事をお勧めします────。
という事で、今日はこれぐらいにしておきます。最後に僕が去年の六月に書いた詩を下に記します──
雨の向こうに
雨
全てを流す雨が降る
雨
時間だけが過ぎて行く
雨
あなたが私を置き去りにしたあの日から
ずっと雨が降っている
雨の向こうにあるのは
希望
それとも絶望
雨の向こうにある虹の橋に向かって
私は歩き続ける
陽の光が差す方向に向かって
私は希望を探し続ける
いつになったら
この雨の世界から抜け出す事が出来るのだろう
私は待っている
陽の光の下
虹の橋が昇って行くのを
私は待っている
あなたがこんな私を
この世界から解放してくれる事を
一九七八年四月二十三日
田村伸介
(つづく)
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